28
夜中だというのに、相変わらずこの町の中央通は人で溢れ返っている。
「フール、ちょいソレかせ」
「うい?」
人混みに紛れて直ぐ、俺はフールの頭に乗っている帽子を取ると、ボールの様に丸いそれを両手でペシャリと圧し潰し、形を変えて自分の頭の上に乗せた。
そして、はぐれないようフールの手を取ると、俺達はそのまま人の流れに沿ってその場を後にした。
これだけ混雑してるなら大丈夫だとは思うが、フールのこの丸くて大きな帽子も、周りの人間とは違う俺のこの黒髪も、俺達を見付ける際には良い目印に成ってしまう。
もし、またあの短気な追跡者が屋根にでも登って、そこから俺達の姿でも発見されては厄介だ。変装――とまではいかないが、コレくらいの事はしておこう。
それでも見付かった場合は……ま、その時はその時だ。あの程度の奴なら、逃げ切る自信はまだまだ有る。
「レイドってさ~」
「あん?」
「イセキの時もだけど、逃げるのだけは上手いよね~」
「“だけ”は余計だ“だけ”は! 俺は逃げるの“も”上手いの!」
相変わらず微妙に一言多いなコイツは。
「やっぱりソレも、お父さんに教わったの?」
「いや、“逃げ方”を教わったってより、教わったのは“信条”だな。お前にいつも言ってるだろ」
「“相手のウラのヨミカキ”ってやつ?」
「まぁ合ってる……か?」
因みに――正しくは“相手の裏を読め”だ。
確かに相手の裏を“読んだり”裏を“かいたり”はするが、なんだかその言い方だと紙とペンが必要な気がする。
「なんにせよ、今回の場合なんかはその典型だな」
“追跡”と“逃走”――追う側は追われる側の、追われる側は追う側の立場になって考えるのが、今回の“相手の裏を読む”ための大前提だ。
逃げるにしろ追うにしろ、足が速いに越した事は無いが、ソレだけが事の成否を決定着けるモノじゃない。
障害物の何もない一対一の状況ならともかく、さっきまで俺達が“追い駆けっこ”を繰り広げていたのは、人と建造物とが複雑に入り組む“町中”だ。こう成ると、肝心なのはどれだけ速く走れるかではなく、的確な“ルート選択”と効率的な“移動手段”の確保が重要になる。
それを踏まえた上で、相手ならどのルートを通るのか。また、どんな移動手段を使ってくるのかを考へ、対処しなければならない。
単なる“追い駆けっこ”が、単純な“体力勝負”じゃなく、高度な“頭脳戦”に取って代わるのだ。
「へ~。良く分んないけど、すごいね」
「……」
……うん、ちゃんと感心してくれているのは分かるんだ。でもなフール君、もうチョットぐらい興味を持ってくれても良いんじゃないかな?
力説したぶん、えらく虚しくなるんだが。
(ま、コレも毎度の事だから、良いっちゃ良いんだけど……)
「でも、つまりアレだよね」
「あん?」
「怖い人たちに追っかけられても、レイドと一緒に居れば大丈夫ってコトだよね」
「……お前な、その時俺が居なかったどうするんだよ」
「え???」
いや、そんな“心底意外”――みたいな顔をされてもな。
「“え?”ってお前な、四六時中一緒に居られる訳ねぇだろ」
「う~ん……」
小さな顎に小さな手を当て、何故か本気で考え込む俺の相方。
何だかな。コイツの中では、常に俺と一緒に居るのが前提なんだろうか。
一人で買出しとか、一人で近所の爺さん婆さんの相手に出かけたりとか、今迄さんざんそういう機会は有っただろうに。
「……うん、それでも大丈夫」
「何がだよ」
しばらくすると、フールはそう勝手に納得して顔を上げる。
「だって、それでもしボクがピンチになっても、レイドが助けに来てくれるでしょ?」
「おまえ……」
「えへ~」
自分で言ったくせに、何故か若干照れくさそうな笑みを浮かべているフールを見て、俺は――
「うみゅ~~」
その片頬をムニーっと摘まんで引っ張ってやった。
「その俺任せの考え方やめんか」
「へいろいふぁい~」
「ったく」
「うい~~」
直ぐに開放してやる。
しっかし、相変わらずコイツのほっぺたは柔らかい。一度どこまで伸びるか試してみたいモノだ。
「う~ダメ」
まだ何も言ってないんだが。
「でもダメ~」
フールは引っ張られた頬を擦りながら、少しヘソを曲げた様子で俺から顔を背けてしまった。
やり過ぎたかとも思ったが、繋いでいる手は未だに離そうとはしない……つーか、だから考えを読むなって。
「…………」
「……ま、俺にできる範囲でなら助けてやドワッ!?」
「えへへ~」
ヘソ曲げから一変。突如満面の笑みを浮かべると、フールは繋いだ俺の腕に抱き着いて――いや、体ごと腕にしがみ付いて来やがった。
「ちょっ!? 歩き辛! 勘違いすんなよ! “俺にできる範囲”だからな! 無理だと思ったら即行で見捨てるからな俺は!」
「わかっと~わかっと~」
(ホントに分っとんのかコイツは!?)
「ったく……」
オカシイ。ついさっきまで、素性の知れない怪しく物騒な連中に追われていたにも関わらず、何だこの浮ついた雰囲気は……と、思ったが、コイツはいつもこんな感じか。
そこでふと、コイツと初めて出会った時の事を思い出した。
雨の路地。
ボロボロの服と体。
恐怖と怯えに染まった、あの暗い瞳。
(……ま、あの頃に比べりゃマシだわな)
「ホレ。いい加減に自分で歩け」
「ういう~い」
◇
それから暫くして、俺達は中央通りの混雑を抜け帰路に着いた。
「ほれ、返す」
「うい」
帽子はフールに返しておく。
潰れた帽子を受け取ると、帽子の中に勢い良く息を吹き込み、再び丸くなった帽子を丁寧に被り直した。
「……よし」
家に近付くにつれ喧騒は遠くに離れ、周囲も徐々に暗く成って行く。今じゃ辺りの家から漏れる少しの明りと、空に輝く双子の月が外灯代わりだ。
ここに来るまでに一通り周囲を警戒し、屋根の上にも気を配って来たんだが、例の四人組みの姿はどこにも見当たらなかった。
どうやら、今度こそ本当に撒いたらしい。明日以降はどうなるか分らないが、今日の処はもう追ってはこないだろう。
「しっかし、どーすっかなー」
「ん? 明日の朝ごはん?」
「違うわ! 俺が悩んでるのは今後の方針だ、今後の方針」
(――あれ? このやり取り、なんだか記憶にあるんだが)
アレは遺跡発掘が終わり、〈黄金の瞳〉から家に帰る途中……ま、それは良い。置いておこう。
「あの四人組のコトだよ。アイツ等、多分また来るぞ」
「どうするの?」
「どうするったってなぁー」
あんな、あからさまな強硬手段に出る奴等、正直いってもう会いたくない。
本当なら〈治安維持隊〉に連絡してしょっ引いて貰うのが一番なんだが……アイツ等はアイツ等で、余り関わりたくないんだよなぁ。
「うーん」
とは言へ、町中で弓を打ったり槍を振り回したりする様なイカれた連中だ。このまま放っておく訳にもいかない。
「……しかたねぇ、明日爺さんに相談するか」
「“じいさん”って、ゴルドおじ~ちゃん?」
「ああ」
脳裏にあの“エロ爺”の顔が思い浮かぶ。
性格は最悪だが、仕事はできる爺さんだ。面倒な厄介事は、面倒で厄介な爺さんの所に持って行くのが一番良かろう。
「でも、問題はその後なんだよなぁ」
「まだなんか有るの?」
「幾ら爺さんに相談したからって、それでハイ解決――って訳にはいかねぇだろ」
「うい」
「だから俺達も、暫くは安全な所にでも篭ってた方が良いんじゃないかと思ってな」
「お家とか?」
「いや、家の場所は多分直ぐバレる」
日頃から資金繰りに頭を悩ませてはいるが、俺だって遺跡発掘暦は長い。〈黄金の瞳〉が創られる以前から、親父に連れられてそこいらの遺跡に潜ってきたのだ。
なので、色々な意味で俺の名前は結構知られてる。同業者にでも話を聞けば、新参者でない限り、俺の家の場所には在る程度の見当が付くだろう。同時に、俺の相方であるフールの奴も含めてだ。
「じゃ~、マスターの所?」
「ソレは嫌だな。匿ってはくれるだろうが、絶対こき使われるに決まってる」
匿う代わりに無償労働――いや、無償じゃないかもしれないが、兎に角あそこでは働きたくない。
大体、今は別に金には困ってないのだ。何故に働く必要がある。
「別の友だちとか?」
「それも考えたんだけどな、他の奴等は余り厄介事に巻き込みたくないだよなぁ。だから俺としちゃ、また当分遺跡にでも篭ろうかなと思ったんだが……どーすっかなー」
手元に金の有る今なら、遺跡発掘用の装備一式を揃える事ができる。
それでまた数日ほど遺跡にでも篭っていれば、その間に爺さんがあの四人組を何とかしてくれるだろう。
少々他力本願のきらいは有るが、蛇の道はヘビだ。唯の発掘者である俺がどうこうするよりも、素直に丸投げしてしまった方が良いだろう……ま、あの連中の目的が何だったのかは、少し気になる処ではあるが。
「……よし決めた! フール、明日爺さんに事情を説明した後、遺跡に潜る準備するぞ」
「お~、お仕事~」
「ああ。発掘用装備の買出しと食料も――って、食い物は今朝買ったか。じゃあお前は家でソレと着替えの荷造りな。“金目”には俺が行っとくわ」
「うい~、りょうか~い」
しかし、この前は金が無かったから遺跡に行くかどうかで悩んでたのに、まさか金が手に入った後で同じ悩みに直面するとは……人生まま成らんね。
ま、良い機会だ。最近は体も鈍ってきたみたいだし、ここいらで現場の勘を取り戻すコトに――
「ッッ!!」
ドンッ
「うぎゅっ」
家へと続く通りの角を曲がった瞬間、俺は反射的に後ろのフールを突き飛ばしていた。
“幸運”――としか言い様が無かった。
何か物音が聞こえてきた訳でもなく、そっちの方に視線を向けていた訳でもない。ただ、“ソレ”に反射した月の明りが、一瞬視界の端に映り込んできただけだ。
だから、“ソレ”を躱す事ができたのは、“幸運”としか言い様が無い。
ヴゥォンッ
背筋を震わせる凶悪な唸りを上げ、上段から勢い良く振り下ろされた“ソレ”が、僅かに後へと引かれた俺の左耳と左肩を掠めて行く。
もしあと数瞬遅ければ、間違いなく左の肩口から先を持っていかれていた。
「クッ!」
咄嗟の回避に足が付いてこず体が傾くが、鳶職が建物の増改築用に組んだ足場の柱に運よくぶつかり、何とか転倒するのは免れた。
反射的にもと居た場所に目を向けると、俺の腕を斬り落とす事なく振り下ろされ、今は地面スレスレの位置でピタリと止まっている“ソレ”が目に留まる。そして、俺には“ソレ”に見覚えがあった。
(“大剣”!!)
直後、垂直に振り下ろされた刃が水平に寝かされ、兜の内側から鋭い息が吐き出された、次の瞬間――
「フッ!」
再び唸りを上げる斬撃が、今度は俺の両足目掛けて迫ってきた。
「ウオッ!?」
俺は咄嗟に足を地面から離し、大剣とそれを振るう奴の頭上を越える様に跳び上がる。あわよくば、その背後を取る事ができればと思ったんだが……失策だった。
(やべっ!!)
しかし、その後悔は既に遅く、地面から離れてしまった俺の体は、最早どう足掻いた処でその軌道を変える事はない。
ズガガン
横薙ぎに払われた大剣が、俺の足の代わりに足場用に組まれた柱を二本いっぺんに斬り捨てる。
(ミスった! 痛恨なんてモンじゃねぇ!!)
迂闊だった。まさか、相手にここまで近付かれた状態で地面から足を離しちまうなんて、失策以外の何者でもねぇ。
「ッ!!」
その時――“目が合った”。
〈黒羽〉の時と同じだ。フェイスガードによって直接見る事はできないが、俺が奴を跳び越えている最中、少し傾けられた兜の中から、頭上を過ぎる俺の姿を見詰める視線を確かに感じた。
(クソッたれ!)
だが、それでも俺の体は止まらない。そのまま奴の頭上を通り過ぎ、その背後に着地しようと爪先が地面へ触れた、その直後――
ドゴォッ
「ガッハ!!」
後ろ向きのまま放たれた奴の蹴りが、俺の胸板に深々と突き刺さった。
まともに地面に足が着いていなかった俺には、その蹴りの衝撃を堪える事も逃がす事もできず、蹴られた勢いのまま背後に有った壁面にまで吹き飛ばされ、そして叩き付けられた。
ズダンッ
「アガッ」
蹴られた胸とぶつけた背中の衝撃に力が入らず、座り込む様にして衝突した壁にもたれ掛る。
(やべぇ、まともに喰らった。息が……!)
「コホ、コホ、ヒュ……ヒュ……」
口の中から、弱々しい咳と共に空気の漏れる様な音が出る。
まだ意識はある。
なんとか立ち上がろうと壁に手を着き、力が入らず重くなった腕を支えに顔を上げたのだが、顔が上がり切るその前に、長大な“大剣”の切っ先が俺の鼻先に突き付けられた。
「答えろ――」
そして、更に視線を上げていくと、其処には――
「“闇の宝玉”はドコだ」
あの“全身鎧”が立っていた。




