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やっと酒場から出られた。
「あ、お前――」
出会い頭に突然俺の襟首を掴み上げてきたこの男――名前は〈ダグ・コナー〉
「ダグかよ。何だよ突然? 取り合えず落ち着――」
「これが落ち着いていられるか! 俺はなぁ、お前のお陰で大目玉くらったんだぞ!」
そう言って、ダグは普段から吊り目気味な目を更に吊り上げ、至近距離から俺の顔を睨み付ける。
「い、一体何の話だよ??」
ダグは増築と改築が頻繁に行なわれているこの〈メルトス〉の町を、日夜精力的に駆け回っている“鳶職見習”いだ。
何日も遺跡に篭っていたり、何日も家でグータラしている俺とは違い、この町の発展に大いに貢献している若手の一人である。
面長な顔に坊主頭。体格はスラリとしている様に見えるが、職業柄か力はかなり強い。
性格は“親方”の影響をもろに受けたせいか真面目かつ職人気質なのだが、歳が近い事も有って俺とは割りと仲が良い……筈なのだが――
(コイツ、なんでこんなに機嫌が悪いんだ?)
「忘れてるなら教えてやる。お前この前、仕事中に俺の“梯子”持って行きやがったろぉが!」
「は? “ハシゴ”だぁ??…………あ」
一瞬、何を言っとるんだコイツは、とも思ったが……思い出した。
前回の遺跡発掘からこの町へ戻ってきたその日、俺はその時の唯一の稼ぎであった“薄汚い”――もとい、“歴史を感じさせる風格のコイン”を掠め取った泥棒鳥を追い駆けて、上へ下への大立ち回りを繰り広げた。
結果、見事その泥棒鳥を捕まえる事に成功したのだが、その途中で確かに梯子を“借りた”覚えがあった……ただし、“返した”覚えはない。
(アッチャー。あの時あそこに居たの、ダグの奴だったのか)
「お陰で屋根から下りれなくなるわ、そのせいで仕事に遅れるわ、親方にはどやされるわ、アニキ達にはバカにされるわで散々だったんだぞ!」
「わ、悪い。ただあの時はコッチも非常事態で――」
「知るかンなコト! しかもお前あの梯子、屋根の上に放置しやがっただろ……どうやって下りたんだよ」
鐘楼の天辺から下の川に飛び込みました――とは言わないでおく。
「そ、それについては本当に悪かったって。こんど飯でも奢るからよ」
確かに悪い事をしたとは思うが、それよりも今は一刻も早くこの場から立ち去りたい。償いはまた今度させて貰おう。
「お、そうか? なかなか殊勝じゃねぇか。イよしっ! んじゃ早速」
俺から“奢る”という単語を聞いた途端、ダグは一転して厳しかった表情を緩め、掴んだ襟を離してガシッと肩を組んできた。
どうして俺の周りの連中は、こうも現金な輩が多いのか……ってチョットまて!
「おい! 何も今奢るとは――」
「マスター、今夜は“レイド”の奢りだ! 飯も酒もじゃんじゃん持ってきてくれ!」
「ハァ!? お前なぁ、余り調子に乗るんじゃ――ハッ!」
ダグが俺の名前を口にし、俺が慌てて店の中心に視線を向けた、次の瞬間――
「……」
“目が合った”。
あの四人組の内の一人、最後尾に居た“全身鎧”。
フェイスガードのせいで直接は見えなかったが、確かにその奥に有る瞳の先が、バチリと俺の視線とぶつかったのが分った。
「……あン? なんだぁコイツ等」
ダグの奴も、店内に居る四人組みの異様な格好に気が付いて、訝しむ様にそいつ等を見る――ソレが合図になった。
「逃げろフール!!」
ダンッ
突如、指先まで甲冑に包まれた右腕を突き出しながら、“全身鎧”が物凄い勢いで俺に迫ってきた。
(速!? “全身鎧”の動きじゃねぇぞ!!)
「スマン友よっ!」
「ヌヲッ!?」
俺は咄嗟にダグのベルトを両手で掴むと、向かってくる“全身鎧”に向け思いきりダグの奴を放り投げる。
「ッ!!」
「グハッ!」
流石に“人”が飛んでくるとは思わなかったのだろう。“全身鎧”は避ける事すら出来ず、飛んできたダグと正面からぶつかり合い、互いに折重なる様にしてその場に倒れ込んだ。
ガッシャーーン
その際、幾つかのテーブルが巻き添えに成り、料理や食器類が盛大に飛び散る音が聞こえて来る。だが俺はその様子を確認する事なく、脱兎の如く店の外へ飛び出した。
直ぐに辺りを見回すと、右手にいち早く店から逃げ出したフールの姿を見つける。
俺はせっせと走るフールの背中に一瞬で追い付くと、その両脇に手の平を差し込んで、その軽い身体を真上にポイっと放り上げる。
「おぉ~~?」
「合体!」
帽子を押さえながら空中でクルリと一回転するフールの下に潜り込み、そのまま落ちてきたフールの両足を肩に担ぐ。
流石にズシリとした重みが両肩に掛かるが、コイツを担いで逃げるのはいつもの事だ……いい加減もう慣れた。
「おっしゃ! ずらかるぞフール!」
「ずらかれ~」
肩車をしたフールの足を掴んで固定し、俺達はすっかり日の暮れた夜の町へと全速力で逃げ出した。
◆◆◆
ガッシャーーン
投げ飛ばされた“ダグ・コナー”の身体を支えきれず、傍のテーブルを巻き込みながら“全身鎧”が床の上に倒れ込む。
「っ痛ぅ~、あンのヤロォ~」
突然の出来事に思考が追いつかぬまま、ダグはふら付く視界を正そうと頭を振る。
未だ立ち上がる事が困難な彼の傍を、“全身鎧”と同じく外套を纏った二人組――四人の内で最も小柄な人物と、カウンター越しに店主と話し合っていたあの深緑髪の男が走り抜け、瞬く間に店の外へと飛び出して行った。
「……退け」
「ああ? ドワッ!!」
一方、自身に覆い被さる様に倒れ込み、そこからいつまでも退かないダグに業を煮やしたのか、“全身鎧”は彼の背中に手を回すと、その衣服を掴み上げ、片腕一本で強引にその身体を引き剥がしてしまう。
そのまま壁際にまで放り投げられたダグは、二度目の衝撃に目を回し、そのまま意識を手放してしまった。
邪魔者を退けた“全身鎧”は身を起こすと、直ぐにレイド・ソナーズと先行した二人に追従しようとするのだが――
「お前らあああ!! ちょー待たんかいゴゥラアアアアアッッ!!!」
「ッ!!」
ジョッキに注がれた酒の表面が波打つ程の怒号が、“全身鎧”の両脚をピタリとその場に縫い止めた。
瞬間、賑やだった喧騒が一気に無くなり、店内は今度こそ完全な静寂に包まれる。
今、店内に要る客の殆どが、突如現れた大型の捕食動物に気付かれまいと、藪の中で身を潜める小動物の群れの如く。音を発てる事は愚か、呼吸によって大気を揺らす事すら躊躇していた。
振り向くと、今迄カウンターの向こう側にいた〈黒羽〉の店主――“ソーヤ・キャベロン”が、周囲を圧する噴気を纏って、ユックリとカウンター横の扉からホールへと出てくる処であった。
「ヌゥゥ~……」
熱い白煙が立ち昇るかの様な息を吐き出し、固い建材の床を軋ませながら巨人がホールの中心へと歩み寄る。
巨躯故に一歩を踏み出すその挙動こそ緩慢に見えるものの、その歩幅は優に常人の倍近い。巨体の産み出す影が、あっと言う間に“全身鎧”に覆い被さる。
「――ッ」
喉奥より漏れる呻きを噛み潰し、“全身鎧”はまるで近くから塔や城壁を眺める様にソーヤの顔を仰ぎ見る。
丁寧に剃頭された頭部の下に、鋭い眼差しと厚い唇を持った彫りの深い顔。
光源を背にしているというのに、何故かその眼光には一切の陰りが感じられない……いや、寧ろ光源を背にした事により、体の前方に誕生した暗い影が、その眼光をよりいっそう際立たせている様にすら感じさせる。
「オメェら、ウチの店の備品を壊すわぁ、他の客に迷惑を掛けるわぁ。人様の店で随分と好き勝手してくれるじゃねぇか。ア゛アン!」
一つが大人の頭程もある拳を絞り、ソーヤはバキボキと指の関節を鳴らす。
眼下の相手を容易く圧し潰すであろう巨大な体躯。射殺すような鋭い眼光。鍛え抜かれた肉体の上に、更に鋼板を打ち付けたかの様なぶ厚い筋肉の鎧。
そして、その様な人物には全く似つかわしくない、桃色の水玉模様をあしらった白地のエプロン。
それは、対峙した相手の正気など、軽く丸めて捨ててしまえる程の異様な光景。
常人ならば腰を抜かすか、或いはその場から一目散に逃げ出すであろう強烈な威圧感をその身に受け――しかし、“全身鎧”はその場に踏み止まった。
それは、威圧に身が竦んだ訳でなければ、怒号や噴気に心を縛られた訳でもない。
巌の様な偉丈夫に睨まれ、咆哮の如き怒号をその身に打ち付けられて尚、“全身鎧”は自らの意思でその巨人と、真正面から向き合ったのだ。
「……ホォ、最近の若ェモンにしちゃ骨が有るじゃねぇか」
自らの放った噴気に怖気づかず、それを避けようとする処か寧ろ真っ向から受け止めようとするその姿勢に、ソーヤは不機嫌に結んでいた口元をニヤリと歪める。
だがそれは、決して彼の機嫌が改善されたが故に齎された笑みではない。その笑みは、“悦”などではなく“不敵”であった。
初めの段階で素直に己の非を認めるか、或いはそのまま戦意を喪失してその場より退散していれば良かったものを、相手が抵抗するというのであれば、ソーヤの側も“強硬手段”に出ざる負えなくなる。
初めの威圧は“警告”であったのと同時に、彼なりの“慈悲”でもあったのだ。
口元に笑みを浮かべ、しかし更に鋭く尖らせた眼光をもって、ソーヤは眼下の二人を睨みつける……そう、“二人”である。
「――止せ」
不意に、ソーヤと“全身鎧”の間に、無骨な腕が差し込まれる。
店の外に飛び出して行った二人とは違い、未だ“全身鎧”と同じく店内に残っていた四人組の一人が、“全身鎧”を諌める様に腕を差し出していた。
「腕を降ろせ。ユックリとな」
低く静かに、年期に寄る重みを感じさせる声。
その言葉が、一体誰に向けられているのか分らず困惑するも、しかしそれが己に対してのモノだという事を“全身鎧”は理解した。
まるで意図していなかったにも関わらず、自身の右腕が背中に掛けていた“大剣”へと、無意識のうちに伸びていた事に気付いたからだ。
それは、戦士としての修練の賜物か。はたまた、天敵に牙剥く窮鼠の心境であったのか……。
「この場で剣に手を掛けたが最後、一瞬で“装甲ごと”その右腕を引き千切られるぞ」
その様な事態は、本来で在れば決して起こり得るモノではない。
“装甲”とは“防具”であり、敵の攻撃から装着主の身の安全を守る必要が在る為、当然の如く相応の“強度”が要求される。無論、限度というものは存在するので、衝撃を受けるなり時間が経つなりすれば、破損し損壊する事もあるだろう。
だがそれは、あくまで“強い衝撃”や“長い時間”に寄る物で、たかだか人ひとりの腕力等で、どうこう出来るモノではない筈なのだ。
「……」
しかし、その人物の言葉は奇妙な説得力と現実味を持って“全身鎧”を納得させ、その手を剣の柄から遠ざけさせた。
「此処は良い。貴様はあの二人と合流しろ」
そう、差し出した腕を下ろしながら言う人物と、未だ強烈な眼光を持って此方を睨む店主とを見比べ、しばしの躊躇を見せる“全身鎧”だったが、警戒する様に一歩身を引くと、そのまま外套を翻し夜の町へと駆け出して行った。
激しい動きに装甲どうしがぶつかり、擦れ合う音が耳に残る。
「成る程。誰だが知らねぇが、アンタがあいつ等の“頭”って訳か」
店内より飛び出す“全身鎧”をアッサリと見送り、ソーヤは見下ろす対象を一人に絞り込む。
「どーにも部下の教育がなっていねぇみてぇじゃねぇか」
「……」
「人様の店こ~んなに荒らしやがって。この惨状、アンタ一体どーやって責任取る積りだ? オウ?」
「……」
「おうコラ、何とか言ったらどうなん――」
「“黒瞳”“黒髪”とはな。奴も随分と変わった拾いモノをしたものだ」
「……テメェ」
ただでさえ堀の深いソーヤの眉間に、更に三つに裂いたかの様な皺が刻まれる。
それは、自身の台詞を無碍された憤りではなく、この人物の口から自分と親しい少年の事が語られた為であった。
「一体ウチの坊主に何の用だ?」
「……」
「こう言っちゃ何だがな、あの坊主は俺にとっちゃ息子みてぇなモンだ。テメェみてぇな得体の知れねぇ連中となんざ、関わり合いになる様な奴じゃねぇんだよ。事と次第によっちゃあ、俺がお前等の相手になるぜ?」
「……“得体が知れん”とは、また随分だな」
「ああ……?」
その何気ない台詞に、ソーヤは表情が曇る。それはまるで、この者と自分との間に、以前から面識が在るかの様な言い草であったからだ。
「……アンタ、誰だ?」
ソーヤの問いに答える様、その人物がゆっくりと自らのフードに手を掛ける。そして、ソコから現れた顔を目撃した瞬間――
「…………ウソ……」
驚愕に目を見開き、今迄自身が纏っていた噴気や怒気、それに伴なう威圧感の全てを霧散させ、ソーヤは一歩二歩とその巨体を後退させる。
同時に、彼に因って作られていた巨大な影も、フードを取ったその人物の上から退き、店内を照らす“否火灯”の証明がその人物の表情を照らし挙げた。
「久しいな、キャベロン」
「なんで……アンタが……」
それまでの態度とは一転。うろたえるソーヤの前に現れたのは、所々に藍の混じった白い頭髪を後へと流し、口元に短い口髭を蓄えた初老の男性。
顔には年期の入った皺が多く刻まれているが、右目の上から左目の下へと真っ直ぐに走る大きな傷跡と、ソーヤにすら劣らない厳しく強い眼光が、この男性の表情に老いを感じさせない凄味を与えている。
「約束通り――」
ソーヤの放つ威圧感が巨大な“巌”や“城壁”だとするのならば、この男はその城壁を叩き砕かんとする“破砕鎚”の如き雰囲気を纏っている。
培った力を表に“曝け出す”のではなく、己の持つ破壊力を静かに内側に“隠し持つ”……この男は、そういう気質の持ち主であった。
「一杯。馳走して貰おうか」
でも……まだ夜は終わらない。




