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そして、それからしばらくして、ルシアン様はクロコード侯爵家の屋敷に戻ったところで意識を失った。もちろん、私もリリアーナも疑われることはなかった。
前回の私は不注意にも王宮に忘れ物をし、ちょうど王太子様が倒れたその場に居合わせてしまった。そのため、毒を盛ったのではないかと疑われる立場に置かれた。けれど今回は、忘れ物もしていないし、王太子様も倒れていない。
(これで処刑される運命はなくなったはずだけれど……でも、まだまだ油断はできないわ)
やがて、ふた月が過ぎた頃。
ルシアン様の意識が戻ったと、クロコード侯爵家から連絡がきた。私は、婚約者として彼のお見舞いに行かなければならなかったけれど、なにかと理由をつけてギリギリまで先延ばしにしていた。
(あぁ……気が重いわ。今の私は、ルシアン様が大嫌いなのよ。けれど、よほどの理由がなければ、婚約破棄なんて簡単にはできないし……そろそろ、行くしかなさそうね)
胸の内で小さく息を吐く。暗い気持ちで、私はクロコード侯爵家を訪れた。クロコード侯爵夫妻は歓迎してくださり、私をすぐにサロンへ案内した。
私はルシアン様と向かい合う形でソファに座っている。彼はまだ顔色が優れない。病み上がりだと言われれば納得できるほど、どこか生気が乏しかった。
テーブルには紅茶とお菓子が用意されていた。ルシアン様はお菓子をつまみ、紅茶に口をつける。けれど、その動作の一つひとつがぎこちなく、噛みしめるようにお菓子を口に運び、紅茶を飲み下すたび、わずかに顔が歪んだ。
その様子は、決して「回復した人間」のものではない。私は静かに、その様子を見つめていた。
「ああ、最悪だよ。 全く何を食べても飲んでも味がしないんだ。この紅茶もお菓子も、何も味がしない。香りも楽しめないし……意識が戻ってだいぶ経つのに、どうしてなんだ……もう辛いよ」
私は眉尻を下げて彼に同情するようなふりをした。でも内心は同情なんかしていない。だって前の人生では、私を死に追いやった一人なのですもの。
「まあ、お気の毒に。ルシアン様は美食家でいらしたから、余計にお辛いですわね。でしたら大好きなステーキもお魚のソテーも、全く楽しめないんですね? お好きなシャンパンやワインはどうですか?」
私は少し意地悪だけれど、念押しするように聞き返す。こうすることで、ルシアン様は自分の今の境遇が、とても惨めだと思い知るのだわ。
「ああ 、肉も魚もだめだ。 野菜もパンも何もかも味がしない。 味覚が変わったのか、どんな酒を飲んでも少しも美味しいと思えないんだよ」
よほどショックなのか、 何度も味がしないことを強調する。 彼にとっては人生の大きな楽しみの一つを奪われてしまった、という気持ちなのだろう。
「まぁ、なんてお気の毒なのでしょう。ですが、そのうち味覚が戻ってくると思います。そうでなければ、とても辛い人生ですものね。一生、食べ物の味がわからないなんて……こんなに美味しい物がこの世には溢れていますのに……」
私は 慰めるように優しく微笑んだ。心底どうでもいいと思いながら……わざと心をえぐるような言葉を選ぶ。
(だって私はあの時、毒で死んだ……どんなに苦しかったか、悲しかったか……。それを思えば味覚がないくらい、どうってことないわよ。それでも、ルシアン様にとっては一大事なのよね? だったら、せいぜい自分を哀れんで絶望していなさい)
ヴァレンティア公爵家へ戻る帰り道。馬車で広い野原の真ん中を突っ切っていた時に、またあの声が聞こえた。
「雪鈴さまぁー。私、私! 私を摘んでくださいませぇー」
「雪鈴さまぁー。私も摘んで乾燥させてー。味覚を正常に戻せるわよー」
野原に生えている薬草が、そよそよと風に揺れながら話しかける。今は、なぜかその薬草の名前まで頭に浮かんでいた。
「不思議ね。だんだんと薬草とただの草の違いがわかってきたみたい。今の声は確かに味覚を正常に戻す作用のある薬草ね。……でも、今回はいらないわ。だって、私、ルシアン様を治してあげるつもりはないのよ」
そう呟くと薬草の声は静かになったのだった。




