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穴地獄

作者: 朝戸あんり
掲載日:2013/01/24

「ハア、確かにそういった穴はございますが、お客様もソレがお目当てで?」

 女将(おかみ)はそう言うと、陰鬱(いんうつ)な表情をさらに暗いものにして、興味津々(きょうみしんしん)に見開いているボクの瞳に暗い光を投げかけた。

 だけどここで怖気(おじけ)づくわけにもいかず、「ええ。噂が噂を呼んでおりまして。それなら自分の力で真相を究明してみようと思った次第でして」と当たり障りなく答えた。

 六十年以上を生き抜いてきた女性ならではの、人生を刻んだ(しわ)が優しく(うごめ)き、()(みょう)な説得力を持って忠告してくれた。

「悪いことは言いません。よしたほうがよろしいかと」

「止めるということは、噂は本当なのですか?」

 そのとき女将の眼が妖しい光を放った。何故そのような眼をするのか、ボクはさらに興味をそそられた。

「ハア、確かに、あの『穴』を見た方たちは、誰彼(だれかれ)なしに気が変になってしまいます。実は昨日も、あなた様と同じように若い男の方がいらっしゃいましてね。お昼の十二時を少しまわったころでしょうか、私はそのとき東にある中庭の手入れをしておりまして、『穴は何処にある!』と突然、怒号が飛んでまいりました。あまりにもびっくりしたモノですから、ほれ、このとおり……」

 そこで言葉を止めると、女将は、左腕の包帯を解いて見せた。五センチほどの切り傷が、生々しくきらめいている。血はかろうじて流れていないが、肉が皮の中から盛り上がっている。

「ワタシは何度も何度もお止めになったのですが、これが(がん)としてききませんでね。結局、そのお客様は穴を見てしまわれたのでございます。その後すぐ、でございましょうか、お客様の悲鳴がきこえまして。急いで駆けつけてみますと――」

「駆けつけてみますと?」

「イヤ、もう、勘弁してください。ワタシたちはただお客様に疲れた身体と心を癒してさしあげたい一心で宿を開いておりますのに、近頃はこういった興味本位の、好奇心の塊のお客様が増えまして、ほとほと困っております」と言って女将は頭を畳にこすりつけた。

 ボクは慌てて手を振った。

「ああ、いや、ボクは休養のためにここに来たのです。で、ついでというか何というか」

「それでしたら、ハア……」


 車に揺られて二時間半、その間、味気ない田園風景が続き、同じ家々を通過し、群生(ぐんせい)している違いのない木々を眺め、いいかげん辟易(へきえき)したところで旅館に到着。話しには聞いていた。この旅館ならではの特色やうり(、、)はない。温泉の効用も美肌効果のみ。休養のためだけに、こんな辺ぴでありきたりで魅力のない旅館まで来るわけがない。それなのに、ボクはどうしても足を運ばなくてはならなかったのだ。

 それは親友の一言が原因だった。


「なあ、『穴』の噂って聞いたことあるか?」

「穴?」

「そう、『穴』だ」

 中学校からの付き合いである村岡が、それまでに見せたことのない恐怖と不審感の色を、その四角い顔に浮かべながら、何かしら意味深(いみしん)な言葉を発した。いつも冷静で、何事もそつなくこなす頭脳と精神を持った村岡。暴力団との(いさか)いのときも、恋人の浮気相手と対峙したときも、こんな顔を見せたことはない。だからボクはくわしく訊こうと思い、大学の講義を終えたとき彼を呼びだした。キャンパス内では、穴穴言っていると周りの視線が気になるから、という理由もある。

 場所は大学のすぐそばにある居酒屋。何度も足を運んで慣れ親しんだはずのこの場所が、彼の言葉で奇妙な空気をにじませていた。

「すまない、村岡、『穴』の噂なんて訊いた事ないな」

「ひとつ上なんだが、田崎先輩って覚えているか?」

 村岡はにぎやかな店内に浮かぶひとつの影となって、空間に穴を開けていた。

 眼をつぶり、頭を振って、ボクは錯覚を追い払った。

「アア、たしか高校のとき剣道部の?」

「そう、その田崎先輩が例の『穴』を見たらしいんだ。田崎先輩って、結構イケイケな部分ってあっただろ? いつも強気で手も早いしちょっと怖い感じだったよな。田崎先輩は出発前に、仲間たちに向かって謎の正体を見破ってくると息巻いていたらしい。ところがだ、あの田崎先輩でさえ、発狂してしまった。救急車で運ばれてきた先輩は、みんなの前で意味のわからないことを口走り、鳴き叫び、何かに怯え、手がつけられなかったそうだ。この事件は三ヶ月ほど前のことなんだが、まだ入院中だ。退院はむずかしいらしい」

「まあ待て。そういうキチガイじみた穴があるらしいことはわかった。だけど、何故この話しを今するのか。それと何故、ボクにするのかがわからない」

「何故かって? そんなことは決まっているじゃないか。その『穴』のある場所が、わかったからだよ」

「だから?」

「いや、行くのが、お前の運命だからさ」

「勝手に決めつけるなよ」

「田崎先輩の元恋人からその友人、そして俺に話が来てお前に流れた。これって絶対に偶然じゃないだろ」

「それってウソくさいぞ。なのに、行けというのか?」

「そうだ。俺はお前の性格を知っている。だから、そうやって平常心を取りつくろっているが、実際のところ、行きたくて行きたくてうずうずしているはずだ」

 図星だった。言葉に(きゅう)するボクを見て、村岡はいやみな微笑をその口元に浮かべた。

「すべての者を発狂させる、奇妙な『穴』を、お前は見たくないのか?」

 このとき、店内のザワザワが急に大きくなって耳に入ってきた。それからまた、村岡の姿が穴の闇のなかに、隠れた。


 村岡とのやりとりが昨日のことだ。

 彼と別れたあと、ボクは悩みになやんだ。普段からそういう怪奇現象やら超常現象やら心霊現象には興味があり、本という本を読みあさっていたからだ。好奇心を刺激されないわけがない。そして、その悩んだ結果が、今、旅館に来ているということだ。


「それではソロソロこのへんで失礼いたします。何かご入用(いりよう)がございましたらなんなりとお申し付け下さいまし」

 そう言って女将は、妖しい瞳の光を残したまま部屋をあとにした。

 女将を見送って、ボクはグラスに注がれているビールを一気に飲みほした。

 まず、第一の不安は消え去った。穴は本当にあったのだ。無駄足にはならなかった。そしてそれは、噂どおりの不可解で、人を発狂させる、常識では考えられない穴。

 第二の疑問は残ったままだ。もしも、その穴が現実に人を狂わせるのであれば、原因はなんなのか。ウイルス、それとも人為的なものなのか。これは皆目検討もつかない。

 そして、最後にあらたな問題ができた。

 それは、何故、人が狂ってしまうという穴をそのまま放置しているか……だ。

 女将の言うとおり、客の癒しが目的であるのならば、このような穴を放置しておく理由がない。むしろ、邪魔でしかないはずだ。それならば何故そのままにしておくのだろうか。


 部屋に設置されている時計を見ると午後八時半。行動を起こすにはまだ早い。

 もう少しだけ、飲むことにしよう。震える心を落ち着かせよう。

 十時をまわると、外からは物音ひとつしなくなった。ためしに廊下を覗いてみる。放課後の教室のように静まり返っていた。

 頃合(ころあい)だと思い、そっと、廊下へ出てみると、人が動いている気配は何所からも響いてこなかった。かわりに換気や電気の通る音が静かに、しかしせわしなく聞こえてくる。ちょっとしたおばけ屋敷以上の恐怖がソコにはあった。(しゅう)()だというのに、この粘りつくような空気は何だろう。しかし、せっかく目前まできたのだ、気持ちの悪い雰囲気にのまれて、ここで諦めるわけにはいかない。

 村岡が言うには、穴は一階の東側物置。そこへはフロントを通らなければならないが、それまでに何かしらの理由を考えておかなければならない。

『お出かけですか?』『ちょっとだけ散策をと思いまして、何せ初めての場所なので』

 うん、これでいい。深く追求はしてこないはずだ。完璧だ。

 階段をおり、フロントへ向かう。その間、きこえるのは、ブブブブという電気の音と、ペタペタという自分の足音。それが何故か、静寂を突き破るほどの音量に感じられた。

 フロントには二十代半ばと思われる男性が独りいた。色白で中性的な顔立ち。正面をじっと見つめ、ボクの存在に気づいていない。

 彼の前を横切るとき、小さく会釈をしたが、反応がない。視線は正面を捕らえたまま微動だにしない。ボクは彼から眼を離すことができず、しばらく眺めていると、彼の口元が(かす)かに動いているのに気づいた。まるで歯軋(はぎし)りでもしているかのように下あごが左右に揺れている。と、突然、その揺れていたあごがピタリと止まり、口の端が大きく、にぃ~ッと吊り上がった。

 それを見て背筋に旋律(せんりつ)が走った。全身の毛がブツブツと(くり)()った。その場を逃げるようにして去るとき、ボクは思った。もしかすると、この旅館の人たちは、穴にかんする一連の事件、事故を楽しんでいるのではないか、と。それならば説明がつく。穴の噂を客寄せに利用している。

 しかしそれは変だ、と同時に思う。長期的に見ると、やがて人はうす気味悪がって寄り付かなくなってしまう。客を呼びたいけど寄せ付けなくしてしまうという、相反する女将たちの営業方針。意味がわからない。ただの深読みかもしれない。フロントのボーイは自分の世界に入りこんでいただけ。妄想にふけっていただけ。現にボクの存在に気づいていない様子だったのだから。考えすぎだ。しかし、本当にそうか? と答えがさまよっている間に、目的の場所まで到達した。

 関係者以外立ち入り禁止と書かれたドアは、旅館の一番東にあった。廊下の突き当たりの壁に中庭を見渡せる大きな窓があり、その左手に開かずの間のごとく、重々しく扉がそびえ立っていた。

 ボクは生唾を飲むと、震える手をドアノブにかけた。

 今ならまだ引き返せる。大勢を狂わせた穴。穴を見なければ、翌朝、何事もなく帰路につき、村岡に臆病者扱いされて終わりだろう、が、助かる。

 今ならまだ間に合う。

 しかし待て。穴を見ただけで人間の脳髄、もしくは精神が破壊されるなんて常識的に考えてもあり得ない。そこにはやはり秘密が隠されているはずだ。何かしらの謎が秘められているはずだ。その点さえ注意し、意識して行動すれば、きっと大丈夫。

 腕に力を入れ、ドアを開けた。

 中へ入ると拍子抜けと安堵のため息が同時にやってきた。

 六畳ほどの物置。正面に木で出来た棚があり、モップやほうき、掃除機やぞうきんといった、日常的な清掃道具が乱雑に積まれていた。あまりにも普通なので、本当に不思議な穴があるのか疑ってしまう。

 いくらか軽くなった足を前へ進める。物置部屋特有のほこり臭さはない。

 小さな豆電球のあかりは、探すのを困難にしていた。穴のある部屋はここに間違いない。だが、具体的には何処にあるのかを知らない。壁に手をやり、ゆっくりと動かす。グルリと一周すると今度は高さを変え、もう一周。やがて眼もなれてきて、徐々にではあるが、壁にこびりついている細かいシミなどが見えるようになってきた。

 そのときふと、ボクの視線の片隅に、十円玉くらいの空洞が映った。その場を凝視すると、あった、『穴』だ。本当にあったのだ。

 動悸が早くなる。この穴は、これまで何人の人間を病院へ送ったのか。もしかしたら公になっていないだけで数十人、いや、数百人と病院へ送ったのかもしれない。一見普通の穴なのだが人を狂わせる異常な力を持っている。だけど、ここまで来て、尻込みをしているわけにはいかない。覗かなければ穴の真意はわからない。

 腰をおろし、眼を穴の位置にもってくる。周囲に針のような突起物がないか妙な液体が塗られていないかを調べる。毒物を心配したが、杞憂(きゆう)に終わった。普通の壁、トラップなどはない。それでも安心は出来ない。何かあるはずだ。だけどこれだけ意識をしっかり持っているのだ、恐れることはない。警戒心を解かず周囲にも注意を払いつつ、右眼を、穴に、つけた。

 何か見える…………明るい……薄暗さに慣れていた眼が悲鳴を上げる。しかし徐々に光に慣れる。

あれは……女性? 見覚えのある女性だ……『穴は何処にある!』……突然誰かの声が響き渡る。イタイイ……女性が驚いて、持っていた鎌で怪我をした。左腕。アア思い出した……彼女はここの女将だ……誰かに声をかけられ腕にケガを負ったのだ。急いで手当てしなくては…………え?……待て。

 ボクは穴から眼を離し、周囲を見渡し、再び眼を穴に戻した。

 穴は東側の壁にある。穴の先は中庭。それはいい。ボクはある秘密に気づいた。

 穴の先には過去が映し出されているということだ。

 現にそうではないか。今は午後十時をまわっている。なのに、外の明るさは何だ? 女将のケガの追体験はどう説明がつく? そう、穴は過去を映しだしているとしか言えないではないか。

 女将と男のやりとりをしばらく眺めていると、不可思議な現象が起こった。

 映し出されている過去の映像が、まるで、絵の具を水で溶かしたようににじんできたのだ。海のような空が黒ずんでいき、大地の緑も完璧なる闇に呑み込まれていく。人物も、何もかもが、漆黒の中へ。

 突然、穴の奥に一点の光が現れ、それが大きくなっていく……光の中に薄暗い室内が見える……あれは……この旅館のフロントだ……フロントの前を横切るのは……ボク………。

 そして……やはり……消えていく……。廊下が闇に吸い込まれていく。光がゆがんでいく。若者の……ボクの……存在がなくなる…………。


 それらの映像を見て、ボクは理解した。

『穴』の真意を見抜いた。

 過去はもう存在しない、ということなのだ。何も残っていないということだったのだ。

 どんなにすばらしい偉業を成し遂げても、過去には何も存在せず、心に残っているだけ。形として残さないかぎり、何もなし。

 過去とは無。過去は死んだ。つまりは、そういうことなのだ。

 ボクは荒々しい息をはずませながら、穴から眼を離した。

 どんなにがんばっても過去には何も残らない。しかし、とボクは思う。努力した結果が次の世代に残るではないか。出世、成功、財産、家庭の円満、記憶。過去の本質が無だとしても、何も恐れることはない。

 

 幾分落ち着いてきて、大きく深呼吸して息を整え、完璧なる冷静な思考をボクは取り戻した。

 確かに衝撃は受けた。過去の真理に触れ、陰鬱な気持ちにはなった。だけど、気が狂うほどではない。過去を、経験を重んじる人には、気がおかしくなるほどのショックを受けるのだろうか。忘れたい過去をもう一度見ると狂ってしまうのだろうか。それはわからないが、ボクの心は謎を解いた満足感で満たされていた。

 人を狂わせる穴の正体を見破ったのだ。とても不思議な穴。

 もう一度穴を覗くと、この場所、物置が見える。ボクがキョロキョロとあたりを見回している。そして、闇へと消えていく。

 ボクは腰をあげ、部屋を出ようとした。このことを村岡に伝えなければ。過去を未来への階段だと思うことが出来るのであれば、何も恐れる必要はない、と。

 扉を開けようとした瞬間、ボクの心臓が一度バクンと大きく跳ねた。

 ドアの中央、やや下のほうに、もう一つの穴を発見したからだ。

 この穴は何だ? 一つではなかったのか? 二つ目の穴? 先ほどは過去の穴、ということは……。

 飛びつきたい衝動をおさえる。気をつけろ、この穴にこそ真の罠が仕掛けられているのかもしれない。だが、周囲を調べても『過去の穴』同様、不審な部分は見つからない。

 覗いても心配はないだろう。ドアの向こうは廊下だ、しかし、いや、間違いない、穴の先には、未来が広がっているはずだ。

 周辺を念入りに調べた。毒針や毒液などの人工的な危険物はない。気をしっかり持っていれば、きっと大丈夫。たとえ未来に絶望だけが待っていたとしても、決して取り乱してはならない。その覚悟があれば心配ない。運命論など信じない。決定論なんてクソ喰らえ。『穴』の正体を調べにきたのはボク自身の意思によるものだ。だから穴を覗いて絶望だけしかなくても、大丈夫だ、ボクなら、無事に未来を知ることができる。


 扉に両手をつけ、穴に眼を近づける。左眼を閉じて、右眼を大きく開けて、穴に、つけた………………真っ暗だ……やはり、未来が見えるなどということはあり得ないのか……まだ暗いままだ……廊下の灯りも消したのだろうか……それもあり得ないことだ、ここは民家ではない、かならず非常灯などは点いているはずだから。なのに真っ暗……。

 違う。平常心を取り戻していたボクはあることに気づいた。これは、未来も何もない、という意味ではないのか? それとも、未来はまだ決まっていない、ということなのか。決まったレールがなく、自分の力でレールを敷いて行く。ハハハハ、何てことはない、輝かしい未来とは自分で切り開いていくもの。それが未来なのだ。


 未来の真理とは、自分で正しいと思う選択をすること。

 

 大きな安堵と期待に満ちあふれ、眼を離そうとしたときだった。暗闇の中央に、小さな点が見えた。それが急速に近づいてくる。まばゆい光にめまいをおぼえ、やがて、穴の風景に変化がおとずれた。

 何処かの、都会の上空。ネオンの灯りが七色の光を放っている。(たか)が獲物を捕らえるように、突然、映像が急降下した。視線の先にはひとりの若い男。さらに下降する。ん? 獲物はひとりではない。この映像は……変だ。

 若い男のすぐ後ろに黒いフードを身にまとった男がいる、真後ろだ。ピタリとくっついている。フードの男はスキンヘッド。白粉(おしろい)を塗りたくったように白い頭部。背後からの映像なので顔は見えない。何をしているのだ? 何故このような状態でこいつらは街を歩いているのだ? それだけでも理解に苦しむが、さらに奇妙なことがある。

 フードの男が若者の左腕を掴みながら動かすと、若者は何の抵抗もなく従う。取り出したのは携帯電話。もちろん携帯の操作もフードの男が若者の指をつかんで指示を出している。人形を操るかのように若者を動かしている……つねに接触して……。

 フードの男が若者の歩を進めさせる。道路を横切るつもりだ。若者の顔をぐいッと右に向け、横断させる……待て、左側から車が近づいてくる、危ない。若者は電話に夢中で気づかない。右を向いているので危険が迫っていることに気づかない。電話の相手が出たようだ。出たことによって若者はよけいそちらに気をとられて迫りくる危機に気づかない。フードの男だけは車を見ている。助けろ。今ならまだ間に合う。何故顔を左に向けてやらないんだ? 何故見ているだけなんだ?――――――若者と車が接触した瞬間、場面は暗転する。再び訪れる闇。やがて見なれた小さな光の点が現れ、巨大化していく。

 線路にたたずむひとりの少女。その後ろにはフードの男。先ほどの男とは体形が違うので別人だろう。接近してくる電車。止まらないことを知らせるための警笛(けいてき)。フードの男が少女の肩をつかみ、いっしょに飛び込む。

 場面が変わりビルの屋上。中年男性とフードの男。飛び降りる。

 ……アア……なんとなくわかってきた…………。

 公園のベンチに腰をおろしている若い男女。それぞれにつくフードの男たち。女の頭をつかみ、男の頭をつかみ、互いの唇をかさねさせる。

 ナンてことはない……アハハ。これが『穴』の正体か……アハハハハ。

 大都会の上空。道行く人々。汗を拭う者、携帯電話に夢中な者、おしゃべりに夢中な者、千人以上はいるだろうか。そのひとりひとりにフードの男。

 また上空。今度はものすごいスピードで落ちていく。厚い雲をつきぬけ、やがて見えてくる大きな建物。屋根を通過し、部屋をいくつも通り抜け、白衣の人たちが集まる室内へ。分娩台には女性。かたわらにはフードの男。頭部を覗かせる赤ん坊。手を伸ばすフードの男。腕が、赤ん坊の頭の中に進入する。その刹那、赤ん坊が泣き出す。医者についているフードの男と、赤ん坊の頭に手を突っ込んでいるフードの男が視線を交わし、(うなず)きあう。

 たいしたことのない穴だ……こんなモノでボクの気は狂わないぞ。アハハ。

 次は薄暗い部屋のなかだ。男性がいるが、いったい何をやっているのだ? 扉に両手をつき、まるで覗きをしているような格好。もちろん、その背後にはフードの男がいる。男性の携帯電話が鳴った。電話に出させるフードの男。そして、男性の指を開き、携帯電話を落とさせる。次は男性の首を後ろに向かせる……。


 …………………………………電話? ブブルブブブブブルブル。

 ボクのポケットが振動している。電話が鳴っている。

 穴から眼を離し電話に出た。

「よかった、無事なようだな。どうだ、『穴』の正体はつかめたか?」と電話の向こうで言うのは村岡だった。

「あ、ああ。その前に……お前、何処にいるんだ?」

「これからデートだ。もう五分ほど遅れているから急がなくちゃならない。ふと、お前のことを思い出して電話したんだ。まあ無事ならいいや。今度ゆっくり『穴』のことを訊かせてくれ」

「ま、待て村岡……もしかして左に今――」……激しい衝撃音……驚いて、持っていた携帯電話を落としてしまった。

 過去や未来がどうこうじゃない。それどころか、われわれ人類は……人間とは……。


 ボクは振り向いた……いや、振り向かせられた………………。


         ●


 ハア、あなた様の言うとおり、たしかにそのような『穴』はございますが。

 場所ですか? 場所は一階の物置でございます。ただね、さらなる不思議なことが起こっておりまして……。

 え? ソレはどんなことかと?

 お聞きになりたいのですか?

 わかりました。あなた様の熱意はスゴイですねえ。いや、人間の好奇心はすごいエネルギーですねえ。それとも、『穴』というものは人間を引き寄せる妙な力を持っているのでしょうか……。

 まあ、不思議なことと言うのは他でもありません。

 穴が増えているのです。

 誰が、何の目的で増やしているのかサッパリでして。もしかしたら、穴自体が意識を持って恐怖を食い物にしている、なんてことは考えすぎでしょうか。そんなイキモノなんていやしませんのにねえ、やだやだ、ワタシったら、オホホホホホホホホ。

 早く案内してくれ? 若いモノはせっかちですねえ。どうせ最後なのだからもっとゆっくりと……え? いやいや、何でもありません。

 わかりました、安心してもヨロシイですよ。何もワタシは穴のことを隠そうとしているわけではありません。お教えしましょう。

 穴なら……ほら……あなた様の後ろの壁に……………………。

 オホホホホホホホホホホホホホ


         ●


「ねえ、ママ。この『穴』は何?」

「え、穴? そんなの知らないわよ。それよりも早くご飯を食べて学校に行きなさい」

「誰が開けたのかな? 覗いてみようっと」

                                      


「ここで緊急速報が入りました! 巷で人々を恐怖のどん底に――――」



                                       了


比較的初期の作品です。今でも語彙が足りないまだまだな文章ですが、昔はもっとひどかった。改稿に改稿をかさねてやっとここまで。


穴って、なんか眼をひきつけられるんですよね。そこから着想を得ました。


次は、『デカダンス事件』か、ジャンル分け出来ない『傷は語る』でも。


あんりでした。ありがとうございます。

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