涙目の公爵令嬢は聖女の夜会にいられない
白いハンカチを握りしめ、決意を込めたグローリア公爵令嬢は、扉を開くとそっと身体をすべりこませた。
「可愛いらしいこと」
ホールを見回して一人ごちる。
今日は半年前に召喚された聖女の、お披露目の夜会だ。
ホールには毛足の長いラグや平織りカバーのクッションが並べられ、壁にはキラキラとしたテープや棚のようなものが付けられていた。
また、そこかしこに木を模した飾りがポールのように並べられており、それら全てが聖女の希望であるとのことだった。
ハープの柔らかい音色も心地よく、普段の夜会とは異なる趣に招待客も戸惑いを隠せない様子を見せている。
「異界から来られた聖女様は、我らと少し感覚が異なるようですな」
「あら。幻想的で素敵ではありませんこと?」
「いや、もちろん素晴らしいという意味で、ですよ」
聞くともなく聞こえてきた貴族たちのお喋りに、聖女について何も知らないのだなと可笑しく思う。
グローリアは目立たぬよう壁際に立っているつもりだったが、元より人目を引く公爵令嬢だ。銀髪を結い上げ、星を散らしたような光沢のある瑠璃色のドレスを着た様子は、最近の巷の噂もあり大変目立ってしまっていた。
「第二王子殿下はご婚約者さまのエスコートをなさらないのかしら?」
「殿下は聖女様のお相手でお忙しいもの。聞くところによると、殿下が東屋で聖女様とずいぶんと親しげにされているのを見た方もいらっしゃるとか。もちろん、噂ですわよ?」
扇で口元を隠しながらもクスクスと聞こえるように囀る声に、グローリアは目を伏せる。
「わたくし、従兄弟が近衛にいるのですけれど、あの方、聖女様がいらっしゃるところに行き会うと道を変えるのですって」
「相当嫌ってらっしゃるわね」
「ええ。それにお二人が仲良く休まれているところを、遠くからずっと見ていたそうよ」
「睨んでいたのかしら」
煩わしいことこの上ない。聖女様がいらっしゃればこのような話もぴたりとおさまるだろうが——いつごろ姿を現すのだろうと考えていると、見知った声が聞こえてきた。
「グローリア、なぜここにいる? 貴方はこの場にふさわしくない」
聖女の世話役として甲斐甲斐しく動いていたペリウス第二王子が固い顔をして見咎め、早足で近づいて来てグローリアの腕を掴んだ。
「私も聖女様にご挨拶を、と」
グローリアは涙目になりながらも久しぶりに会う婚約者を見つめ返した。ペリウスの夏の夜空を思わせる髪は艶やかに整えられ、白い肌が一際白く見える。その白さに、ペリウスの忙しさを感じて目を逸らした。
グローリアの赤くなりかけている目に、はっ、と気づいたようにペリウスは腕を離し、一歩下がる。わずかな間をおき、顔を背けて「すまない」と呟くように告げると、続けてよく通る声で断りを入れた。
「挨拶は必要ない。残念だが貴方とは距離を置きたいと伝えたはずだ。遠慮してほしい」
ざわりと空気が揺れる。やはり噂は本当だったのだ、と。聖女に入れ込んだペリウス殿下がグローリア公爵令嬢を疎んでいるのだ、と。
「……致し方ありません。私もこれ以上は耐えられませんわ」
少しうわずった声で、けれど、なぜか名残惜しげに周囲に目を向けたグローリアは、踵を返し足早に会場を後にした。
◇◆◇
「あのような言い方をされては、周りのものに誤解されますよ」
夜会もお開きになった後のペリウスの居室で、侍従はお茶を淹れながら苦言を呈す。
「……失敗したなぁ。まさか来るとは思わなかったから。聖女の痕跡が残っていたんだよね」
ペリウスは自分の服をつまんでため息を吐く。
「まぁ、でも聖女のお披露目も済んだし変な噂はなくなるでしょ」
チリンと鈴の音を鳴らしてやってきた子を抱え上げ、お腹のあたりをもふもふする。
「つい焦ってきつく言っちゃった。目も鼻も口も覆わずに現れるなんて自殺行為だよ」
「そのような装いでは夜会に出られないではないですか!——それよりも皆の誤解を解いた方がよろしいのでは」
重ねて告げる侍従にペリウスは呆れたような目を向ける。
「本当のことを言うのが常に正しいとは限らないよ。第二王子の僕が聖女のお世話係という時点で政治的に面倒があるというのに」
聖女も彼女も、いつ命が狙われてもおかしくないのだから。
「……っ。出過ぎた発言を致しました。申し訳ありません」
「いいよ。聖女の安全は確保できてきたから正式にお披露目をした。彼女のことは兄上がなんとかするとおっしゃっている」
侍従が恐縮するように頭を下げ続ける。
「お茶、すぐに送ってくれた?」
「はい」
「そう、よかった」
ペリウスは抱えた黒猫の肉球をモミモミしながら目を細めた。
◇◆◇
屋敷に戻ったグローリアはすぐに入浴、着替えを済ませた。
「クシュンッ」
「お嬢様、聖女さまの夜会に行くのは無理があったのでは?」
「そう? ペリウス様の頑張りも見たかったし、何より聖女さまがお可愛らしいでしょう? 金色の目もベルベットのような黒も本当に素敵なのよね。ひと目お会いしたかったのに。お披露目の前に帰されてしまったわ」
「それは……ようございましたね」
「なによ、意地悪ね」
ツンとして第二王子から届けられた紅茶を口に含む。喉のイガイガが治まってきて、ようやくひと心地ついた。
「今頃、招待客は驚いているのではないですか。今代の聖女さまが猫様だったなんて」
「あら、可愛さにメロメロになっているわよ。結界の修復作業も順調ですし、人ではないからと表立って非難するものもいないでしょう。——あぁ、私もペリウス様みたいに聖女様にもふもふーってしてみたいわ」
「……近衛騎士の間で話題になっていましたよ。聖女様に近づきたくてペリウス様を恨めしそうにじっと見ていらっしゃるって」
「やだ、気づかれていたのね」
肩をすくめるグローリアに、やれやれという様子で侍女が紅茶のおかわりを淹れてくれた。
猫が来るとはグローリアも含めて誰も想定していなかった。聖女の持つ結界の綻びに気づく能力と、猫の第六感が似ているらしく通例通り「聖女」として遇することになったが、お世話係となったペリウスの苦労も相当なものだっただろう。
「王太子殿下が薬の開発を急がせているといいますから。今しばらくの辛抱でございますよ」
聖女様に触れられる未来と、ペリウスと以前のように会える日を思い、グローリアは自然と微笑んでいた。




