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「では、此方で待ち下さい。当家の主を呼んでまいります」
「はい」
恐らく客間であろう豪華な一室に俺を案内し、これまた高級そうなお茶と茶菓子を別のメイドさんに用意させると、セイゼルさんは恭しく頭を下げて客室から出て行った。
メイドさんと二人部屋に残された俺は、下ろした腰が沈みそうになるソファーに座り、出されたお茶を飲みながら目的の人物が到着するのを待つ事にした。
「あ、美味いですね。コレ」
お茶を飲んだ瞬間、柑橘系の爽やかな香りがスッと鼻腔を通り抜けていく。
渋みも少なくて好みの味だが、この手のお茶は今迄飲んだことがない。何処か、外国から輸入したお茶だろうか?
「有難う御座います」
俺の浅い感想に下げられたメイドさんの頭には、平たく垂れた二枚の耳が乗っている。
此処からは見えないが、きっと腰にはフサフサの尻尾が生えているだろう。
犬型の獣人――確か〈ポロガ〉とか言う名前の種族だった筈だ。
「〈アウティリア公国〉産の“キュリカの葉”です」
「へぇ……」
メイドさんの説明を聞きつつ、客間の中を見渡してみる。
全体的にシックなデザインで、客をもてなすには少し落ち着き過ぎている印象を受ける。
だが、奥の壁中央に飾られている巨大な船の模型が、そんな印象を一瞬で払拭する存在感を放っていた。
その模型は遠目に見ても見事な作りで、思わず近づいてジロジロ眺めたくなる衝動に駆られる。
「ね~ね~」
「ん?」
「おなまえは~?」
――少し訂正。
メイドさんと“二人”で部屋に残されたと思ったが、どうやら“オマケ”が一匹付いて来たらしい。
「なまえ?……ああ俺の名前か。兄ちゃんはレイド・ソナーズって言うんだ」
「とうさまのおしりあい~?」
いつの間に俺たちと客間に入ってきたのか、アリストは俺の隣に腰を下ろすと、床に届かない足をプラプラさせながら尋ねてきた。何やら興味を持たれた様子。
その仕草に妙な親近感を感じたが、子供の相手が苦手な俺としては少し困った状況だ。ここは兎に角、当たり障りのない会話で切り抜けよう。
「俺が知り合いというよりは、俺の親父かな」
「おやじ~?」
「ああ。つまり君のお父さんと俺のお父さんが、とても仲の良い友だちなんだよ」
「ふ~ん」
「分ったかな?」
「わかんな~い」
「そ、そうか……」
えらくキッパリと断言されてしまった。説明の仕方が悪かっただろうか?
「ありーおかしたべた~い」
「ぅえ?」
出た、子供特有のまるで舵がぶっ壊れたかのような会話の方向転換。コレがあるから子供の相手は苦手なのだ。
「えっと、コレ食うか?」
「たべる~」
茶菓子に出されたクッキーをすすめてやると、アリストは美味そうにそれをポリポリと食い始める。
「プゥ……ありー、かあさまのとこいってくる~」
「あ、ああ、いってらしゃい……」
数枚食べて満足したのか、アリストはそう言い残してトテトテと部屋から出て行ってしまった。
扉を開けて出て行くアリストを、犬耳のメイドさんが頭を下げて見送る。
(……なんという自由人)
あの子の将来の大物っぷりが目に浮かぶようだ……。
そのまま暫く茶を啜り、そろそろカップの底が見え始めようとした頃、漸く目的の人物が客間に姿を現した。
「やあレイド君! 久方ぶりだねー!」
扉を開けて入ってきたのは、体格が俺より小柄な人物だった。
三年前は調度俺と同じぐらいの身長だったのだが、今では俺が見下ろす形になっている。
俺はその人物が来たことを確認すると、直ぐに立ち上がって頭を下げた。
「お久し振りです。レビストさん」
「うんうん、中々元気そうじゃないか。しかもこんなに大きくなって、安心したよ」
「レビストさんも、お変わりないようで」
「まぁね、矢張り何事も身体が資本さ。さ、掛けなさい」
「はい」
促されてまたソファーに座ると、レビストさんも俺の前の椅子に腰を下ろした。
「待たせて悪かった。何分仕事が山済みなものでね」
「いえそんな。突然押しかけたのは俺の方ですから」
「君は本当に礼儀がなってるね。お父上とはえらい違いだよ」
「いや、“アレ”と比べられましても……」
「ああ、まぁ確かに。彼が敬語を使ったところなんて、女王陛下以外じゃ僕も見たことがないよ」
レビストさんは懐かしそうに笑っているが、俺の方は気まずくて仕方がない。
(あのバカ親父め……)
「何か、すみません……」
「いやいや、君が謝ることじゃないさ」
身なりが良く、一介の探索者である俺とは縁遠い暮らしをしているにも関わらず、それでも気さくに話し掛けてくれるこの人物――名前は〈レビスト・サーリー〉
先程まで居たアリストの実の父親であり、この国〈レムンレクマ王国〉最大の交易会社である〈ワタリガラス商会〉の社長でもある。
そして過去、あのゴルドの爺さんやマスターと同じく、俺の親父と一緒にチームを組んで大陸中の遺跡を回った、メンバーの一人でもある人物だ。
しかも、そんな肩書きを持っているにも関わらず、彼の年齢は三十一とまだまだ若い。
ゴルドの爺さんはもとより、俺の親父よりも年下なのだ。
「ところで、今日は一人かね?」
「え? ええ、そうですけど」
「そうか……」
(何だ?)
レビストさんの反応が、さっきのセイゼルさんと重なって見える。
「因みに、この街には一人で来たのかね?」
「いえ、一応俺の相方も一緒ですけど」
「成る程……」
「あの、俺の相方が何か?」
「い、いや、何でもないんだ、気にしないでくれ」
「はぁ……」
偶然だろうか、今朝から似たような台詞を何度も聞くのだが……。
「それで、今日はどうしたんだい。わざわざ僕の所にまで来るなんて、何か困り事かい?」
「ええ、少し込み入った話になるんですけど、お時間よろしいですか?」
「ろちろん。君のお父上には大分世話になったからね、僕に出来ることなら手を貸そう」
本来は挨拶程度の積もりで来たのだが、こうして目的の人物に出会えたのだ、ついでに色々と訪ねても良いだろう。
「実は、コレなんですけど」
俺は腰からハムの奴を取り出すと、それをそのまま机の上に置いた。
「この短剣は……」
レビストさんが置かれたハムに手を伸ばすが、別に持ってもらっても構わない。
ハムの奴には事前に、俺以外の奴とは話すなと念を押してある。その言い付けを守らなければどうなるか、アイツは既にその身をもって知っている。
「お父上の短剣だね。どこでこれを?」
「家の中を整理していたら出てきました。そうしたら、あるメッセージも一緒に見付けて、この街に来る事にしたんです」
そうして俺は、レビストさんにここに来るまでの一連の事情を説明した。と言っても、その内容はゴルドの爺さんにしたものとそう変らない。
ただ、〈三遺の十二宝〉や〈闇の宝玉〉、〈光の花〉についての情報は伏せておいた。
まだそれ等が本当に有ると決まった訳でもなく、レビストさんは今では遺跡発掘から足を洗った人物だ。
下手なことを話して、今回の騒動に巻き込む訳にはいかない。
「……成る程。お父上が君に残したものか」
一通り見終えたレビストさんからハムを返してもらい、それをまた腰の後ろへと戻す。
「彼らしい。大方、君に宛てた試練といったところだろうね」
「やっぱり、レビストさんもそう思いますか?」
「まぁ彼のことを知っている人間ならね。でもそうか、アレッシオまで直接動いているとなれば……」
説明ではお宝の内容には触れなかったが、アレッシオの名前を出しただけでレビストさんもある程度は事情を察したらしい。
流石はこの国一番の商売人。ゴルドの爺さん程ではないにしろ、随分と勘と鼻の効く人のようだ。
「……少し待っていなさい」
そう言って、レビストさんは客間から出て行ってしまった。
それから暫く、犬耳のメイドさんが新しく入れてくれたお茶を飲みつつ、茶菓子のクッキーを摘みながら待っていると、やがてレビストさんは紐で纏められた一冊の紙の束と、筒状に丸められた地図を二枚持って戻ってきた。
「これを君に上げよう。僕からの餞別だ」
「コレは?」
「例の“伝言”の意味は判らないけど、この〈トルビオ〉の近くで“大昔”の建造物といえば、此処から北に二日程かけて進んだ森の中にある〈アマス大鐘楼跡地〉しかないからね。これは僕が自前の調査隊で行なった、そこの調査報告書と周辺地図さ」
「えっ! い、良いんですか!?」
「構わないよ。一応予備も取ってあるしね。もっとも、参考に成るとは限らないけど」
「いえ、そんなことないです! 助かります!」
これは思わぬ収穫だ。
少しでも情報が得られれば良い――程度の考えでこの人に事情を説明したのだが、まさかこんな物を貰えるとは夢にも思っていなかった。
束にされている報告書の内容は細かく、丸められた地図も随分と正確に描き込まれている。
他にも利用する人間が居るかどうかは兎も角として、今の俺には十分すぎるほど価値のある代物だ。
「僕もこれで元発掘者だからね。この手の情報は成る丈集めるようにしているんだよ」
本人は大した事のないように言っているが、現役の発掘者でもこれほどの物を用意することは難しい。
それも話によると、その〈アマス大鐘楼跡地〉とやらは既に随分と荒れ果てており、現在は何もない廃墟となっている筈だ。
遺跡としての価値も低く、寄り付く人間など滅多に居ない。
更に遺跡の調査には、所有者である国が管理を任せている〈黄金の瞳〉に、事前に許可を得る必要がある。
それ程の手間を掛け、何もないに等しい場所を、発掘者ではない一個人が自前の調査隊まで使って調べ上げるというのは、“元発掘者だから”なんて簡単な理由で片付けられる事柄じゃない。
本当なら、今すぐにでもこの報告書に詳しく目を通したいところだが、流石にこの場では自重しておく。
「本当に何と言えば良いか。何か俺からも礼を――」
「なぁに気にする事はない。君のお父上には散々世話になったからね。今の僕があるのは、彼のお陰と言って何らおかしくはない。彼自身は余り人の助けを必要としない人間だけれど、その息子である君に助力できるのは、僕にとっては願ったりなのさ」
「しかし、これだけの物を貰って何も返せないと言うのは……」
幾ら俺の親父に恩が有ると言っても、所詮それは親父の作った恩だ。
レビストさんの言い分も解らなくはないが、親父の残した恩恵を俺が受け取るというのは、どうにも釈然としない。
全部とは言わないまでも、何か少しでも返せるモノがあれば良いのだが……。
「成る程。自分の受けた恩は自分で返さないと気が済まないか。見た目は違うが、矢張り君らは親子だね。良く似ているよ」
「そ、そうですか……?」
あの親父に似ていると言われるのは少し複雑だが、言っている事があながち間違いでもないので正面からは否定し辛い。
「うーん……そうだ。それなら船の感想を聞かせて貰えないかな?」
少し迷った様子を見せた後、レビストさんがそう提案してきた。
「“船の感想”ですか?」
「ほら、君たちがこの街まで来るのに使った船のことさ」
「ああ。そう言えばあの船って、確かレビストさんの――」
そこで思い至った。
俺たちが〈トルビオ〉まで来るのに使った船の名前は〈スレイブ・セプス・サーリー号〉。そしてレビストさんの名前は〈レビスト・サーリー〉。
どちらにも“サーリー”の名前が付いている事から分る通り、あの帆船の持ち主は目の前に居るこの人だ。
海上で大量の潮風を孕んでいたあの大きな帆にも、〈ワタリガラス商会〉の商紋がデカデカと描かれていのを思い出す。
「そうなんだよ。アレの設計には僕も関わっていてね。試行錯誤の結果、どうにか完成にまで漕ぎ着けたんだ。なので、今は試験的な航海を重ねて記録を取っている最中でね。ぜひ実際に乗った人の意見を聞きたいんだよ」
「えっと、協力したいのは山々なんですが……」
俺は今回の船旅の最中、自分が船酔いで完全にダウンしていた事実を包み隠さずレビストさんに伝えた。
情けない話だが、ここで俺が強がりなど言って誤魔化したところで、この人の期待には応えられないだろう。
「アハハッ! そうか船酔いか。そいつは災難だったね」
「コッチとしては笑い事じゃなかったんですよ……」
話を聞いたレビストさんは愉快そうに笑うが、直接の被害に苦しんだ俺としては、思い出しただけでも胃の辺りがムカムカする。
取り合えずお茶を飲んで落ち着こう。
「おっと失敬。いやぁ、僕は今迄そういったものに余り縁がなくてね。他の人の話を聞いてもいまいちピンと来ないんだよ」
「……本気で羨ましい限りです」
フールの奴と言いレビストさんと言い、何故俺の周りにはこの手の苦しみを共有できる相手が居ないのか……孤独だ。
「でもそうか、成る程。うん、君の意見もちゃんと参考にさせて貰うよ」
「参考に成りますか? 今の」
「勿論さ。正直、こういった物の感想は好評より批評の方が助かる事の方が多いんだよ。しかも最近は立場上、皆中々本音を話してはくれなくてね」
「そう言うものですか?」
「そう言うものさ」
レビストさんは大げさに肩をすくめて見せる。その動きが何処となくコミカルで、俺の頬も自然と緩む。
「レイド君は、僕が何故あの船を造ったと思う?」
「え、それはぁ……」
すると、レビストさんが俺にそんな質問をしてきた。
突然のことに少し困惑したが、交易会社の社長が新しい貨物船を造る理由なんて、主に一つしか無いんじゃないのか?
「事業の拓大じゃないんですか?」
「勿論それもある。だがね、僕が考えている本当の目的は、自分が造った船でこの〈オウノコロウ大陸〉を一周する事なんだよ」
「“大陸一周”ですか!?」
そう語るレビストさんの瞳は、先程よりイキイキと耀いて見える。だが、その気持ちは俺にも何となく解った。
この〈オウノコロウ大陸〉を船で一周した人間は、未だかつて一人もいない。もしそれが出来た暁には、歴史に残る大偉業だ。
「だが、単純に“大陸一周”とは言っても、その為には様々な障害を乗り越えなければならない。特に大陸西部の“万年潮流”、東部の“無限砂丘”、北部の“永久氷海”は、避けては通れない三大難関だ。だが――」
レビストさんが部屋の奥の壁へと視線を移すと、そこにはあの巨大な船の模型がある。
さっきは判らなかったが、注意して見てみるとそれが〈スレイブ・セプス・サーリー号〉の模型である事に気が付いた。
「このサーリー号に搭載した“動力機関”が予定通りの働きをしてくれれば、その大半の問題が解決する。それだけじゃない、近い将来この“動力機関”が一般化すれば、大陸各地での海路による交流がますます盛んになる。陸路だけでは限界のあった様々な事柄が、海路によって可能になるんだ」
確かに、もしそれが実現すれば、大陸各地への移動はこれまでよりずっと楽になる。
皆が今より頻繁に大陸中を行き来し、これまで難しかった国同士の直の交流が可能になれば、それぞれの地域社会の発展にも大いに役立つだろう。
大陸に暮らす人々の世界は更に広がり、遠い国との交流はもっと身近なものになる。
(ま、良い事ばっかりでもないとは思うが……)
詰まるところ、この人にとっての新型船の開発とは、趣味と実益の両方を兼ねたものらしい。
「実現すると良いですね」
「ああ。その時は、僕の家族も連れて行こうと思っているんだが……君もどうだろう?」
「え、俺もですか?」
それは意外な申し出だ。
「勿論、君だけとは言わない。君の友人や仲間、何ならゴルドさん――は、流石に無理として、ソーヤさん辺りを誘っても良い。何十人もと言われてしまうと困るが、五~六人位なら許容範囲だよ」
「えっと……お気持ちは、嬉しいんですけど……」
「ん? あぁそうか。船酔いか」
「すみません」
「いや、僕の方こそすまない。少し熱くなってしまった。いけないね、好きな事になるとどうにも夢中になってしまって」
レビストさんは一旦心を落ち着けるようにお茶を飲んだ。
「い、いえ、ひょっとしたらその頃には、俺も船酔いを克服しているかもしれませんし」
(全く自信は無いが……)
「そうだね。なら、その頃になったら招待状を送ろう。もしも船酔いが克服できていたら、その時は是非参加してくれ」
「はい、その時は是非」
――などと、軽々しく約束してしまったものの、つい先刻の宿屋では“もう船旅はしない”と改めて決意したばかりである。
まだだいぶ先の話に成るだろうが、正直あの苦しみは何年掛けても克服できる気がしない。
いや、数日乗っていれば慣れるのは実証されているのだが、その後の反動である陸酔いがまた辛すぎる。
下手をすると、逆に船から下りれなく成る可能性があるので、それを考えると矢張り船旅はしたくはない。
だが反面、大陸一周というロマン溢れる偉業に関わりたいという欲求も、俺の中には確かに存在する。
もう船酔いも陸酔いも勘弁だが、大陸一周という響きには、どうしても心が惹かれるモノがあるのだ。




