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怪しまれずにレイドを町の外へと出す以上、その動向を見張っている“唄草”の存在を、レイド自身と彼に関わる者達に気付かれる訳にはいかない。そうなれば当然、見張る“場所”の確保が重要に成る。
遠過ぎず近過ぎず、此方からは見張り易く、相手からは見付け辛い――そういった場所を確保しなければならない。
だが、昨日この町へとやって来たばかりで、土地勘などないに等しいアレッシオ達にそれは難しい。
故に長年この町に勤め、町の地理に詳しいダルクが、彼等に東の出入口付近を見張るのに都合の良い場所――ある建物の一室を提案したのである。
無論ダルクは、この情報を外部に漏らす様な愚かな真似はしていない。信頼の置ける一部の隊員のみで共有し、情報の漏洩を徹底して防いでいた。
あのゴルド相手でも暫くは気付かれない――その様な場所を、彼は自信を持ってアレッシオに提供したつもりだったのだ。
「真に申し訳ありません。全ては此方の慢心が招いた事態。この処罰は如何様にも」
だが、結局その潜伏場所は相手側に露見し、“唄草”の命を危険に晒す事と成った。
ダルクは椅子から立ち上がると、その額が机に付くギリギリまで頭を下げる。
「止せ。ダルク隊長。此方はあくまで協力を仰いだ側だ。その協力に感謝こそすれ、貴公が頭を下げる必要などない」
アレッシオが彼の下を尋ねたのは、既に日が落ちた後の事だ。
何の告知もない突然の訪問にも関わらず、アレッシオ達の事情を汲み取ったダルクは直ぐに彼等からの要求に応じ、信頼の置ける一部の部下と共に例の場所を確保したのだ。
その素早い手際は、間違いなく彼とその部下が優秀である事の証しである。
「で、ですが閣下――」
「その呼び方も止めろ」
ダルクがアレッシオの顔へ視線を戻すのと同時に、アレッシオの口調と目付きが若干鋭いモノへと変化する。
僅かな変化――だが、ソコから発される迫力は、彼の顔に刻まれた斜の傷痕も相まって、先程までの比ではない。
「今の私は貴公を処罰する事はおろか、その様に呼ばれる立場ですらない。此度の一件、失すれば逆賊は私の方だ。その時は、貴公が私を裁く事に成る。其れをしかと覚えておけ」
「――ッ、…………ハッ!」
一瞬。ダルクはその顔に苦々しい表情を作るも、直ぐに俯いてその表情を消し、今度は直立の姿勢でそう短く返事をした。
「そうですよダルクさん。別にアンタは悪くない。もしボクが地元民なら、やっぱり同じ場所を選んでましたよ」
相も変わらず軽い調子で声を掛ける“唄草”だが、その台詞は世辞でもなければ慰めでもない。
弓を扱う者としての立場から、提案された場所が“獲物”を狙うに最適な場所であると、彼自身の経験から判断したまでの事。
「それに。あー……こう言うと自分の不甲斐なさを棚に上げる様で嫌なんですけどね。今回は相手が悪い。ありゃ本物のバケモノでしたよ」
そう言って“唄草”は、参ったと言わんばかりに両肩を竦めて見せる。
いくら隠れて相手を狙おうと、此方から相手が見えている以上、逆に相手から此方が発見される可能性も零ではない。
仮に“唄草”がレイドの立場であり、自身が見張られていると分かっていれば、町の出入口から視線の通りを逆算し、見張っている者の潜伏している場所を特定する事も可能だろう。
ただ、今回彼の元に現れ手紙を渡した人物は、その逆算と把握までの時間が“異常”に短かったのである。
「ホゥ。貴様がソコまで言う相手か」
「ええ。音もない。気配もない。部屋に入ってきた事はおろか、喉元にナイフを突付けられるまでは、背後を取られた事にすら気が付きませんでしたよ」
「ッ――!」
それを聞いて息を呑んだのは、獣人である“耳付き”である。
彼女もまた、狩猟民族であるルラール族の一人。獲物を狩る為の気配の消し方は、生まれながらにその本能に染み着いている。
だが、アレッシオが今のチームを編成して以来、“耳付き”は未だ“唄草”の背後を取る事が出来ずにいた。
この男は顔に常に薄笑みを貼り付け、滅多な事ではその飄々とした態度を崩さないが、彼もまた“耳付き”と同じく、アレッシオに選ばれこの隊に招かれた一人である。見た目に反し、その実力に間違いはない。
だと言うのに、自分にすら出来なかったこの男の背後を取り、その首元にナイフを突き付けた実力者がこの町に――恐らく、ゴルドの配下として存在している。
それがどれだけ憂慮すべき事態なのかを、“耳付き”は直感的に理解する。
「いや~。久々に背筋が凍りましたよ」
「……おい貴様。ソイツについて何か解る事はないのか?」
顔を見る事は出来なかったらしいが、その人物について少しでも情報を得られないモノかと“耳付き”が訊ねた。
「手紙を旦那に届けるよう頼まれたけど、マスクでもしてたのか声はくぐもって聞き取り辛かったし……うん。サッパリ分からないかな」
「クッ……!」
悔やむ処か寧ろ晴々としたその表情に、いっそ拳の二~三発打ち込んでやりたい衝動に駆られるが、またアレッシオに止められる事は目に見えている。
その為“耳付き”は、この場は拳を握るだけに留めておいた。
「しかしアレッシオ殿。之から如何します?」
過ぎた事は仕方ないとばかりに、ドルクがアレッシオに今後の方針について訊ねる。
「この町に居る以上、奴の監視から逃れる事は出来ん。指示に従う以外あるまい」
「し、しかし隊長。それだけ間を空けられては、流石にあの男の追跡は困難かと。それに、ゴルド・マーベリックがこの手紙の内容を守るとも思えません。手紙に名を記さなかったのも、その際に備え白を切る心算かと」
「それはない」
“耳付き”のその進言を、アレッシオは即座に否定した。
「私にはこの手紙から奴の思惑が透けて見える……フン。奴め、我々とレイド・ソナーズを“競わせる”腹積もりの様だ」
「競わせる……ですか?」
「“五日”などと期限を設けたのが良い証拠よ。我々を本気で妨害したくば、“追うのを止めろ”とすれば良い」
「……確かに」
最も、仮に手紙にそう書かれていようものなら、アレッシオも手段を選ぶ必要などない。どの様な強引な手を使おうとも、レイドの確保と〈三遺の十二宝〉の奪取に全力を注ぐ。
彼にとって、この作戦は正に命懸け。その程度の障害で断念する気など毛頭ない。
この手紙は、それを考慮したゴルドから、アレッシオに対する期限の“提案”でもあった。
「それに、何も悪い話ばかりではない。寧ろこれで九分九厘の内、残り一厘の杞憂が埋った。私は確信したぞ」
「ゥん……?」
そう言うと、アレッシオはその硬く筋張った無骨な手を、今度は“耳付き”の肩ではなく、耳の生えた彼女の頭に乗せた。
「あのゴルドがこれ程の手段に出る以上、レイド・ソナーズが〈三遺の十二宝〉に関わる重要な情報を握っているのはまず間違いない。先程町を出た自走輪に乗っている件も含めてな」
歳に似合わぬ眼光に獰猛な野心の色を混ぜ、短く切り揃えた髭の下で、彼はその口角を吊り上げる。
「ソレを僅か五日のハンデで買う事が出来たのだ。安い買い物ではないか」
「は……はいっ!」
そう返事をし、アレッシオを見上げる“耳付き”の眼には、彼に対する尊敬と畏敬の念が込められている。
傍から見ればその様子は、信仰や服従と言った類のモノに見えたかもしれない。
「……余り、過信しすぎるな」
そこで、今迄黙していた“兜”が口を開く。
フェイスガード内側から、何処か重い響きを持って発されたその言葉に、室内に居る全員の視線が集まる。
「珍しいな“兜”。いつもは口を挟まない貴様が、隊長に何か意見でも在るのか?」
「そこまでのモノではない……ただ――」
「ただ、何だ」
「……」
昨晩。己の放った斬撃が寸での処で避けられた光景が脳裏を過ぎる。その放った二つのどちらもが、当たると確信した太刀筋であった。
「……あの男……一筋縄ではいかんかもしれん」
「フン。流石の貴様も、直前まで追い詰めて取り逃した失態が堪えたか? あんな小者臭い奴に、隊長が二度も遅れを取るモノか」
“耳付き”はまるで勝ち誇ったかの様にそう言うと、“兜”の漏らした杞憂を軽くあしらう。
「あれ? でもそれって、深追いした挙句に逃げられた人の台詞じゃないような」
「~~ッ!! 貴様はもう黙っていろこの役立たずめ!!」
だが、直後にそう指摘した“唄草”に、歯牙を剥き出しにした“耳付き”が指先を突付ける。
「あ~はいはい」
その剣幕に“唄草”は、やれやれとばかりに首を振って肩を竦める。
「“兜”」
自身に向けられた呼び掛けに誘われ、金属の防具に覆われた顔がアレッシオへと向けられた。鎧兜の僅かな動きに合わせ、首元からカチリと小さな金属音が鳴る。
「貴様の杞憂も理解できる……が、過信はせん」
「……」
「“あの男”の息子かどうかはさて置き、貴様等三人の追跡を見事振り切って見せたのだ。侮る処か寧ろ評価にすら値する……それに――」
アレッシオはそこで一旦言葉を区切ると――
「“レイド・ソナーズの行き先ならば、既に把握している”。五日程度の憂慮ならば、取り戻す事は十分に可能だろう」
瞼の裏に獲物を狙う鋭さを宿しながら、彼はそう断言した。
「……へぇ」
その発言に、両者のやり取りを眺めていた“唄草”が感嘆の声を漏す。
その声は誰に聞き咎められる事もなく、彼は薄笑みに細められた瞼を僅かに開き、アレッシオの表情を盗み見ている。
「……それならば良い」
暫しの間を開けそう返すと、“兜”はもうこれ以上話す事はないと言う様に、顔の向きを元へと戻してしまう。
「フン。初めから余計な心配などせず、貴様等は隊長の命に従っていれば――」
「しかし旦那。あと五日はこの町に滞在するとして、その間は具体的にどうするんです?」
“耳付き”の嘲笑じみた台詞を途中で遮り、“唄草”が今後の詳細について訊ねる。
直後に向けられるジロリとした視線にも、今は凡そ何処吹く風といった様子。
「流石にその間は休み――なんて事はないでしょう? あ、いや。そうだったら嬉しいんですけどね」
「無論だ。この五日の猶予を生かさん手はない。“唄草”。貴様はこの間にレイド・ソナーズとそれに関わる情報を一から洗い直せ」
「あ、ヤッパリですか」
「折角現地に来ているのだ、近隣住民にも話を聞き込んでおけ。無論費用は此方で持つ……迂闊に“掴まされるな”」
「了解です。“アレ”にはボクもまんまと嵌められましたからねぇ。同じ轍を踏むのは流石に避けたい」
「“耳付き”。“兜”」
「ハッ!」
「……」
「貴様等は腕は立つ――が、遺跡内の活動は未だ経験が浅い。よってコレより数日、貴様等は私と共に遺跡に潜ってもらう」
「ハイ! お供します!」
「了解した」
それぞれに役割が割り振られ、三者三様の反応が返される。
「ダルク隊長」
「何でしょう?」
「貴公には我々が遺跡に潜る手引きをしてもらいたい……頼めるか?」
「無論です。喜んでご協力します」
「――感謝する」
どちらからともなく差し出した掌を、両者は互いに力強く握り合う。
「しかし宜しいのですか。遺跡の内部に入れば、此方の行動がゴルドに筒抜けになる恐れがありますが」
「構わん。遺跡の内であろうと外であろうと、どの道この町に居ては奴の監視から逃れる事は出来ん。寧ろ此方が規則に沿って行動している限り、奴も直接我々に手を出してくる事はない」
「分かりました。では、此方も早速遺跡に潜る手配に取り掛かります」
すると彼は、フッと今迄纏っていた堅苦しさを崩し――
「ですが、準備が整うまでにはまだ暫くの時間が掛かります。部下に朝食を用意させておりますので、どうぞ召し上がって下さい」
そう言って、彼はアレッシオ達を食事へと誘う。
「ああ。ボクは結構ですので」
だが、案内しようとダルクが体の向きを変えると、“唄草”は軽く手を上げその誘いを断った。
「ボクは直ぐにでも仕事に取り掛かろうと思いますので、どうぞ皆さんは気にせず食べて下さい」
「……貴様。また一人で勝手な真似をするつもりではないだろうな?」
「やだなぁ“耳付き”。人が折角仕事に意欲を燃やしてるって言うのに。ボクの働きはこの“チーム”の為。ひいてはキミの大好きな“隊長”の為。そして――」
言いながら“唄草”は、今迄で一番ワザとらしく肩を竦ませて見せた。
「ひいてはこの“国全体”の為……だからボクも、こうして手を貸してるんじゃないか。相手を疑ってばかりじゃ、事態は全く好転しないよ」
その発言を聞きいた途端、“耳付き”の耳がピンと立ち、その蒼い瞳がスッと細められる。
同時に、彼女の纏う雰囲気に剣呑なモノが混ざり始める。
「………貴様……」
相手を怒鳴り付けるのではなく、ただボソリと呟かれたその台詞に、その場に居る全員の背筋に少なからずの悪寒が走る。
それは最早、顔を殴り付ける等と言った生易しいモノではない。今は手にしていないが、もしその手に愛用の槍が握られていれば、ソレを直ぐにでもこの男の喉笛に突き立てていたに違いない。
先程までのじゃれ合いとは明らかに質の違う、それ程に明確な殺意。
全身を覆う鎧の上からでさえ肌に直接伝わるその殺気に反応し、壁際に佇んでいた“兜”までもが僅かに身構える。
「構わん」
だが、その危うい雰囲気に割り込んだのは、またしても彼女の隣に立つアレッシオの言であった。
「だが“唄草”よ。そこまで言うのだ。其れなりの成果は期待させて貰うぞ」
「ええ。期待して貰って構いませんよ」
「それじゃあ」と片手を上げ、“唄草”はまるで何事もなかったかの様に部屋から出て行こうとする――が、その途中。アレッシオがその背中に声を掛けた。
「“余計な真似”はするなよ」
部屋から半身ほど出た所で“唄草”の足がピタリと止まる。そのまま首から上だけを動かし、肩越しにアレッシオの方を振り返る。
「……勿論ですよ。ボクみたいな人間は、雇い主様のご要望には逆らえませんので」
いつもの薄笑みを全く崩す事なくそう言うと、彼は部屋から出て行った。
「……」
「少し落ち着け。あの程度の挑発に乗るな」
「申し訳ありません……しかし、宜しいのですか」
内心に燻る憤りを理性で宥めつつ、“耳付き”は訊ねる。
「今朝の件もそうですが、“唄草”を一人にするのは余り賛成できません。此方の目の届かぬ所で一体何をしているか、知れたものではありませんから」
「確かに、奴が我々とは違った思惑を持っているのは確かだ。だが、今回の件に奴の協力が欠かせん事は、事前に伝えておいた筈だ」
「ですが……」
不安が拭えないのか、視線を落として俯いてしまう“耳付き”の頭に、またあの大きな手が乗せられる。
「奴が何を考えているかは解らん――が、向こうが此方を利用する様に、此方も向こうを利用してやれば良いだけの話。もし奴が裏切るとするなら、それはこの作戦の成否を決める局面に成るだろう。その時は、お前の力が必ず必要に成る」
その言葉に“耳付き”がゆっくりと視線を持ち上げると、それが自身を頭上から見下ろす視線と重なった。
まるで揺らぐ気配のない、大きな自信と力を宿した青い瞳。折れず、倒れず、まるで巌や大樹の様な意思を持った視線を受け、内心の不安が徐々に掻き消されて行くのが分かる。
「力を貸せ」
「……はい」
不器用ながらも率直なその要求に、彼女は力強く頷いた。
「そうか……では、朝食にするとしよう。ダルク隊長。案内を頼む」
「はい。では皆さん、こちらへ」
ダルクが気を取り直した様子で部屋から出ると、その後にアレッシオと“耳付き”が続く。
その三人の後を追う様に、最後に“兜”が部屋の出口へと近付くと、前方を歩いていた“耳付き”が唐突に歩みを止め、その場で背後の“兜”に振り向いた。
鎧ガチャリと音を発て、“兜”もまた“耳付き”の前で歩みを止める。
「アンタ。まさかココでの食事でも鎧脱がない気?」
「……そうだ」
「ふぅん……」
そう言って、“耳付き”は“兜”の姿を爪先から頭の上まで一通り眺めると――
「今更だけど……変だよ。アンタ」
それだけを言い残し、“耳付き”は先を歩くアレッシオ達の後を追い、石で出来た廊下を駆けて行った。
「…………えぇ…」




