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以上を纏めると――レイドの父親が残したと言う伝言の中には、〈三遺の十二宝〉に関わる単語は一つとして存在しておらず、伝言そのモノの内容も、あの短剣が“古代遺物”であるとの証言も、今からでは確認の取りようがない。
アレッシオの部隊に関しても、彼等が隠密部隊として行動している以上、その存在自体の証明が難しい。
現段階でハッキリしている事は、昨日の晩にレイド達が謎の集団に襲われたと言う事実のみなのだが、それを調査するのは〈黄金の瞳〉ではなく、町の治安を守る〈治安維持隊〉の役割である。
だが、アレッシオと通じている彼等〈治安維持隊〉が、今回の一件にそう深く関与してくるとは思えない。寧ろ、アレッシオや〈三遺の十二宝〉に関わる情報が発覚した場合、率先して握り潰す可能性の方が高いだろう。
つまり、ゴルドとそしてアレッシオの両名は、昨晩起こった〈三遺の十二宝〉に関わる一切を、全て無かった事にする腹積もりなのだ。
「……事と次第によっては、本部からの追及は免れませんよ」
「ホッホッホ。まぁその時はその時じゃて」
「まったく……」
もう幾度目かも分からない嘆息を漏らし、ミリーヤは首を横に振る。
「解りました。今回の報告書は、その様に作成しておきます」
「ウム。宜しく頼む」
「それでは」
そうして、一度ゴルドに頭を下げ、ミリーヤはその場から立ち去ろうと踵を返す――だが身体を横に向けた処で、彼女は思い出した様にその動きを止めた。
「……一つお伺いしても宜しいですか?」
「ん? 何じゃ」
再びゴルドと向かい合って尋ねる。
「そもそも何故、“彼”はこの様な真似を? レイド君に伝言を残すだけならまだ分かります。ですが、それと同時に一国の師団長にまで情報を流すなんて……これではまるで、レイド君を追い詰めている様にも思えます」
「フム……」
少しだけ考える素振りを見せると、ゴルドはゆっくりと椅子から立ち上がり、背後の窓際にまで近付く。
窓の前で立ち止まり、窓硝子を閉じたまま暫く外を眺めると、老人はミリーヤに背を向けたまま、まるで独り言を言う様に口を開いた。
「……彼奴はな……後悔しておったのよ」
「後悔……?」
「随分と甘やかしてしまった――とも言っとったなぁ」
その唐突な語り出しに若干戸惑うも、ミリーヤは黙ってゴルドの言葉に耳を傾ける。
「レイドの父親はな、“発掘者”としては優秀じゃ。天才的と言って良い……じゃが、“父親”としては少々その思考は斜めに傾いでおってのぅ。躾けるにしろ甘やかすにしろ、必ず何処かで“ズレ”が生じておったんじゃよ」
「“ズレ”――ですか」
老人の口からフゥと息を吐く音が聞こえたが、背後に立つ彼女にはその表情を窺い知る事は出来ない。
「まだレイドが幼い頃。彼奴等の近くにワシは居らんでなぁ。あんな奴じゃが、レイドの傍にソーヤが居てくれたのは、正直救いじゃった。暫く後に事情を聞かされ、母親が居らんのもあって、ワシ等や孤児院にレイドを預ける話も出たんじゃがのう……彼奴は自分が育てると言って聞かんかったんじゃよ」
レイドの父親に関する話は、今迄に様々な方面から色々と耳にしてきたミリーヤだが、ゴルドが今語っている話の内容は、そんな彼女でも初めて聞く類のモノであった。
「……レイド君は、孤児だったのですか?」
「まぁ似た様なモンじゃ。本人の子供でない事は、誰の目にも明らかじゃったからな」
その言葉の意味は、彼女にも直ぐに理解できた――“黒瞳黒髪”
同じ特徴を持った人物がもう一人この町の酒場に勤めているものの、そちらは女性であり、その二人以外では大陸でも他に類を見ない珍しい容姿の持ち主である。
父親である“彼”の容姿とは余りに掛け離れており、そしてそれはレイドが“彼”やゴルドと同じく、己の父親と同じ血を分け合ってはいない事実を物語っていた。
「それもあってかのう。彼奴は余り、レイドを町の外へ連れ出そうとはせんかった」
この町〈メルトス〉は、大陸西端の辺境に在りながら大陸各地から多くの種族が集まっている。
髪や瞳、肌の色に関わらず様々な姿形の者達が入り乱れるこの町では、如何にレイドの容姿が他の者と比べ異質であっても、それ程奇異の視線を向けられる事はない。
「じゃからと言って、別に箱入りにしておった訳でもない。実際、初めてレイドをつれ遺跡へ潜ったのは、まだレイドが二歳の時じゃったらしいからのう」
「に、二歳ですか? それはまた……」
「無論、直ぐにソーヤが止めたわい。せめて十に成るまでは待てとは言ったんじゃが、結局はレイドが六つに成る頃には、一緒に遺跡に潜っておったからのう」
おかしな話である。息子の為を想い他の町には連れて行かなかったと言うのに、より危険の伴なう遺跡内部には何の躊躇もなく連れて行ったのだ。
本末転倒も良い処。これならば、老人の言った“ズレ”という言葉の意味も、何とも成しに理解できる。
レイドの父もこの老人も、祖親子揃ってとんでもないと思うと同時に、レイドに対し改めて同情の念を禁じえないミリーヤであった。
「それが彼奴なりの“甘やかし”と“躾“――つまりは“教育”じゃったんじゃよ。しかも残念な事に、天才である父親とは違い、レイド自身は才能と呼べるモノを持ってはおらんかった……悲惨じゃぞ。天才に育てられた凡人と言うモノはな」
「……」
ミリーヤには既に言葉がなく、今はもう軽い頭痛すら覚える始末。
当時僅か二歳の児童を、命の危険が伴なう遺跡内に平然と連れ込む行為の一体どこが“教育”なのか。
「その弊害じゃろうな……のう、ミリーヤよ」
「は、はい」
「レイドの奴が町から出るのを避けておったコトは、お前さんも気が付いておったじゃろう……何故じゃと思う?」
不意に話を振られ若干戸惑うも、彼女は気を取り直して答えた。
「単純に、この町から出て行く必要がなかったからではないかと。レイド君の実力なら、この町でも十分暮らして行けるでしょうし」
「いや。そうではないんじゃ」
ゴルドは小さく頭を振った。
「レイドはな、単純に“自信”がないんじゃよ。この町以外でやって行く自信がな」
「え……?」
だがその答えは、彼女には少々腑に落ちないモノだった。
「ですがソレは――」
「意外じゃろう? だが事実じゃ」
立っているのが疲れたのか、そこでゴルドは再び椅子に腰を下す。
背凭れに上体を預け、いつの間にかすっかり蒼く染まった朝の空を見上げると、そのまま老人は疲れた様に息を吐き出した。
「言ったじゃろう――“天才に育てられた凡人は悲惨”じゃと。レイドの奴が正にソレじゃ。最初から、目標にすべき手本のレベルが高すぎたんじゃよ」
追い付き、いずれは追い越すべき筈の“親”という壁の頂上が、初めから雲を貫いた遥か高みに位置している様なモノである。
その結果、レイドは物心が付く頃には、己に対する自信を完全に喪失してしまっていた。
父親に対する反抗心も、この頃を境に芽生え始めたのだという。
「そこで漸く彼奴も、己の教育方針が間違っている事に気が付いてのう……彼奴自信は決してレイドを嫌っていたり、厳しく接した積もりはなかったんじゃよ。寧ろ、その逆じゃった」
「……ああ」
そこまでの話を聞き、ミリーヤにもおぼろげながら彼等の事情が理解できた。
つまりレイドの父親は、彼に対し“構い過ぎた”のである。
子供を守る為の方法も、育てる為の方法も、自身の傍に置いておく事が最良と判断したからこそ。
彼の暮らすこの世界は、決して生き易いモノではない。成らば、その様な世界で生き残ってきた己と同じ道を、まだ幼い頃からレイドに辿らせておけば、この先より生き易く成るだろうという単純にして明快な――そして、己の息子を想ったが故にもたらされた思考であった。
「“天才故の苦悩”――と言った処でしょうか」
「そうじゃな。あの手の人種は、頭ではなく“感覚的”に物事を処理する傾向が強い。じゃからそういった輩は、“相手の立場に立つ”事が中々できんのじゃよ……」
彼の選択は、“親”としてある意味正しい選択といえた。
自身の生涯を通じて積み上げて来たモノを、より良い状態で自らの子供に引き継がせ、之から先を生き抜く為の糧にさせる。
それは自然界において、子を持つ全ての“親”として、ある意味正しい認識である。
だからこそレイドの父親は、レイドに自身が最も得意とする“遺跡発掘”についての技術を、徹底的に叩き込もうとしたのである――引き継ぐべき当の本人が、ソレを望む望まぬに関わらず。
だが、先程ゴルドが“ズレている”と発言した様に、彼は同時に間違えてもいた。
獣が子供に獲物の狩り方を教える様に、鳥が雛に空の飛び方を教える様に、人間にも人間の子供に適した教え方と言うモノがある。
だが彼は、その“教え方”を致命的に間違えていた。“教える”事にばかり気を取られ、“教わる”側への配慮を怠ったのだ。
「まったく。仕様のない奴じゃよ」
そこで老人は、もう一度深く息を吐き出すと――
「ワシがあれ程口を酸っぱくして“相手の裏を読め”と教えたというに……何で自分の息子相手にソレが出来んのかのぅ」
自身の目頭を押さえながら、そう似合わぬ愚痴を零すのだった。
「それが原因じゃろうな。以後レイドは必要以上に町の外へは出なく成った。周辺に在る遺跡と、この〈メルトス〉の間だけを行き来する様になったんじゃ」
「そのような経緯があったのですか……」
確かに、過去その様な事があれば、レイドが自分の父親に対し反感を抱くのも頷ける。
寧ろ、彼が未だに発掘者を続けている事の方が、ミリーヤには余ほど不思議に思えた。
その様な目に合ったのなら、いっそ遺跡発掘など止め、二度と関わり合いに成りたくないと思うのが普通ではないだろうか。
「ひょっとして、四年前に彼が行方を眩ませたのは?」
「ソレだけが理由ではないじゃろうが、恐らく自分がレイドの傍に居ては良くないと判断したんじゃろうな。それ以来、ワシにも奴の居所は掴めておらん」
それは即ち、教育の方法が間違っていた事を悟り、自分の息子を一人残して、父親としての役割を放棄したと言う事だろうか。
「……それはまた、随分と勝手な話ですね」
途端、ミリーヤの眉間にムッと皺が寄り、発した台詞に角が立つ。
「じゃが別に、レイドの父親はその責任を放棄した訳ではない――その証拠が、あの“短剣”と例の“手紙”じゃよ」
そう言うとゴルドは椅子を回し、再び不機嫌な顔をしたミリーヤと向かい合う。
「……どう言う意味ですか?」
「レイドが自分に自信をなくして以来、彼奴なりに色々と画策してのう。なんとかレイドに自信を取り戻させ、自分の意思で町を出られる様にしようと四苦八苦しておったんじゃよ」
「はぁ……」
「少々不謹慎じゃったが、中々に愉快じゃったぞ。天才と呼ばれた男が、息子の為に一人唸りながら悩む姿は」
先程までの様子とは打って変わり、老人は楽しそうに呵々と笑った。
「じゃが困った事に、レイドの奴には追い詰められるギリギリまで本気を出さん悪い癖が在ってのう。それならいっそと、“徹底的に追い込んでみる”事にしたんじゃそうな」
「……………エ?」
その言葉の意味を理解する為に、ミリーヤはたっぷり十秒以上の時間を要した。
「ちょっ、ちょっと待って下さい。じゃ、じゃあ何ですか?」
声が震えている事は自分にも分かったが、彼女にはどうしてもソレを訊ねずにはいられなかった。
「レイド君に“古代遺物”を預けた事も、〈三遺の十二宝〉に関わる情報を与えた事も、その情報を元に一国の師団長をこの町へ呼び寄せた事も――」
全ては――
「レイド君に、“自信を着けさせる為”……と、言う事ですか?」
「ウム。まず間違いなかろう」
質問が終わり、同時に老親が深く頷いたのを見た瞬間、ミリーヤの顔からドッと血の気が“落ちた”。
“引いた”などと言う生易しいモノではない。正にバケツの底が突然抜けたかの様に、頭にある血の気が一気に胸の辺りまで落ちた位の衝撃があった。
「……………………ハッ!」
危うく立ったまま気を失い掛けた処で、慌てて顔を振り意識を取り戻す。だが直ぐに、そのまま気絶しておけば良かったと後悔した。
「……なんて、出鱈目……」
今度こそ本気で頭を抱えるミリーヤ。
「ま、じゃが結果はご覧の通りじゃ。レイドは自ら町を出る決心をし、その手助けしたワシ等にはなんら実害はない」
寧ろ、このままレイドが新たな遺跡を発見しようものなら、それはゴルド達〈黄金の瞳〉の――延いては、〈遺跡発掘世界機構〉を通した人類全体の益と成る。
ゴルド達にとって、不利益になるモノは何一つとして存在しないのだ。
「……あの子達は、大丈夫でしょうか」
一頻り頭を抱えた後、ミリーヤの口からそう不安げな台詞が零れる。
ゴルドの右腕として働く彼女もまた、レイドの持つ遺跡発掘の能力を高く評価していた。
普段無茶をする様に見えて、“発掘者”としての彼の成果は意外にも“堅い”。
危険を感じ取り引き際を嗅ぎ分ける“嗅覚”を、彼は先天的な才能ではなく、後天的な経験から確かに身に着けている。
その為、先程まではそれほど過度な心配はしていなかったのだが、目の前の老人から常識など遥か彼方へ置き忘れたかの様な話を聞くうちに、小さかった心配は徐々にその体積を増し、今ではもう彼女の両肩に重々しく圧し掛かるまでに膨れ上がっていた。
『レイドに自信を与える為』――とゴルドは言ったが、実際に彼等がやった事と言えば、教育を間違えた挙句子供がグレて引き篭もり、部屋から出す為にエサと狂犬を使って半強制的に部屋から追い出した様なモノである。
レイドを貶める心算など微塵も無かったとはいえ、結果的にその片棒を担いでしまったミリーヤとしては、彼に対する心苦しさで胸が一杯であった。
「さぁてのぉ。コレばかりは神様にでも聞かん限り分からんじゃろ」
「ですが、レイド君の実力なら……」
「どうじゃろうなあ。幾ら練習で良い結果を残そうと、本番でその実力を発揮できねば何も意味などないからのう」
「それは、確かに……」
確かに、ゴルドの言う事は尤もである。
幾ら事前の練習を重ね、準備に万全を尽くそうとも、予期せぬ状況や不測の自体と言ったものは、必ず本番の最中にこそ訪れる。
そして、それ等を見事に乗り越える事こそが、その人物の持つ真の実力であり、レイドの自信を取り戻す最大の胆でもあるのだ。
「練習ではなく、コレは本ば……ん??」
不意に、ミリーヤの表情が怪訝に歪む。
嫌な予感をこれ以上ない程に感じながら、彼女は自分でも止せば良いのにと思いつつ、目の前の老人に向けその疑問を投げ掛けてしまった。
「ちょっと待って下さい……それでは、彼が今迄やってきた事は」
「カッカッカッ!」
するとゴルドは、まるで悪戯が成功した子供のように突然笑い出すと、その笑顔を崩さぬまま彼女に対しこう答えた。
「じゃから、さっきから言っておったろう。“ズレ”ておったんじゃよ、レイドの父親はなあ。そんな親に育てられたんじゃ、その息子が“ズレ”ておらん道理が何処に在る?」
その時の老人の笑い声は、ここ最近で最も楽しげなモノであった。
「だからこそ、レイドには荒療治が必要だったんじゃよ。並の方法では、彼奴の自尊心を取り戻す事など到底できまいて」
そこで漸くミリーヤは、その“ズレ”が彼等だけではなく、己の認識にまで及んでいた事実に気が付いた。
〈黄金の瞳〉がこの町に正式に配置されてから現在、レイドが遺跡発掘で手にした報酬は、決して安いモノではない。
少なくとも、彼の父親が彼の前から姿を消した後より、自身と、自身の相方であるフールの二人を養えるだけの報酬を、この四年間を通してずっと稼ぎ続けてきたのである。
それは、時にだいの大人でも一瞬で命を落とす遺跡内において、齢十六の子供だからと軽視する事の出来ない十分な成果であった。
だがこの老人は、生活の為の資金を稼ぎ、ついこの前の発掘で死掛けたにも関わらず、レイドが今迄に行なってきたそれ等の遺跡発掘が、彼に取ってただの“練習”――本番の為の“訓練”にしかすぎないのだと言う。
「無論、レイド自身もそう思っておるじゃろうな。だからこそ、町の外へ出て行きたがらなかったんじゃよ。自分の家の“庭”なら安全じゃからのう」
「……」
その時のミリーヤの心境は、最早驚きや呆れ、怒りすらも飛び越えて、達観の域にまで達していた。
常に凛とした意志を宿す瞳の光は今や弱々しく、その視線の先は天井を突き抜けた遥か大空へと向けられている。
……もう、何も言うまい。
連日の仕事の多忙さに加え、昨晩の徹夜作業、そしてこれまでのゴルドとの会話に因って積み重なった彼女の心的疲労は、ここに来て遂にピークを迎えた。
視界が傾き、思考と意識が徐々に白く染まって行く。だが最早、先程と同じく首を横に振り、意識を持ち直そうとする気力は、もう彼女に残ってはいなかった。
「こりゃイカン。少し驚かせ過ぎたか? オイ、誰か居らんかー!?」
――しかし、そんな白い世界の片隅で、彼女は確信した。
“親”もその“子”もその“孫”も、この三人には血の繋がりなど一切ない筈なのに、矢張りトコトン“親子”なのだと、彼女はそう強く確信しながら、白く深い眠りの底へと落ちて行くのであった。
その後ミリーヤが起きるまで、お爺ちゃんは頑張って彼女の分までお仕事をしました。ま、自業自得と言う事で。
ゴルト「ね、眠い……」




