Vierde 「悪戯」
「失礼いたします、王女殿下。間もなく川に着きます。王宮へは船で参りますのでご準備を」
ちらりと髪に視線を向けられる。
「わかったわ。船に乗るのは初めてなの。アニカに任せてもよろしいかしら」
「そのための侍女でございます。殿下のご随意にお使いくださいませ」
「いいわ。下がって頂戴」
「失礼いたします」
振り返るとアニカが苦笑いをしていた。
「船の準備については、最初から私がやる話になっていたのですが……」
「殿下の髪への好奇心だろう」
再び顕現した白雪色の透き通った指が私の髪を撫でる。
「船に乗り換えるってことは、外に出ることになるのよね?」
「はい。ですから、殿下の御髪を何とかしないといけませんね。……どうしましょうか?」
「ウルジュラ様が精霊であるのでしたら、魔法で髪色を金色に錯覚させることは出来ないのですか?」
ぴたりと髪を撫でる手が止まった。
エレンの言葉に思わずウルジュラを見る。
「どうして思いつかなかったのかしら」
「やったことはないけれど……。やってみてもいいかもしれないわね」
「あ、あの……?」
きょとんと、アニカが首を傾げて困惑したような顔をしていた。
「御伽噺であるだろう? 異色の髪を持った人々が魔法によって赤髪に見せているという話が」
「あぁ……。よく知っていますね」
「母上がそういったものが好きだったからな」
アニカに顔をのぞき込まれたエレンが、そっぽを向く。
わずかに頬が赤くなっているように見えた。
「話を戻してもいいかしら」
二人とも慌ててこちらを向いた。
「髪を金色に見せるのはいいとして、髪を纏めるものがないわ」
「それなら私が持っております、こちらのリボンをお使いください」
笑顔でそう言って、傍にあった茶色い鞄から蒼玉色のリボンを取り出した。
「殿下、御髪を触らせていただけますか?」
「いいえ。私がやるわ」
リボンを両手に持つアニカに、ウルジュラが手を差し出した。
「いつも私がやっているの。よろしいかしら?」
思ってもみなかったのか、戸惑った表情で私を見るアニカに何も言わずに頷く。
「私が、口を出すことではございませんから……」
おずおずとウルジュラの手のひらにリボンを置いた。
にっこりとこちらを向いたウルジュラに背を向けて、髪を触りやすくする。
さらりと、彼女の柔い指が髪を滑っていくのを感じた。
指先が微かに触れて、思わず肩を揺らす。
後ろで、微笑まれたような気配がした。
肩にかかっていた髪が持ち上げられて、首元がひんやりとした空気に触れる。
彼女の冷えた指が、首元をかすめてほんのりと火照った熱を奪っていった。
ペンダントの紐をかすめて、ちりんと、涼しげな音が鳴る。
「マルリース。出来たわよ」
耳元に触れた冷たい空気と、鼓膜を揺らす音色に、りぼんを結べたことに気付いた。
振り向いて、口の橋、唇に丁度当たらないところに柔い"何か"が触れた。
視界に映った彼女の顔がからかうような笑顔なのを見て、その"何か"が何なのかに気付く。
鎮まった熱がぶり返すような感覚がした。
「頬っぺた真っ赤にしちゃって。どうしたの?」
「~っ、この、悪戯っ子さんめ」
思わず腕を伸ばして彼女の頬を鷲掴みにする。
王女らしくない振舞いに、視界の端で二人が驚いているのが見えた。
「にゃによ」
温もりを感じない滑らかな肌と、琳のような美しい声に、掴んだ頬を引き寄せた。
――唇が、冷えていく。
腕を離した。
空気が喉を通って肺を出入りする。
変わらないはずの透き通った肌が、仄かに赤く色付いたような気がする。
「っ、人目を、少しは気にしなさい」
目をそらして頬を染めてる二人を見て、言葉を返した。
「ウルジュラだって、気にしていなかったでしょう」
「あれは、まだ……。あたっていなかったわ」
あぁ、やっぱり。
目に映る赤は気のせいじゃないらしい。
エレンが温度の上がった室内に風を入れようと、窓を少し開いた。
すぐそこに見える淡水色の川とそばの民家を見て、息を吸い込む。
手に触れる冷たい感触にほっとして、声を乗せずに言葉を吐き出した。
ぐっと、握られた手に力がこもった。