第6話
衣服を白の小袖に改め、部屋を出たのが午前五時前。
部屋の前には既に三日月が控えており、ともに裏手の森へと入った。
しばらく進むと視界が急に広がる。
泉だ。
月の光に照らし出された泉は荘厳な雰囲気を醸し出していた。
既に刀剣男士たちはそれぞれの場所に立ち、自分が来るのを待っていたようだ。
彼らの姿が月の光に照らし出され、荘厳な雰囲気が一層濃くなる。
「お待たせしました」
軽く笑みを浮かべてみせる。
「では、主。そろそろ始めるか」
「ええ」
三日月へと小さく頷き、懐から符を一枚取り出した。
それに念を込めると泉へと放つ。
次の瞬間、泉を清浄な風が一陣、吹き抜けた。
「念のために結界を張りました」
そう告げ、再び歩を進める。
足先が水に浸かった。
じん、と冷たさが這い上がってくる。
それを堪え、呼吸を整えながらなおも泉の中央へと向かう。
泉はそれほどの深さはなく、一番深いところでも腰ほどである。
泉の中ほどに来ると、目を閉じた。
刀剣男士たちの視線が自分に向かっているのはわかる。
特に背後の岸辺にいるであろう三日月からは、強い視線が放たれている。
この件に関して心配をかけているのは重々承知だ。
しかし。
(これは私自身の……問題。彼には…彼らには関わりのないこと)
そう自身に言い聞かせる。
呼吸を幾度か繰り返し、心を落ち着かせた。
そして、ゆっくりと祓詞を口にする。
途端、腕の傷が再び熱と痛みを伴い始め、それとともに腕に貼り付けた符が、じわじわとその効力を失っていくのを感じた。
「っ」
腕に激痛が走り、符が消えた。
次の瞬間、瘴気が周囲に広がって結界が大きく撓む。
「主!」
誰かの、己を呼ぶ声がする。
濃くなってゆく瘴気の渦の中、その声が遠のいてゆく己の意識を強引に引き戻した。
かぶりを振り、両足に力を込める。
この状況をどうにかしようと意識を集中させ柏手を打つ。
澄んだ音とともに場が幾分か清浄を取り戻す。
しかし、傷口からはなおも瘴気が溢れ出してゆく。
(何か手だては……)
頭の中でいくつかの手段をすばやく組み立ててゆく。
そこから取捨選択を何度も繰り返し、最後にひとつの選択肢へと辿り着いた。
躊躇することなくそれを実行に移す。
恐らくあの人も、自分がそれを選択することを予測し、これを仕組んだのだろう。
なぜここに至るまでにその事に気付かなかったのか、今更ながら悔やむ。
今一度、柏手を打つ。
意識を結界の中の瘴気に集中させ、それを一点に集めることに神経を注いだ。
徐々に集まり始める瘴気。
しかし、途中でついに結界に綻びが生じ始めた。
その綻びから瘴気が漏れ出す。
漏れ出した瘴気は次々に人型へとなってゆく。
「ようやく出番だね」
真っ先に動いたのは、青江だ。
彼が動いたのに続き、次々と得物を鞘から抜き払う音が聞こえた。
ついで剣戟の音。
それを聞きながら、なおも力を両手に集中させる。
『あの人と対峙したくないのでしょう?』
聞き覚えのある声がした。
その声ははっきりと背後から聞こえてきた。
背筋に冷たいものが落ち、思わず集中力が途切れた。
「っっ」
一瞬の隙を突き、集まりかけていた瘴気が自分を飲み込もうと巨大な口を開けた。
『できるならこの役目から逃げ出したいのでしょう?』
急速に遠のいてゆく意識の中、最後に聞こえたのはその声だった―――――。
「主」
体が揺さぶられているのに気づき、瞼をゆっくりと押し上げる。
一番最初に視界に入ったのは三日月だった。
彼には珍しく、かなり動揺している様が見えた。
「…………どう、しました?」
何が起こったのか自分でもわかる。
瘴気を身に受けたのだ。
なにかしら影響があってもおかしくはない。
だが、口からはそんな言葉しか出てこなかった。
「どうしましたじゃねえだろ!!」
それに対し、声を荒げたのは三日月ではなかった。
視線を声がした方へと向けると、そこには怒気を露わにした和泉守がいた。
「あんたは俺たちの主だっつう自覚あんのか?!」
後で聞いた話になるのだが、自分が瘴気に飲み込まれたのに気付いた面々が周囲に立ち込める瘴気を斬り祓いつつ泉の中から自分を引き上げたのだそうだ。
この件で三日月からこってりと説教されるのは後日の話。
「驚かせすぎるのも毒にしかならないことはわかった」
これは鶴丸だろう。
彼らが口々に言ってくるので、誰がどのような事を言っているのか判別できなくなりつつある。
それらを制し、三日月は口を開いた。
「体に異常はないか?」
それは自分を気遣う問いかけだ。
「ええ。大丈夫です」
「そうか」
そこでようやく彼に笑みが戻った。
「それよりも……」
三日月が右腕をとって袖をめくる。
傷口の確認のようだ。
隠す必要はなかったため、彼の好きにさせる。
7対の視線がそこに集まった。
「傷が………」
跡形もなく綺麗になくなっていた。