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07|光の残滓と水の弔い

 ユースルフィアは、自分を包み込む蒼い光の(とばり)へ、恐る恐る指先を伸ばした。


 触れた瞬間、繊細でやわらかな揺らぎが返ってくる。それはひどく静かで、あたたかな光だった。けれど、それがいま目の前で異形を弾き返し、人々を護っている事実が、逆に現実味を遠ざけていた。


「フィオル……その光は……?」


 ユースルフィアの声は動揺を隠しきれていなかった。

 

「わからない……。だけど、口が勝手に動いて……」


 自分で答えながら、自分の言葉がいちばん信じられなかった。この数分の出来事自体がわからなかった。本当に、それしか言えなかった。


 それでも蒼い光の帳は、音もなく広がり続けている。僕たち二人だけじゃない。祭壇の間に取り残されていた人々――倒れ込まずに済んだ者、悲鳴の中で動けなくなっていた者、そのすぐそばで震えていた者たちまで、数十人をやわらかく包み込み、その内側へ黒い霧を入れまいとしていた。


 確かに、人を守っていた。


 やがて異形と化した者は、みな床へ倒れ込んだまま、もう誰一人として動かなかった。

 けれど、それで終わりではなかった。空間に生じた亀裂は、なお祭壇の真上に口を開けたまま黒い霧を滲ませている。

 広間の高い天井へ這い上がり、水の幕の白ささえ穢していく。異形を生んだ元凶は、まだ消えていない。

 

 帳の内側にいても、胸の奥のざわめきは消えなかった。むしろ、さっきより強くなっている。深碧(しんぺき)(やしろ)の地を踏んだとき、感じていた異物感や、違和感の正体は、これだったのだと僕にはわかってしまった。


 どくん、と鼓動が鳴る。それに重なるように、また言葉が落ちてきた。今度のそれは、さっきのように護るための言葉ではなかった。

 もっと鋭く、もっとまっすぐで、黒そのものを拒むための言葉で、攻撃の意思を感じる言葉だった。


「――蒼き白光(びゃっこう)よ。闇を射抜く力を我に……」


「……っ」


 息を呑む。でも、その言葉を口にしなければならない状況だということは、はっきりしている。


 両手のひらが熱を持つ。次の瞬間、蒼い光がそこへ集まりはじめた。


 光は糸みたいに細く、けれど確かな型を持って、僕の両手のあいだで弧を描く。気づけば僕は蒼く透きとおる弓を手にしていた。見たこともない弓だった。木でも金属でもない。ただ光だけで形を成したそれは、触れているはずなのに重さが曖昧で、けれど間違いなく手の中に収まっている。


「フィオル……!? ゆ、弓が!」


 ユースルフィアの声が震える。

 けれど、僕は振り向けなかった。身体が、自然と動いていた。


 左手が弓を支え、右手が弦を引く形を取る。そんな構え、習ったことはない。それでも迷いなくできてしまうことが、いっそ怖かった。帳の内側で、蒼い粒子が一か所へ引き寄せられていく。


「――ルミナ・サジッタ」


 唱えた瞬間、蒼い光が収束した。両手のあいだへ、一本の矢が生まれる。細く、鋭く、凍るように澄んだ矢だった。


 僕の身体は、そのまま亀裂へ照準を合わせた。祭壇の真上。黒い霧を吐き出し続ける、裂けた空間の中心へ向けて弓を引き絞る。


「闇を射抜け!!」


 次の瞬間、矢は放たれた。


 音を立てて、空気そのものを切り裂いて。

 蒼い一閃が、祭壇の上へ奔る。矢はまっすぐ亀裂の中心へ突き刺さった。


「……」

 

 ひと呼吸ぶん遅れて、空間が軋んだ。悲鳴にも似た、けれどもっと深いところを引き裂くような音が、祈りの間全体へ広がる。


 抗うように黒い霧が、大きくうねった。


 けれど蒼は退かなかった。亀裂へ刺さった矢を起点に、淡い光がじわじわと広がっていく。まるで黒そのものを洗い落としていくように。


 蒼が、黒を浄化していたのだ。


 生き残った人たちは、ただその神秘的かつ、衝撃的な光景を見守るしかなかった。悲鳴を上げることも、祈ることも忘れたみたいに、祭壇を見上げたまま立ち尽くしている。ユースルフィアもまた、帳の内側から目を離せずにいた。


 蒼い光は、亀裂の表面だけではなく、その内側へまで沈み込んでいった。決して見えることのない深みへの奥へと躊躇なく。


 そして――


 閃光が、空間を包み込んだ。


「……っ!」


 思わず目を閉じる。白に近い蒼が視界の裏まで満ちて、何も見えなくなった。


 やがて恐る恐る目を開けると、祈りの間は静まり返っていた。


 祭壇の真上にあったはずの亀裂は、消えていた。裂けた空間も、そこから溢れていた黒い霧も、まるで最初から存在しなかったみたいに消え去っている。


 ただ、辺りには蒼い光の残滓(ざんさい)と人間の抜け殻だけが残っていた。


 細かな光の粒が、祭壇の間をゆっくり漂っている。

 水の幕に触れては揺れ、白い石床の上へ落ちては、また淡く浮かび上がる。まるで、ここで起きた惨劇を、光が静かに弔っているみたいだった。


 僕は弓を持っていたはずの両手を見た。


 もう、そこには何もない。ただ、指先の奥にだけ、まだ蒼い熱がかすかに残っていた。

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