第3話
「………これは…」
傷口からじわじわと瘴気のようなものが滲み出してきている。
じっと観察していると、痛みは瘴気のようなものが傷口から大きく溢れ出す時に生じているようだった。
生き物のように。
「…………」
背中にじっとりとした汗が浮かび、流れた気がした。
呼吸を落ち着け、左手を正面にかざす。
次の瞬間、青白い炎が生じ、数枚の符が何もない中空に出現した。
それを右腕の傷口へと貼り付ける。
「っ」
焼けるような痛みに、思わず眉根を寄せる。
だが、それ以降は痛みもなく、瘴気のようなものも滲み出してくる様子はなかった。
ほう、と吐息を漏らし、そっと袖を戻す。
その時、扉が軽く叩かれる。
「どうぞ」
姿勢を正し、入るよう促すと、入ってきたのは和泉守だった。
「来ましたね。さあ、こちらへどうぞ」
傍らの椅子を指し示す。
「…………」
だが、和泉守はその場から動かなかった。
「どうしました?」
「………悪かった…」
ぽつりとその口から謝罪が漏れた。
「はい?」
首を傾げる。
「俺だってあんなことで……」
「理由を放すのは座ってからにしましょう。そんなところで立っていると冷えますよ」
安心させるようににっこりと笑みを浮かべてみせた。
扉の向こうは執務室に続いているとはいえ、今夜も少し冷える。
夜気がじわりじわりと寝室まで入ってきているのだ。
それに気付き、和泉守は慌てて扉を閉めた。
そして椅子へと座る。
もちろん、自分より少し離して、だが。
「それで? なぜ私に謝罪を?」
「………喧嘩の理由は三日月からもあいつからも聞いただろ」
視線を僅かに逸らし、呟くように告げた。
「もちろん聞きましたが、やはりあなたからも話を聞いた方がいいと思いまして」
「………………」
観念したのだろう。
拳を握りしめ、意を決したように顔を上げる和泉守。
そしてようやく口を開いた。
最初は些細な痴話喧嘩だった。
それが徐々に大きくなり、互いが得物を持っての大立ち回りとなったわけである。
周囲はなぜ、ここまで大きくなるまで止めなかったのだろうか。
話を聞き終え、そう思わざるを得なかった。
「それよりも……」
話し終えて気も晴れた和泉守が、先ほどから何かを気にしているようだった。
視線がちらちらと動いている。
「何か気になることでも?」
「………なんかさっきまで空気が淀んでいるような気がしたんだが」
今はもう感じない、と告げる。
「そうですか」
にっこりと笑みを浮かべてみせた。
「そういえば夕食はもう戴きましたか?」
「いや……。あんなことがあったばかりだからな」
どうやら食べていないようだ。
それならば、と提案する。
「では仲直りも兼ねて、皆さんで食堂に行き、夕食をともに戴きましょう」
ね、と扉へと向かって声をかけると、直後に扉が開いた。
入ってきたのは三日月であり、その向こうには陸奥守の姿もあった。
「話は終わったようだな」
「ええ。これから皆さんと一緒に食堂で夕食を戴こうと提案したところです」
にっこりと笑みを浮かべてみせる。
「おお、それはいい提案だ。では早速…」
くるりと踵を返した三日月は、陸奥守の肩をがしっと掴み、やや強引に引っ立ててゆく。
それを見送り、いまだ座ったままの和泉守へと視線を移した。
「私は身なりを整えてから向かいますから、和泉守さんは先に行ってください」
「あ、ああ」
椅子から立ち上がり、部屋を出ていった。
足音が部屋の周囲からなくなったのを確認し、ほう、と溜息をつく。
「っ」
気を抜くと、途端に痛みが襲ってきた。
思わず左手で右腕を押さえる。
「…………とにかくこれを早急にどうにかしなければなりませんね」
直感的に、これはこの場にあってはならないものだと気づいた。
できる限り早く対処しなければならない。
そう判断し、応急処置をするべく右袖をまくる。
予想通り、符は瘴気のようなものに浸食され、その効力をほぼ失いつつあった。
「…………」
処置を施しながら考える。
未だに嫌な予感は消えない。
ならば、やはり一報だけでも知らせておくべきか。
そう結論付けると、処置を終えてすぐに身なりを整え、寝室を出た。
寝室の外は執務室であり、その奥には執務机が置かれている。
電話を取ると、すぐさまコール音が聞こえてくる。
『久しぶりだな』
数回のコール音ののち、電話口の向こうから、久方ぶりに耳にする男の声がした。
それは内閣府時間遡行取締局という部署に所属している土方だった。
「お久しぶりです、土方さん」
彼は元審神者候補であり、自分が審神者としてここに来る以前から何かしらと世話になっている。
『それで? 何かあったか?』
「…………それが…」