23
「“鐘楼”ねぇ、う~ん……」
直ぐ上にある天井に視線を泳がせつつ、自分の記憶を探るマスター。
答えを期待して待つ俺だが、マスターはこの町に〈黒羽〉を開店して以来、店の経営に掛かりきりでそうそう町の外に出る機会がない。
今掘り起こしている記憶も、それこそ十年以上も前に親父と大陸中を歩き回った頃のモノだろう……余り期待は出来そうにない。
まぁ仮に答えが出てこなくても、マスター以外の大陸各地を歩き回っている連中に話を聞いてみれば良い。
幸い、この〈メルトス〉の町には世界各地から多くの人が集まって来る。更にココは、そんな町でも人気のある“酒場”だ。そういう輩の一人や二人程度なら、割と直ぐに見付ける事ができるだろう。
だが、中には適当な嘘で誤魔化して、情報料だけを巻き上げ様なんて考える輩も居る。
なので俺としては、誰よりも信用の置けるマスターから教えて貰うのが一番安全かつ安心なのだが……。
「……ああ、思い出したわ。確かに有ったわよ。背の高い“鐘楼”が一本だけ」
「あ、本当に有るんだ」
どうやらマスターはちゃんと思い出せたらし。しかしそうすると、“例の話”がいよいよ現実味を帯びてくる。
「造りがしっかりしてたから、今でも残ってると思うわ。でも、上に吊るされてた鐘はもう大分昔に盗まれちゃって、それこそ塔の部分しか残ってないわよ」
「ふーん……じゃあさ、その鐘楼に“鶏”の飾りとか無かった?」
「“ニワトリ”? さぁどうかしら。アタシもそこまで詳しくはないから。ゴメンなさいネ~」
「そっか。いや、助かったよマスター。ありがとう」
(流石にソコまでは分からないか……)
もしこれ以上詳しく知りたければ、直接現地に行って調べるしかないだろう。
「突然どうしたニャ? レイド、〈トルビオ〉にでも行くのかニャ」
「いやぁ、どうなんだろうな。俺にも良く分らん」
「ニャ?」
そうシュルシャに訊ねられたが、俺の中でもハッキリとした答えは出ていない。俺的には〈トルビオ〉に行くつもりなど更々ないのだが……。
(な~んか嫌な予感がするんだよなぁ)
例えるなら、“取り返しのつかない罠を起動させてしまった”――みたいな感じだろうか。
(あー止め止め! こんな事ばっかり考えてたらろく碌な事にならん!)
せっかく当面の生活に苦労しない額の収入があったのだ。どうなるか判らない先の事より、今この瞬間をノンビリ楽しく過ごそうではないか。
そう心に決め、たまには呑めない酒にでも手を出してみようかと考えたその時――
ギィ――
開かれた入口の軋みを皮切りに、硬い靴音と金属の擦れる音を引き連れて、数人の客が店の中へと入ってきた。
「イラッシャイませー」
来客にいち早く気が付いたシノブさんがそいつ等に声を掛ける。
元から店に居る連中の殆どは、新たに店に訪れた来客者なんて気にも留めずに騒ぎ続けている。
だが、俺を含めた他の数人は、黙ってそいつ等の姿を視界に納めると、直ぐにそいつ等から視線を反らしてしまう。
そいつ等の数は全部で四人。全員が全身をマントで覆っている為、人相も性別も分らない。
分るのは身長と体格位なモノなのだが、一番後ろに居る一人だけ明らかに他の三人とは雰囲気が違う。
そいつは全身を厚手の鎧で着込み、頭には顔をスッポリと覆う兜を被り、更にはその上からマントを羽織っている。なので、他の連中より体格が一~二周り大きく見える。
しかも背中に背負っているあの長物は……アレって、グレートソードじゃないか?
一人は全身を覆う装甲に、背中には両手持ちの大剣の重装備。
その他の三人も、槍や剣等で少なからず武装しているのがマントの上からでも分った。
(何だ、あいつ等?)
余り関わり合いに成りたくない――それが、俺のそいつ等に対する率直な印象だった。
俺以外にそいつ等に視線を向けた連中も、皆同じ想いだろう。
酒場とは本来、多くの人々が張っていた気を緩め、様々な形で憂さを晴らし疲れを癒す。言うなれば“憩の場”だ。
だから例え戦う事が生業の傭兵であっても、酒場などに身を置く際には極力武装を持ち込んだりしないのが、ある種この町の決まり事に成っている。
仮に持ち込んだとしても、壁に立て掛けたりテーブルの上に置くなりして体から離すか、身に着けていたとしても俺みたいに短剣やナイフ等、割と小さめの武装程度に留めておくのが一般的だ。
誰だって武器を構えた奴の隣で、落ち着いて酒や飯を楽しめる筈がない。なのにその四人組は、誰一人として武装を外そうとはせず、それ処かマントすら脱ぐ様子がない。
そいつ等はそのまま店の入口を通ってホールの中心にまで進むと、周囲をぐるりと見回している。
その立ち振る舞いと物々しい雰囲気から、酒場に来たくせに酒を飲むつもりがないのは一目瞭然。
しかもこういった手合いは、必ずと言って良いほど厄介事を引き連れている。下手に目を合わせて声を掛けられようモノなら、その厄介事に巻き込まれる可能性が否が応にも高まってしまう。
なのでここは、“見てみぬ振り”を貫くのが賢い選択だろう。
そいつ等の姿を視界の隅に納めつつ、俺は引き続きシュルシャの愚痴に付き合う“振り”をする事にした。
「その事後処理がまた大変だったんだニャー」
「そりゃあ大変だったな」
すると、シュルシャの奴から出てきた台詞も、さっきした話の繰り返しだった。どうやらコイツも、今は愚痴を言う“振り”をする事にしたらしい。
視線は俺の顔に向けているにも関わらず、頭の上の耳はしっかりとそいつ等の方を向いている。
俺もあの四人の様子が気に成るので、何も言わずその茶番を続ける事にした。
「どなたカ、おさがしデスか?」
視界の端では、シノブさんがそいつ等の内の一人に声を掛けている。
俺の居る位置からじゃ話の内容までは聞き取れないが、そいつは一言二言シノブさんと言葉を交わすと――
「あ、あノ――」
シノブさんの拙い話し方に早々に見切りを付けたのか、その横を擦り抜けて俺達の居るカウンター席に近付いてきた……あの野郎。
(シノブさんを無視するとは良い度胸じゃねぇか)
「ニャハハハ。まぁまぁ」
眉間にシワを寄せる俺を落ち着かせようと、シュルシャが俺の肩を軽く叩く。傍目には、俺がコイツの話しに気を悪くした様にしか映らないだろう。
コイツのこういう機転の利かせ方は、実に上手いと思う。伊達に長い事あの爺さんの下で働いちゃいない。
ゴツゴツという足音を響かせながら、シノブさんを無視したそいつはカウンター席にまでやって来た。
俺達の横。丁度俺の方を向いているシュルシャの背後にまでやって来ると、そいつは席に着く事なく、被っていたフードを外してカウンター向こうのマスターに声を掛ける。
「アンタがこの店の店主かい?」
フードの下から出てきたのは、若く整った男の顔。年齢は二十半ばと言った処か。
逆立った深緑の短髪が印象深く、顔に浮かべた笑顔は爽やかで、向けた相手に対し好い印象を与えるだろうが……俺としてはその笑顔に、薄っぺらい印象しか感じなかった。
「そうよ~。見かけない顔だけど、ウチの酒場は初めてかしらン?」
「そうなんだけどね。でも、この〈黒羽〉の噂は聞いてるよ。今話題の〈メルトス〉で一番人気の酒場だってね」
「あンら! 嬉しいコト言ってくれるじゃなぁ~い! 一杯奢っちゃおうかしら、お連れの人達も一緒にど~お?」
「お、そりゃ嬉しいなぁ」
「で・も、他のお客さんも居るから、せめて最低限“ルール”は守ってくれないかしら」
四人の武装の事だ。ニコリと笑っちゃいるが、この人はこの〈黒羽〉の主人。
店の秩序を乱す者には初めは警告。それでも聞かない輩が居れば、問答無用で自慢の筋肉の餌食にする。
それが分っているからこそ、他の連中もこの店ではそうそう騒ぎを起こしたりはしない。
まぁこれだけ美味い飯と酒を、インフレが進む今の御時勢でこれだけ安く頂けるのだ。
それでいて店でのルールも守らず、他の客にまで迷惑行為を働いたとするのなら、もうそこに弁明の余地など一切ない。鉄拳制裁も止むなしと言うモノだろう。
「ああ~」
マスターに釘を刺された男は、笑顔のまま困った様に俯くと、自分の後頭部を片手でポンポンと叩いている。
「いや、ソレについては申し訳ない。ボクも止めておいた方が良いと進言はしたんだけどね、なにぶん雇い主が随分と頑固者で――」
ガンッ
「――ッ!!」
突然鳴ったその音に、一瞬店内が静まり返る。そして、俺やシュルシャを含めた周りの客の視線が、一斉にある一点へと注がれた。
どうやら今の音は、未だホールの中心に居座っているこの男の仲間――その内の一番体格の小柄な人物が、思い切り床板を踏み鳴らした音だったらしい。
「おっと、これは要らない事を言ったかな……ごめんね店主、仕事も有るんで、今回の奢りは辞退させてもらうよ」
「あら残念。じゃあ次回からは、お仕事抜きで来て頂戴。その時に改めて御馳走するわよン」
「ハハハ。店主、アンタ良い人だね。そうだ、酒を注文する代わりに、別のモノを注文したいんだけど、良いかい?」
「別のモノねぇ。何かしら?」
「実は教えて欲しい事があるんだ。ああ、心配しなくてもちゃんと謝礼は出すよ」
「う~ん、アタシが教えられる事なら良いんだけど~」
「大丈夫、大丈夫。なんか、この町じゃ結構な有名人らしいし……“レイド・ソナーズ”って奴なんだけど、何所に要るか知らない?」
「あンら人探し? 悪いけど、お客様の個人的なお話は出来ないわ~」
男からの質問にそう平然と答えを返すマスター。
「ンむ……?」
そこで、俺の名前に反応したフールが、男の方を振り向――
ガシ、グリ
――こうとした処で、俺がその頭を上からひっ掴み、強引にまた前向きに戻してやる。
「……ムグムグ」
そして、何事もなかったかの様にフルーツの咀嚼を再開する相方。
「ありゃ、やっぱ駄目か~」
「そりゃそうよぉ。ご注文はそれだけかしらン?」
確かに、酒場の主人であるこの人が、店に来る客の個人情報をペラペラ喋ろうもんなら、幾ら料理や酒が“美味く”て“安く”て“量が多く”ても、客なんぞ瞬く間にこの店から逃げて行く。
どの様な商売であろうと、商売相手の情報を外部に漏らさないのは、鉄則中の鉄則だ。信用を失えば、今の商売だけじゃなく、今後の商売全般にまで大きな不利益を被る事に成る。
だから当然、俺がマスターと懇意の仲でなかったとしても、マスターが俺の情報を誰かに漏らす様な真似は絶対にしない。
(……しっかし、流石だなこの人も)
当の本人が真横に居るっつーのに、マスターは動揺する処か視線すらコッチに向けようとはしなかった。
付き合いの長い俺の目にも、いつも通りの態度にしか見えない。
(何か、特殊な訓練とか受けてるんじゃないのか?)
俺ですら突然のご指名に一瞬表情が固まった。目の前のシュルシャに至っては、相手に自分の顔が見えないのを良い事に、あからさまに目を丸くして俺の顔を見詰めている。
向けられた金色の視線が『アンタ何かしたの?』と訴え掛けてくる様だ……いや、何もしてねぇよ。
(大体こんな奴等知らねぇし。会った事もねぇし)
しかし、だったら何故こいつ等は俺の事を探しているのか。
心当たりなどサラサラないのだが、嫌な予感だけはビンビンに伝わって来る……凄く帰りたく成ってきた。
こいつ等が一体どんな用件で俺を探しているのかは知らないが、正直こんな物々しい武装をしている上、明らかに身元を隠している様な連中とは関わり合いに成りたくない。
幸い、と言って良いのか、こいつ等の様子に気付いた他の客の何人かは、きな臭い雰囲気を感じ取って会計を済ませ、そそくさと店から立ち去っている。
皆も厄介事に関わるつもりは無いのだろう。なので俺も、この流れに便乗してさっさとこの場から離れる事にする。
「マスター、ごっそさん」
そうと決まれば話は早い。俺はシュルシャの分も含めた代金をカウンターの上に置くと、なるべく不自然にならない様に席を立つ。
男はそんな俺にチラリと視線を向けただけで、特に気にした素振りもなくマスターの方に向き直った。
一瞬ドキリとしたが、どうやら俺がお探しの人物とは気が付いていない様子。
「オイ、帰るぞ」
「うい。ご馳走さまマスター」
「はーい、また来てちょうだいね~ン」
丁度最後のフルーツを口へと放り込み、フールがピョンと席から飛び降りる。脱いでいた帽子を頭に乗せると、素直に俺の後に付いて来た。
(ん……?)
だが俺の隣に座っていたシュルシャの奴は、どうやらまだ帰るつもりはないらしい。
一緒に立ち上がる気配がないので見てみると、未だ席に座ったまま笑顔でコッチに手を振っていた。
(ま、こいつ等が探してるのはあくまで俺みたいだからな)
それなら無理して一緒に店を出る必要はない。あの猫娘は放っておく事にしよう。
そうして、俺とフールは他の客と同じく店の出入口へと向かった。
本当ならこの時、シノブさんにも別れの挨拶をしておきたかったのだが、彼女は他の客の会計に忙しいご様子。
わざわざ挨拶程度でその手を止めさせるのも気が引けるし、今は極力目立ちたくはないので、多少残念だがこのまま黙って帰る事にする。
途中、男の連れである三人の横を通り抜けたが、この時も特に怪しまれる様子はなかった。
「……」
――と、思ったのだが、何故かあの“全身鎧”の人物だけ、通り過ぎる俺の姿をフェイスガード越しの視線で追って来る。
(……いや、“俺”じゃねぇな)
チラリと目線だけを向け、その“全身鎧”の様子を伺うと――
(“フール”か?)
“全身鎧”の首の傾きから、その視線の先がフールの奴に向けられている事が分った。
フール本人は視線には気付いておらず、一杯に成った腹を幸せそうに押さえながら歩いている。満足しているみたいで大変結構なのだが……。
(まさかコイツ、“俺”と間違われてるんじゃないだろうな……いや、流石にソレは無いか)
この“全身鎧”が何でフールを気にしているのかは分らない。知り合いにでも似てたのか、それともコイツの容姿が“趣味”の琴線にでも触れたのか。
どっちにしろ、向こうから話し掛けてこない以上、コッチの方からお伺いを立ててやる必要はない。
未だ向けられる視線をサラリと無視しつつ、俺達はそのまま〈黒羽〉の外に出ようとした処で――
ドンッ
「どわっ!?」
「ウオッとぉ!?」
突然、店に入ってきた人物と正面からかち合ってしまった。
俺も相手もぶつかった拍子に倒れる事はなかったが、お互いよろけながら後ろへ下がる。
「わ、悪い」
「いや、コッチこそ……ってアアッ! お前ぇ!!」
「うぇ? チョッ!」
ぶつかったそいつはツカツカと俺に歩み寄ると、いきなり俺の襟首を掴み力任せに引き寄せてきた。
(な、なんだぁっ!?)
突然の事に困惑する。
「このヤロォ! やぁっと見付けたぞコラッ!」
俺を睨み、至近距離から怒声を浴びせてくるそいつの顔に、俺は見覚えが在った。




