ユナの話
「人生はクソゲーだ」
ユナはそう思っていた。
「特にこの船の上では、そう」
こんな狭いところに閉じ込められて、この宇宙船の中の狭い世界だけを生きて、死ぬ。
「こんなひどい設定ってなくない?」
地球を出発してから1350年、目的地であるケンタウルス座α星系まであと5000年、5000年だよ?!頭おかしいでしょ。
鏡を見ながら、ユナはいつものように髪をポニーテールに結ぶ。これで良し、と。
今日はハイスクールの初日、といってもこれまで通っていたジュニアハイスクールのすぐ隣だし、あまり変わらないな。友達もそのまま持ち上がりだし。もうひとつのジュニアハイスクールと合流すると言っても、たかがしれている。
「じゃあ、行ってきます」
仕事に行く前の母親と父親に一声かけると、ユナは玄関を出た。
学校に到着して、第四学年の教室に行く。携帯デバイスの表示によれば私はBクラスだ。ああ、またアリシアと同じクラスなんだ。おはよう、アリシアは片手を挙げて声を掛けてくる。私は軽く左手を挙げる。
教室の一番うしろの机の端を陣取る。初等部の頃から私の専用席だ。なんならすぐにサボりに行けるし、寝てても邪魔扱いされないからね。
教室を見回す。色のトーンがジュニアハイスクールの時より落ち着いた感じであること以外は、あまり変わりがない。あと、机が少し大きいかな。左手に広がる外の景色を見やる。厳密に言えば映像だが、部屋の中を見ているよりは慰めになる。緑の森が広がって見える。へえ、そういう設定なんだ、森の中のハイスクール。悪くはないわ。
見知らぬ女子が後部のドアから教室に入ってくる。もうひとつのジュニアハイスクール出身者だな。ユナは横目で値踏みする。小柄ね、あと結構可愛い。男子どもが喰いつくな。
近づいてくる。
「あのう、横に座っていいですか?」
はあ?まあいいけど。
ユナは黙ってうなづく。
不安げである。まあ怖がらせてもしょうがない、一応名乗っておくか。
「私はユナ」
その女子は、安心したようにニッコリと笑って言った。
「私はユミと言います。似てますね、名前」
それがなに?とユナは言いかけて、さすがにまずいと思って言い換える
「それじゃあ、これからよろしく」
「どこから来たの?」
アリシアが私たちの机に寄ってきた。
「西街区です。ずっとあっちに住んでて」
ユミと名乗った少女はアリシアに答える。
私、ユミと言います、宜しくお願いします。ユミちゃんね、私はアリシアよ、こちらこそこれから宜しくね。あ、そうだ、
「じゃあ、パトリシア知ってる?私達、幼馴染みなんだよ」
アリシアはユミに言う。ユミは、ぱっと明るい顔をして答えた。
「知ってます、大親友です」
そう、じゃあユミちゃん今度、パティも一緒に遊ぼう、アリシアがユミに笑いかける。
こいつ誰でもすぐに友達にしちゃうな、ユナはアリシアのコミュニケーション能力に感心する。私には無理。
アリシアが言う。
「ユナも一緒にね」えっ、私も?面倒だな。
アリシアは付け加える。
「ユナはね、無愛想だけど親切だから頼りにするといいよ」
うざい、ほっとけ。
担任とおぼしき男性が教室に入ってくる。じゃあまた後でね、手を振ってアリシアは自分の席に戻っていった。
「ユナ、また同じクラスだね」
ロバートが休憩時間に寄ってきた。
ああそうみたいね。
「夏休みどうだった?」
ロバートは愛想良く私に尋ねる。相変わらず馴れ馴れしいな。
別に普通、と私は答える。
「元気そうで良かったよ」
ロバートは少し笑った。
私がいつものように自分を邪険に扱うことを確認してロバートは満足したのか、じゃあまた後で、と言って男子のかたまりの方に戻っていった。
ロバートはジュニアハイスクールの時に、私に付き合ってほしいと告白してきた奇特な人間である。もちろん私は断った。ごめん、そういうの興味ないから。ロバートは私に好きな人がいるのか、とさらに聞いてきた。私は正直に、だからそういうのに興味がないから、と繰り返した。それなのに、その後も機会があるごとに話しかけてくる。根性だけはあるな、と私は変な感心をしていた。私のどこがいいの?
「ユナ、ユミ、帰りに喫茶店寄らない?」
アリシアからメッセが入る。ユミは速攻で承諾の返事を出している。返事するのが面倒なので、私は無視する。
授業が終わって、アリシアが私達の座っている机のところに来た。
「さ、行こう!」
ユミは嬉しそうである。じゃあ、ちょっとだけね、と私は答えた。
「私達の遺伝情報が公開されてるはずよね、見た?」
とアリシアが私に尋ねた。高校入学と同時にクローンの元になった相手の情報がクローン本人に公開になる。そう言えばアリシアもクローンだったな。
船内全体の遺伝子プールが混血により均一化することを避けるために、定期的にオリジナルの乗組員に近い世代の遺伝子を持つ、いわば双子の「弟」「妹」を誕生させることが定められていた。いわゆるクローン人間だが、一卵性双生児と全く変わらないことが証明されており、社会的、倫理的な抵抗感は無かった。双子の元になる人物は、男女比、人種構成などを考慮した上でAIが選択する。
先代の人生について、後代の同一遺伝子コードの持ち主へ提供される情報には、ある程度開示範囲の制限が掛かっていた。そして開示には年齢制限もあった。高校入学と同時に先代の情報にアクセスできるようになるのだ。
私は興味ないから見ない、と言った。え?興味ないの。アリシアは驚いた顔をする。
「私は今晩見ようかなって思ってます」
ユミが答えた。あんたもクローンなの。へえ3人いて、3人ともクローンというのは珍しいかも。
「お姉ちゃんたちがどんな人だったかって興味あるよね」
アリシアが笑う。
そう?
「だって、どんな人と結婚したかとかもわかるんだよ、ユナは興味ない?」
興味ない。
「えー、なんで??」
アリシアが抗議ともとれる声を出す。
私は答えた。
「私の人生は私の人生じゃない?双子の相方がどんなふうに生きていたって関係ないじゃん」
ユナらしいわね、とアリシアは笑った。
ただいま、とすでに帰宅していた母親に声を掛けてから、私は自室に入る。髪を解く。青のリボンを外し制服を脱いで、部屋着に着替える。
着替えながら音声AIに、ルイーズ、今日なんかあった?と声を掛けた。音声AIは答えた。
「ユナの遺伝情報が公開になってます」
ああ、私それ興味ないから忘れて、とスピーカーに向かって言ってから、私は居間に向かった。
「おはよう」
ユミがまた私の隣の席に来た。私に懐いたらしい。なんでだ。
私は一応軽く会釈を返す。外をぼんやり眺めていると、ユミがずりずりと近寄って来て言った。
「私、300年ぶりだったです」
え?ああ双子の話ね。
「でね、お姉ちゃんは4人いました」
へえ、そうなんだ。
「当たり前だけど、みんな私によく似ていました」
そりゃあ一卵性双生児だからね。
「でも私が一番背は低いです」
ユミは笑った。そして続けた。
「ユナさんは背が高くて、すらっとしていて羨ましいです」
そう?小柄な方が、可愛くていいと思うけど。
「ユナ、今日ソシアルダンスやってみない?」
授業が終わってすぐ、アリシアが私に近づいてきて言った。
え、なんでいきなり私を誘う?
アリシアはジュニアハイスクールの頃から、ソシアルダンスを習っていた。
「先輩がね、ペアを解消して相手がいないかって探しているの。背高いからユナとパートナーバランスがいいかなあ、と思って」
他にいくらでもいるでしょうに、私完全に素人だよ、全く踊れない。
「大丈夫、女子は付いていけばいいだけだから」
ね、見学だけでも。
ヒマだしいいか、今日は他にやることもないし。
「ユナさんよろしくお願いします。僕のことはヨハンと呼んで」
静かな人だな。あと、そこそこイケメンであることも認めよう。細くて背が高くて、見るからにしなやか。ただし髪の毛がぴっちりセットされていて若干キモい。
「よろしくお願いします。私は全然踊ったことないです」
私は精一杯の愛想で言った。
ああ、みんな最初は素人だから気にしないで、ヨハンと名乗った男性が微笑む。
指導者のハワード先生が、最初はマンボで足を馴らしてみましょうか、と私に言った。
これは無理、私は開始10分で自分の踊りの才能に見切りをつける。ステップは覚えられず、歩く方向も定まらない。回転すると目が廻ってくる。対面して踊るヨハンはシャキッとターンをする。単に回転しているだけなのに極まっている。さすが。私の隣のアリシアは柔らかく優雅に踊る。へええ、上手いじゃん。
それじゃあユナさん、ワルツの簡単なステップを試してみる?ハワード先生が私に声を掛けた。ヨハン、組んであげて。
ヨハンが構える。おお、なんか動画で見たことのある感じだな。私はどうすればいいんだ?ホールドの中に入ってと、ハワード先生が言う。ホールドねえ、私はズカズカとヨハンの構えるふところに歩み寄る。どこに居ればいいのか、よくわからないぞ。
「もう少しこっち」
ヨハンの左手が私の右手を取って、身体を少し左に軽く引っ張った。
こう?
「そう、それで右の体側を僕につけてみて」
若干照れるな。
「もっとぴったり身体をつけて」
ハワード先生が言う。
えええ十分引っ付いているんですけど。
「膝を少し緩めるんだよ」
ヨハンが小声で言う。
こんな感じ?
「そう」
じゃあヨハン少し踊ってみて、ハワード先生が言った。右足を後ろに下げていって、ヨハンがささやく、と同時にヨハンの左足に身体が押される。すうっと後ろに下がり、続けて左側に身体が持って行かれる。ふわっと身体が浮く。右足前、左足前、右足前、今度は左下がって、とヨハンが小声で言うのに合わせて適当に私は前進後退する。
あれ?なんか私、動けてるわね。
「あら、ユナさん上手いじゃない。ヨハン、なんかステップ踊ってみて」
とハワード先生が言う。
上手いって言われても、私は歩いているだけなんですけど。
身体が前に押し出される、わああ。今度はぐいっと引きつけられて、身体がふわっと浮く。おお、今度はなんか回転しているぞ。再び後退させられ、急に止まったかと思ったら、身体を反らされる、なんでこうなる。起き上がらされて後ろに下がって回転させられて止まる。
「ユナ、上手じゃない!」
アリシアの喜ぶ声が聞こえた。
「ありがとう」
ヨハンが私に小声で言う。
いえいえ、こちらこそ、ありがとうございました。
「うまく付いていましたね、やったことあるの?」
ハワード先生が声を掛けてくる。
いやいやいや、最初に言ったように全然踊りの経験、無いですよ。
「良かったら、また来てくださいね」
とヨハンが私達の帰りがけに声を掛けた。
「ありがとうございました」
私はお辞儀をしてから、アリシアと一緒に練習場を出た。
「見てみて、ユナ、上手く踊ってるから」
携帯デバイスでアリシアが私が踊っている動画を見せてくれる。柔らかく優雅に踊っている自分がいた。ええええ、これ私?
「まあ、ヨハンは上手に女性を踊らせるんだけどね」
とアリシアは言ってから、私の方を見て続けた。
「でもユナも上手く付いている。初めてなのにすごいね」
パフェをつつきながら雑談がひとしきり続いた。
「ヨハンは大学1年生なんだよ、ずっとソシアルダンスのクラブにいてね。上手だし、結構格好いいでしょ」
髪型、キモいんですけど。
「あれはああいうものなんだよ、制服?みたいなもの」
アリシアは言って苦笑した。
「でも無口なのは、良いわね」
と、思わず私は言った。
そこがツボ?アリシアは大笑いした。
ベッドに寝っ転がりながら、踊りながらふわっと身体が浮かされる感じを思い出す。浮遊感?悪くないわね。どうやったら踊りって上手くなるのかな、思わず独り言が出る。
「練習あるのみ、ですね」
質問したわけではないのに、音声AIが答える。
はあ、練習ねえ。ソシアルダンスのクラブに入ってみるか、どうせヒマだし。
現在、恒星間宇宙船「ノア」は地球から1.35光年離れた場所を、光速の約1/1000で目的地であるケンタウルス座α星系に向かって慣性飛行をしていた。全行程が4.3光年なので、おおよそ3割の行程を終えたことになる。乗組員数は約1500人で、この1000年はほぼ一定数に保たれていた。宇宙船内は四街区に別れていて、昔ハイスクールは4つあったそうだが、現在は1つに統合されて東街区に設置されていた。ちなみに初等部とジュニアハイスクールは2つずつある。地球との連絡には往復3年近くかかるので、宇宙船内では評議会という組織が設けられ、船内の問題については評議会が最高意思決定機関となっていた。そうはいっても犯罪など皆無であり、貧富の差といった問題が生じようも無い環境のため評議会が重大な意思決定をする場面は全く無かったといってよい。
時計の針は着実に進み、目的地に向かって船は順調に航行してはいたが、船内の住人は恒星間旅行をなしとげるのだといった使命感などは全く持ち合わせていなかったと言って良い。それはそうだろう、地球出発時と目的地への到着時に居合わせる世代以外は、船内で生まれて死んでいくだけだったのだから。
だからといって、船内の人々は停滞感や虚無感に襲われたりはしていなかった。子供を育てたり、それなりに仕事に追われたりで自分たちの日常を普通に生きているのだった。
その中で、ユナはひどく退屈していた。ずっと船の中で生きて死ぬことが定められている運命を、理屈では分かっていても、受け入れたくはなかった。自分がこのまま船内で生きていかなければならないことを自覚した日をユナは鮮明に覚えていた。自分も含めて全部「作り物」の世界、その中で私は生きていかねばならない、なんという理不尽、そうユナは思っていた。
「彼女はユナ。あんまり笑わないけど、怒っているわけじゃないから大丈夫」
アリシアが私のことをパトリシアに紹介する。もう少しマシな言い方があるだろうに。
「よろしく、私のことはパティって呼んでね」
パトリシアがにっこりと笑う。
「ユミからうわさは聞いているわ」
やれやれ、どんなうわさだか。まあ、よろしく。
東街区の喫茶店は、最近改装されてモダンな内装になっていた。昔のクラシカルな感じのの方が、落ち着いていて良かったな。
「お砂糖いれないの?」
パティが私に尋ねる。
うん、甘いの好きじゃないから、と私は答える。
「ユナはブラック派なのよ、紅茶にも砂糖入れないし、徹底しているの」
アリシアが付け加える。でもケーキは食べるのよね、とユミは笑う。
そりゃケーキは食べるでしょ、と私は言った。
「ユナさんはうわさどおり、クールで格好いいわね」
パティが言う。
愛想が無いだけ、他人と話すの苦手だし、と私は答えた。
「ユナはモテるんだよ」
アリシアが余計なことを言う。
アリシア、殺すよ。
「おお、怖い」
アリシアが震えるフリをする。
「でもホントだよ」
そんなんじゃないよ、と言って私はコーヒーの残りを飲む。
「結構、私、男子から相談受けるんだから」
アリシアが悪戯っぽく笑いながら言う。
え、誰々?ユミが興味を示す。
待って、ホントに勘弁して。
「じゃあ、秘密にしておく」
アリシアが笑う。
「ユナは男嫌いだからね」
いや、そういうのじゃないんだけど。
「男嫌いじゃないならなんなの?」
ええとロクな男がいない、というか。
ユナはひどいこと言うなあ、と3人に大笑いされた。
今日は自主練習日だった。アリシアのペアは、二人とも別に用があるとのことで、ヨハンと私だけ。練習場にいるのは、年配のカップルが他に二組。
「無理に身体を反らさないで」
ヨハンが言った。
こう?
「反るんじゃなくて、背中を天井と壁の境目方向に伸ばす感じ」
あ、なるほど。
「そうそう」
しばらくステップを続ける。動きが止まってヨハンが私から離れる。
えっ、間違えました?
「上手」
そういってヨハンは私に微笑みかけた。
えへへ、照れますね。私も笑う。
「じゃあ、もう一回最初からやろうか」
そう言うと、ヨハンはさっとホールドを作った。
練習を終えて着替えると、ヨハンが待っていた。
「ちょっと相談があるんだけど、お茶に付き合ってもらえない?」
もちろんいいですが、なんですか、と私は尋ねた。
「お茶の時でいい?」
はい、じゃあ行きましょうか。
「ダンスのパートナーになってもらえませんか」
ヨハンが切り出した。
「ええ?私へたくそですよ、始めて3ヶ月経ってないし」
私は答えた。
「もっと上手い人の方が、ふさわしいのではないでしょうか?」
ヨハンはちょっと考える素振りをしてから、私に言った。
「僕の勝手な押しつけで悪いのだけれども、ユナちゃんとは踊りの相性が良いんだ」
「絶対、私、足引っ張っちゃいますよ」
私は言った。
ヨハンは私の目をじっと見て言った。
「大丈夫、僕もがんばりますから。お願いできませんか」
迷惑掛けちゃうだろうなあ、どうしよう。私は答えた
「返事は、ハワード先生と一度相談してからでいいですか?」
もちろん、ヨハンは微笑んで言った。
歴史の勉強に飽きたので、ユナは一旦休憩することにした。
ああ疲れた。そうだ、あの話どうしようかな。
「ルイーズ?」
「はい、なんでしょう」
「たまにはマシな男もいるのね」
音声AIは、少し考え込んでから答えた。
「ユナにはもったいない相手だと思います」
ユナはベッドの上にあったぬいぐるみを、スピーカーに向かって投げつけた。
「なにか目標があるといいわね」
ハワード先生は答えた。
「Home Coming Dayの時にあるノービス級の大会に出てみるのはどう?」
え?いきなり競技会ですか、あと4ヶ月しかありません。無理です。
っていうか、ヨハンのパートナーになる資格が私にあるかどうか、という相談なんですけど。
「競技会に出てから考えればいいんじゃない?」
そんなんでいいんですか、先生。
「そう、じゃあ競技会に向けて頑張ろう」
ヨハンは私に言った。
ホントに私で良いんですか?
「ユナちゃんが良いんだよ。パートナーを引き受けてくれてありがとう」
ヨハンが微笑んで言った。
参ったなあ。なるべく迷惑掛けないようにしないといけないな。
「ユナ、ヨハンと競技会出るんだって?」
学校に着くなり、アリシアが寄ってきて言った。
「良かったあ、紹介した甲斐があったわ」
「あのさあ」私はアリシアに言った。
「言っておくけど、私まだド素人だからね。人数あわせのつもりで出るんだから、パートナーとか全然無理だから」
そんなこと言わないで、とアリシアは答えた。
「上手な人と組めるんだから、ユナはラッキーなのよ」
そうね、せっかくの機会だから頑張らないと。
「地球のプロの選手が出場しているインターナショナル選手権のライブVRがあるのよ。イメージトレーニングだと思って見に行ってみるといいわよ」
ハワード先生が練習の後にユナたちに言った。
へえ、そんなのがあるんだ。
「1300年以上前のものだけど、ソシアルダンスの基本は全く変わらないから十分楽しめると思うわ」
1300年以上前の人のダンス!凄いな。想像もつかない。
それまでユナは地球の観光地VRや、ケンタウリの疑似体験VRは見に行ったことがあったが、スポーツの試合やコンサートといった催しのVRは未経験だった。
隣のヨハンの顔を見上げると、ヨハンは微笑んで一緒に行こうか、と言った。
「結構、会場は広いのね」アリシアが周囲を見回しながら言う。「これじゃあ後ろの席だと、選手はアリンコみたいに小さくしか見えないわ」
確かに。
ライブVRなので周囲にいる観客のざわざわ感も伝わってくる。結構緊張感があるものね。
アリシアとペアを組むロベルトも、その緊張を感じたのか
「なんかのスポーツの決勝戦みたいな雰囲気だね」と言った。
予選は、多くの組が一緒に踊る。せわしない、というかどこを観たらよいのか迷う感じだった。これを採点するのは大変だな、とユナは思った。当たり前だがみんな上手だもの。
「衣装がきれいね」アリシアが囁く。確かに女性のドレスが、みなとても綺麗だ。
ソシアルダンスのカテゴリーは、大きく分けてスタンダード部門とラテン部門に分かれている。最近ユナが練習しているワルツとタンゴはスタンダード部門である。スタンダード部門の準決勝を見ながらユナは情けなく思った。はあ、同じ踊りとは思えん。動きは繊細でいて大きく、優しい。そしてなによりペアの一体感がある。準決勝からは、一組ずつ踊るので、身体の線の美しさまではっきり分かる。まあ、これは別世界ね、世界選手権だもの、当たり前か。
なにげなくラテン部門の準決勝の第二種目、ルンバを見ていたとき、あるペアの踊りにユナの目が釘付けになった。普段ユナはラテンの種目は踊らないので、上手いのか、下手なのかはさっぱりわからない。もちろんこの場に出てくるペアが下手なわけはないのだろうけど。
それよりもユナが感じたのは、心の底から揺さぶられるような躍動感だった。動きが大きいわけではなく派手なわけでもない。なんなのだろう。女性は東洋系の顔立ち、どちらかというと小柄である。指先まで神経が行き届いているような滑らかな動き。
そのペアはラテン部門の決勝に進出する6組に残った。一組ずつ紹介があった。そしてユナが魅了されたペアはフランチェスコ・ロッシ&サユリ・ロッシという名前だった。
決勝が始まった。チャチャ、サンバ、ルンバ、パソドブレ、そしてジャイブ。それぞれの踊りには、くっきりとした色彩がありスタンダード部門のダンスとは、また違った華やかさがある。
ロッシ組は優勝した。優勝者インタビューで会場の大スクリーンにペアの姿が映し出される。ユナは妙な既視感にとらわれた。ロッシ組の女の人、どこかで会ったことがある。化粧が濃いので遠くからだとよく分からなかったのだが、小ぶりで可愛らしい顔立ちだ。誰に似ているのだろう?
自宅に戻ってベッドに横になったときに、気がついた。あれはユミだ。
翌朝、いつものように隣に座ったユミを、ユナが怖い顔をして待ち受けていた。どうしたのユナちゃん、なに怒ってるの?
ユナは言った。
「あなたサユリ・ロッシって知ってる?」
ユミはリュックサックから出しかけていたペンケースを取り落とした。慌ててペンケースを床から拾い上げながら、ユミは言った。なんでその名前をユナちゃんが知ってるの?私の双子の、最初のお姉ちゃんの結婚後の名前よ。
検索をすると、確かにロッシ夫妻は「ノア」の最初の乗組員の内に含まれていた。船内でもソシアルダンスを教えており、船内の競技会でエキシビジョンとして模範演技を踊る二人の姿の映像も残っていた。なんということだろう、ユナは思った。あのサユリの一卵性双生児とも言うべき人が、いつも教室で自分の隣に座っている友達だったとは。これは偶然だろうか、AIの計画だろうか、それとも神様の悪戯か?
「ユミ、ソシアルダンスを一緒にやろう」
次の日の朝、ユナはユミを捕まえて脅かすような勢いで迫った。
「私、あなたが踊ってる姿を生で見てみたい」
「ツー、スリー、フォー、ワン、ツー、スリー、フォー、ワン」
ハワード先生のカウントと音楽に合わせて、ユミがルンバの初歩のステップを踊る。
相手を務めてくれるているのは、アリシアのパートナーのロベルトだ。
「お尻は動かそうとしなくて良いからね、体重を移動させてつま先から踏みしめる感じで」
ロベルトがユミに教える。
「あら、上手いわね。じゃあ自然体で良いから、適当に手の振りを付けてみて」
ハワード先生がユミに言う。ユミが首を伸ばして、すっと左手を指先まで伸ばす。
ユナは電撃を受けるような感覚を覚えた。
そこにはサユリが立っていた。
「次はユミのパートナー探しです」
ユナは喫茶店でヨハンに向かって言った。
「初めて踊る感じではなかったね。天性のものなのかな?」
少し感心した様子だった。
「でもユナちゃんもそうだったよ」
ヨハンは続けて言った。
「私を褒めたって、なにも出ませんよ」
ユナはぴしゃりと言ってから頬杖をついた。
誰かいないかしら?
しばらく紅茶を静かに飲んでいたヨハンは、私に言った。
「ユナちゃんは第四学年だよね」
ええ、そうです。
「ウェイドって奴、知ってる?」
ヨハンが尋ねる。
知らないなあ、もう一つのジュニアハイスクールから来た人かな?
「ロバートって言うんだけど」
あ、ロバート・ウェイド、私は思い出した。あの馴れ馴れしい男子か。
「あいつ去年まで、ソシアルやってたんだよ、ラテン」
へえ、そうなんだ。
「でもパートナーがダンスを辞めてしまって、ペア解消でロバートも辞めちゃってね」
彼に頼んでみれば?ヨハンはそうユナに言って微笑んだ。
「ロバート」ユナはロバートの座った席の前に立ちはだかる。
「おはよう、ユナ。どうしたの?」
なんかびびってる。
「あのさ、今日の放課後、私に付き合ってくれない?」
ユナは拒否なんかさせないというオーラを発しながらロバートに迫る。
「いいけど、なに?」ロバートは弱々しく答える
「東街区のダンス練習場に16時。あ、靴持って来てね」
ユナは命令する。
「わかった。ユナと踊るの?」
ロバートは少し嬉しそうである。勘違いしたな、こいつ。
「違う。もっと上手な人、というか、上手になりそうな人」
ユナは答えた。
「ユナはヨハンのパートナーなんだ?」
ロバートはヨハンが場を外した時に、ユナに尋ねる。
「そうよ。なんか文句ある?」
ユナは答える。
「ヨハンは上手いし、格好いいし、なにより良い人だしユナは運がいいね」ロバートが言った。
「あんたはもっと運がいいわよ」
ユナは隣で大人しく紅茶を飲むユミの方を見やりながらロバートに言う。
「こんな可愛い娘と組めるんだから」
ユミが身体を縮める。
「私なんて可愛くないし、素人だし」
と消え入りそうな声で言うユミを、ユナはどやしつける。
「なにいってんの、ユミはチャンピオン・ダンサーになるのよ」
そしてロバートに向かって
「あんた、ちゃんと練習しなさいよ。さぼったら殺すわよ」と脅す。
ヨハンが戻って来た。
「どうかしたの?」
その場のただならぬ空気を読み取ったのか、ヨハンが尋ねた。
「どうしたら踊りが上手くなれるかなって」
ユナは、にこやかにヨハンに答える。
ヨハンはちょっと不審そうな顔をしながら
「そうだなあ、まずは男がパートナーを輝かせるようにリードすることかな」と言った。
「あと踊り込むこと、だろうね。当たり前だけど」
ほらね、とユナは得意そうにロバートに言った。
「腰が痛い」
大丈夫?
「膝も痛い」
ちょっと休もうか。
「頭が超痛い」
ユナちゃん、もう練習をやめて帰ろう。着替えてきて。送っていくよ。
「イヤだ」
ユナちゃんは、どうしたいの?
「もう少し頑張る」
我ながら駄々っ子を絵に描いたような態度である。
なんでこんなに自分はダメなんだろう、ユナはイラつく。
ちっとも上手にならない。自分の動画を見て再び癇癪をおこす。全然踊れてない。
「ゆっくりで良いじゃない?ユナちゃんは、確実に上手くなっている」
ヨハンは静かにユナに言った。
「ヨハンが悪い」
ユナは八つ当たりを始める
「ヨハンのリードが悪い」
ああ、そうだね。ごめん。
「そんなこと無い、ヨハンは悪くない。全部私が悪い」
ユナはポロポロと涙を流し始めた。
「このままじゃ競技会に間に合わないよ。ヨハンに申し訳ない」
そんなこと気にしないで、ヨハンはユナの背中を撫でながら言った。
ユナちゃんは、まだ始めたばかりなんだから、ゆっくりやろう。
ユナは、うつむきながらコックリと頷いて、ごめんなさい、ヨハン、と小さな声で言った。
私、最低だ、絶対ヨハンに嫌われた。ユナはベッドにうつ伏せに倒れ込みながら思った。少し横に顔を傾けて音声AIに言う。
「ルイーズ?」
「はい、なんでしょう」
「最悪の気分よ。私、どうしたらいい?」
音声AIは、しばらく考えた後に答えた。
「どうしようもないので、さっさと眠るのが良いと思います」
あんた、たまにはいい提案をするじゃない。
次の日、朝一でユナはアリシアの席に向かう。アリシアは、ユナにいつもの笑顔で挨拶をする。
「ユナ、おはよう!」
ユナは力無くアリシアに訴えた。
「アリシア、私、全然上手くならない。どうしたらいい?」
アリシアは、ユナの顔をじっと見て、しばらくしてから言った。
「ユナ、今日の放課後、ダンスのドレス見に行かない?」
はあ?
「気分転換よ。モチベーションも上がると思う。ほら、私のドレスも選んで欲しいし」
ユナ、こっちのドレス試してごらんよ。わああ、ユナ可愛い。じゃあこっちは?こっちも良いわねえ、ユナはスラッとしているからドレスがとっても似合うわね。黄色はどうかしら。コサージュ付けると良いかも。やっぱ、良いね。それよりユナは脚が奇麗ね、あと首が細くて長いから羨ましいわ。髪はお団子にした方が良いかも、首筋がきれいに見えるからね。
帰りがけに、アリシアはユナに言った。
「ユナは美人なんだから、すましてヨハンについていけば、それだけで今はいいんだよ。上手く踊ろうとしちゃダメ。ヨハンに任せちゃいな。世界選手権に出るっていうわけじゃないんだし、せっかくだから楽しく踊んなきゃ損だよ」
次の自主練習のとき、ユナは上手く踊ろうとすることをやめた。知ってることを正確に、あとはリードに任せて、なんとなく付いていけばいいや。タンゴも切れよく動かなきゃとか考えないで、ヨハンの動きにただ合わせよう。
練習が終わったとき、ヨハンは私の顔を見てにっこり笑って言った。
「ユナ、上手になったね」
私なんにもしなかったのが良かったのかも。
「あのね」ヨハンは言った。
「ペアなんだから、一人で悩まなくていいんだよ。僕をもっと頼って。パートナーなんだから、どんどん文句を言って」
「これ以上、我が儘言ったら、ヨハンに嫌われるから言わない」
私は答えた。
「ユナを嫌いになんかなるわけないよ」
ヨハンは私の頭を優しく撫でてくれた。
「ハワード先生のところで催されるダンスパーティに参加しようよ」
アリシアがユナとユミを誘う。
「土曜日の午後、ひまでしょ?」
「自主練習の後だから行ける」
ユナは答えた。
「ユミは?」
アリシアがユミに問い掛ける。
「私、ほとんどラテンしか練習してないし」
そんなの気にしないで出ちゃおう、アリシアはユミの肩をポンと叩く。
「あとロバートやロベルトにも聞いてみるか」
アリシアは素早くメッセをする。
「おじさん、おばさんがほとんどだけど、武者修行よ」
アリシアはコーヒーを飲みながら言った。
「いろんな人と踊ることは大事なの、相手に合わせる練習」
アリシアにメッセが入る。
「よし、二人ともOK」
ユナ、ヨハンは?
「まだ連絡してない」
聞いてみてよ。
「私が頼んだら無理してでもきてくれるだろうから、誘いにくい」
なに言ってんの、あなたたちパートナーなんだから遠慮とかしなくていいのよ。
結局、アリシア、ロベルトと、ユミ、ロバート、それにユナがダンスパーティに参加することになった。ヨハンは、実験とか忙しそうだから、私があんまり振り回すのはよくない気がする。
アリシアの言葉通り、ダンスパーティーの参加者は、比較的年配者が多かった。女性の数の方が多い。踊る相手が次々変わることに、ユナはなかなか慣れなかった。
我流のリードを強引にする男性も多い。ただただ左右に振り回されることもあり、ユナは疲れてしまった。私は、お茶とお菓子を消費することに専念しよう。
ふと、フロアを見るとユミが年配の男性とワルツを踊っていた。ベーシックなステップだけだが、優雅に舞う。ユナは感心してしまった。すごいなユミ、順応している。相手に合わせちゃうんだ。曲が終わり、ユミはくるりとターンをしてお辞儀をした。
「ユミ、すごいね」ユナは言った。
「そんなことないよ。ただ相手に合わせて歩いてるだけ」
ユナの隣の席に座ったユミは、困ったような顔で笑った。
ロバートがユナに近づいてきて、踊って欲しいと言った。
まあいいか。ユナは立ち上がった。
ロバートと踊り始めてユナは思った。へえ、結構上手いじゃない、リードがはっきりしていて踊りやすい。ヨハンと比べると優しくはないけど。
一曲終わったところで、ロバートが「踊ってくれて、ありがとう」とちょっと笑った。いえいえ、ロバート上手いじゃん。ホント?うん。意外にこいつ悪い奴じゃないな、ちょっとうざいけど。
「もう一曲お願いできる?」
いいよ。
色々な相手と踊るのも大事だなと、タンゴをロバートと踊りながらユナは思った。微妙にリードのタイミングも異なり、方向も違う。こういうのに上手く合わせて付くのがソシアルダンスの本当の姿なのね、ユナは納得した。
アリシアとロベルトのペアがフロアを舞う。さすがに上手い、息もぴったりあっていて一体感がある。楽しそうだ。羨ましいな、あんな風にヨハンと踊れたらいいな、ヨハンもパーティーに誘えば良かった、とユナは思った。
期末試験がやっと終わる。いよいよHome Coming Dayの大会に集中できる。練習場に向かいながらユナは思った。よおし、頑張ろう。
ヨハンとは本当に踊りやすいな、練習中にユナは思う。
他の人とは違う。
タイミング、呼吸、ヨハンが私に合わせてくれる。私もヨハンに合わせる。
軽々とターンできるし、ワルツのスウィングも自然にできる。
まだ上手ではないのだけど楽しいな、とユナは踊りながら思った。
レッスンが終わったとき、ハワード先生がユナを呼び止めて言った。
「ユナちゃん、だいぶ上達したわね」
えへへ。でも全部ヨハンのおかげです。
「って、ユナちゃんが言ってるわよ、ヨハン?」
「僕はなにもしてませんよ。ユナちゃんが凄く努力してるから」
とヨハンが私に微笑みかける。
「息もぴったりね」
ハワード先生は笑う。
「ヨハンはどっちのドレスが似合うと思う?」
ユナは尋ねた。
「うーん」
ヨハンは、しばらくユナを眺めてから言った。
「青い方かな」
「おばちゃんぽくない?」
ユナは鏡を見ながら言う。
「踊ると動きが出て、だいぶ印象が変わると思うよ」
ヨハンはにこりと笑った。
そか。ダンスをしているときが一番大切だもんね。
「わかった。ヨハンの言うとおりにする」
「ほら、ユナ可愛い!」
アリシアがユナの髪型のできばえを見て満足げに言う。
「完璧」
「きれいね」
ユミが溜め息をつく。
「ユナ背高くていいな、そのドレスすごく似合うよ」
ありがと。じゃあ頑張ってくる。
「スタンダード部門 ノービス級 一次予選第一組 エントリーナンバー182番 ヨハン・ロイエンタール&ユナ・デービス組」
名前が呼ばれる。ヨハンが私の手を取り、私達はフロア中央に進む。周囲に審査員が数人並んでいるのがわかる。
はじめての競技会が始まる。一番下のクラスだけど、私にとっては世界選手権みたいなものね。
ヨハンが私に微笑みかけて言った。
「ユナ、行くよ」
お願いします、ヨハン。
音楽が始まる。
そうね、こういうのも悪くないな、ユナは踊りながら思った。
小さな宇宙船の中の、小さなダンスの競技会。
ダンスはまだまだ上手じゃないけれど、
華やかなスポットライトが当たるわけでは無いけれど、
私を支えてくれるヨハンの腕の感触は本物だ。
曲が終わってお辞儀をした後に、ユナはヨハンに囁いた。
「ヨハン、ずっとずっと私のパートナーでいてもらってもいい?」
ヨハンはユナの目をじっと見てから言った。
「ユナ、これからずっとずっとよろしくね」
結婚式がもうすぐ始まる。
私は前から気になっていたことを、式の前に聞くことにした。
「ヨハンは、いつから私と結婚したいと思ってたの?」
「最初にユナと踊ったときから」と、ヨハンは答える。
え、そんなにはじめから?
「一目惚れ」
ヨハンは照れくさそうに笑った。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
クローン3代目の少女の話でした。
この娘は、初代、2代目と、少し性格が違いますが、精一杯「生きていこう」ともがいている姿が、
作者としても好きなキャラです。応援してあげてくださいね!
では、縁がありましたらまたお会いしましょう!