18
◇
その日の夕暮れ時――
カラスが羽を広げる様にして、輝く茜に夜の闇が混ざり始める。紫に染まった空に星が瞬き出す頃合を見計らい、酒場〈黒羽〉は開店する。
キィ――
「イラッシャイマセー! あラ」
軋む両開きの扉を押し開けて入店すると、俺と同じ黒瞳黒髪の女性が気持ちの良い挨拶と笑顔で俺達を迎えてくれた。
「どうも、シノブさん」
「こんばんわ~」
「レイドさんニ、フールさん」
シノブさんは仕事中の為、一週間前に会った時と同じ格好をしていた。
長い髪を後ろで纏め、頭にはいつもの白いバンダナを巻いている。服装もこの前着ていた物と同じで、“キモノ”と言う普段俺達が着ている物とは少し違った服装だ。
キモノは“袖の在るローブ”みたいな作りで、頭以外の全身をスッポリと覆い、両側の裾を体の前面で重ね合わせ、ソレを腰に巻いた幅広の帯でシッカリと固定してある。
「今日は晩ご飯を食べにきました~」
「ソレわソレわ、ありがとうございまス」
シノブさんは俺だけでなく、フールの奴にも非常に気に入られている。なので入店して早々、直ぐに彼女の姿を発見したフールは、俺を差し置いてチョコチョコと彼女の下へ歩み寄って行く。
「エヘヘ~」
帽子を脱いだフールの頭を、シノブさんが優しく撫でている……別に羨ましいとは思っていない。
「フフ」
フールの頭を撫でながら俺と目の合ったシノブさんが、コッチにも笑顔を向けてくれた……癒される。
(そう、俺はこの人の笑顔さえ拝めればそれで良いのだ)
二人揃ってシノブさん大好きなコンビであった。
「ドウぞ、いつものオセキ、あいてマスよ」
「あ、ども」
「は~い」
そうシノブさんに促され、俺達は自分がよく座っている席へと向かう。
俺の前を行くフールは店内に置かれているテーブルや椅子の間をすり抜けると、カウンターの一番奥の席に尻から飛び乗る様にして器用に着席した。
椅子の足は高く、完全に足が宙ぶらりんの状態で実に座り辛そうなのだが、当の本人はもう馴れたモノだ。
(昔は俺が抱えて座らせてやったんだよなぁ)
なんて、相方の成長を内心微笑ましく感じていると、先に席に着いたフールが自分の隣の席をポンポンと叩く。
「レイド~」
「んー」
フールに引き続き、俺もフールの隣に腰を下ろした。
この奥から一番目と二番目のカウンター席が、俺達がいつも利用している場所だ。
別に指定席って訳ではないのだが、言ってみれば俺もこの店の“常連”――それこそ、ガキの頃からこの席に座り続けてきた。
“暗黙のルール”なんて大袈裟なモノじゃないが、店がすいてる間は他の客も無理にはココに座らずに、気を使って空けておいたりしてくれる。
入り口から遠い分、店が混んでいる時は行きと帰りが多少面倒ではあるが、壁際で静かな良い席だ。
席に着いて周りを見渡すと、開店直後のせいかまだ俺達以外に客の姿は見えなかった。
しかし〈黒羽〉は現在、“量良し”“味良し”“値段良し”の三拍子が揃った、この〈メルトス〉の数少ない人気店の一つだ。もう少しすれば腹を空かせた連中が町の方々から群がり、店内はあっと言う間に込み合ってくるだろう。
「あンらぁ~! レイドちゃんにフールちゃ~ん! いらっしゃ~い!」
背後からの野太く高い声に振り返ると、あの水玉エプロンに身を包んだこの店のマスターが、カウンター奥の厨房口からノッソリと出てくる処だった。
外ではなく室内で見ると、この人の大きさが改めて良く分かる。天井と頭との間に拳一つ位の隙間しかない。
「お疲れマスター」
「マスタ~、こんばんわ~」
「こんばんわ~。フールちゃんは久しぶりね~、元気にしてた~?」
「してたよ~」
「良かったわ~、心配してたのよ~」
(そう言えばこの二人、遺跡発掘から帰ってきてまだ一度も顔を合わせていなかったな)
「もしフールちゃんに何かあったら、レイドちゃんが干乾びちゃうじゃなぁい。も~アタシそれが心配で心配で」
「ちゃんとご飯食べさせてるから平気だよ~」
「あら本当? フールちゃんは偉いわね~、何処かの誰かさんと違ってェ」
「エヘヘ~」
「オマエらなぁ……」
果してソレが何処に居る誰の事なのかは突っ込まないでおく……薮蛇に成り兼ねないからな。
「これからもレイドちゃんのコト、宜しくお願いするわね~」
「アンタは俺の親か何かか?」
「うん、まっかせて~」
「いや、お前も軽々しく返事なんかするんじゃないよ」
「良いじゃな~い。アナタのお母さんみたいなモノでしょ、ア・タ・シ」
「百歩譲って“育ての親”だとしても! “母親”などでは断じてナイッ!」
「あンら、つれないわねぇ~」
「わネェ~」
「ったく……」
コイツ等は何かと言うと人をダシに楽しみたがる。
「それで、今日はどうしたのよ? お店の手伝い……じゃあないわよね」
もしこの店でバイトをするなら、事前にマスターに了解を貰って店には裏口から入る決まりになっている。
裏口ではなく正面口から入ってきたのは、今日は単に“客”として此処に来たからだ。
「今日はね、晩ご飯食べに来たんだよ~」
「アラ、そうなの?」
フールの台詞にマスターが少し意外そうな顔をする。そりゃそうだ。この人はここ最近の俺達が金欠だと言う事を知ってるからな。
大方、金のない奴が外食なんぞして如何するんだ――なんて思ってるんだろうが、生憎と俺だってそこまで無計画ではない。
「そんな訳でマスター、早速だけど注文良いかな?」
「お店の手伝いじゃないのはチョット残念だけど、お客様ならお客様で歓迎するわよ。で、何を注文するのかしらン」
一般大衆に受けの良いこの〈黒羽〉には、メニュー帳なんて洒落た物は置かれていない。
代わりに、季節に合わせてたまに入れ替わる料理、酒、摘みなど品名と値段の書かれた“お品書き”の札が、店内の壁にズラリと並べて掛けられている。そのお陰で、昔よりもメニューが随分と選びやすく成った。
昔は大きな看板一枚にメニューを纏めて書き起こし、それを店の入り口前とカウンターの上に置いていたのだが、シノブさんの提案で今みたいなスタイルに変更されたのだ。
以来、一枚の看板に人が群がる事も無く、客からの評判も上々で店員の作業効率も随分と上がった。流石はシノブさんである。
最近じゃ他の店でもその案を真似ていたりするのだが、発案者であるシノブさんには一切許可を取っていない。
コレに腹を立てた俺やシノブさん好きの〈黒羽〉常連客達は、その真似をしている店の主に文句を言ってやろうかとシノブさんに持ち掛けた処――
『ミナさんのタスケになるノなら、イッコウニかまいませんヨ』
と言う台詞を笑顔と共に俺達に浴びせかけ、野郎どもの毒気を根元からゴッソリ奪って行った。
シノブさんマジ天使。何処かのハゲマッチョオネェ系天使とは雲泥の差である。
「レイドちゃ~ん、今何か失礼なコト考えなかった~?」
「ソンナコトナイヨーカンガエテナイヨー」
「ンもぅ。で、ご注文は?」
「そうだなぁ……」
なんて、少し悩む素振りを見せるも、実は此処に来る前に注文は決めていたりする。
俺は壁に掛かっている料理の“お品書き”の列をザッと見渡すと、その列の端の方にある一つの品名をマスターに告げた。
「今日は〈マスター特性ハンバーグ〉を頂きます」
「ボクも~」
「シュルシャもだニャー」
そう、今日の俺達は、マスターが作る特性ハンバーグを食いに来たのだ。
「と言う訳でマスター、特性ハンバーグをみっつ――ってぇ! お前どっから湧いてきた!?」
「ニャハハー。嫌だニャー、人をボウフラか何かみたいにー」
正直かなりビビッた。
横を見ると、何時の間に其処に居たのか、俺の隣に座ってたシュルシャの奴がケラケラと笑いながら手を振っている。
「イラッシャませ、シュルシャさん」
「あンら、いらっしゃいシュルシャちゃん」
「シュルちゃんこんばんわ~」
「こんばんニャー、皆がお揃いなんて久しぶりだニャー」
シュルシャの服装はいつも見ている受付姿とは違い、上下共に緑色の長袖と長ズボンだった。
仕事中の格好と比べれば肌の露出は極端に少ないが、透けるくらいに軽くて薄い生地と、袖と裾に余裕のあるデザインの為か、これはこれで妙な色気がある。
「お前なぁ、ビビるから気配を消して近付くなっていつも言ってるだろうが」
「ニャハハ。まぁまぁ、これはシュルシャの習性みたいなものニャ。諦めるニャ」
「ム……」
言われてみれば、確かに普通の猫も立ってる人の足に突然擦り寄って来たりする事がある。
気配も無くイキナリ体を擦り付けて来るので驚くが、アレは反射的にうっかり踏みつけたり蹴ったりしてしまいそうで怖い。
そう考えるとこの猫娘の言う習性ってやつも、あながち間違ってはいないのかもしれない。
(……っていやいや、ンな訳ねぇよ。騙されるな俺)
「嘘付け、人驚かせて楽しんでるだけだろうが」
「そうとも言うニャ」
「アッサリ認めやがったよ!」
よし、もし次に同じような事が在ったら、今度からは反射的に“しっかり”踏んだり蹴ったりしてやろう。
「それで、注文は?」
「ホラホラ、マスターが待ってるニャー」
「レイド~、お腹へった~」
「お前等なぁ……はぁ。マスター、特性ハンバーグ三つ」
「ニャハハ、ご馳走様だニャー」
「今回だけだからな」
なんて台詞を、果たして何度口にした事か……。
(こんなんだから、コイツも調子に乗るんだろうなぁ)
「でも大丈夫なの?」
「ん?」
「お代よ~。この前の探索は散々だったらしいじゃない。それにお金が無かったから、最近ココに来なかったんじゃないの?」
そうマスターに尋ねられた俺は、“良くぞ聞いてくれました”とばかりに口元を歪める。
「フ、フ、フ」
「……やだ、何か変なモノでも食べたのかしらン」
「そうなのレイド~?」
「違うわッ! つか、食ったとしたら間違いなくオマエが原因だからな!」
ここ最近の俺は相方が作ったモノ以外は口にしていない。もし仮に俺が“変なモノ”を食ったとしたら、原因は間違いなくこの相方である……完全に胃袋を握られてるな。
「ンなお約束はいいから! そうじゃなくて“コレ”だよ“コレ”!」
俺は懐から“ソレ”を取り出すと、カウンターの上に置いて見せる。
ドサッ
「コレは?」
「まぁ開けてみてよ」
俺がマスターの前に置いたのは、拳より少し大き目に膨らんだ革の袋。カウンターに置いた時の音から、見た目以上の重量感が伝わってくる。
ソレを手に取ると、マスターはその大きな手には似つかわしくない器用さでもって袋の口を閉じている紐の結びを解く。
そして、広げられた口の内側には――
「コ、コレって!」
今迄の文無し具合が嘘のような、数十枚は有ろうかと言う光輝く金貨が入っていた。
「マァ……!」
「おお~~」
マスターだけじゃなく、傍で見ていたシノブさんやフールの奴も、思わず感嘆の息を漏らす……って、何でフールまで驚いてんだ?
(コイツには事前にちゃんと説明した筈なんだが……)
ま、久方ぶりの収入がこんな大金だからな、気持ちは解る。
「フ・フ・フ」
「アンタこれ……いったい何処から盗って来たの!?」
「俺どんだけ信用がねぇんだよ! 盗ってきてねぇから!」
「ヌスんできたんデスか?」
「うええ!? シノブさんまで!!」
直後に「じょうだんデスよ」と笑いながらフォローを入れてくれるシノブさんだが、出来ればそういう冗談はご勘弁願いたい。
もしこの人からの信用を失うなんて事態に見舞われようモノなら、俺はストレスで自分の胃袋に三つ以上の穴を開ける自信が在る。
「悪い事は言わないから、今直ぐに返していらっしゃい」
「だから違うって! 間違いなく俺の稼ぎだってぇの!」
「なんニャ、遂にイセアは発掘者から泥棒に転職したのアィタタタタタッ!!」
「おーまーえーわぁーー!!」
隣に居るシュルシャの猫ヒゲを、抜けない程度に上向きに引っ張ってやる。
そもそも、昼にこの金貨を俺に渡したのはこの猫娘だ。コイツが事情を知らない筈がない。
流石に悪ふざけが過ぎるのと、今の俺達の間には例の鉄格子もないので、ここはキッチリ制裁を加えてやる事にする。
「い、痛いイタイィ!ゴ、ゴメンなさい調子に乗りすぎましたぁ~!!」
「フンッ!」
その台詞を聞き、摘まんでいたヒゲをパッと開放してやる。
目に大粒の涙を浮かべながら、引っ張られたヒゲの根元を擦るシュルシャ……たまの薬としては調度良い。
「ひ~ん……酷いニャ~、虐待だニャ~」
「ま、冗談はさて置くとして。本当に如何したのよ、こんな大金」
涙目で弱っている猫娘なんぞ気にも留めず、金の出所を俺に尋ねてくるマスター……まぁこんなのも“いつもの事”だ。
「マスターには言ってなかったけど、実はこの前の遺跡発掘で一つ“隠し通路”を見つけてね、その報酬が“ソレ”って訳」
未だマスターの手の中に有る革袋を指差す。
「……隠し通路一つ分にしては、コレはチョット多すぎなんじゃないかしらン?」
流石に元発掘者だけあって、マスターも大体の“相場”ってモノを心得ている。
マスターの言う通り、確かに隠し通路一つ分の報酬としては、この金額は破格と言って良い。
「まぁね、俺も最初はそう思ったんだけど……おいシュルシャ」
「ぶつぶつ……ニャン?」
「バカ、本当に“ぶつぶつ”言う奴があるか。折角だ、本職が説明してくれよ」
「説明かニャ?」
「コレよ、このお金の説明。ちょっと多すぎなんじゃない?」
マスターがジャラジャラと革袋を振ってみせる。
「ああ、その事かニャ。説明と言われても、いわゆる“付加価値”ってヤツだニャ」
「“フカカチ”、デスか?」
微妙に言葉の意味が解っていないシノブさんに、シュルシャは「う~ん」と唸ってから言葉を付け足す。
「要はあれニャ、不味いパンよりも美味しいパンの方が値段が良くないかニャ?」
「あ、ハイ、そうデスね」
「つまり、そういうコトだニャ」
「おいおい、ンな説明の仕方で――」
「ナルほど、そういうコトデスか」
(え、理解できるの?)
しっかしフールの時もそうだったが、シュルシャの説明はいつも完結過ぎやしないだろうか……まぁ、内容自体はなかなか的を射ているとは思うが。
普通のパンに“美味しい”という要素を“付加”させるコトで、普通のパンを売るよりも多くの利益が出せるのは、誰しもが納得できる理屈だろう。
売り物の品質が“悪い物”よりも“良い物”の方に高値が付くのは、商売だけでなく世間一般の常識だ。
つまりは今回の俺の報酬金額も、俺が持ってきた隠し通路の情報が〈黄金の瞳〉にとって“只の情報”ではなく、それだけ“美味しい情報”であったと言う事だ。
「一体どんな付加価値が付けばこんな金額に成るのよ?」
「まぁ理由は色々とあるんだけどニャ、一番の要因はレイドの見付けた通路が“外”に繋がってたって処かニャー」
そこでシュルシャは、昼に俺にしたのと同じ内容の説明を、マスター達にも語り始めた。