4.おっさん、今日から聖者様
「聖者様かはともかく……行くところがないんだろう? なら、こんな魔物の里で良ければ、腰を落ち着けてみちゃどうかな?」
「……宜しく、お願いします」
俺の返答に、ダークエルフの族長バーグは満足げに笑った。
そして、背中にドンと衝撃。次いで、柔らかい感触が広がる。
何事かと首だけで振り返れば、至近距離にレティの顔があった。
「れ、レティ!?」
「えへへーやったやった! 聖者様、これからもよろしくおねがいしますっ!」
「分かったから、いったん離れてくれ……!」
自慢じゃないが、長いこと勇者パーティで戦いと日々の心労に明け暮れていたものだから、俺には女の子に対する免疫ってものがない。
……本当に自慢になってないな。
ともかく、おそらく年齢が十以上も下の女の子にこう、ドギマギしてしまうのは、おっさんとしての沽券にかかわるのだ。
「そうだ、族長! 聖者様に、アレを渡してあげないと!」
「あぁ、そうだね。何もない人間がうろついてたら、そのへんでパックリいかれちまいそうだ」
なんだか物騒なことを言いながら、族長は物置から何かを取り出し、俺に渡してくる。
見れば、それは木製の首飾りだった。
里のシンボルだろうか、なんらかの意匠が彫り込まれたそれを、とりあえず首にかけてみる。
「里の一員という証……みたいなものですか?」
「そういうこと。見える位置に掛けとくんだよ」
「実は私も掛けてるんですよぅ」
言いつつ、服の中からぺろんと首飾りを取り出して見せるレティ。
コラッ! そういうのを、年頃の娘さんがするんじゃありません!
反射的に顔を逸らした俺を、族長がクスクスと笑っているのが分かる。おのれ。
「あとは寝床が必要か。レティ、頼めるかい?」
「お任せください! じゃ、行きましょう聖者様!」
「うわっ、またこれかっ! ぞ、族長! ありがとうございましたっ!」
「ハハハ。またな、聖者サマ」
張り切るレティに例によって手を握られて引っ張られながら、族長の屋敷を後にする。
扉を開いて外に出れば、おおう、軽く面食らうような状況が広がっていた。
「おお、出てきたぞ……」
「人間? 人間が族長の家に?」
「見ろ、『証』を提げてるぞ!」
「族長に認められたってことか? あんな、ただの人間のおっさんが?」
……どうやら、俺の話をしているらしい。
まあ、な。この里を訪れた時から、奇異の眼は向けられていたからな。
そんな異物たる人間が、里を治める族長の家に入っていったんだ。興味は最高潮に高まるってものだろう。
「れ、レティ。その……人間、どうしたの?」
遠巻きに見ていた魔族の中から、ひとりの少女がおずおずと進み出た。
両腕が翼状になっていて、足元は大きな鳥の足になっている。
ハーピィと呼ばれる種族だ。
「リコリー。あのね……ふふふ! この人はねっ!」
レティはどこかもったいぶった口ぶりで、焦らしつつ集まった人々をぐるりと見回す。
それから、嬉しそうに、さも誇らしそうに、それを告げた。
「じゃーんっ! タエリアの里を救ってくださる、聖者様だよ!!」
その発言は。
一瞬、集まった人々を静まり返らせた。
人々が呆気にとられること数秒。
やがて、里の住民たちの中にざわめきが広がっていく。
「……聖者様?」
「聖者様だって?」
「あの人間の男が、か?」
「バカな。相手は野蛮な人間だぞ……?」
「レティのやつ、騙されてるんじゃないか……!?」
じわじわと波紋のように広がっていく困惑と懐疑。
まあ、そうなるだろうな、と正直思う。
いくら族長が里の民として認めてくれたからと言って、即信じられるわけではない。
それが、待ち望んでいた聖者様であれば猶更だ。
居心地の悪さがずんと俺の心にのしかかってくるが、致し方ない。
時間をかけて、追々仲間として認められていくしかないだろう。
「レティ、それは……きゃっ!」
「オイオイ、レティ。冗談きついぜ?」
その時、ハーピィのリコリーを押しのけて、大きな影がぬっと現れた。
俺とレティの二人が覆われてしまいそうな巨漢が目の前にいた。
「デラス!」
デラスと呼ばれたそいつは、ヒト型をしてはいたが、俺はもちろんレティとも根本的に違う種族だった。
薄暗い色の石や土で形作られた肉体。右腕には包帯が巻き付けられている。
頭部には鈍く光る眼球部と、空洞のようになった口がある。
かつて勇者レジーナたちと共に何度も戦った、魔物の中でも指折りの戦闘系種族。
そう、ゴーレムだった。
「こんなひょろっちいおっさんが、俺たちの待ち望んだ聖者様だって?」
「うん、そうだよ!」
力強く頷いて断言するレティ。
それを受けたデラスは、さも不愉快そうな視線で俺を睨みつける。
なんだかここのところ、こういうパワータイプの男に嫌われまくっているな、俺。
「そう言うからには、こいつが聖者様だって言い切れる根拠があるんだろうな?」
「もちろん! 今朝ね、怪我して倒れてた私のもとに颯爽と現れて、ぱぱーっと傷を治してくれたんだよ! はあぁ、カッコ良かったぁ~~!」
ぽわわん、と擬音が出そうなうっとり顔で語るレティに、それ結構誇張入ってない?とツッコミしたい。
だが、レティのその調子がますますデラスの不興を買っているようで。
「へえ、そうかそうか。ククッ……なら、俺のこの怪我も当然治せるんだよなあ、聖者様ぁ?」
意地悪く笑いながら、デラスは右腕に巻かれた包帯をとる。
そこには、深い火傷の跡があった。
「こないだの敵対魔族との戦いで負った傷だ。おかげで俺は農作業もできず、酒を飲んでることしかできねえ。どうか治していただけないですかねえ、聖者様ぁ~~?」
乏しい顔のパーツながら、デラスがいかにふてぶてしい表情を浮かべているか分かるような挑発的な言葉だ。
さすがのレティもそれは分かるらしく、ぷりぷりと怒りながら。
「デラス、嘘ばっかり! いつもマンタムさんの酒場で飲んだくれてるじゃん!」
「うるさい! さあ、聖者様よぉ、ホーリードラゴン様の御加護で、こいつを治せるのかァ? それとも尻尾巻いて逃げるってのか!?」
なんとも分かりやすい挑発だ。
この手のことは、今まで戦士タイラーから何度もやられてきた。相手にしないでやり過ごすことには慣れている、が……。
俺はひそかに周囲に目を配る。
「本当に聖者様なのかね……?」
「でも聖者様なら、デラスの傷も治してくださるだろうな」
「デラスの傷、確かカースリザードの呪いの炎を受けたんだろう?」
「ああ。デラスはガサツなこともあるが、里一番の怪力でもある……治ってくれれば大助かりだ」
「……あの人間が、本当に聖者様ならいいのにな」
こんなデラスでも、頼りにされているらしい。
ならば、これから里の一員になる俺にとっても、心強い味方になる――のだろう。たぶん。
「せ、聖者様……!」
それに、傍らで期待と不安を滲ませた、レティのこともある。
ここで引いたら、俺を聖者様と呼んで慕ってくれている彼女の立場にもかかわるだろう。
俺自身、元の立場を捨てられたばかりで、他に守らなきゃいけないものもない。
なら、一か八か、この子の役に立つためにがんばってみてもいいのかもしれない。
「……言っとくが、大したことはできやしないぞ」
「ハハハハハ! 聖者様は謙遜がお得意でいらっしゃる!」
大笑するデラスの腕に手のひらをかざす。
さっきの言葉は、偽らざる本心だ。本当に、大したことはできやしない。
この傷を一瞬で完治できるような治癒力があるのなら、俺はそもそも勇者パーティをクビになってはいないはずだ。
一度にすべては治せずともこの場ではある程度治して、その後は経過を見ながら段階的に治癒、最終的に完治。
そのくらいが、俺の身の丈に合った落としどころだろう。
聖者様としてはガッカリ感があるかもしれないが、治癒自体はできている以上、レティの立場もそう悪くはならないはずだ。
よし、プランは完璧。
あとはいつものように、治癒を試みるだけだ。
「いくぞ……解呪+治癒!」
「……おおおおッ!?」
デラスが、思いもよらぬ声を上げた。
驚きに満ち溢れた感情は、他ならぬ俺自身も抱くことになった。
石造りの右腕に痛々しく刻まれていた、呪いの火傷痕。
それが淡い光に包まれると、みるみるうちに消滅していく。
な、なんだこの治癒速度!?
おっさんこんなの知らないぞ!!???
瞬きするほどの時間の後、デラスの腕は、見事傷一つない元通りになっていた。
心なしか、右腕の石肌全体にハリというかツヤというか、そういうきらめきが生じていた。
デラス本人も、パチパチと瞳を明滅させている。
「やったあー! さっすが聖者様! レティは信じてましたよっ!」
我がことのように、いやさそれ以上に嬉しそうに、レティががっしりと抱き着いてくる。
「うおおおおッ、本当に治してしまった!?」
「あんなに簡単にだなんて……やはり彼は、聖者様だったのか!?」
「しかもそれを『大したことじゃない』だなんて……謙虚さも兼ね備えていらっしゃる」
「すごい……本当に聖者様がいらっしゃったのね……!」
「これでタエリアの里は救われる! 万歳! ばんざーい!!」
集まっていた皆さんも沸きに沸いて、なんかもう、収集つかなそうな事態になっている。
泣き崩れる人まで出てくる始末で、あの、俺、本当にそんなに崇められるような存在なんだ……!?
もちろん、自分がしでかしたことの凄まじさは、自分で理解している。
高レベル魔物であるカースリザードの呪いの炎を、こんな瞬間的に治してしまうなんて……最上級神官かそれ以上の治癒力だぞ!?
昨日までの自分がウソのようだった。
「おッ……俺は、まだ認めちゃいないからなッ!」
分かりやすい捨て台詞を吐いて、デラスはすごすごと引き下がっていった。
認めてないとか言いつつも、俺に治された右腕を左手でしきりにさすっていたのが、なんとも微笑ましく滑稽だった。
「せ、聖者様っ! さきほどは、たたた大変な失礼を……!」
ハーピィの少女リコリーが慌てて俺に頭を下げてくる。
つられて、周りで囃し立てていた住民たちもみな、申し訳なさそうな表情を浮かべている。
ううん。どうしたものか。
こんなのは慣れたものだし俺はあまり気にしていないんだが、何かしらの落としどころを用意しなければ、この騒ぎは丸く収まらない気もする。
ならば、と一計を案じる。
「……そういえば、レティ。美味しいお茶をご馳走してくれるって言ってたけど、まだ飲めてなかったね?」
「あっそうだった!」
うっかり忘れてた、と言うように、レティは自分の額をコンと小突く。
その仕草に笑いながら、俺はリコリーに微笑みかける。
「じゃあ、レティの代わりにお茶を一杯いただけるかな? 実は、のどが渇いて仕方なかったんだ」
「は……はいっ!」
リコリーが、首がとれちゃうんじゃないかってくらいの勢いで頷く。
それを見て、周りの住民たちも再び活気づいた。
「聖者様! お茶なら、うちが里でも一番って評判ですよ!」
「うちにもいらしてください聖者様! 秘蔵のワインがあります!」
「腹が減ったらうちに来ておくれ! 里でも一番のステーキを振舞おう!」
「――やい、おまえらっ! 族長の家の前で騒ぐんじゃない! ゆっくり本も読めないだろうがっ!」
騒ぎを治めようと思ったのに、またもお屋敷前は大賑わいになってしまった。
「あはははは! 楽しいね、聖者様!」
「あ、ああ……退屈は、しないで済みそうだね」
笑い声に包まれながら、俺のタエリアの里での生活が始まった。