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まぁなんだ、これが俺の冒険譚だ。  作者: TSO
第一章 〈光の花〉と〈闇の宝玉〉
7/75

6

 ◇◇◇


 ズガッッシャーーーーーンッ


「あン?」


(何だ?)


 今、遠くの方で何か大きな物音がしたような……。


(まぁ良い。今はコッチが優先だ)


 俺は他の何者にも構わず、泥棒鳥の追跡のみに意識を集中させる。


 相変わらず悠々と滑空を続けている泥棒鳥は、特に羽ばたいて加速しようとする様子はない。

 上空で吹く強風を正面から受けた時などは、一時的とはいえその場で静止したりもしている。


 “スタートダッシュ”と“屋根走り”なんて言う無理矢理なショートカットが功をそうしたのだろう。俺と泥棒鳥との距離は当初に比べ、着実に縮まってきている。


 だが――


「くっそ! このままじゃらちが明かねー!」


 幾ら目標との距離が縮まろうと、相手は翼で空を飛ぶ鳥であり、こちらは足で地を走る人間だ。

 近付けたとしてもせいぜい相手の真下が限界で、それ以上の接近は物理的に難しい。

 このまま現状を維持しているだけでは、アイツを捕まえる事は不可能だろう。


(さて、どうしたもんだか)


 しかし、相手がいかに大きな羽を持っていようとも、延々空を飛び続ける事など出来る筈がない。

 いつかは必ず下へと降りてくるだろうが、流石にそれまでずっとヤツを追い回すのは現実的な案ではない。


(ヤツに追い付くより先にコッチの体力が底を突いちまう)


 なので、都合よく相手が降りて来る事に期待できない以上、俺の方からヤツに近付く必要が在る。

 現在の俺とヤツとの距離は五メートル弱。飛んだり跳ねたりした程度じゃあ、到底届くような距離じゃない。


「ハァ、ハァ、ヤロー! さっきからのん気に飛びやがって!」


(不味い。流石に息が切れてきた)


 もういっそ何か投げつけて撃墜してやろうかとも思ったが……いや、止めておこう。


 いま俺の手元に在るのは、腰に差してある短剣が一本だけだ。

 これを投げた処で当たるとも限らないし、もし外せば相手は警戒して一気に距離を離しにかかるだろう。そう成ったら、もうアイツに追い付ける自信は無い。


 それに出来る事なら、この短剣は無くしたくはない。

 値打ちが在るかどうか正確な処は判らないが、コイツは俺の数少ない財産であり、何よりあの親父が俺に残した物だ。

 投げた後に見知らぬ誰かに拾われ、そのままそいつの懐に仕舞われる位なら、いっそ俺が売り払って金に換えてしまった方が良い。


「ハァ、ハァ、――を?」


 すると、今まで空を真っ直ぐに進んでいた泥棒鳥が、大きく弧を描き左側に軌道を変更した。


「向こうか。おぉっとと!?」


 俺もその後を追って進路を変えようとしたのだが、周りを見渡すと飛び移れそうな屋根が一つも無い。危うく屋根の端から落ちそうになった。


「くそ!」


 この辺りはもう町の中心から離れている。人通も少なく自走輪も走っていないので、さっきみたいに踏み台に使う事もできない。

 まぁ人通りが少なければ、屋根の上より舗装された通路の方が走り易いのは事実だ。ここは素直に下に降りる事にしよう。


 下を見ると……何かの露店だろうか? 良い感じに張られた布のひさしが通路脇に幾つも並んで設置されている。


「ヨッと!」


 屋根の上から、その庇の一つに飛び降りる。


 ボスンッ


「キャッ!?」


 ゴロゴロ、スタンッ


 見事落下の衝撃を吸収してくれた庇の上を転がり、俺は無事地面の上に着地。破れたりしないで助かった。

 横を見ると、その露店の主であろう若い女性が、イキナリ上から降ってきた俺に驚き口に手を当てたまま固まっている。


「すんません! 今ちょっと急いで……て……」


 そこまで言って、今度は俺の方が固まった。


 どうやらその露店では果物を販売していたらしく、真っ赤に熟した大振りのリンゴが、それはそれは美味そうな光沢を放ちながら並べられている。

 恐らくは食後のデザートか、午後のオヤツ時を狙っての販売なのだろう。少し意識を向けるだけで漂ってくるリンゴ特有の甘くて爽やかな香りが――


 グゥゥ~~……


 盛大に俺の胃袋を刺激した。


「ぐはァッ!!」


 予想外の衝撃にガクリと膝を折る俺。


「え? ……ち、ちょっとキミ……大丈夫?」


 女店主の気遣いが胃に染みる。


 ここまで必死に考えないようにしてきたが、もういいかげん空腹の度合いが限界だ。

 本当なら今すぐここで林檎の一つでも買って齧り着きたい処だが、残念なことに現状持ち合わせが一切無い。在るとすれば、ただいま絶賛逃亡中のあの泥棒鳥の腹の中だ。


「ねぇキミ――」

「うおおー!! 畜生ォォーー!!」

「キャ!?」


 美味そうな林檎の誘惑を断腸の想いで振り払い、俺は自分の脚に更なる気合を入れて走り出す。


(あんの鳥ヤロォ! この俺にこんな精神的苦痛を味合わせやがってー!)


 自分でも八つ当たりの様な気がしないでもない……が、ンなもん知ったことか!

 あの鳥が俺達のお宝を奪ったのは事実だし、こうして飯も食わずにいらん運動を強いられているのも全てアイツが原因だ! 掛ける慈悲など持ち合わせん!!


「絶対に許さん! ゼッタイニダ!!」


 ドドドドドドド――


 しかし幾ら気合を入れようと、精神的にも肉体的にもそろそろ本気で限界だ。

 どうにか早目にこの追い駆けっこに決着をつけねば、空腹と言う名の燃料切れで俺の身体は動かなく成る。

 そうなれば俺の敗北は必至。現状打開の為にも、早急に何か策を講じなければならない。


(とは言へ、ヤツに追いつけない事にはどうしようも――)


「うん? アレは……」


 町中を流れる川沿いの通路を走りながら、泥棒鳥が飛んで行くその先へと視線を向ける。

 するとそこには一件の教会と、周りの建物より一際高い一本の“鐘楼”が聳え立っているのが見て取れた。


(アレだッ!!)


「ヌゥンオオオオオオ!!」


(好機到来! 恐らくこれが最後のチャンス!)


 俺は今日一番の力を振り絞り、自身の身体を最大限加速させる。


「悪いッ! コレ借りてくぞ!」

「は? エちょッ!? おいレイド!!」


 その途中で傍の壁に立て掛けられてあった梯子を拝借。

 なにやら背後で抗議の声が聞こえるが、そんなもの今は全力で無視する! こんな所でもたもたしてたら間に合わん!


「はいはい! ゴメンよゴメンよー!!」

「うわっ!?」

「ちょっと!」


 借りた梯子を縦向きのまま持ち運び、道行く歩行者の間を抜けて、俺は前方の教会へと向け疾走する。


「ウオリャッ!!」


 ガンッ


 そして、そのまま教会の手前で梯子の先端を地面へと一気に振り下ろすと、突き立てた先端を支点に走ってきた勢いのままに思い切り跳躍。

 勢いに乗った状態で梯子にしがみ付き、教会の壁に梯子を立て掛けると同時に、一瞬にして教会の屋根手前にまで自身の体を押し上げると言う荒技をやってのける。


 直ぐさま屋根の上に飛び乗り、立て掛けた梯子を屋根の上に引き上げる。


(いける! これなら間に合う!!)


 梯子を引き上げながら上空を見上げると、あの泥棒鳥は未だ鐘楼に向け真っ直ぐ飛び続けている。

 もしかすると、鐘楼の頂上で羽休めでもする積りなのかもしれない。もしそうなら俺にとっては好都合。


 梯子を回収した俺はそのまま鐘楼にまで走り寄ると、今度は其処に梯子を設置。


(……よし、高さ的には問題ない)


 これだけの高さがあれば、鐘楼の頂上にまで登る事が出来る。

 後はタイミングの問題だ。俺は上空を飛ぶ泥棒鳥から目を離さず、その時が来るのをジッと待ち――


(……………今だッ!!)


「ヌオオオオオ!!」


 泥棒鳥の進行速度と現在地を確認しつつ、タイミングを見計らって一気に梯子をよじ登った。


 ダカダカダカダカダカ


 そうして、俺は遂にヤツと同じ位置、同じ高さに到達した。


「? グワワァッ!?」


 バサバサバサッ


 のんびりと空の遊覧を楽しんでいたであろう泥棒鳥の目の前に、突如、本来では在り得ない高さ、在り得ない場所に出現する俺。

 そんな俺の姿を目撃した泥棒鳥は大きな羽を激しくバタつかせ、慌てて進路の変更を試みるのだが……ここまで来たらもう遅い!!


「逃がすかぁああああ!!」


 あと僅かにまで迫った鳥との距離を、俺は最後の跳躍でもって埋めにかかる。

 狭い鐘楼の屋根で可能な限り助走をし、爪先まで使って屋根を蹴り付け、半身を捻って必死に伸ばした俺の右腕が――


 ガシィッ


 遂に、泥棒鳥の首根っこを掴み上げた。


「ようやく捕まえたぞこのヤロォ!!」

「グワーーーーッ!!」


 ……え? 鐘楼の屋根から飛び出しちゃ不味いんじゃないかって? ご安心を――


 ここから先の事態も、ちゃんと考慮した上での行動である。俺だって、常に行き当たりばったりで行動している訳ではない。

 ただまぁ正直な話、本日これで“二度目”なので、余り気乗りがしなかったのは事実だ……。


「グワァ! グワワッ! グワワーーッ!!」

「テメェお宝返しやがイタッ! 痛いッ! 突っつくなコラァ!!」


 そうして、空中で無様なもつれ合いに突入した俺達は――


 ザッパーーーン


 下を流れる“川の中”に、二人仲良く落っこちたのであった……。




 ◇


 真新しい建造物が多く立ち並ぶ〈メルトス〉の町並み。

 だがその西端の一角に、他とは違い少々古びた印象の建物の集まる地区が存在する。


 “古びた”とは言っても、放置された廃墟が並んでいたり、他と比べて治安が悪かったりするような、そんなスラムな雰囲気の場所ではない。

 どちらかと言えばその逆。例えるなら、軒下で人と猫が一緒に居眠りをしていそうな……。休日の道端で、日がな一日ゲーム盤と睨めっこができそうな……。


 “古き良き”――そんな、ゆったりとした時間の流れる場所である。


 そんな騒がしい中心部とは打って変わり、落ち着いた雰囲気の漂う場所に建つ木造二階建の集合住宅アパート

 その二階の一室に、俺達二人は暮らしていた。


 ――ガチャ


「あ、おかえり~って、うわぁ……」

「……おう」


 俺が家の扉を開けると、奥の方から出てきたフールの奴に出迎えられた。

 今は家の中なので、いつも頭の上に乗せているデカくて丸い帽子は被っていない。


(……と言うかコイツ、家以外じゃ滅多に外さないよな、あの帽子)


 小さく形の整った頭の上で、透き通るような水色の髪がサラリと揺れ、より明かりを取り込めるように成った紫の瞳が、純真な光を湛え俺の事を見詰めていた。


(ホント、見た目は可愛いよなコイツ……“残念”な事に)


「えっと~……また落っこちたの? 川に」

「ああ、また落ちた。川に」


 顔の前に垂れ下がる黒髪の先端から、丸い雫がポタリポタリと落ちている。


「ほれ」

「あ、本当に捕まえたんだ。相変わらずレイドは凄いね~」

「俺を褒めても何も出んが、コイツの腹開ければ例のコインくらいなら出てくるぞ」

「ういうい~、今夜は御馳走だね~」


 川に落ちた際に首の骨でも折ったのか、それとも首を強く握ったせいで窒息でもしたのか……。


 俺が差し出したあの泥棒鳥の亡骸を受け取ったフールが、ほくほく顔でそれを台所の方へと持っていく。

 全く予期しない事態だったが、偶然にも貴重なタンパク源を入手することに成功した。ここから先は、フールに任せておけば問題ない。


「ちょっと待っててね、今タオル持って来る~」

「ああ、頼む。ハ……ブァッックショーーイ!!」

「おお~大変だ~、レイドが風邪ひく~」

「ンアアー、いいから早くしてくれ……」


 フールがタオルを取りに行っている間に上着を脱ぎ、玄関前で絞って水気を切っておく。


「うい、タオルと着替え」

「ん、サンキュ」


 差し出されたタオルで軽く体を拭いてから着替えを受け取ると、代わりに絞った上着をフールに渡して、俺はそのまま自分の部屋へと直行する。


「つっかれたわぁ……少し休む。なんかあったら呼べよ」

「ういうい~」


 そうして自分の部屋の扉を開けると、同時に新鮮な風が体の周りを通り抜けて行く。

 一週間ほど帰っていなかったのでもっと空気が篭っていると思ったが、どうやら先に帰っていたフールが部屋の窓を開けておいてくれたらしい……相変わらず気がきいている。


 腰の短剣を机の上に置き、体から残りの水分を拭き取る。

 そのまま渡された部屋着に着替えると、俺は前のめりにベットの上へ倒れ込んだ。


 ボフン


「あ゛~~……」


(本気で……ツカレタ……)


 ベットの上に倒れ込んだ瞬間、自分でも驚くくらいの脱力感に襲われる。こんなに疲れたのは久しぶりだ。

 腹の方は未だに強烈な自己主張を繰り返しているが、今は兎にも角にも体を休めたい……と、そういえば――


(ああ……コイントスの結果……結局、判らずじまい……だな……)


 正直、今は生活に余裕のある状況とは言い難い。

 本当ならこうしている間にも、この先の予定について考えなければ成らないのだが――


(ダメだ……もうアタマ、はたら、かん……)


 結局、俺は自分に覆い被さる脱力感に抗うことができず、その日はそのままアッサリと意識を手放してしまった。




 ◆◆◆


 やがて太陽は地平線の向こう側へと沈み、反対の空からは夜の帳が顔を覗かせる。


 夕と夜の境を告げる濃い紫色の空を合図に、町に連立する建物の窓や外灯がポツリポツリと人口の明りを灯し始める。

 空に瞬く星の数は膨大なれど、人々が集まり暮らす町の明りはそれ以上に鮮烈だ。

 急速な発展の最中であるこの町には、昼には昼の活気が、夜には夜の賑わいが良くも悪くも満ちみちている。


 陽光の有無でしか、昼と夜との区別が着かない“発掘”と“繁栄”の町――〈メルトス〉。


 だが、どんなに発展しようとも、どんなに華やかに彩られようとも、昼には“昼の顔”が、夜には“夜の顔”が現れるのが、人の創った町と言うものの“さが”であろう。


 “発展”や“活気”を求めておきながら、一方で人は、今まで培ってきた“安定”と“静寂”を手放そうとはしない。

 コインの表と裏に画かれた肖像が互いに向き合うことがないと解っていながらも、人は背反するそのどちらか片方を、切り捨てようとはしないのだ……。


 そして、このメルトスの町の一角に、そんな“夜の顔”に最も相応しい様相を呈している地区が在る。


 そこでの喧騒は遠く、星空を貫くような輝きも無ければ、暗く静かな夜を過ごす住人の営みは、町の中心部のように熱気で夜風を温めることも無い。

 メルトス西端――この町で人口の光ではなく、夜空に輝く金と銀の双子月の恩恵を最も受けるその場所に、レイドとフールが居を構えている建物が在る。


 コンコン、コンコン、ガチャ


「レイド~、ご飯できたよ~」


 数回のノックをした後、フールは部屋の主に声を掛けながら扉を開いた。


「……レイド~?」


 再度呼び掛けるも、部屋の主からの返事は無い。

 既に日の落ちた部屋の中は薄暗く、開かれた扉の隙間から光が射し込むと、内側からは少し冷えた夜の風が、フールの水色の髪を緩やかに揺らし背後へと抜けて行く。


「ソ~~っとぉ……」


 足音を立てないよう部屋の中に入ると、フールは直ぐにベットの上でうつ伏せに成っているレイドの姿を発見した。

 愛用の枕に顔を埋め、体をピンと伸ばした姿勢で眠りについている。恐らくは着替えてベットに倒れ込んだ際、そのまま力尽きて寝入ってしまったのだろう。


「……しょうがないよね~、レイドここの処ずっと頑張ってたし」


 そう感想を漏らすフール自身にも、ここ一週間に及ぶ発掘作業での疲れが無い訳ではない。

 だが、その作業内容は主にレイドの支援が目的であり、肝心の発掘その物は全て彼が一任している。


 更に、今日はいつもの発掘作業に加へ、大量の剪定蟹からの逃走や、冷たい川での水泳、黄金の瞳での受付嬢とのやり取りに、発掘品を飲み込んだ鳥の追跡等々。

 これでもかと言う数の突発的なハプニングに見舞われたのである。


 精神的にも肉体的にも、どちらの方が疲弊の色が濃いかなど、押して知るべしと言うものであろう。


「うんしょ、っと」


 ゴロン


「ンガ~~……」


 うつ伏せのままでは息苦しかろうと、フールはレイドを転がし仰向けの状態に変えてやる。結果、彼の体はベットの脇にまで移動してしまった。

 彼の体が冷えないよう部屋の窓を閉め、彼の体にタオルを被せた後、フールはベットの横から寄り添うようにその寝顔を覗き込む。


「クカ~~……」

「エヘヘ~、可愛い~の~」


 隣の部屋から差し込む明かりが、レイドの寝顔を照らし出す。

 暫しの間、その横顔を指先で突つきながら、フールは今日一番の娯楽のひとときを堪能した。

 レイドが何の心配も警戒もせず、無防備かつ平和そうな寝顔を晒しているこの時こそが、ある意味フールにとって最も安心し寛げる時間でもあった。


「ふわぁ~~……うゆ……眠い」


 だが、そんな娯楽のひとときも、そう長くは続かない。


「もう寝よう……。冷めちゃうけど、晩ご飯は明日の朝ご飯でも良いよね……」


 先ほど記したように、フール自身もこの一週間で決して疲労していない訳ではない。

 小さな口から大きな欠伸が出てくると、眠たそうに紫色の瞳を瞬かせ、直ぐにその瞳を開け続けることが困難に成った。


「お休みなさい」


 最後に、少しだけ寝癖の付いたレイドの黒髪をすくように撫でると、フールは彼にそう一言声を掛け、ソッと部屋から出て行った。


 パタン


 ――こうして、長かった彼等の一日は、今日も無事に終わりを迎える。


 次に彼等が目を覚ました時には、騒々しくも慌しい、けれど決して飽きる事の無い何時もの日常が、再びその幕を上げる事と成るだろう。


 だからこそ、今は静かに目を閉じる。

 意識を失ったその無意識に、遠くで響く町の喧騒と、近くの草むらで鳴く虫の囁きを聞きながら、暗い部屋のベットの中でその身に英気を蓄える。


 また明日、何時もの日常を切り抜けるために。

 また明日、何時もの日常を乗り越えるために。

 また明日、何時もの日常を迎えるために。


 彼等は深い眠りの縁へと落ちて行く……だが――


 彼等はまだ気が付いてはいない。

 この時すでに、いつもの日常ではなく、“冒険”と言う名の扉が開きかけている事実に、彼等はまだ気が付いてはいなかった。


 窓際の縁に置かれた一振りの短剣。

 その鞘に施された装飾の一部が僅かに、ほんの僅かに“欠けている”事実を知らせるかの様に――


 双子月の静かな光が、短剣の上へと降り注いでいた……。

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