『声』
ここは心地いい。
真っ暗で、温かい。 そして、心穏やかにさせる震動に音。
いつから、ここにいるのかは分からない。気が付いたら、ここにいた。
何も考えず、ただ眠る世界。ずっと、ここに居れたらと思う。
ある日、声が聞こえてきた。優しい女の人の声。暖かく安らげる声。ボクの小さな胸が、その人に会いたい気持ちで一杯になる。初めて覚えたキモチ。
だけど、ボクはここから出ることはできない。手で壁を叩き、足で壁をける。できる範囲でカラダを動かすけど、出ることはできない。
疲れたボクは諦めて、再び眠りについた。耳に届く、優しい声を子守唄にして。
いつ頃からだろう。あの優しい声に混じり、低く嫌な声が聞こえてくるようになった。
その声はとても大きくて、ボクのカラダに響く。そして、とても不愉快な声だ。
その声が聞こえる時は、優しい女の人の声も嫌な声になる。穏やかさがなくなって、耳が痛くなる音になる。
――イヤダ!
――フユカイダ!
二人の声はボクに届くけど、ボクの声は二人に届かない。
ボクは何もできない。苦しい。悲しい。ボクは無力だ。
無力さに絶望していると、部屋が大きく揺れた。何度も何度も揺れて、ボクは壁に何度も何度も打ち付けられる。揺れる度に男の人の声が大きく響く。そして、女の人の声が甲高いものから、苦しそうな声に変わっていく。
あいつが、やっているんだ! そう思った。
――ヤメロ!
――ヤメロ!
――オマエナンカ、イナクナッテシマエ!
突然、揺れがなくなり静かになった。
ああ、ボクの願いが叶ったんだ。ボクは大切な場所を守ったんだ。
不愉快だった男の人の声もなくなり、部屋が揺らされることもなくなった。今まで通り、暗く温かな部屋で女の人の優しい声を聞く、そんな暮らしに戻ることができる。そう、思っていた。
だけど、その日から変わってしまった。
あんなに聞こえてきた、女の人の優しい声まで聞こえてこなくなった。その代わり聞こえてくるのは、ボクを憎む声。何度も何度も繰り返し、ボクを呪う言葉を投げかける。
声はあの女の人なのに、違う人のように感じる。
何で? どうして? そんなに、ボクを拒絶するの?
ボクはおかしくなりそうだった。ここから逃げ出したかった。だけど、ここから出ることはできなかった。
だけど、異変は突然やってきた。
部屋を満たし、ボクのカラダを包んでいた温かな水がなくなったかと思うと、ボクはその部屋から追い出された。狭く苦しい場所を抜けたボクを待っていたのは、全身を襲う解放間と、痛みに似た鋭さを持つ眩しさ。そして、胸の中に何かが入り満ちていく感覚。
やっと出られた嬉しさもあった。だけど、不可解な出来事に襲われた不安感の方が大きかった。
ボクは初めて『声』を出し泣いた。
そんなボクを、聞いたこともない声の人たちが嬉しそうに迎え入れる。その人は柔らかな何かでボクを包み、無機質な物の中に静かに寝かせてくれた。
ここは安心できる場所だった。周りには、ボクと同じ人が沢山いた。そして、適度な温度にカラダを包む柔らかな感触。お腹が空けば、定期的に白い液体を飲ませてもらえる。
あの部屋とは違うけど、ここは居心地がヨカッタ。ずっとここにいたいと思った。
部屋が薄暗くなり、みんな寝息をたて始めていた。ボクもまぶたを閉じ、同じように眠りについていた。
――――!?
突然、苦しさが襲ってきた。首を何かが締め付けている。苦しいのに、泣くこともできない。
いつもボクを抱いてくれる手とは違う。冷たく力強い手が、ボクの首を締め付ける。
目を開けると、そこには誰かが立っている。
「 」
口が動き何かを言っている。
「 」
何を言っているかわからない。誰なのがわからない。だけど、この声は知っている。
ボクを呪っていた声だ――
――クルシイ。
――クルシイ。
――ボクヲクルシメル オマエナンカ イナクナッテシマエ!
部屋に響き渡る大きな音。そして、ボクのカラダに降り注ぐ暖かく嫌なニオイの液体。気持ち悪い感触だけど、そのニオイはなんかなつかしいニオイだった。
ボクを苦しめるモノは無くなって、なつかしいニオイに包まれる。ボクのまぶたがくっつきそうになる。大きくクチを開けて、いっぱい息を吐き出した。アタマの中がフワフワとしてきた。
だけど、今度は周りのみんなが泣き出して、うるさくなってしまった。みんな、あの音に驚いたのかな? しばらくすると、いつもボクを抱いてくれる女の人の甲高い声が響いた。
ああ、こんなにうるさかったら、静かに眠れないじゃないか。
【終わり】