『文』
軽快なリズムの着信音が静かな部屋に鳴り響く。
私は半分に眠ったままの状態で、手探りで音の発生源である携帯を探す。指先に触れた固い物を枕元に手繰り寄せ、眠い目を擦りながら携帯を確認する。すでに着信音は止まり、メール受信のランプが点っているだけだった。未だ二つ折りのガラケーである携帯を開くと、ぼやけた目に刺さるほどの明るさが薄暗い部屋に点る。眠りを覚ましてしまいそうな眩しさに若干苛立ちを覚えながらも、私はそのメールに目を通した。
『おはよー♪
きのうの夜は楽しかったね
また 楽しもうね』
意味不明の内容に何のことか分からず、誰からなのかとアドレスを確認する。だが、そこに記されていたのは、全く覚えのないアドレスだった。眠りを妨げられた苛立ちが頂点に達してしまう。
「……間違いかよ」
迷惑極まりない間違いメールを鬱陶しく思いながら削除すると、携帯を枕元に放り投げ再び布団を被った。
――数日後。仕事の忙しさなどから、私を苛立たせたメールのことなど綺麗に記憶から消え去っていた、そんな夜。
眠りを妨げる軽快な着信音。鳥の鳴き声は聞こえるが、うっすらと開けた目に入るのは薄闇に点る携帯の明かりしか見えない。まだ暗い時間のようだ。枕元の携帯を取り確認すると、どこか見覚えのある英数字の羅列が並んでいる。覚えのあるアドレスだが、誰からなのかは分からない。しばらく眺め、私は取り敢えずメール内容を確認することにした。
『おはよー!
きのうも楽しかったね
あんなにハァハァ言っててさ
わたしも興奮しちゃったよ』
「……はぁ?」
意味不明な文面に、寝惚けた頭が変な声を出させる。そんな寝惚けた思考だったが、すぐに先日の間違いメールを思いださせた。
「あぁ……。またか」
思い出すと同時に湧き出る腹ただしさ。眠りを妨げられたこともだが、こっちは仕事が忙しくて彼氏を作る暇さえないのだ。それなのに、このメールの文面を見る限り送り主はラブラブなように受け取れる。
見ず知らずの人間にノロケを見せつけられたことに憤慨し、このアドレスを受信拒否に設定する。そして、メールを速攻で削除すると携帯を放り投げ、一方的な嫉妬でイライラしながら布団をかぶり目をグッと閉じた。
しかし、次の日の同じ時間。携帯がメール受信を知らせる音楽を鳴らす。
『もー!
なんで 拒否るの?
酷いじゃない
きのうも あんなに楽しんだのにぃ』
アドレスこそ違うが、文面は明らかに昨日のメールと同じ人物からのものだった。
訳が分からなかった。この送り主は、自分が送り相手を間違えていることに気付いていないのか? 彼氏とはメールで連絡しあっていないのか? それとも新手の迷惑メール? それにしてはサイトへ導くためのURLもない。
疑問ばかりが湧いてくる。しかし、悩んでいても仕方のないことだ思い、昨日と同じようにこのアドレスも受信拒否に設定した。
この日は些細な疑問か切っ掛けとなり、布団に入り直しても眠ることができなかった。
だけど、受信拒否にも関わらず、メールが止まることはなかった。
毎日、同じ時間にメールは届いた。拒否しても相手はアドレスを変え、私の携帯にメールを送ってくる。
内容はいつも同じ。『一緒に楽しんだ』と、いう報告と感想。しごく簡潔に、一通だけ送ってくるのだ。文面の軽さに反し、同時刻に一通だけという機械的で事務的な行動。その相反するような性質のメールに、私のなかの苛立ちは恐怖に変わっていった。
もしかして、相手は『私』だと認識して送っているのか?
これは、私に対する嫌がらせなのか?
仕事でトラブルがあった人がいたか?
それとも、学生時代の友人?
色々と思考を巡らせるが、思い当たる人は見付からない。
私は最終手段として、自分のアドレスを変えることにした。こちらが変えてしまえば、流石にもう届くことはないだろう。
案の定メールは翌日は届かなかった。私は、久し振りにゆっくりと眠りにつくことができた。
――軽快な音楽が暗い部屋に鳴り響く。聞きなれた音楽なはずなのに、驚きで心臓が跳ねる。息苦しさと共に意識ははっきりと覚醒し、見開かれた瞳は鳴りやんだ携帯を見つめる。携帯にはメール受信を知らせる明かり点っている。無視してもいいはずなのに、僅かに震える手が無意識に携帯を開いていく。
『アドレス変えてもダメだよ
わたしには わかるんだから
これからも 一緒に楽しまなきゃ
きのう みたいにね』
心の奥底から這い上がってきた恐怖に、全身が震えた。
新しいアドレスに変え、都合上何人かには連絡した。だが、その中に犯人がいるとは考えられなかった。なぜなら、昨日は誰とも会っていないからだ。それ以前に、昨日は部屋から一歩も外に出ていない。だから、誰かと一緒に楽しむことなんてできるわけがない。
だったら、このメールの送り主は誰?
なぜ、私のアドレスを知っているの?
このメールの差出人も真意も分からない。訳が分からないまま携帯の画面を見つめていると、今までのメールにはなかった添付ファイルがあることに気づいた。
嫌な予感はした。だけど、私の指は導かれるように、そのファイルを開いた。
「…………」
それは一枚の画像だった。画像は荒く、薄暗いなかで赤い何かが画面いっぱいに広がっていた。
「――――っ!」
それが何なのか理解した私は、思わず目を逸らし携帯を床に落とした。
一面に広がる赤色のなかに横たわる“何か”。所々に見える肌色。そして、その“何か”に深く突き刺さる刃物。
誰が何の為に、こんな画像を送ってくるのか意図が分からない。嫌がらせにしても、度を越している。
真意を見せない間接的な恐怖。
残酷な画像という直接的な恐怖。
奥歯はカチカチと音を鳴らし、両目からは涙が溢れてくる。
しかし、画像には何か引っ掛かるものがあった。よせばいいのに、私は落とした携帯を拾い恐る恐る画像を見た。
「…………これ……は……」
私は画像のなかに見慣れた物を見つけてしまった。
横たわる“何か”を踏みつける足。その足が履いているパンプス。私はこのパンプスを良く知っていた。同じデザインのパンプスなんて、どこにでもある。だけど、これはどこを探してもないはずだった。
画像のパンプスのつま先には、特徴的なキズが付いている。それは、私が数ヵ月前に、うっかりキズを付けてしまった物。お気に入りではあったが、履き崩していたからと、修理することも諦め捨てていたはずだった。
私は夢遊病者のようにふらふらと玄関に向かい、下駄箱の扉を開けた。上から順に、お気に入りの物、たまにしか履かない物、新品の物と、規則正しく並んでいる。あるはずはなんてないと、頭で理解しているのに、私は上から順番に並ぶ靴たちを確認していく。そして、一番下の奥にあるはずの無い物を見つけてしまう。
「何で、あるの……?」
私はここに存在するはずのないパンプスを手に取った。キズはあの時のまま残っている。そのキズには赤いものが染み込み、所々に赤い飛沫も残っている。ひっくり返し裏を見れば、はっきりと分かるほどに、赤黒い汚れがこびりついている。
「……? あ、奥にまだ何かある……」
パンプスを動かした際、その奥にあるものも一緒に動いたのか、下駄箱の奥にチラリと光る物が見えた。引っ張り出してみると、それはビニール袋に入れられた血の付いた包丁と見覚えのない携帯だった。
「……あ……。……何なの、これ……」
袋を開けると鉄臭い嫌な臭いが鼻につく。新しいからなのか、袋を閉じていたからか、包丁に付いた血は鮮やかな色をしている。
誰かが、私の部屋に入って隠していった?
そんなことが、脳裏をよぎった。けど、昨日は部屋を出ていない。もちろん、訪問者もいない。こんなものを、気付かれないように隠せるわけがない。私は何か分かるかもと、一緒にあった携帯の中身を確認した。
「――うっ」
中には見るに耐えない画像ばかりあった。猫などの小動物、数は少ないが人間のようなものもある。そのどれもが、刃物で切り裂かれ赤く染まっていた。そして、その中の一枚に先程送られてきた画像があった。さらに、メールの送信履歴に、自分に送られてきたものと同じのものがあった。
この携帯の持ち主が、私に意味不明なメールを送りつけていた犯人なのは確かだった。
それを確信すると同時に、私は犯人が誰なのか分かり始めていた……。
私の指は初めて触れる携帯を慣れたもののように操作している。まるで使いなれた自分の持ち物のように。そして、ふいに視界に入った自分の指の爪に残る、赤黒い染み……。
私は時間指定された未送信のメールを開いた。
「…………ふふふっ」
笑みが溢れる。部屋の方から、メール受信を知らせる音楽が聞こえる。
「ふふふ。あははははっ」
私は壊れたように笑う。
――私は、私ではない。
『ねえ 早く気付いてよ
そして 一緒に楽しもうよ
貴女は わたしなんだから
わたしは 貴女なんだから
ねえ
もう一人の私』
【終わり】