ちいさな世界のちいさなお話
あるところに、小さな世界がありました。
産まれたばかりで、まだ生き物も少なく、けれど緑豊かな美しい世界です。
世界の9割は森で覆われ、そのうちの1割が草原や湖や川などでした。
主たる生き物はまだまだ小さな動物や気質の穏やかな動物ばかりで、捕食者達は誕生していません。
小さな世界の大きな森の中では、そんな生き物達がまるで大きな家族のように暮らしておりました。
この世界を創世した神様はひとまず形になったことに満足すると、彼らにしたいようにさせ、それを観察することにしました。
動物たちは各々テリトリーを持ちながらもいつも寄り集まってはじゃれあったりしていて、それがあまりに和やかなので、神様はずっとその光景を見ていたくなって、新たな生き物を創造出来なくなってしまいました。
そうして数百年が過ぎた頃。
ようやく、神様は、小さな生き物を新しく創造することにしました。
それは頭が一つに手足が2本ずつ、白くて軟い肌をしていて、動物のように四足歩行でなく両足を地に着け歩く生き物でした。
神様はそれを森の中に置くと、また観察をすることにしました。
初め、その生き物は森の中の小さな広場に、丸くなって蹲っておりました。
それからもぞりと動き出すと、ぴょこりと頭を上げます。
あちらこちらへ飛び出ているのに艶やかな長い頭髪は栗色で、小さな体を覆って余りあるほどでした。
その中から頭だけ飛び出していて、それはまるで亀が甲羅から頭を出したようでした。
頭を上げて周囲をぐるりと見回すと、一度ぱふりと元の体勢に戻ります。
それからちょっと間があり、また頭が持ち上げられました。
今度はじぃっと真っ直ぐ目の前を注視して、それからようやく、もそもそと体勢を崩しました。
髪の檻から現れたのはすらりとした白く細い手足で、何も身につけておりません。
その生き物はゆらゆらしながら立ち上ると、まずは自分の身体を隅々まで調べ始めました。
そうして気が済むまで自分の身体を眺めると、ここできゅうとお腹が鳴きます。
どうやら、お腹が空いたようです。
生き物は長い髪の間から森の中をぐるりと眺め、ぱっと駆け出しました。
いきなり何処へ行こうというのでしょう。
ただ一人、それを見ていた神様は思わず小首を傾げてしまいました。
生まれたばかりで森の中など把握しているはずもないのです。
それにあのあたりでは、見まわしてすぐに食べられるものも生っていなかったはずです。
考えてもわからなかったので、神様はその生き物を追うことにしました。
神様の眼は特別で、見たいものを『追う』ことが出来るのです。
そうして眼に映ったものに、神様は思わずご自分の目を疑いました。
そこには、自分の何十倍も大きい巨木に、一生懸命登ろうとしている小さな生き物の姿があったのです。
思わず、そう思わず神様は動揺してしまいました。
その木には確かに実がなっていたのですが、それは空を舞う鳥たちの為の食べ物でした。
別に食べてはいけないわけではないのですが、地上の動物たちには文字通り手の届かないものなのです。
おまけに、あの小さな生き物は、あんな大木に登れるような身体には作っておりません。
手と足の爪はまるく、身体もやわやわで、他の動物のような体毛もなく、生えていてもごくわずか。
唯一頭皮を守る髪だけがその身体を覆い隠す程の長さくらいで、他に守ってくれるものなどないのです。
そんなやわい生き物が、固い幹に必死にしがみ付いて懸命に上へ上へと登ろうとしているなんて。
生まれたばかりで、こんな自殺行為に等しい行動をとるなど思ってもみなかった神様は、咄嗟にある生き物を呼び寄せました。
それは神様が初めて作った動物で、この森では実質彼が長のような立場にあり、神様も知恵をつけたその動物を一番信頼していたのです。
それは幾重にも枝分かれした立派な角を持つ、大きな真白の牡鹿でありました。
滅多にない神様からの呼び出し、それも酷く狼狽したようなそれに慌てて馳せ参じた牡鹿は、事態を把握すると流石にその理知的な黒い瞳に驚愕と困惑とを浮かべました。
確かに、目の前の大樹には、見たことも無い小さな塊がへばりついています。
どうやら途中まで根性で登ったのはいいものの、それ以上、上がることも下がることも出来なくなったようでした。
しかし、牡鹿はここで思いました。
これを一体どうしろと。
彼は四足歩行で、手を使うのは勿論、木に登ることは得手ではありません。
おまけにこの大樹は、森の最長老というべき古く巨大な木なのです。
いくらなんでも無理があるものでしょう。
彼に使えるものと言えば、その立派な角くらいしかありません。
よくよく見れば、幸いなことに、まだそんなに高いところに行っておりません。
牡鹿はその立派な角でそれを掬いあげることにしました。
小さな塊を怯えさせないよう、増してやこちらに気付いたそれが驚いて手を滑らせるといけませんから、非常に慎重に近づきます。
ふるふると震える塊の足先を角に触れさせると、ぴくりとそれが身体を揺らしました。
けれども顔をこちらに向けることはありません。
きっとそんな余裕すらないのでしょう。
その瞬間を狙って、牡鹿は一気に掬い拾いあげ、ようやく確保することが出来たのでした。
その後、唐突に身体を掬われたその小さな生き物が一度恐慌状態に陥った為、牡鹿は落ち着かせるのに大変な労力を使う破目になりました。
それから、何故こんなことをしたのかと問えば、その生き物が腹が減っているとわかったので、今度はその大きな背に小さな生き物を乗せると場を移します。
そうして連れて来てやったのは、低木の果樹園でした。
その生き物は喜び勇んでまた駆け出し、勢い良く果物を胃に収め始めました。
牡鹿はその側で足を畳んで座ると、じっとその光景を眺めます。
彼の脳内では、神様が今後のことをお願いしている最中でした。
曰く、この生き物を見守れと。
神様は、作ったばかりのこの小さな生き物を1人にさせるのが、とてもとても恐ろしくなったのです。
小さな生き物は、試験的に、神様と似通った姿で作られました。
けれども知恵は他の動物たちとあまり変わらないくらいなのです。
むしろ何もかもが目新しく、何が危険なのかすらわかりません。
何分生まれたばかりで、おまけに神様がその成長していく過程で知恵を付けて欲しいと願っていた為に、非常に無知で、無垢であったからです。
疑う心というものが全くと言っていいほどありませんでした。
神様は僅かでも危機管理能力をつけなかったことを少しだけ後悔しましたが、ここには神様の信頼する牡鹿がいます。
今後は彼に見てもらえれば、きっと危険な目に遭うことも大分少なくなるはずです。
何しろ、彼はこの森のことも、森に住む生き物のことも熟知していたからです。
この世界で神様に次ぐ程の知恵を持った牡鹿は、けれど秘かに嘆息しておりました。
己の創造主である神様の願いです、聞き届けたいのは山々でした。
しかし、この小さな生き物は、何やら非常に好奇心が旺盛のようなのです。
しかも向こう見ずで考える前に動いてしまう、無駄に行動力に溢れた生き物です。
牡鹿は、この役目は自分には分不相応なのではないかと思ってしまいました。
けれども、確かにこの森で彼以上に賢いものは居ないのです。
不安にならざるを得ないこの状況ですが、仕方なく腹を括ることにしたのでした。
それから、牡鹿は小さな生き物の常に側に寄り添い、その成長する過程を見守りました。
小さな生き物は森の動物達から『ルゥ』と名付けられ、すくすくと育ちました。
天真爛漫で純真無垢な笑顔が可愛らしく、すぐに神様と森の動物達を虜にしました。
そしてどうやら女の子であったらしく、ルゥの小さく丸い身体は、やがて細くもしなやかな成長を遂げました。
やがて、10年も経てば彼女はどうやら大人の身体になったようですが、動物的本能に従おうにも、ここに番う相手はおりません。
彼女は彼女しか同じ生き物が居なかったのです。
神様はそこでどうしようかなとも思ったのですが、彼女は別にそれに頓着していないようでした。
何故なら彼女は、自分を育ててくれ、ずっと側に居てくれた牡鹿にべったりだったからです。
いつも何処へ行くにも彼の背中に乗って、ちょっとでも姿が見えなくなるとその大きな眼に涙を溜める程の懐きぶり。
神様や他の動物達等には目もくれません。
その事実にしょんぼりしつつ、けれども神様にとっては皆大事な愛し子。
仲良きことは美しきかな、のほほんと見守っておりました。
さて、当の牡鹿もまた、彼の種族で言えば彼だけで、番はおりません。
しかしそのことについてどう思うでもなく、神様に愛されていた為にそれで満足していたのでありました。
ルゥが非常に懐いていることを受入れている様は、まるで慈愛深い父のよう。
いつしかルゥが淡い恋心を抱くようになっても、さっぱりそれに気付くことはありませんでした。
「・・・・」
『どうした、ルゥ。腹が減ったか』
「ちがう!ばかっばかばかばか!マーニのばか!」
なので、ある日突然こんなことが起きてしまうわけなのです。
突然罵られたマーニはぽかんとして固まり、ルゥはさっとその場から走り去ってしまいました。
そして、天上の神様は頬杖をつきながら、それをずっと眺めておりました。
この後マーニがどうするか大変見物です。
硬直が溶けたらしい牡鹿は、寸の間おろおろとその場を行き来しておりましたが、やがてルゥを探す為にその場から居なくなりました。
神様は、今後の展開を予想しつつ、別段不安に思ったりはしませんでした。
何故なら、マーニがルゥのことを憎からず思っていることを知っていたからです。
ただ、彼らは種族が違います。
これが今一番大事なことでした。
しかし、それについても神様には考えがあります。
神様は楽しげに微笑みながら、ルゥと合流したマーニへ視点を転じました。
『一体どうしたんだ、ルゥ。腹が痛いのか』
「ちがうったら!マーニなんてきらいっ!ばかっあっち行って!」
そう高くもない木の枝に登ったルゥが、幹にへばりつきながらマーニを拒絶します。
ルゥは、さっぱりこちらの気持ちに気付いてくれないマーニに対して非常に怒っていたのでした。
それと同時に、胸を引き裂くような悲しみに襲われて、どうしていいのかわかりません。
ただただ悲しくて苦しくて、ルゥは涙を零しながらマーニをどうにかして他所へやろうとしました。
しかしそれに簡単に従うようなマーニなら、今までルゥの育て役をしていません。
常ならぬ様子のルゥに、マーニはただただ心配げに、どうにか訳を話してもらおうと話しかけました。
『いきなりどうしたんだ。私が何かしたのか』
「してない!何もないから、あっち行って!」
『何もないのに私を遠ざけるのか』
「1人になりたいのっ」
『・・ルゥ、お願いだから降りておいで』
「・・っ」
ひくりと喉をひきつらせ、ルゥはマーニを潤んだ目で見つめます。
その容貌たるや、見るものを惹きつけて止まないものでしたが、相手はマーニ。
きゅるんとした黒曜石の如く輝く、ただ只管純粋にルゥを案じていると物語る瞳を前に、結局はルゥが根負けするのであります。
神様は、渋々枝から降りてマーニに抱きつくルゥを見ながら、まだまだこれは決着がつきそうにないなと思いました。
マーニは庇護者として、親愛の情をルゥに抱いています。
しかしそれは、恋愛というには少し違うもの。
つまりは、ルゥの望むものではないのです。
それに彼が気付くのはいつになることやら、けれどそれも遠い未来ではないようだとほくそ笑みながら、今日も神様は観察を続けるのでした。
でばがめ神様。
江戸切子様のみ、煮るなり焼くなり如何様にも!
しかしこんなので、良かったでしょうか・・童話ですかこれ。
ちなみに返品はいつでも承っておりますので、ご遠慮なくお申し付けくださいませ。
リクありがとうございました。