Tweede 「泉の娘」
「あ、あの」
膝に落としていた視線を斜め前に向ける。
声を発したのは侍女のアニカだ。
「王女殿下……、先程は誠に申し訳ありませんでした!!」
くりりとした灰色の瞳が宙を彷徨った後、再びこちらを見つめると、勢いよく頭を下げた。
簡単に纏められた少し濃いめの赤毛は、私とは対照的だと思った。
「構わないわ。顔を上げて」
彼女は馬車に乗る前、私と目があってしまった事を言っているのだろう。
私に何が出来るわけでもないので、気にする必要のない事だ。
顔を上げたアニカは、安堵の表情を見せ、僅かに目を潤していた。
「ありがとうございます、殿下」
「アニカ、涙が落ちそうだ。これで拭くといい」
感謝を伝える言葉に私は首を小さく振り、エレンはアニカにハンカチを手渡した。
ふと隣を見るとウルジュラが外に意識を向けていた。
何かあったのだろうか。
アニカが目に溜まった涙を拭っていると、外が騒がしくなった。
野盗が出たのだろう。
「王女殿下、外を見て来ますので少々お待ちください」
「えぇ。……気をつけて行きなさい」
エレンが扉を開けて外に出て行った。
待つことしばし、すぐに戻ってきたエレンの言葉に慌てた。
「王女殿下、殿下の後ろにありました、ヴィレミーナ様の遺品を運ぶ馬車が襲われております」
ヴィレミーナは私の母であり、立場は愛妾であった。
最も、国王が強引に王宮に取り込んだのだが。
「殿下には誠に申し訳ありませんが、遺品は置いて逃げた方がよろしいかと」
エレンの言葉に思わず眉を潜める。
「いいえ。それは許さないわ。……貴女達がお母様の遺品を守られないのなら、私が行くわ」
言うが早いか、私はドアを開けてエレンの横をすり抜けた。
剣と剣のぶつかり合う音がする。
時々血飛沫が飛び、地面が血に塗れて歩きづらい。
幸いなことに、野盗も騎士達も戦闘に夢中で、こちらに気付いていないようだった。
視界の中で、野党が荷馬車から何かを持って出て行くのが見えた。
それが何なのかを認めた時、血が沸騰するのを感じた。
「ウルジュラ」
「ここにいるわ、愛しい人」
呼びかければ、すぐ隣から返事が返ってくる。
「水の民よ、愛しい人よ。私の声に応えて」
『雫の娘よ、可愛い人よ。貴女の願いを叶えましょう』
「私の願いは取り戻すこと」
『承った』
地面が揺れる。
身体の奥深くで水が迫って来るのを感じていた。
「ウルジュラ。此方側の人間は呑まれないように出来る?」
「出来るわよ。任せて」
ウルジュラが精霊の言葉なのだろう、私の聴き取れない言葉を呟いた。
水色がかった透明な膜が騎士や侍女、使者、御者を覆う。
それと同時に大量の水が襲いかかってきた。
水に包まれる。
ぽこり、ぽこり、と泡立つ音がする。
ゆっくりと目を開く。
私の周りを小さな少女達が取り囲んでいた。
『私達の可愛い人』
『私達の愛しい人』
水の中でくぐもった声が聞こえる。
頭に響くソプラノが甘く優しく耳朶を打つ。
『貴女に女王の祝福を』
『さようなら。また会いましょう』
髪に口付けをして離れていく。
水が引いた。
いつの間にか流されてしまったのだろう。
黒いベールが取れ、視界が明るくなっていた。
驚きに満ちた視線に晒され、途端にウルジュラの機嫌が落ちていく。
「落ち着いて。今はダメよ。王宮に着いたら目を潰すなり口を縫うなり好きなようにしていいけれど」
顕現し、姿形がはっきりとしたウルジュラに話しかけた。
声が聞こえたのだろう。
私を見ていた人は皆直ぐに目を逸らし、口を噤んだ。
次は侍女か騎士、使者視点になります。