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『ふむ……察するに、あのルラールの娘の事か。確か、シュルシャとか言ったかのう』
「……聞いていやがったのか」
『別に盗み聞きする積もりなんぞなかったぞ。文字通り手も足も出ん身じゃからな。耳を塞ぐ事も、此処から移動する事も出来ん』
「分かってるよ。聞かれて困る話でもなかったしな」
『その割には、だいぶ憤りを抱えておるようじゃな……成る程。そこでこの場での最年長者である我に、その内心の燻りを相談しようと声を掛けてきた訳か。うむ、中々に殊勝ではないか』
「……そういう訳じゃねぇよ」
ただ俺は、何となく寝ているフールをからかうよりも、話しの出来るコイツの相手をした方が気晴らしになると思っただけだ。別に、シュルシャとの会話で感じた違和感の正体を確かめたくて、コイツに声を掛けた訳じゃない。
『だがまぁ、当の本人も大分混乱していたようじゃが、あの娘の言っている事も分からんでもない』
「ホントか?」
――が、分からないモノをそのままと言うのも、それはそれで後味が悪い。
『まぁ、多少の私見も入るがな……聞くか?』
「ああ、聞かせてくれ」
なので、一瞬コイツに期待したんだが――
『“雛が巣立ち出来るかは、先ずは殻を割ってから”――と言った処かのう』
「あ?」
『お主の今の状況じゃよ』
そんな、訳の分からん事を言われた。
「……お前ら、どいつもこいつも結託して、俺を混乱させて楽しんでるんじゃなかろうな?」
『フッ。お主に一泡吹かせられるのなら、それはそれで悪い話ではないな』
無論、コイツに表情なんてないのだが、その面白そうな語り口から、人を見下すようなニヤけ面が簡単に想像できた……川の底にでも沈めたろか。
『……ま、その様な事、出来る筈もないがな』
「だから分かってるんだよンなこたぁ! 俺が聞きたいのは、お前らが一体俺に何を言いたいのかって事で――」
『黙れいっ!!』
「ッ!?」
まるで、脳を直接揺すぶるかの様な大音量の怒声。
ハムの突然の豹変に意表を突かれ、危うくまた足の上にコイツを落としそうになる。
「お前またっ――!」
『毛も生え揃わん、尻の痣も消えきらん童が! 人に問えば、それだけで答えが返って来ると思っておるのか!?』
「ナッ――!?」
『もし本当にそう思っておるなら愚の極みよ! 貴様、父親が消えたこの数年、一体何を学んできおった!!』
(コ、コイツ!!)
その台詞に、首の裏筋がカッと熱くなるの感じた。
さっきからの心中渦巻く想いも在り、それに後押しされるように勢い良くベットから立ち上がる。柄を握った腕に力が込もる。
「好き勝手な事言いやがって! お前に俺の何が解る!?」
『フン。忘れたか戯け。貴様の父親が貴様の前より消えて四年、後生大事に我の事を傍に置いておったのは貴様ではないか』
「ハッ! たかがその程度で知った気に成ってんのかよ! お目出てぇな!」
『更に言えばソレより以前、我が貴様の父親の持ち物で在った頃――それこそ、貴様が四つ足で這う事も出来ん頃から、我は貴様の事を見てきたのじゃ。貴様の事は、貴様以上によく知っておるわ』
「へぇ。じゃあ教えてくれよ。お前が俺の何を知ってんだ? 俺の好物の食い物か? お気に入りの服か? 出掛ける際、靴を履く左右の順序か? なぁ、教えてくれよ」
『……成る程。どうやらアヤツの影響は、我の予想以上に深刻らしい。之は最早、呪いの類じゃな』
「はぁ? 何言ってんだテメェは? まさか適当な事言って煙に巻こうってんじゃねぇだろうな。だったら生憎と――」
『さぞ心地良かろう、“父親の作った殻の中に篭っておるのは”』
「――ッ!?」
その台詞に、一体どんな意味が在るのかは解らない。だが、その台詞は俺の心の琴線を強引に掴み上げると、同時に俺の喉を締め付けるかの様に、俺の言葉と声を封じ込めに掛かる。
「……どう言う……意味、だよ……」
お陰で俺はその台詞を、搾り出す様にして喉から吐き出す羽目になった。
『フン。自覚はなくとも、図星を突かれれば言葉を濁すか。完全には腐り切っておらんようじゃな』
まるで、巨大な手に握られた様な圧迫感を胸に感じながら、それでも無理矢理に言葉を発する俺とは対象的に、ハムはそこから先もスラスラと言葉を並び立てる。
『どうもこうもない、そのままの意味じゃよ。鳥の雛は、自らを覆う殻を破ってこそ雛となる。じゃが、その殻が自力で破れんうちは、雛にすら成れん。それは只の卵じゃ』
「……」
『今のお主は、父親が用意した殻の中から出ようともせん。ならば、そんな貴様は雛ですらない。只の卵も同然よ』
「て、適当な事言うんじゃ――」
『事実、ここ数年のお主は、この町の外側へ出ようしたか? 出た処で、所詮は町の周囲に在る遺跡が良い処じゃ。そしてこの“領域”は、アヤツがお主を鍛え育てた環境であり、アヤツが作ったお主を囲う“殻”そのモノよ』
「……」
確かに俺は、物心ついた頃からずっと、この町で親父と一緒に暮らしてきた。何をやる時にも一緒で、その度に色々な事を半ば強制的に教わった――遺跡発掘もその一環だ。
紆余曲折あり、時には本気で親子の縁を切ろうと思った時期もあったが、そのお陰で親父が居なくなってからも、今迄旨い事生き抜いて来る事ができた。
だがそれは、ハムの言うようにこの町と、そしてその周囲にある遺跡のみに限定した話だ。
「い、良いじゃねぇか別に。それで生きて行けるなら」
そう、それで良い。俺は、特にデカい事を成そうなんて思っていない。そこそこの稼ぎで、そこそこの生活が送れればそれで良い。高望みなんてしちゃいない。
『フン。まだ自覚できんのか』
だがハムの奴は、その内心を見透かすかの様に、詰まらなさ気にそう吐き捨てる……一体、何が“自覚”できていないというのか。
『お主、自身のその発言に違和感を感じんのか? あのルラールの娘も、ソレをお主に伝えようとしておったのだぞ』
(シュルシャが?)
『まぁソレが解っておれば、ここまで強情に歪んだ認識は持ち合わせんか……お主、卵の中の雛は何故、殻を破ろうとするのか分かるか?』
「な、何だよ突然……ンなもん、意味なんてねぇだろ。生き物の本能ってヤツなんだから」
『そうじゃ。意味など無い――と言うより、雛は意味など考えん』
「……」
『あえて意味を求めると言うのであれば、お主が言う様に本能――“生きたい”“出たい”“自由に成りたい”。それは、生命の持ち得る当然の欲求じゃ』
その言葉は、混乱の最中に在る俺の頭でも、不思議と素直に理解する事ができた。“本能”とは“生命の欲求”そのモノで、其処に明確な意味なんてモノは存在しない。
『故に、お主にとって最も幸運で、かつ最も不幸な事は……その本能を封じられた事じゃろうな』
(俺の本能が……“封じられている”?)
『いや、殺されたと言っても良いかもしれん。それが、あの男に育てられた最大の弊害よ』
「親父に……?」
それは、果たしてどういう意味なのか。
俺の親父が、俺を殻に閉じ込めて、其処から出る為の本能を封じたとは、一体どういう事なのか。
『さて、少々喋り過ぎたな。此処から先は、自分で考えるが良い』
だがそこまで言うと、ハムの奴は唐突に話を打ち切ってしまう。
「エ!? ちょ、待てオイ! ココで止めるのかよ!?」
ここまで来て止めるとか、消化不良も良い処だ。
『言うたじゃろ、之でも喋り過ぎた位じゃ……安心せい。生きている限り、生物から本能を完全に消し去るなど出来ん。後はお主自身が、ソレに気付けば良いだけじゃ。その方法は、さっきのルラールの娘がお主に言っておったではないか』
「シュルシャの奴が……俺に?」
『いい加減、己を覆う“殻”に囚われ続けるのは止めい、レイド・ソナーズよ。お主の父親の残した“あの伝言”の意味、今のお主ならば解るじゃろう』
“あの伝言”――それは、さっきの爺さん達との話し合いでは、明かさなかった内容だ。
別に、何か意図があって黙っていた訳じゃない。完全に身内向けの内容だったから、伝える必要が無かっただけだ。
『……』
「おいハム?……オイッ!」
しかし、その後は俺が幾ら声を掛けても、ハムの奴がその呼び掛けに答える事はなかった。
「……何々だよ、どいつもこいつも」
ゴトリと音を発て、机の上に喋らなくなった短剣を少し乱暴に放り投げる。
だが不思議と、さっきまで内心に巣くっていた筈の正体不明のざわめきは、何故か随分と収まっていた。
別にハムにシュルシャ、それから爺さん達の言った台詞の意味が理解できた訳じゃない。自分の内に燻っていた何かを追い払えた訳でもなかったが、どう言う訳か今の俺の内心は、さっきまでと比べ随分と落ち着いていた。
少なくとも、“今直ぐにソレの答えが知りたい”――なんて焦りにも似た感情は、いつの間にか奇麗サッパリ何処かへ吹き飛んでしまった。
(……あれ?)
そこでふと気が付く。さっきまで見えなかった筈の短剣の装飾が、今ではハッキリと見て取る事が出来る。
一瞬何故かと思ったが、その原因は直ぐに判明した。窓から入り始めた薄明が、机の上に置かれた短剣を照らし出していたのだ。
どうやら、結局一睡も出来ないまま夜が明けてしまったらしい。
「よ、と……」
少し外の空気を吸おうと、壁際に行き窓を開ける。
この時季の俺の部屋なら、今の時間帯は静かでヒンヤリとした空気が室内に入り込んでくるんだが、町の中心部にあるこの建物の窓からは、明け方だというのに未だ盛況な人々の喧騒と、その熱気に中てられたかの様な少し温めの風が入ってくる。
「ハァーー」
朝の空気で肺を満たし、濁った空気を全て吐き出す。
ソレだけで、頭の中がスッキリした気になる。お陰で眠気は完全に吹き飛んてしまった。
地上四階から見る窓の先は、眼下に広がる町並みを越え、遠くの地平まで良く見る事ができる。東の空はまだ薄い紫に染まっているだけで、未だ太陽は顔を覗かせてはいない。
空に飛ばした視線を下ろすと、直ぐそこにはこの町の中央通が横たわっている。昼間と比べその人通りは少ないが、それでも多くの人が居る事に変わりはない――だが、恐らく今のこの時間帯が、人通りの少ないピークだろう。
もう暫くして太陽が顔を覗かせれば、朝市の為の準備にまた多くの人間がこの通りに出てくる。そして本格的に朝市が始まれば、ソレの買い付けにそれ以上の人数がこの通りにやってくる。そうすれば、この通りは瞬く間に人で溢れかえるだろう。
(ホント、忙しねぇ……)
ここ数年でこの町の様子も随分と様変わりした。まだ親父が居た頃は、中央通りでもこんなに人通りは多くはなかったし、背の高い建物といえば教会の鐘楼が良い処だった。
町の規模は年々広がっていき、遺跡発掘を行なう奴等も一気に増え、同時に商売敵の数も増えた。そんな連中の中には、ルール無用の無茶をやらかす馬鹿も居る。〈黄金の瞳〉のお陰で最近はそんな連中も減ったが、それでも仕事がやり辛くなった事に変わりはない。
「潮時……なのかねぇ」
今迄、決して口にはしてこなかったが、半ば無意識に口から零れたその台詞は、俺が前々から考えていたモノだった。
俺の親父が俺の前から姿を消してもう直ぐ四年。それから俺は、まだ親父と一緒に居た頃を基準に、この町の周囲に在る遺跡の発掘を続けてきた。
それは別に、あの親父の事を尊敬していたりだとか、憧れていたりとかじゃない。ただ単に、それまでアイツに教わってきたやり方が、遺跡発掘で食っていく上で一番確実だと思ったからだ。
実際、そのお陰で俺達は、今でもこうしてまともな生活が遅れている。まぁ数ヶ月に一度位は、この前みたいな極貧生活に喘ぐ事も在るが、未だ“宿無し”“文無し”“甲斐性無し”の三重苦に陥った事はない。
“宝探し”を主体にしている他の発掘者の中じゃ、俺達は随分と恵まれている方だ……だが、それがいけなかったんだろう。
今から一年程前――遺跡発掘でそこそこの成果を出し始めていた俺は、それまでとは少し違った大きめの儲け話に手を出した……要は、調子に乗っていた訳だ。
結果は散々なモノだった。自分を含め、他の奴の命も危険に晒した挙句、肝心の儲けはゼロ。しかもその際に、俺は俺自身が毛嫌いしている“ルール無用の無茶”までやらかしてしまった。間違いなく、俺の発掘人生の中で最大の汚点だ。
なもんで、当時は相当落ち込んだし、事の詳細はシュルシャの奴は愚かゴルドの爺さんにだって話してはいない。知っているのは〈黒羽〉のマスターと、その時の当事者だったフールとシノブさんの三人だけだ。
まぁ、その当事者である二人に『気にするな』と言われた事だけが、唯一の救いではあった。
その時に俺は悟った――人間、堅実が一番だと。
以来、自分の未熟さを痛感した俺は馬鹿な真似はせず、俺の出来る範囲でコツコツと遺跡発掘を続けてきた訳だが……ソレも、いい加減限界なのかも知れん。
(コッチが変わらなくても、周りが変わっちまうからな)
こうして町を見下ろすと尚更に思う。
この町は今以上にデカく成る。そして、同時に人口も増えて行くだろう。そうすれば当然商売敵の数も増える。
“怪物狩り”とは違い、“宝探し”は只でさえ競争が激しい。“遺跡怪物”は未だ遺跡の奥から湧き出てくるが、“お宝”は取り尽くしてしまえばソレまでだからだ。
この前の発掘の時の様に、新しい“階層”や“隠し部屋”が見付かればまた話は変わってくるが、ソレを誰かが見付けるのを悠長に待つ事なんぞ出来んし、自分で見付けるにしても、当然今以上の資金と時間と労力が掛かる。
とてもじゃないが、今のやり方を続けていては、まともに利益を上げる事は出来ない。それなら俺達も、やり方を変えていく必要が在るのかもしれん。
「ン……!」
町並みを眺めていた俺の目に、一際強烈な光が差し込む……日の出だ。
色素の薄かった地上の風景に、瞬く間に光と影の濃淡が刻まれていく。
この町に暮らす多くの種族や人種の様に、まるで下手なモザイク画の様に大量の色彩がひしめく町並みとは違い、その先――町並みを囲う外壁の向こう側には、春先から今まで順調に育った若麦の立ち並ぶ緑一色の大地が、太陽が顔を覗かせる地平線の先まで続いている。
朝露を纏ったその身を風に揺らし、陽光を反射して波打つその様は、大地から吸い上げた生命を溜め込んだ緑の海原そのモノだ。
「スゥゥーー……ハァァーーー……」
その光景を見ながら、俺はさっきより多くの空気を吸い、さっきより多くの空気を吐き出した。
日差しのせいか、一度目より若干の暖かさを感じる。
「“殻”……か」
そこで、ハムに言われた台詞を思い出す。
(『いい加減、己を覆う“殻”に囚われ続けるのは止めい』)
確かに、俺にとってこの町は居心地が良いし、今の生活も嫌いじゃない……いや、ハッキリ言って気に入ってる。
相棒との二人の生活も、遺跡発掘の際のドタバタも、付き合いの長いネコ娘との馬鹿話も、ハゲでマッチョで天使なオッサンの料理も、俺と同じ黒髪黒瞳の女性との拙い会話も、何処かのエロ爺との漫才も、朝早くに荷物持ちとして駆り出される朝市も、鳶職の連中が日々打ち鳴らす鎚の音も、様々な種族が入り混じった喧騒も、町の中心を堂々と流れる冷たい河も、町を囲う農場も牧場も果樹園も、長閑さも騒がしさも奇麗さも汚さも、数え上げたらキリがねぇ程に俺はこの町での生活を気に入ってる……だが――
(面白れぇ)
そんな生活が、遅かれ早かれ続けて行けないとするのなら――
「やってみるか」
自分から変えて行くのも、そう悪い話じゃないのかもしれん。




