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◇
林から抜け出し、俺達の住んでいる町の“西側”から、目的の場所が在る町の“南側”へと向っている途中――
「ひぃにぇええ~~!」
何やら少し離れた場所から、まるで車輪に巻き込まれたカエルの断末魔――の様な悲鳴が聞こえてきた。
「あン?」
反射的に声のした方へ視線を向けると、通りの端に置かれているベンチの前に一組の男女が居るのが見える。
男の方は何故かベンチ前の地面に倒れ伏し、女の方は男を見下ろす様にその隣に立っている。どうやら、さっきの悲鳴はその男のモノらしい。
(アレは……)
良く見ると、男は随分と年寄りらしい。少し離れている俺の位置からでも、長い髪と長い髭のどちらもが白く染まっているのが判る。
それに対し、隣の女は随分と若い。男とは父親と娘――いや、祖父と孫程の年齢差が有りそうだ。
勝気そうな目をした青髪の美人で、そしてなにより……中々ふくよかな胸囲をしていらっしゃる。
「フン!」
女は鼻を鳴らして爺さんに背中を向けると、そのまま大股かつ強い歩調でその場から離れて行く。
地面に倒れたままの爺さんをそのままにして行くあたり、本当に孫って雰囲気じゃないが……ま、当たり前か。
「アタタ……まったく、最近の若いモンは……」
「おい爺さん、大丈夫か?」
流石に放っておくのも忍びないので、助け起こしてやる事にする。目的地に着くのが少し遅くなるが、別にそれほど火急の用と言う訳でもない。
「ホレ、つかまれ」
「お、おお、スマンのぉ……」
「気にすんなよ」
俺に肩を貸された爺さんは、杖を突いているもう片側の腕でも自分を支へ、若干ふらつきながらも何とかその場に立ち上がる。
爺さんはヨボヨボって感じの似合う皺の多い顔に、全身をスッポリと覆う黒いローブを纏い、自身の背丈より長い杖を突き、白く染まった長い髪と髭を蓄えている。
これでツバの広い三角帽子でも被っていようモノなら、どこぞの御伽噺に登場して来る魔法使いって具合の格好だ。無論、この爺さんに魔法なんて使えんが。
因みに、歩き辛そうなこの格好にもちゃんと理由があったりする……まぁそれは良いか。
「よっと、じゃあ少し場所変えるぞ」
「ああ」
そう一言声を掛け、その場から移動する。
爺さんに肩を貸しながら、俺達はさっきまで居たベンチから離れると、通りを一本跨いだ路地へとやって来た。
「よし、取り合えずは此処に座っとけ」
「スマンのぉ、どっこいしょっと……」
その路地の片隅に、爺さんを座らせてやる……これで良し。
後は“係りの奴”がどうにかしてくれるだろう。
「それじゃあもう行くぜ。用事があるからな」
「ああ、こりゃどうもご親切に……ってコリャーーー!!」
突然、爺さんが前触れなく奇声を発した。
「どうした爺さん? この程度なら礼はいらないぜ」
「礼なんぞ言うかバカモンが! お前さん老人を一体何だと思っとるんじゃ!?」
「全員とは言わないが、アンタに関しちゃ骨と皮……在って筋ぐらいじゃないのか?」
「む……確かにワシももう歳じゃ、否定はせん」
(しないのかよ……)
そう言って腕を組み、少しだけ興奮を諌める爺さん……しかし――
「じゃからと言って! ワシのような老人を“ゴミ捨て場”に置いて行く奴がおるかぁ!!」
「……チッ、気付いたか」
「気付くわバカモン! そこまで耄碌しとらんわ!」
出来る事ならこのままゴミ処理にやって来た担当が、この爺さんをゴミと間違えて一緒に回収して行ってくれないものかと期待したんだが……なかなか思い通りにはいかないモノだ。
「まったく、相も変らぬクソガキっぷりじゃのう」
「そりゃコッチの台詞だクソジジィ。今だって、どうせさっき一緒に居た女のケツ追っかけて、いつもみたいに張り倒されたんだろうが」
「なんじゃいその、ワシがいっつもオナゴの尻を追いかけておる――みたいな言いぐさは!」
「違うのか?」
(そいつは意外な――)
「今回追いかけておったのは“尻”ではない……“胸”じゃッ!!」
「拳握り締めて力説するんじゃねぇ! そんなん大して変わらねぇだろが!」
「“大して変わらん”じゃと!? エエイそこに座れイセア! いつも言っておろう、そもそも尻と胸の違いとは――」
「こんなゴミ捨て場でンな無駄な講釈垂れ流すなジジィーーー!!」
別に紹介なんぞしなくても良いと思うが――このエロジジィの名は〈ゴルド・マーベリック〉
俺の親父と古くからの付き合いで、その関係で俺も子供の頃から世話に成っていたり、逆に世話をしていたりする仲だ。
爺さんがどんな人物かの説明は省く……だがまぁ、あえて言うなら一言だけ――“こういう人物”だ。
「なんじゃい、“相変わらず手の掛かるジジィだ”――みたいな顔しおってからに」
「“みたい”――じゃなくその通りなんだよ」
「まったく、お前さんは年寄りに対する敬意とか尊敬ってモノがまるで無いのぉ。イカンぞー、年寄りは敬わねば」
「……じゃあ、さっきまで一緒に居た女に何したか言ってみ?」
「あー……アレは不幸な事故じゃった……」
そうして、爺さんはしみじみと語り出す。
薄く開けたその瞳に、色濃い憂いの光を湛えながら……。
「仕事が一段落したワシは、いつもの様に散歩コースにあるベンチで休んでおったんじゃが――」
爺さん曰く、歳のせいか休憩が終わってもベンチから立ち上がるのが辛かったらしい。
そこで、“偶然”通り掛かった若い女性に立ち上がるのを手伝ってもらい、腕を引っ張ってもらった際に“偶然”バランスを崩し、倒れ込んだ先に“偶然”その女性の胸が在り、慌てて体勢を直そうとした結果“偶然”その胸に触ってしまった――との事。
「あの娘さんにも悪いことをしたのぉ。まさかあそこまで不幸な“事故”が重なってしまうとは……ムフ」
(つまり、要約するとだ――)
仕事を抜け出してさっきのベンチに座り、美人かつ胸の大きな獲物が通り掛かるのを待ち、歳を言い訳に立てないと嘘を突き、獲物が罠に掛かった処でわざとよろめき、どさくさに紛れて相手の胸を揉んだ。
(――って訳だな)
「成る程……良く解ったよ爺さん」
「おおイセア、解ってくれるか」
「ああ。ちょっと待ってろ、いまから〈治安維持隊〉連れてくるから」
「待てーい! お前さん、あの堅物ども連れてきて一体どうする積りじゃ!?」
「決まってるだろうが! アンタを突き出すんだよ!! 相手の好意につけ込んだ巧妙かつ悪質な手口じゃねーかッ!」
(ゴミ回収なんて生温い事は言っていられん! このエロジジィには断固とした制裁と断罪を与えるべし!!)
「待て待て待て! 別にあ奴等に捕まるのは構わんが、そうすると流石にウチの嬢ちゃん達にワシの素行がばれる! ソレは不味い!!」
「ンなこと知るかッ! ええい離せ鬱陶しい!!」
(つか、捕まるのは良いんかい!?)
そう言って、俺の脚に必死にしがみ付いてくる爺さん。良い歳してみっともない事この上ない。
「頼むー頼むー! もしばれたらあの娘等全員に今後一週間は白い目で見られるんじゃー! まともに口もきいてくれんように成るんじゃー!!」
「うるせぇ! それが分かってんなら最初からするんじゃねーよ!!」
そもそも、仕事を抜け出した時点でこの爺さんの素行なんぞ周知の事実だろう。
隠そうとした処で無駄な足掻きというモノだ。
「後生じゃー!! 後生じゃからーー!!」
「はーなーさーんーかーーー!!」
(お、重ッ!?)
そんな爺さんを振り解こうと脚を振り回すが、この爺さん見た目に寄らず力があるんでなかなか振りほどけん。
ズボンの布地をガッチリと掴んでいる爺さんの手は、幾ら揺すろうとビクともしない……流石に疲れてきた。
「ゼーハー、ゼーハー、わ、分かった。分かったから、ハー、取り合えず離せ」
「本当か? 嘘ではないな?」
「ああ。ハァ……嘘じゃねぇよ」
「そうか」
その言葉を聞いた爺さんはパッと手を離し、そそくさと俺から距離を取ると――
「まったく、男に抱き着く趣味なんぞないと言うに……あー気持ち悪い」
などとほざきやがった。
(こンのクソジジィは~~!!)
なんか、今日は一日中イライラしている様な気がする……。
(たまの休日くらい、何で穏やかに過ごさせてくれんのだろうか?)
「……ところでイセア、今日はお前さん一人か? フールちゃんは居らんのかの?」
「あン? フールの奴だったら留守番だよ。今は家に居る」
「なんじゃい、じゃあこれ以上お前さんに用はないの。よっこらせ――」
あからさまにガッカリした様子を見せた爺さんは、大げさな予備動作なんて殆ど見せず、その場にすっくと立ち上がる。
杖は突いているものの、その動きに淀みは一切感じられない。腰は曲がっておらず、立ち姿も綺麗なモノだ。
さっきは肩まで貸して此処に連れて来たが、そんな必要なんて最初から全く無かった訳だ……全部“演技”だったんだからな。
因みに、この爺さんも他のジジババ同様、我が家の“働きアリ”ことフール君の大ファンだったりする。
なので、フールと居る時は“好々爺”然とした態度で接するのだが、俺と二人きりの時はその仮面を脱ぎ捨て、今みたいな“エロ爺”の姿を存分に晒している。
しかも、この爺さんの持っている“顔”はソレだけではない。
他にも色々な状況によって、様々な“顔”を使いこなすその手腕は確かなモノで、俺どころか俺の親父ですら、この爺さんの裏を読むのは難しい。
と言うか、この爺さんに関して言えば、“表”と“裏”なんて二面性だけでは到底語れない。五面六面、下手したらそれ以上の面を持っているかもしれない。
本人曰くただの“年の功”らしのだが、俺にとっては厄介な事この上ない。
「ほれ、何か用事が在ったんじゃろ? とっとと行かんか」
「ッチ、わーったよ。爺さんも程々にしとけよ」
「分かっとる分かっとる」
(絶対分かってねーな)
だが爺さんの言う通り、俺にはコレから行かなきゃならない場所が在る。こんなアホなやり取りに、いつまでも関わってはいられない。
爺さんにシッシッと手を払われながら、俺は呆れつつもその場を後にする事にした。
「おいイセア、お前さん……」
「ん?」
立ち去ろうとした矢先、爺さんが俺の背中に声を掛けてきた。
止まって振り返ると、人に声を掛けてきたにも関わらず、爺さんは何か考え込んでいるのか、顎に手を当てたまま固まっている。
(……なんだ?)
「何だよ爺さん?」
「……いや、何でもないわい」
「はぁ?」
(なんじゃそりゃ?)
「良いから早よ行け、ワシは忙しいんじゃ」
「ああ? 呼び止めたのはソッチじゃねぇか……ったく、何なんだよ……」
そうして、釈然としないままその場を後にする俺の背後から――
「さて、今度はもっと気の弱そうな娘を――(ブツブツ)」
「……」
仮にあの爺さんが豚箱行きに成ったとしても、面会も差し入れも擁護もしてやる気はない。
いや、寧ろ率先して今迄の爺さんの悪行っぷりをぶちまけて、二度と外に出られない様にしてやろう……無駄だと思うが。
「はぁ……本当に、厄介な爺さんだよ……」




