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『箱』

「これは、ここでいいかな?」


 木製の棚に綺麗に本の並べていく。並べる本もなくなったが、まだ空きはある。少し悩み、適当に小さな置物を飾ってみる。


 適度に置いては、少し離れてレイアウトを確認していく。そして、今度は壁際に立ち部屋全体を見渡してみる。

 四角い部屋には、使いなれた家具と新しい家具が綺麗に配置されている。俺の胸はこれからの生活に期待で膨らんでいく。


「さて、あとは……」


 と、この部屋唯一の窓に目をやった。窓からは眩しい陽射しが入り込み、向かいのマンションも丸見えだ。


「カーテン、買ってこないとな」


 窓のサイズを計り紙にメモする。そして、再度部屋を見渡し必要なものを書き足していく。「よしっ」と、気合いを入れ直し、少量残っていたペットボトルの水を飲み干し、上着を羽織り買い出しへと出掛けた。


 俺は大学進学を機に、一人暮らしを始めることにした。

 仕送りと学業に支障が出ない程度のバイトで暮らせる範囲の部屋を探し、色々と不動産屋を巡っていたが、最後に行き着いた小さな不動産屋で運命の出会いをした。


 部屋は8畳ありキッチンもそれなりに広い。加えバス、トイレが別。近くには商店街があり、駅も徒歩で行ける距離。

 もちろん心惹かれた。しかし、こんなにも好条件の物件。家賃が高いだろうと諦め掛けたが、そこに書かれている数字に俺は目を疑った。それは近隣の物と比べ格段に安かった。思わず見間違いではと、指で数字を一の位から追いながら再確認をしたほどだ。

 事故物件ではないかと疑問に思い不動産屋に尋ねたが、不動産屋は嫌らしいほどの笑顔でそれを否定した。話によると、ここは学生が多いので、学生用に格安物件を何戸か用意しているということだった。言われてみれば、何戸か似たような格安物件があった。

 理由が分かれば決断までは早かった。俺は即決で契約を交わしたのだった。


 そして今日、引っ越しとなった。

 俺は新たな生活に心の踊らせながら商店街の雑貨屋に寄りカーテンを選び、日用品を買い揃えた。

 満足いく買い物を終えた帰り道、自分と同じ様に引っ越しをしている若者を見かけた。そこは例の不動産屋にあった格安物件の一つだと思い出し、彼も学生なんだなと思いながら帰宅した。



 そして、数日後。その男とは大学で偶然出会い意気投合し、よく遊ぶようになっていった。


 大学の生活も慣れてきたある日。それまで毎日のように会っていた友人を見かけなくなかった。携帯も繋がらなく、共通の友人に聞いても分からなかった。風邪でも引いたのかと部屋に行ってはみたが、何度ノックしても反応がなかった。


 妙に思ったが、俺も学業に加えバイトも始めていて、それなりに忙しく友人にばかりに構ってもいられなかった。


 しばらくして、その友人が夜逃げをしたという噂が流れてきた。噂によれば、急に連絡が取れなくなった息子を心配し両親が部屋を訪れたが、その部屋はもぬけの殻で家具どころか人が生活した形跡さえ残ってはいない状態だったらしい。


 後日、彼の両親に心当たりがないか聞かれたが、知らないと答えるしかなかった。本当に何も知らなかったから。誰も、彼の失踪に心当たりはなかった。

 ただ、友人のことを話している最中、連絡が取れなくなる少し前に妙なことを言ってたのを思い出した。



『部屋に変な箱があるんだよ』



 その箱は、ある日突然床の上に現れた。見たこともない箱で、自分が片付け忘れたりした物ではないと話していた。俺はオカルト系の話の読みすぎだと笑って聞き流していたが、彼は心底に不思議そうに言っていた。しかし、これが失踪に関係あるとは到底思えるはずもなく、誰にも話すことはなかった。



 失踪の原因がわからないまま数ヶ月が過ぎた。彼のことで騒然としていた大学も、今ではそんなことなど無かったかのように静かな日常に戻っていた。俺自身も『あいつ、今頃なにやってんだろうな』という軽い感情しか湧かなくなっていた。



 そんなある日だ。休日で昼近くまで寝ていた俺は、カーテンの隙間から差し込む眩しすぎる光で目を覚ました。カーテンを開けるといつもの風景が広がる。

 ベッドから起き上がり、大きく欠伸をし背伸びをする。眠い目を擦りながら洗面所に向かおうと歩いていると、コツンと足先に何かにぶつかった。


「なんだ?」


 床に物を投げっぱなしにする習慣のない俺は、何事かと視線を下にやった。そこにはミカン箱を一回り小さくした位の大きさの白く四角い物体が転がっていた。


 その箱を目にした瞬間、背筋がゾッとした。



『部屋に変な箱があるんだよ』



 なぜか、失踪した男の言葉が甦ってくる。

 寝る前には何も無かった。それはいつの間にか、そこに置かれていた。


 恐怖はあるの、なぜか興味も湧いてくる。俺はゴクリと唾を飲み込み、その箱を持ち上げてみた。

 想像よりも軽いが、振ってみるとガチャガチャと音がする。中に何かあるようだ。開け口が無いかと探そうと箱を回してみる。その箱に開け口はなかった。その代わり、小さな窓のようなものが一つだけあった。それは透明のプラスチックのようなもので出来ているみたいで、指でつついてみるとコツコツと硬質的な音をたてる。本物の窓ガラスのようにだ。俺はその窓から、箱の中を覗いてみることにした。


「えっ……!?」


 思わず声を漏らしてしまう。箱の中はミニチュアの家具が散らばっていた。それは俺が振り回したせいなのだろうが、小さな窓から見ただけでも、それらが精巧に作られているのがわかる。もっとよく見ようと軽く振っていると、箱の底が赤く汚れている場所があることに気がついた。


 赤い汚れを見た時、俺の頭の中で誰かが『危険だ』と訴えた気がした。


 けれど、俺は興味だけで動きそれが何なのか確かめようとした。


「――っ!!」


 小さな家具の下から出てきたのはミニチュアサイズの人間の姿をした何か。


 それはひどい姿をしている。顔半分が潰れ、四肢はあらぬ方向に曲がり、骨のような物が突き出ている所もある。そして、腹は裂け中から臓器の一部分が出ていた。


 真っ赤に汚れたそれは、苦痛の表情を浮かべ僅かに動いた。その動きは俺が箱を動かしたからか、はたまた中のものが自立で動いたのか分からない。だけど、その瞬間、目が合ったような気がした。


 そこで初めて興味よりも恐怖が勝り、箱から手を離した。同時に失踪した友人が言っていた、ある言葉を思い出した。



『その箱さ、中がミニチュアの部屋みたいになってんだ』



 俺は得体の知れないその箱に近づくことさえできなくなった。どうすることもできずに、立ち尽くしていた。箱も落とされた状態のまま静かにそこにある。


 どのくらい経っただろう。変化は突然訪れた。


 急に箱が縮み始めたのだ。缶が水圧でへこんでいくように、ベコベコと音をたてながら確実に小さくなっていく。そして、消えてなくなってしまった。


 箱なんて最初からなかった。幻覚を見ていたんだ。……そう言えるほどに。


 訳が分からなくなった。自分は何を見たのか?

 しかし、内心安堵していた。俺は寝惚けていたんだ。最近、大学やバイトが忙しくて疲れていたんだ。そう、自分に言い聞かせ、落ち着くために深呼吸をした。


「よしっ! 顔洗って目覚まそう」


 寝惚けた頭を覚まそうと、洗面所へと向かおうする。……しかし、動けなかった。


 背後から強烈な視線を感じたからだ。鋭く尖った視線が突き刺さり、変な汗が身体中から滲み出る。


 動けず、息もできない。必死に空気を肺に送ろうと吸い込むが、上手くいかない。


『振り返ってはいけない』

『振り返り確認しろ』


 相反する命令が脳内を駆け巡る。脳と身体が別々に意思を持ち、脳では否定しながら身体が後ろを振り向かせる。


 声が出せなかった。人間は心の底から恐怖すると、声が出せなくなる。正に今現在の俺が、その状態だった。


 俺は視界に入ってきた『それ』に心の底から恐怖していた。


 俺の背後には窓がある。しかし、今その窓の外に広がるのは、いつもの風景ではなかった。


 そこにあったのは巨大な瞳。猫特有の鋭い瞳孔を持つ瞳は確実に俺を見ていた。まばたきもせず、獲物の様子を窺っているようだった。


 ……獲物。獲物は俺?


 全身が尋常じゃない量の汗で濡れる。奥歯がカチカチ音をたてる。


『――逃げろ!!』


 命令が下るが足は動かない。


 何度も命令は下るのに動けないでいると、ふいに窓から覗く瞳が動いた。……いや、動いたのは瞳ではなかった。


 この部屋が動いていた。左右に大きく揺れ俺の身体が壁に打ち付けられる。全身に痛みが広がる。揺れは激しくなり、上下左右関係なく動く。天井に落ち、部屋にある家具が俺の足の上に落ちる。


「ぎゃぁ!」


 痛みで声を上げる。痛みの発生源を確認するまもなく、すぐに新たな痛みが俺を襲う。部屋の中が別の空間になったかのように掻き乱される。俺の身体もその動きに合わせ踊らされる。その度に痛みが増え、身体が曲がり、赤く染まっていく。


 じきに痛みも感じなくなり、意識も遠退いていく。


 気が付くと部屋の揺れは収まっていた。俺はバラバラになった家具と共にぼんやりと床を見上げていた。ガリガリと何かが爪をたてる音がする。音は大きくなり、床に三本の筋が浮かび上がる。その筋はすぐに亀裂になり、そこから獣の爪が顔を覗かせた。


「……なん……なんだよ」


 そう思ったのが最後で、俺の視界は暗くなり音も聞こえなくなってしまう。そして、それが何なのか確認することもなく、全ての感覚がどこか遠くに行ってしまった。


 ◇ ◇ ◇


「ミィちゃん、ただいま。」


 若い女がドアを開け部屋に入ってくる。彼女の姿を見た猫が甘い声を出し擦り寄る。


「ミィちゃん。寂しかった?」


 手にしていた教材を入れた鞄を床に置き、その代わりに猫を抱き上げ喉元を撫でる。


「あれ? 何、くわえてるのかな?」


 猫は口に斑に赤く染まった布切れを咥えていた。


「も〜。変なもの食べちゃダメでしょ」


 女は布を取りゴミ箱へ捨てたが、猫の口が少しだけ赤く汚れていることに気づくことはなかった。


 しかし、部屋にある異物には気がついた。


「……あれ。なにこれ?」



 そこにはボロボロに壊された白い箱があった。




【終わり】



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