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動物と人との関わり短編集

ミチルとワタシの寝子日記

作者: 春日千夜

実験的書き方の短編です。

切ないお話になります。

猫の幸せ満点ストーリーご希望の方は、そっとウィンドウを閉じてください。

 ワタシが()()()に気づいたのは、ある春の日だった。

 ポカポカと暖かなひだまりの中で、ワタシは初めて目を開いた。

 ふかふかの薄茶の毛並みの間に、甘い香りを放つ乳房が見えた。



 ワタシが母に気づいたのは、春の嵐の日だった。

 いつも食事をくれるのが、ワタシの母なのだと知った。

 いつも温もりをくれるのが、ワタシの母なのだと知った。



 ワタシが命に気づいたのは、嵐が終わった夜だった。

 隣で寝ていた()が、()()()体を動かさなくなった。

 冷たくなるということが、死ということだとワタシは知った。



 ワタシが人に気づいたのは、母との別れの朝だった。

 人はワタシを猫と呼び、母の元から連れ去った。

 たくさんいた()は、ワタシと同じ猫だった。



 ワタシが死期に気づいたのは、夏の始まりの日だった。

 たくさんいた猫たちは、貰い手を見つけ旅立った。

 ()()()残ったワタシには、食事も自由もなくなった。



 ワタシがミチルと出会ったのは、ある夏の日だった。

 鳥かごの中に入れられた、ワタシを見つけミチルは抱いた。

 痩せた体でしがみつき、必死に鳴いたワタシのことを、ミチルは一言「飼いたい」と言った。



 ♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎



 私が「ニノ」と出会ったのは、ある夏の日だった。

 私は学校を休みがちになり、家で寝ている日が増えた。

 暗く閉め切ったカーテンからは、蝉の鳴く声が夏を告げた。


 あれはなぜだったのか。きっとニノが呼んだのだ。

 私は急にワガママになり、猫を飼いたいと両親にねだった。

 私は滅多にワガママを言わない、とても()()()だった。

 両親は部屋にこもる私が、熱心に猫をねだるから、絶対に命を粗末にしないと約束させて、私を連れて猫を探した。


 仔猫は夏にはもういない。

 春に生まれた猫たちは、みんな大きくなっていて、どの店に行ってもいなかった。

 諦めた両親と、諦めきれない私は、最後の望みを持って崩れそうな店へと入った。

 ボロボロの看板には「鳥・猫・犬」の文字が書かれ、店の前には痩せこけた犬が一匹伏せて眠っていた。

 店の中は鳥かごだらけで、その一番奥にニノはいた。


 ニノは、私を見つけて鳴いた。

 鳥かごの中に押し込められていたニノは、細く小さく瘦せぎすだった。

 目には目やにがこびりつき、伸びきった爪で抱いた私を掴んだ。

 私はそのままこの子を飼うと宣言し、両親はギョロリとした目の痩せこけた老人に、猫のお代を支払った。

 もう大きく育った猫で、病気で痩せこけていたけれど、両親の財布から大きなお金が消えた。


 両親の優しさと引き換えに、我が家へやってきたニノは、最初はずっと病院へ通った。

 母と私は必死に看病をした。

 だんだんと、ニノは元気を取り戻した。


 ニノは元気になっても鳴かなかった。

 初めて出会った時はあんなに鳴いたのに、その後はずっと鳴かなかった。

 私はニノと遊ぶため、暗い部屋から出るようになった。

 両親はとても喜んだ。


 一緒に住んでたおばあちゃんは「ニノは愛想がない」と言った。

 ニノは人の膝には乗らず、洗濯籠の中にばかり入りたがった。

 呼んでもこない。じゃらしてもすぐに飽きる。

 ニノは愛想がなかったけれど、私はニノが好きだった。


 ある日家に鼠が出た。

 叫ぶ母の足元を、ニノは一気に駆け抜けた。

 ニノは子鼠を転がして、嬲ってなかなか殺さなかった。

 業を煮やしたおばあちゃんが、ハエ叩きでトドメを刺した。


 ある日弟が金魚を飼った。

 祭りで掬った金魚たちは、水槽の中を元気に泳ぐ。

 オモチャに興味はなかったニノが、泳ぐ金魚に食いついた。

 ニノは水が嫌いなのに、よく水槽に登っては、足を踏み外し中に落ちた。

 金魚は一匹も食べられなかったけれど、しょっちゅうニノが落ちたから、弱ってみんな死んでしまった。


 私は元気を取り戻し、大学へ行く勉強を始めた。

 高卒の資格を取るのは難しかったけれど、ニノはいつも黙ってそばにいてくれた。

 部屋の片隅に洗濯籠を置けば、ニノはいつでも来てくれた。


 私は無事に資格を取り、大学へ入学が決まった。

 家族はみんな喜んで泣いた。

 私はとても嬉しかったけれど、ニノと離れることが寂しかった。

 最後まで責任を持つと言ったのに、私が入れた大学は、家から遠い場所だった。

 私はニノを母に頼み、見知らぬ土地へと旅立った。



 ♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎



 ワタシが寂しさに気づいたのは、ミチルが消えてからだった。

 家のどこにもミチルがいない。

 心にぽっかり穴が開き、ワタシはご飯が食べれなくなった。



 ワタシが声を取り戻したのは、ミチルが消えてからだった。

 ミチルを探して声をあげた。

 鳴いても鳴いてもミチルはいない。



 ワタシが人の温もりを知ったのは、ミチルが消えてからだった。

 ワタシは膝に呼ばれれば乗った。

 ミチルの膝には乗らなかったから、ミチルは消えたのかもしれない。



 ワタシが異変に気づいたのは、ミチルが消えてからだった。

 ワタシの体にはしこりが出来て、それがとても痛かった。

 日に日に大きくなるそれは、ワタシの体を蝕んだ。



 ♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎



 私が実家に帰れたのは、ニノと会った日のような暑い夏の日だった。

 大学が夏休みに入り、ようやく家へ帰った私は、玄関扉を開けた先で、ニノが待ってたことに驚いた。


 ニノは数ヶ月ですっかり変わった。

 私の姿が少しでも消えると、声をあげて私を呼んだ。

 私が膝にニノを呼ぶと、ニノはすぐにとんで来た。


 ある日私がニノを撫でると、お腹にしこりがあるのに気づいた。

 慌てて病院へ連れて行くと、それが悪性腫瘍(がん)だと分かった。

 すでに腫瘍は大きくて、小さな猫の体では、ニノは手術も耐えられない。


 私は泣いた。家族も泣いた。

 せっかくニノが鳴いたのに、せっかくニノが膝に乗ったのに、小さな小さな温もりは、もうすぐ終わりを迎えてしまう。


 私は夏休みの間、ずっとニノと一緒にいた。

 家から一歩も出ない私を、昔と違って両親は、叱らず優しく見守ってくれた。



 ♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎



 ワタシが安らぎに気づいたのは、ミチルが戻ってからだった。

 ミチルのそばにいるだけで、ひだまりよりも温かだった。



 ワタシが涙に気づいたのは、ミチルが戻ってからだった。

 ミチルの目から落ちる水が、涙というものだと知った。

 ミチルの涙は塩っぱかった。



 ワタシが感謝に気づいたのは、夏の終わりの日だった。

 意識がだんだん遠くなり、ミチルの声が聞こえなくなった。

 ミチルの姿が最期に見えた。

 涙をこぼすミチルに向かい、ワタシはありがとうと、声をかけた。



 ♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎



 夏休みはあっという間に過ぎた。

 ニノの体は日に日に衰弱し、命が短いことを告げた。

 私は大学に戻りたくなかった。ニノのそばにいたかった。


 ニノはそんな私の気持ちに気づいたのか、大学が始まる前に息を引き取った。

 最期に鳴いたニノの声は、私にがんばれと言った気がした。


 私はニノを思い出す。

 部屋に閉じこもり寝てばかりだった私を、暗闇から救ったニノを。

 日向で寝てばかりだったニノが、私に元気をくれたことを。


 虹の橋の向こう側で、いつかニノに会える日まで、私は生きていこうと誓った。



 ♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎



 ワタシが()()()を知ったのは、命を失ってからだった。

 ワタシの心はぽっかりと光の中へ浮いていた。

 ワタシの命は終わったけれど、ミチルと過ごした日々は楽しかった。

 ワタシはミチルの温もりを、胸に抱いて空へとけた。




 ーーおわりーー

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