第1話
「ん………」
瞼を上げれば、そこはいつもの寝室だ。
ほのかに薄暗いのは、まだ太陽が顔を出していないのからであろう。
だがこれ以上眠ることもできず、仕方なく寝台から出る。
手早く衣服を改めて屋外へと出た。
「………今朝はよく冷えますね」
手をこすり合わせ、息を吐きかけた。
その息が白くなるのを見て、苦笑を漏らす。
そう。
もう季節は晩秋なのだ。
これから本格的な冬が来る。
冬が来ることの意味を理解しているのか、彼ら……刀剣男士たちも自主的に本丸の冬支度を始めてくれている。
「ああ………月が」
次第に明けゆく空。
その空に細く痩せた月がかかっている。
月を見つめ、小さく溜息をこぼした。
この本丸で過ごし始めて、一年が経とうとしている。
その間に刀剣男士たちも増え手狭になったため、そのたびに家屋を増設することになった。
彼らが過ごしやすいよう、できる限り希望を聞き、その希望通りに家屋を建てる。
そのため、この本丸は時代ごとの建築様式をすべて網羅しているといってもいい。
しん、と静まり返る庭を見つめていると、不意に声が掛けられた。
視線を庭から移すと、そこには手に桶と手ぬぐいを持った鶴丸国永がいた。
「こりゃ驚いた」
驚いたと言いながらも目は笑っている。
「これから風呂ですか?」
「ああ、これか」
鶴丸は視線を手元にやった。
「寝起きの朝風呂もオツなものだろう?」
「そうですね」
しかし、露天風呂も併設している風呂場はこちらの方角ではなかったはずであるが。
ちらりとそんなことを考える。
「三日月の奴が主も誘ってやれって言ってたが……その通りだったか」
ぼそりと呟きが聞こえた、気がした。
「どうしました?」
「こっちの話だ」
さあて、行くか。
鶴丸が爽やかな笑みを浮かべたのを見た瞬間、嫌な予感がした。
この嫌な予感というのはよく当たるものだ。
思わず腰を引こうとしたが既に遅かった。
鶴丸の腕が腰に回り、脇に抱え上げられたからだ。
「へ……?」
我ながら情けない声が漏れる。
この状況は、あれだ。
風呂に直行。
「あの、ちょ―――」
「風呂のことか? あの風呂に主が入っちゃいけないっつう規則はないだろう?」
ああ、もうこれは……
これは面白がっているに違いない。
荷物のように運ばれていきながらそう確信した。
「………あとでこんのすけたちに場を清めてもらいましょうか」
ふう、と鶴丸に聞こえないよう溜息をこぼすのであった。
この身は人であり、彼らと違って穢れを少なからず持っている。
そのため、刀剣男士たちが日常使用している場所に赴かなければならないときは、できるだけ身を清めてから行くようにしているのだ。
カポーン……
「はあ……温まりますね」
一晩中、書類と格闘していたため、体中が強張っていたのだろう。
湯の温かさで強張りがほぐれてきたようだ。
「主でもそんな顔をするんだな」
顔を上げると、面白そうなものを見たと笑みを浮かべた鶴丸が酒を飲みながら告げた。
「そうしてると、年相応のガキなんだがなあ」
「…………他の皆さんには言わないでくださいね」
「審神者としての威厳が~…って騒ぐ奴らもいるからな」
それは誰を指し示しているのかすぐに分かった。
その言葉に思わず苦笑を漏らす。
「まあ、たまにはそんな腑抜けた顔をしててもいいんじゃないか?」
「そうですか?」
「疲れるだろ?」
確かに彼の言う通りかもしれない。
だが、政府からこの役目を戴いて……半ば強制的だが…いる以上はしっかりとやり遂げなければならないのは確かだ。
「………なあ、主」
鶴丸が問う。
「見間違いかもしれないが………右腕の…」
「…………ああ、これですか」
湯から右腕を出して、鶴丸へと見せた。
今も残る、深い傷跡だった。
「今はもうなんともありませんよ」
これ以上は詮索されたくないので、にっこりと笑みを浮かべてみせた。
その意図に気付いたのだろう。
鶴丸は傷について尋ねようとはしなかった。
ただ明けゆく空を見上げ、溜息をこぼす。
「ああ、そうそう。話は変わるが、三日月の奴が心配してたぞ」
話を変えるべく三日月の話を出してきた。
そういえば、と思い出す。
彼は昨晩遅く部屋までやってきていたのだ。
「審神者の職務が激務だからといって体調管理を疎かにしてはならない。どうにかして自覚してもらわねば、とかなんとか言ってたが」
「…………」
その言葉には苦笑せざるをえない。
最初に顕現させた二振りの性格とは違って、あまり自分には関心がないものとばかり思ってはいたが。
そうではなかったようだ。
あとで大丈夫だと念のために伝えておくべきだろう。
そう改めて思った。