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『名』

 秋の公園。木々に茂った葉は赤や黄色に色づき、枝から落ちた葉が地面をも秋色に染めている。空もすっかり高くなり、青い空には鰯雲が浮かんでいる。そんな空を地上から見上げ、俺は日に日に秋が深まっていくことに感傷に浸る。


 似合わずも、そんな感傷的な気分に浸り、毎日のようにこの公園に通っている俺。


 理由は、ただ一つ。しかも、秋の物寂しい雰囲気とは、かけ離れたものだった。



「う〜ん。今日はどれにしようかな〜」


 それほど大きくない公園に入り、まず届いてきた甘い香り。その香りの発生源、それは公園に来ている移動販売のクレープ屋さんだ。いつだったか、学校帰りにたまたま見かけたこの移動販売車。ちょうど小腹の空いていたせいか、俺は甘い香りに誘われるままにクレープを買っていた。特別甘いものが好きというわけではないけど、その時食べたクレープは異常なほどに旨かった。それからは、半ば中毒になってしまったのではないかというくらいに通いつめている。

 まあ、これも仕方のないことだ。俺にやって来た秋は、『食欲の秋』なのだから。


 ……だけど、最近になって、もう一つ理由ができてしまった。



「もー。ちょっと早いよぉ」


 秋の空のように澄んだ少女の声。彼女の声に応えるように小さな犬が「キャンキャン」鳴いている。その声の主は、ベンチに座りクレープを食べている俺の前を、小さな犬に引っ張られながら通りすぎていく。

 俺は通りすぎていく彼女の背を追い、走り去る姿を眺めた。


 ……そう、俺は彼女が気になっていた。


 彼女は毎日、同じ時間、この公園で犬を散歩させている。偶然、公園に寄る時間が重なった日。俺はこの場所で彼女の姿を見かけ、釘付けになった。


 ペットの犬に向ける笑顔。澄んだ可愛らしい声。すれ違ったり時に薫る、甘い香り。俺の中で彼女の存在は、一瞬でクレープ以上の存在になってしまった。


 彼女の存在を知ってからというもの、俺は時間を合わせるように公園に寄るようになっていた。もちろん、クレープも買っている。そして毎日、自分の前を通りすぎる彼女を眺め、想いを募らせていっていた。



 そして、今日もクレープ片手にベンチに座り、彼女が来るのを待っていた。


「もー。待ってよぉ」


 待ちわびた声に、ドキンと胸が跳ねる。チラッと横目で、彼女の姿を確認してしまう。今日もカワイイ。

 でも、あくまで俺は彼女を気にしない素振りを見せる。甘いクレープをパクつき、自分の目の前に来る時を、平静を装い待つ。


「キャンキャン」


「――――!?」


 俺の足元に、見慣れた犬がおすわりしている。つぶらな茶色の瞳でジッと俺のことを見上げ、小さな尻尾をはち切れんばかりに振っている。


「キャンキャン」


 なおも犬は俺の顔を見上げ、何かをねだるように鳴いてくる。いつもと違う状況に戸惑っていると、犬の首から伸びたリードが弛んで地面についた。そして、近づいてくる人影。俺はゆっくりと犬から視線を外し、その人影に向けた。


「こんにちは」


 一方的に見ていただけの彼女が微笑みかけ、俺に向け声をかけてくる。


「えっ、あっ……、こ、こんにちは」


 あまりに突然で心構えも何もなく、喉からは途切れ途切れのどもった言葉を発するのが精一杯だった。彼女はそんな俺に笑顔を絶やすことなく向け、スッとベンチに座った。


「――――あっ」


 思いのほか彼女との距離が近く、緊張で身が強ばってしまう。「おいで」と、犬を抱き上げた彼女は、膝の上に犬をのせて優しく頭を撫でている。犬の方は撫でられることを喜びながらも、まだ俺の方に顔を向けたまま尻尾を振っている。


「いつも、ここに座ってますよね」


 彼女の茶色がかった瞳が、ジッと俺を見つめてきた。見つめられていることに加え、自分の存在を認識されていたという、恥ずかしくも嬉しい真実。心臓がバクバクと脈打ち、食べかけのクレープを持つ手に力が入ってしまう。


「アハハ。この公園のクレープにハマっちゃって……」


 本当のことだけと、言えない真実もあるせいか、やましいことなんてないのに声が上擦ってしまう。


「あー。そうなんだぁ。ここを通ると甘い香りがするから、いつも不思議に思ってたんです」


 俺の言葉と手に持っているクレープから、些細な疑問が解決した彼女。なぜか嬉しそう声を弾ませている。


「毎日、食べちゃうほどクレープが好きなんですか?」


「うん。まあ、好きなものは取り敢えず飽きるまで食べ続けるタイプかな?」


「へー。そうなんですか。実は、私もそれに違いタイプなんですよ」


「そうなんだ。俺たち、似たタイプなんだね」


 クレープ一つで会話が進んでいく。彼女の姿を眺めるだけで幸せだったのに、こんなに話しができるなんて……。幸せすぎて、どうにかなりそうだった。彼女も楽しそうに話しかけてくれている。なんか、心なしか俺に向ける視線も熱くなっているように感じる。そして、変わらず犬も俺を見たまま、嬉しそうに尻尾を振っている。

 何? もしかして、俺って彼女にも彼女の犬にも気に入られてるの? なんて、淡い期待なんて抱いてしまったりしてしまう。今は秋だけど、俺にもようやく春が来るのか?

 なんて不純なことを考え、妄想していると、彼女はふいに膝の上にのせていた犬を抱えあげて、俺の眼前に突きつけてきた。


「私、大好きな食べ物たちの名前をこの子に付けてるんですよ」


 眼前に迫った小さな犬が、ペロリとは俺の鼻先を舐めた。突然のことで驚いてしまったが、ここで嫌な顔をしてはせっかくお近づきになれたのに嫌われてしまうと思い、必死にペロペロ攻撃に耐えた。


「へー。なんて名前なの?」


 ペロペロ攻撃を気持ちほど避け、彼女に尋ねてみると、


「当ててみてください」


 と、犬の向こうにいる彼女はイタズラっぽく笑いかけてきた。


「うーん。プリン?」


「ぶーっ」


「じゃあ、マシュマロ?」


「ぶーっ」


 甘いスイーツたちの名を次々上げていくが、なかなか答えに当たらない。そろそろ、答えの引き出しの中身も無くなってきた頃、彼女はクスリと微笑んだ。


「やっぱ、分かんないですよね」


 ――あれ? 何か、彼女の雰囲気が変わった? 可愛い雰囲気が弱まり、背筋をゾクッとさせる何とも形容しがたい雰囲気になった気がする。


「この子ね、名前は太郎……」


「……えっ!?」


「……康介・武人・慶一郎・晴彦・勇・雄太・章介・孝太郎・隆治・観月・弘志・俊司…………」


 彼女はなおも言い続ける。

 この小さな犬の名だという男性名の羅列を……。


「えっ? えっ? それって、人の名前だよね……。食べ物の……名前じゃないよね……」


 まだ続く言葉を遮り、恐る恐る疑問をぶつけてみる。


「違わないですよ。食べ物“たち”の名前ですよ」


 彼女は自分の答えが間違っていないとばかりに断言し、妖しく微笑みペロリと舌舐めずりをした。


「どれも、とっても甘くて美味しかったですよ」


「…………」


 もう秋も深まった時期だというのに、額に汗が流れる。


 彼女と犬が、グッと身を乗りだし迫り迫ってくる。




「――ねえ。あなたの名前、教えてください」




【終わり】



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