第2話
「なあ、主」
鶴丸が口を開いた。
「正直な話、自分に自信がないだろ」
「なんの話ですか?」
どきりとしながらも、それを表情に出さないようにしながら問い返す。
一年経った今でも手探りの状態なのは確かだ。
思考錯誤を繰り返しながらも、政府担当者である土方からの補助を受けつつやっている。
だが、彼ら…刀剣男士達に悟られないようにしている……はずだ。
それを知ってか知らずか、笑顔の鶴丸は己の右眉を指し示す。
「今、図星を指されて驚いたろ。ほんの少しだが、ここが動いたぞ」
「…………」
ここまで指摘されてしまえば、降参せざるを得ない。
「政府の担当…土方っつったっけな。あれが審神者攻略法だとか言ってたな」
「攻略法……?」
それよりも、他に別の言葉を聞いた気がする。
「まあ、主をいじめるのは三日月の奴に任せるとして」
どうやら先に上がるのだろう、ざばざばと湯をかき分けて外へと出てゆく。
「俺には難しいことはよくわからんが、“清濁を併せて吞む存在が審神者”だとあいつも言ってた。俺もそう思ってる」
「……それは…」
その話は入院中にもよく土方から聞かされていたものだ。
恐らくは、それだろう。
「それよりも、人間は長風呂すると体調を崩すって聞いたが、大丈夫か?」
「…………」
その言葉で、ようやく気付いた。
温度が適温だったのもあったのだろうが、なにより話をしていたから気付かなかった。
長風呂だと気付いた途端、視界がぐるぐると回り始める。
「おい?!」
鶴丸の慌てた声が聞こえたが、意識がそこで途切れてしまった――――。
我ながら不覚、としか思えなかった。
次に目を覚ました時には、既に着替えさせられ、寝台の上に寝かされていた。
「少し油断したな、主よ」
書物を片手に、寝台脇まで近づいてきたのは三日月である。
苦笑いの表情を見せるのは、自分が湯あたりし、鶴丸に運び込まれたのを知っているからだろう。
つくづく笑いのネタを提供してしまう今日この頃だ、と心の中で大きく溜息をついた。
「ええ。彼もあなたと一緒で、長風呂派だったんですね」
これからは気を付けなければ。
そう言って、ゆっくりと身を起こす。
「鶴丸さんに聞きましたが、私が部屋を留守にしている間に彼から架電があったんですね」
「おお、そうだそうだ。すっかり忘れていた」
悪びれた様子もなく、笑みを浮かべたままで答える。
「私の攻略法とか……一体、何を教わったんですか?」
「ほう。鶴丸の奴、そこまで喋ったか」
口の軽い奴だ。
ふむ、と顎に手をやって考え込むしぐさをする三日月であった。
どうやら、教えてくれるわけではないようだ。
そう判断し、溜息をつく。
「それはともかく。もし次に架電があったら、必ず私に取り次いでください」
「そう目くじらを立てるな、主よ」
ここにしわが増えるぞ。
そう言って眉間を指し示した。
「最近、余計な一言が多いですね」
「はは。それは主がからかい甲斐があるからだろう」
まあ、単純にこの世に存在する時間の違いなのだろうが。
簡単にあしらわれてしまう、そんな自分に腹が立つ。
こほん、と咳払いをし、気を取り直して彼に向き直った。
「それで。ここにいるということは、何か報告することがあったのでしょう?」
「意識の切り替えが早くなったな」
上等上等、となおも笑顔でいるため、少し視線を鋭くする。
すると、三日月は大仰に肩を竦めてみせた。
「まずは、そうだな。良い報告と悪い報告が一つづつあるが、どちらが良い?」
「そうですね。先に悪い報告から聞きましょう」
とりあえず気を引き締める。
報告を聞き終え、三日月が部屋を退出した後も、目を閉じて考え込んでいた。
日が陰って部屋の中が薄暗くなったのに気付いたのは、誰かが扉を叩いた時だった。
もうこんな時間だったのかと我に返って、扉を叩いた者へと返事をする。
入ってきたのは陸奥守だ。
「やはり最初はあなたですか」
先ほどの報告にあった悪いことは、陸奥守の事だ。
悪いこと、というのは多少大袈裟ではあるが、それでも本丸の規律を守るためには仕方がないことだと思われる。
…………簡単に言ってしまえば、大立ち回りをやらかしたということだ。
誰と?
「まずは事情を聴きましょうか」
ある程度の話は三日月から聞いたものの、やはり本人から聞いたほうが良いと判断し、彼らを呼びに行かせたのだ。
もちろん、大立ち回りというからには陸奥守の他に相手がいる。
「…………まあ、なんちゃあ…」
椅子にどっかと座った陸奥守が眉根を寄せながら、漸う口を開く。
そして話した内容は、三日月の報告とほぼ同様の事柄だった。
「本当にあなたと彼は相性が悪いですね」
苦笑を漏らし、感想を述べる。
「どうしてなんでしょうか」
「さあ、わしに聞かれてもよおわからん」
ぶすっとした表情ですぐさまそう答える。
最初に手を出したのは、報告と同じくもう一方だと聞いた。
やはり理由は彼に聞いてみない事にはわからないようだ。
「わかりました。ありがとうございます」
そう言って寝台から立ち上がった。
扉へ向かおうとしたが、その背に声が掛けられた。
「まさかとは思うが、主自らあいつの所に行くがか?」
「ええ。両者の言い分を聞かない事には、この問題は解決しないでしょう?」
ここに陸奥守がいるのであれば、自ら赴いた方がいいに決まっている。
そう考えての行動であった。
だが、陸奥守は違った。
慌てて椅子から立ち上がり、外に出ようとした自分を止めにかかった。
「わしが呼んでくるきに、主はここでちっくと待っとおせ!」
「え……?」
今まで大立ち回り……もとい大喧嘩をした相手を呼んでくると言った。
いやいや、それは火に油を注ぐ結果となるのではないか。
「しかし―――」
「主を行かせたら、あいつに説教をくらってしまう!」
彼が説教をされる相手といえば、やはり三日月だ。
なんとなく想像してしまい、苦笑を漏らした。
「わかりました。しかし、また喧嘩をしないでくださいね」
「おお、わかっちょる」
ようやく聞き分けてくれたのかと安心したのか、陸奥守が笑顔になった。
そしてすぐさま部屋を出てゆく。
その騒々しい足音が遠ざかり、再び静かになった。
彼が来るまでしばらくは手持ち無沙汰であることから、読みかけの書物を読もうと書棚から本を一冊取り出した。
椅子に座ってページを繰る。
「っっ」
不意に右腕が痛んだ。
負傷した傷が痛まなくなってだいぶ経過したはずだった。
不審に思って袖をまくる。
そこには一筋の深い傷跡があるはずだった。
「え……?」
傷跡の異変に眉を顰める―――。