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「……悪いが、信用できねぇな」
俺がそう口にした瞬間、場の空気に僅かな緊張が走った。緑髪の男は軽口を閉じ、ルラールの少女の瞳がスッと細まる。
「貴様、自分の立場が判っているのか?」
少女の不釣り合いな迫力に気圧されないよう態度には出さないが、内心はドキドキものだった。
本当は今直ぐにでも逃げ出したい気分だが、今の俺にはそれ以上にやりたいコトがある。そう簡単に折れる訳にはいかない。
(ビビんな俺、覚悟なら〈メルトス〉を出る時に決めただろうが!)
「うーん、割と選択の余地ないと思うんだけどなぁ」
すると、緑髪の男が呆れた様子で――というか、緊張した場の空気を解すようなノリで口を開いた。
「確かにそうなんだけどよ、コッチとしては“確約”が欲しい」
「“確約”?」
「ああ、何せ“俺達を見逃す”ってのも“謝礼を払う”ってのも、所詮は口約束だからな。お宝を渡した瞬間、反故にされて首と胴体を切り離されるなんてゾッとしねぇよ」
「あーナイナイ、それは無いよレイド君」
男は挙げた片手をパタパタと振ると、さも当然とばかりに俺の発言を否定した。
「もし君から無理矢理お宝を奪う積りなら、最初からそうしているさ。今こうして話してるのは、あくまで僕らの誠意と受け取ってほしいなぁ」
(ケッ、よく言うぜ)
コイツの言う通り、こっちの状況は圧倒的に不利だ。正直、いつ殺されたっておかしくない。
なのにまだこうして俺が生きているのは、向こうの誠意などでなく、単純に余裕の表れだろう。
(ナメやがって……)
気に入らない――が、腹を立ててもいられない。
幸い、相手がコッチを侮っているうちはまだチャンスが有る。最悪なのは、こいつ等が俺にはもう価値がないと、見切りを付けてしまう事だ。
そうなってからじゃもう遅い。フールの身の安全も掛かってる。そうなる前に、何としてでも突破口を見付け出す。
「か、仮に無傷で見逃されるにしろ、“謝礼”とやらはどうするんだよ。後で配達でもすんのか? それこそ信用でき――」
ドサッ
「ない、って」
(何だ?)
すると会話の途中、アレッシオは自分の懐に手を入れ、地面に少し小さめの皮袋を投げ出した。
皮袋は丁度俺とアレッシオの中間あたりに落ち、口紐は解かれているらしく、落ちた拍子に中身が少しだけ顔を覗かせている。
ソレは何か小さな物のようだが、距離があるのと足らない光源のせいで詳しくは分からない。
ただ、そんな焚火の光すら鮮やかに反射するその輝きには、焚火のオレンジの他に、妙に蠱惑的な色が纏わり着いていた。
そして、その輝きが黄金特有のモノであると気付くのに、そう時間は掛からなかった。
「謝礼だ」
「“レムンレクマ純正聖金貨”――ちなみにソレ、百枚あるから」
「ブッ!!?」
アレッシオと緑髪の説明を聞いた瞬間、俺は盛大に吹き出してしまう。それどころか、危うく鼻水まで出そうになった。
だって“レムンレクマ純正聖金貨”といえば、『十枚で王都の隅に新築の家が建つ』とまで云われる、この国で最も貨幣価値の高い金貨だ。
俺も遺跡発掘の報酬で何度かお目に掛かった事はあるが、それも一度に五~六枚が精々で、流石に百なんて枚数は見た事がない。
まぁ正確に百枚揃っているのかは判らないが、それが唐突に、あんな無造作に目の前に投げ出されて、動揺するなと云うのは無理がある。
だがしかし、ここでも相手に動揺を悟られる訳にはいかない。ここはより冷静に、毅然とした態度で応じなければ。
「どうだ? 十分な額だと思うが」
(か、簡単に言いやがって)
正直、これだけ高額の取引ってのは俺もした事がない。なので、これが“闇の宝玉”取引の対価として正当なモノなのか、まったくもって判断に困る。
ただし、十年近く積み重ねた俺の発掘者としてのキャリアは、取引の額として現状コレが可もなく不可もない妥当なモノだと訴えている。
知識や経験があてに成らない以上、これまで培ってきた自分の勘に頼る他ない。そして、恐らくこの勘は当たってる。
だが、かと言ってそれを素直に認め、『これで交渉成立』――と云う訳には勿論いかない。
ここは多少理不尽な値を吹っ掛けてでも、もう少し会話を引き伸ばすか……。
「お、おいおい、聖金貨がたった百枚かよ。あんた等、“伝説のお宝”ってのがどんなモノか本当に分かってんのか? せめてこの“倍”は用意し――」
ドサッ
「てえぇ……」
「これで良いか?」
またも会話の途中で投げ出されたのは、先程と同じ二つ目の皮袋……うん、まぁ絶句するよね。
「どうした、これで“倍”の筈だが?」
(…………ハッ!? い、いかんいかん!)
冷静に、かつ毅然とした態度で。
「ふ、ふんっ、ま、まぁそんなもんなんじゃねぇの? な、ななな、なかなかわか、わかってんじゃねぇかおっさん」
「レイド~、また台詞がひらがなに成ってるし、どもり過ぎだし、何言ってるかよく分かんないよ~」
(やかましいわっ!)
こんな状況でもフールのツッコミは冷静かつ的確だ。相変わらずのマイペースさを遺憾なく発揮しているようで何よりだが、できればそのメンタルを今この瞬間だけは俺に分けていただきたい。割と、切実に!
(つか、こんな状況で冷静さなんて保ってられるか! え、なに? 国軍ってそんなに儲かんの!?)
目の前に積まれたのは、この国で最も高価な金貨二百枚。俺の持っている“闇の宝玉”の取引としては、十分過ぎる額だろう。
完全に手玉に取られている。まさかここまで大量の現金を持ち歩いているとか、用意周到にも程ってモノが――
「……?」
その時、俺は奇妙な違和感に捕らわれた。
(周到……“過ぎないか”?)
動揺と困惑に揉まれていた脳から熱が引き、徐々に思考がクリアに成る。同時に、〈メルトス〉でしたゴルド爺さんとの会話を思い出した。
(そうだ、ゴルドの爺さんとも話したじゃねぇか。こいつ等には“時間”もなければ“後”もない、“焦っている”状態だって)
だからこそ、こいつ等は事前にこんな大金まで用意して、俺との交渉を有利かつ効率的に、短時間での決着を目論んでいる。
実際、大金ってのは時間を短縮する上で非常に効果的だ。どんな交渉も不慮の厄介事も、大金ってのには一瞬でソレを解決するだけの力がある。
お陰で時間稼ぎをしようとした俺は逃げ道を塞がれ、こうして相手の思惑通りまんまと窮地に陥ってる訳だ。
……しかし、だからこそ解せない。
(だってのに、何だってこんな“悠長”なんだ?)
何せ、こいつ等は〈メルトス〉で俺を問答無用で掴まえようとし、夜の町中では矢を射ち、あまつさえ大剣で斬り捨てようとまでした。
にも関わらず、今回のこいつ等は大金まで用意して、こうして俺との交渉に付き合っている。初めて会った時の殺伐とした様子とは大違いだ。
それにさっきも云ったが、今の俺はいつ殺されてもおかしくない。本当にこいつ等が“焦っている”なら、この瞬間にでも俺を押さえ付け、強引にでも“闇の宝玉”を奪ってしまえば良い。
俺は最初、それは単純に余裕の表れだと思った――が、それは違う。何故ならこいつ等に、“余裕”なんてモノはない筈だからだ。
(じゃあ、どうして……)
「ッ!!」
そこで俺は、漸くある事実に気が付いた。
(“どうして”じゃねぇよ! やっちまった、完全に読み違えた!!)
そもそも前提が間違っていた。こいつ等が――アレッシオがこうして俺との会話に興じているのは、余裕でもなければ酔狂でもない。
アレッシオは俺の親父から情報を受け取っている。だからこそ、俺がお宝の在りかを知っていると確信した。
けれど、確信しているのは其れだけだ。詰まりアレッシオ達はまだ、俺が“お宝を持っている事実を知らない”事になる。
当然だ。洞窟を出てから俺はまだ、誰にも『“闇の宝玉”を見付けた』――とは明言していない。
フールが人質に取られてはいるが、俺が宝玉を手に入れたのはついさっきだ。仮にフールを尋問したところで、俺が宝玉を見付けたかどうかは判らない。
要するに、アレッシオが最初に言った『渡して貰おう』という言葉は、俺がお宝を見付けた事を見抜いたからじゃない。
完全な“ブラフ”――“鎌かけ”だ!
(畜生ッ! この俺がこんな簡単に引っ掛かっちまうなんて!)
会話を長引かせ、相手の情報を引き出そうとしていたのは俺だけじゃない。
アレッシオ達も俺が本当に“闇の宝玉”を持っているのか、その真偽を会話から引き出そうとしていやがった。
だからこそ、こいつ等はまだ俺を殺そうとしない。もしお宝を見付ける前に俺を殺してしまえば、二度とお宝が手に入らなくなるからだ。
もっと早くこの事実に気付いていれば、ここまで追い詰められる事もなかっただろう……だが、それも所詮は後の祭。
「……」
俺は顔の動きを最小限に、アレッシオ達の顔を窺った。
フェイスガードのせいで全身鎧の顔は見えなかったが、こいつ等のリーダーであるアレッシオ、そして緑髪の男の顔を見て判った。
これもあくまで俺の勘だが、この二人はこれまでの俺の曖昧な態度から、俺の吐いた虚勢の殆どを看破している。
そして、この勘もたぶん当たっている。今更“持っていない”と本格的に白を切った処で、絶対にこいつ等には通用しないだろう。
昔から、あれだけ親父に『相手の裏を読め』と言われておきながら、逆に俺が裏を読まれてしまった訳だ。
(慣れない状況とは言え、情けねぇ……!)
俺は込み上がる悔しさに奥歯を噛み、何も握っていない拳を固める。
仕事柄、交渉ごとには少なからず自信があった。百戦錬磨という訳じゃないが、そこそこの勝率は上げてきた。
だが、それは最低限の安全が確保された状態で、相方を人質に取られておらず、こんな多額の取引でもなかった。
ここまで追い詰められた状態での交渉なんて、今まで一度も体験した事がない。その未熟さが、今回の結果を招いた。
未だ未熟で経験不足の俺が、一枚も二枚も上手の相手に挑んだ。その結果がこれだ。
「おーいレイド君。何だかまた黙っちゃったけど、これで納得してくれたかな?」
「クッ……!」
拙い、今度こそ進退窮まった。
無理矢理“ゴネ”て、これ以上会話を引き伸ばす事もできるだろう。だがその場合、間違いなくフールに危害が及ぶ。
相手に余裕がないのは事実だ。それでも、無駄に危険を冒す必要は無い。俺を殺すのは簡単でも、その際に俺が破れかぶれの反撃に出ないとも限らない。
なら、俺からの攻撃を警戒するより、人質という切り札を使った方が、ずっと安全に処理できる。
(……限界、だな……)
そして、こいつ等がその切り札をどう“有効利用”するのか……正直、余り良い予感はしない。
「……分かった。お宝を、渡す」
「おっ、本当かい!」
苦々しく言う俺に対し、緑髪の男が晴れやかな声を上げる。
「いやー良かったよー。正直、これ以上君の説得に無駄な時間は使いたくなかったからね。よかったよかったー」
そうして、緑髪の男はまたワザとらしく頷いた。
語る内容は現状の解決に浮かれ、安堵しているようにも聞こえるが、その裏側にあるモノは明白だ。
できる事ならその横っ面に拳の一発でもお見舞いして、軽薄なニヤケ面を歪めてやりたい処だが、今の俺にそんな真似ができる筈もない。
「ただし、渡すのは俺の相方を返して貰ってからだ。そうしたら、お宝を渡す」
「フン、良いだろう。今解放し――? 隊長?」
ルラールの少女が、フールの拘束を解こうとする。だがその直前、背後に立つアレッシオがその小さな肩を掴み、少女の行動を押し留めた。
「どうか、しましたか?」
「……宝玉が先だ」
アレッシオがそう発した瞬間、少女は意外そうな顔で背後のアレッシオを仰ぎ見る。
そんな少女の反応に多少の違和感は覚えたものの、今の俺には些細な問題にすぎない。
そんな事より――
(ンな訳いくかッ!)
「悪いが、俺が見付けたお宝だ、そいつをくれてやるってんだ、先にこっちの要求を呑むのが“筋”ってモンだろ」
「“筋”、か……」
すると、アレッシオは宿した眼光をそのままに、俺に向けた瞳を微かに細める。
「此方は貴様が指定した金額を提出した。“筋”の話をするのなら、次に貴様が宝玉を差し出すのが“筋”ではないか?」
「だ、だったらその金はいらねぇ、先にフールを解放しろ」
「ホウ、正当に交わされた取引を後になって反故にするか。それこそ“筋”が通らんな」
(こいつッ!)
「ッ! う、煩せえッ! 何が『正当に交わされた取引』だ。多勢に無勢の上、人質まで取りやがって!」
「ならば、初めからこの取引に“筋”などない。そのようなモノに頼るのは、自身が愚かであると認めるようなものだ」
「くっ!!」
(ヤ、ヤッロォォ!!)
激情に首筋が熱くなる。更には、その熱が自分の頭髪にまで燃え移ったような気さえする。
だが、それこそ“道理”だ。会話が成立しているように見えて、俺とこいつ等の間に通る“筋”なんて実際は一つもない。
(どうする……)
俺は別に、お宝を渡すのを渋っている訳じゃない。ただ、フールを解放して貰いたいだけだ。
近くにいれば、身を挺して護ってやる事もできる。上手くいけばこの暗い森に、アイツだけでも逃がす事ができるかもしれない。
だがこのままだと最悪、お宝を渡した瞬間に人質としての価値を失い、その瞬間に殺される可能性がある。かといってこの押し問答を続ければ、それだけでフールの危険が増してしまう。
ならこいつ等の言う“口約束”を信用して、僅かな可能性に賭けるべきなのかもしれない。
どちらにせよ、今の俺に選択肢は……ない。
「…………わかった」
俺はそう言って渋々と、無念未練その他諸々、不平不満満載の顔で頷いた。
「だが金はいらねぇ! その代わり、『無傷で解放』って約束は守ってもらうからな!」
「よかろう」
幾らそう声を荒げた処で、アレッシオの耳には負け犬の遠吠えと大差なかっただろう。
アレッシオは俺とは違い余裕の――いや、初め見た時から変わらない厳つい表情のまま、俺の要求に堂々と頷いて見せた。
そして俺は、その真偽に関わらず、この発言を鵜呑みにしなければならない。
(すまねぇフール……)
今の俺には、相方の安全すら確保してやる事ができない。こんな時、俺の親父ならどうするか……。
(ンなもん、“相手の裏を読む”に決まってる)
だが俺は、今まさにその“読み合い”に負けたばかりだ。相手から情報を得ようとして、逆に情報を引き出されてしまった。
そして今の俺には、もう情報を得るだけの時間はない。仮に時間が残されていても、今以上の墓穴を掘る可能性の方が高いだろう。
(クソッ! やっぱ俺じゃあ、親父みたいにいかねぇのか!)
“闇の宝玉”は、腰の鞄に入ってる。
取り出そうと腰の裏に手をまわすと、それに反応したルラールの少女が僅かに身構えた。
大方、俺が武器でも取り出すと思って警戒したんだろう。『考え過ぎ』――とは言い切れない。
もし、もしこいつ等がフールに傷の一つでも付けたなら、その瞬間に腰のハムを抜き放ち、アレッシオの眉間目掛けて投げ付けてやる。
その場合、俺も無事じゃ済まないだろう。だが、俺の十八番には“逃げ足”の他に、“ナイフ投げ”なんてのもある。
何せあの“マスター”直伝だ、距離が離れていようと関係ない。例え殺されたって、絶対にただじゃ済まさない。必ず一矢報いてやる!
腹の内でそう決意した矢先、鞄に突っ込んだ右手の指先が、“闇の宝玉”を探り当てる。
それを握り、鞄の中から手を引き抜く際、同じ鞄の中にあった“ソレ”が、偶然手の甲を掠めた。
「ッッ――!!?」
その瞬間、ある考えが俺の思考に滑り込む。
それは髪の毛のようにか細く、手繰り寄せれば途中で切れてしまう位に脆弱だ。しかし――“手応え”があった。
細く脆弱で、今にも切れてしまいそうな思考の糸のその先に、今の俺が求めるモノがあるのだと、確信できるだけの“手応え”が確かにあった!
(“いける”……か?)
今の俺には、こいつ等相手に“読み合い”で勝つのは難しい。相手の方が俺より“裏を読む”のが上手いのは、これまでの遣り取りが証明している。
しかし……だからこそッ!
(いや――“イクしかねぇッ”!!)
レイド「掴んだぜ、一発逆転の糸口を」
フール「えい」(ブチ)
レイド「コラーー!」




