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『憶』

「懐かしいな〜、何年ぶりだろう」


 仕事の関係で寄ることになった町。

 懐かしい町に足を踏み込み、懐かしい空気を思いっきり吸いこむ。未だに身体はこの町のことを覚えているのだろう。懐かしい空気は、すんなりと俺の身体に浸透していく。


 小学五年生の頃、父親の仕事の関係で遠方に引っ越すことになり、離れた町。それから十五年、一度も帰ることなかった町に、仕事でとはいえ俺は帰ってきたのだ。


 町並みは長い年月ですっかり様変わりしている。駄菓子屋がなくなりカフェになっていたり、建ち並ぶ民家の数もぐっと増えている。さすがに十年以上の時が過ぎれば、町の姿も変わる。


 僅かな寂しさを感じながらも、俺は記憶中の町と現在の町の相違点を探すことを楽しんでいた。



「……おっ。ここは」


 昔、何度も歩いた道を進んでいると、だだっ広い空き地に突き当たった。


「ここは変わってないなぁ」


 民家の間にぽっかりと空いた空間。そこは、子供の頃に毎日のように遊んでいた広場。昔と全く変わっておらず、記憶のまま残っている。目を閉じれば、幼い自分たちが遊んでいる姿も思い出される。


「あの頃は楽しかったな」


 独り感慨にふけっていると、ふいに脳裏に何か妙な映像が浮かんだ。

 だが、それは一瞬で消えてしまい、はっきりとした画は見えなかった。朧気に見えたのは、赤い夕焼けと影になって表情の見えない人の姿。


「なんだろう、今の……?」


 ぼんやりとなのに、やけに心に残るイメージが気になり、思い出そうと思考を巡らせてみる。だが、やっぱり思い出せない。何だろうと、首を捻っていると、


「あれ? もしかして、高城くん?」


 背後から俺を呼ぶ声。振り返ると、女性が一人、俺の方を見て驚いたように目をぱちくりとしていた。


「あー。やっぱり高城くんだ! 高城祐司くんでしょ」


 懐かしそうに俺の名を連呼する女性。……しかし、俺は彼女に覚えがなかった。

 長身でスレンダー、目鼻立ちもくっきりとし、かなり印象的な美人だ。好みのタイプではないが、これだけの美女を忘れるとは思えない。だが、俺には彼女の記憶はない。

 見覚えのない女性が、俺の名を呼ぶことに妙な感覚を覚える。不信感に近い感覚が表に出ていたのか、彼女はそれを打ち消さんばかりに笑いながら話しかけてきた。


「あはは。私、志村聡美よ。……覚えてないよね。私、高城くんの一個上だし」


「……シムラサトミ?」


 名乗られたにもかかわらず、やはり俺の記憶に彼女の姿は浮かんでこなかった。


「……ごめん。あんま、覚えてなくて」


「気にしなくていいよ」


 彼女は少し寂しげな表情を見せたが、詫びる俺に対しては笑って応えてくれた。その際、笑顔にちらりと覗く八重歯が見えた。彼女の姿は思い出せないが、あの八重歯は見覚えがあるような気がした。やはり、昔の知り合いなのかと、さらに申し訳ない気持ちになってしまう。


「高城くん、こっちに戻ってきたの?」


 俺の心情を察してか、シムラサトミは過去から現在へと話題を移していく。


「いや、今日は仕事で。今はA市に住んでる」

「――――っ!!」


 なぜか、急にシムラサトミは目を輝かせた。


「うそっ! すっごい偶然! 私もA市に住んでるの」


 少し低めの彼女の声がうわずる。


「どこら辺に住んでるの?」


「駅のそば!」


「へぇ。俺んちと近いな。シムラさんは、今日はどうしてここに?」

「今日は用事があって、たまたま帰ってたの。で、時間があったから、ちょっと散歩をしてて」


「なんか、すごい偶然だね」


「本当に、すごい。こんな偶然あるんだね」


 思わぬ偶然に、興奮を隠せないシムラサトミ。俺も彼女に感化されたみたいに、この出会いに興奮していた。


 懐かしい風景の町を一緒に歩き、話題は自然と昔の話題に戻っていく。しかし、出会いの興奮のお陰か、いっときは申し訳なさで一杯だった思い出話も楽しいものに変わっていった。俺たちは子供の頃に戻ったような時間を過ごした。

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、互いの用件で別れの時間はやって来た。シムラサトミの要望ではあったが、俺自身も知りたい思いもあり、俺たちは連絡先を交換して、その日は別れることとなった。


 それから俺は、志村聡美と何度か連絡を交わしていた。そして、二人で会って出掛けるまで、そんなに時間はかからなかった。

 実のところを言えば、俺は巨乳派で彼女のようなスレンダーなタイプはあまり好みではなかった。身長も僅かにだが、俺よりも高い。スラリと伸びた手足に、ピンと伸びた背筋。女性の柔らかさもあるが、男性のような険しさも見える顔立ちで、某劇団の男役とかが似合いそうな印象だ。だが、性格は意外に子供っぽいところもある。彼女は時々、ちょっとしたイタズラをしては八重歯を覗かせた満面の笑みを向けてくる。最初はそのイタズラに妙な不安を覚えることがあったが、しだいに彼女のイタズラを可愛く思え始めた。クールな外見と子供っぽい内面のギャップに、心惹かれるようになっていた。

 色々と自分の好みのタイプとは違っていたが、俺は確実に彼女のことを異性として好きになっていた。

 告白らしいものはしていなかったが、自然と俺たちは昔の知り合いから恋人同士の姿に変わっていた。


 しかし、彼女の笑顔に惹かれると同時に、 その笑顔に既視感のようなものも感じていた。


 記憶にないが見覚えがある。そして、何か重大なことを忘れている。


 彼女の笑顔を見るたびに、そんな気分にさせられていた。



 しばらく付き合っていると、その既視感とは別に微妙な違和感も感じるようになってきた。

 彼女は俺のことを、よく知りすぎている。たまに子供の頃の話しをするが、聡美と俺の見ていたものが恐ろしいほどに一致する。


 あの日、○○さん家の窓を割ってしまった。

 あの日、近所の犬に追っかけられた。

 あの日、□□くんが怪我をした。等など……。


 まるで自分自身と話しているかのような感覚に落ちる時がある。子供の頃に一緒に遊んでいれば、思い出も共通のものがあってもおかしくない。遊びのグループには何人か女の子も混じっていた。そのなかの一人かとも考えた。思い出話に導かれるように、忘れていた友人の姿なども思い出していた。だけど、どれだけ話を深めても、未だに聡美のことは思い出せないでいた。


 違和感はそれだけではなかった。

 最近になって気付いたことだが、外出時に志村聡美の姿がやたら目につくようになった。歩いていると車道を挟んで反対の歩道にいるとか、偶然入った店に彼女も入ってきたりと、度々彼女の姿を見ることがあるのだ。

 同じ町に住んでいて、知人以上の関係。彼女のことを気にかけている分、彼女を見つける確率も高くなるのは当たり前だ。だけど、仕事中や休日関係なしに、外出時に高い確率で出会うのは少し異常に思えた。


 そして、その違和感が不信感に変わったのは先輩の一言だった。


「この女性、半年くらい前からちょくちょく見かけてたよ」


 酒の席で彼女の写真を見せろと言われ、数日前に撮った写メを見せた時だ。先輩は写メを見るなり、少し残念そうに「なんだ、お前の彼女だったのか」と言い、そう続けたのだった。


「まあ、なら俺が声かけなくて正解だったな。綺麗だから気になってたし、たまに目が合ったりすることもあったから、今度声でもかけようかと考えてたんだよね〜」


 先輩が言うには、俺と一緒にいる時に会う確率が多かったらしい。


 正直、俺は恐くなった。先輩は聡美の姿を見始めたのは半年前くらいだと言った。だが、俺と聡美が再会したのは三ヶ月前だ。……いや、本当に再会なのかどうかも怪しい。なにせ、俺に幼いときの彼女の記憶がないのだから。同じ町にいるから、たまたま同じ場所にいてすれ違うこともあるだろう。だけど、先輩は言っていた。


『お前と一緒の時に、よく見かけた』


『目が合うことも、けっこうあった』


 もしかしたら、聡美は再会する前から俺の存在に気づいていたのかもしれない。あの再会も偶然ではないかもしれない。


 聡美は何らかの意図があって、俺に近づいてきた――?


 そんな不安がよぎった。言い知れぬ不安を抱きながらも、俺は聡美を自分の部屋に呼んだ。モヤモヤとした気持ちはあるが、それでも俺のなかには彼女を好きだという気持ちの方が大きかった。だからこそ、全てを確認しておきたかった。


 俺の不安をよそに、彼女はいつも通りだった。俺好みの服を着て、俺好みの料理を振る舞ってくれる。いつもと変わらない楽しい会話。

 ……いや、少し違う。いつもより、聡美の頬は紅潮している。そして、普段より色香も増しているような気がする。その姿にゴクリと喉が鳴る。俺は目の前の聡美に対し、性的な欲求が抑えさえられなくなった。


「…………」


 ふいに訪れる沈黙。見つめあう視線が近付き、唇が重なる。俺の手は自然な動きで彼女の身体に触れようとする。だが、あと僅かで触れるといった時だ。


「――――!?」


 ついさっきまで彼女が映っていた視界が、真っ白な天井に変わった。そして、腹に重みと温もりが伝わる。

 訳が分からず天井を見ていると、八重歯を覗かせた聡美の笑顔が覗き込んできた。


「――えっ!? 聡美? 何してんの?」


 混乱する俺に、聡美は馬乗りの状態で答える。


「私のものになってよ」


「――――えっ?」


 聞き覚えのある言葉だった。以前にも似たような状態で、同じようなことを言われたような気がする……。

 いや、そんなことよりも、彼女が乗っかている腹部に違和感が……。固く熱いモノが当たっているような? 男である自分なら“それ”の存在は当たり前だが、“それ”は女性には付いているはずはない……。


「私のものになってよ」


 さっき以上に混乱している俺に、彼女は同じ言葉を繰り返し、俺の肩を押さえ込む。

 部屋の明かりを背にし、俺を覗き込む彼女の姿に誰かの姿が重なって見える。ゆらゆらと揺れ霞む小さな輪郭が、しだいに動きを止め、はっきりとした姿を現す。


「あーーーーっ!!」


 俺は自分の声に驚き、咄嗟に両手で口をおおった。


「思い出してくれた?」


 彼女は嬉しそうに声を弾ませる。



 ……ああ、思い出した。


 ――俺は彼女を知っている!!




 子供の頃の友人グループに、三村聡みむらさとしという少年がいた。彼は俺の一つ上で、グループのリーダー的存在だった。気が強く、いじめッ子気質な少年で、イタズラを成功させては八重歯の覗く満面の笑みで笑っていた。かくゆう俺も、度々泣かされていた。だけど聡くんは、男としての強さも兼ね備えていた。そんな強さに憧れていたのは、俺だけではないはずだった。


 その三村聡に、俺はあの空き地で押し倒された。今、志村聡美がしているように、馬乗りになり俺を見下ろし言いはなった。


「オレのものになれっ!」


 どういう意味なのか、小五だった当時の俺には理解できなかった。


 でも、恐ろしいという感覚はあった。いつもにも増して真っ赤な夕焼けが、自分たちのいる世界とは別物に思え、逆光で影になる聡くんさえも別の世界の人間に思えた。

 俺は弱いながらに力を振り絞り、彼の拘束から逃げ出した。


 それが引っ越しの前日に起こった出来事だ。



 それから十五年。俺はその記憶を必死に消して生きてきた。それほどまでに、この記憶に恐怖を感じていたんだ。


「……も、もしかして、聡くん?」


 本当の名を呼ばれた聡美――聡くんは、心底嬉しそうに目を輝かせる。


「そーだよ。祐司くんっ! 聡だよ」


 全身で喜びを表し、唇が触れそうなほどに顔を寄せてくる。そう、この笑顔は子供の時から変わっていない。


「嬉しいな。思い出してくれて」


 彼女……いや、彼の興奮と比例するように、俺の腹に触れている彼の欲の部分が熱を帯びる。


 驚きで覆われていた感情に、恐怖が広がり満ちる。


 昔、聡くんが告げた言葉。

 今、聡美が告げた言葉。


 その言葉の意味を理解したくない。だけど、成長し大人になった俺は、否応なしに理解してしまう。


「やっと、あの日の約束が果たされるね」


 聡くんの指が、俺のシャツのボタンを外していく……。


 そして、一方的な約束を果たそうと、自らの欲を俺に突き刺した。


 俺は逃げることもできず、それを受け入れていた。




【終わり】



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