2 ルシアン
ルシアン視点
私の1日は怒鳴り声から始まる。
「遅いわよ! やだ。このお湯、全然温かくないじゃない? 冷たすぎるわよ! 私にこれで顔を洗えっていうの?」
「いや、ちゃんと温まってると思う。…… ちょうどいい温度のはずさ。私が顔を洗った時も、 こんな感じだったよ」
「ルシアン様と私は違うのよ。もっと熱めのほうがすっきりするの!」
せっかく運んできた桶が、容赦なくひっくり返された。洗顔用のぬるま湯が床に広がり、足元を濡らす。部屋中が水浸しになった。
( くそっ! こんな女だと思わなかった……何度運ばせるつもりだ?)
だが黙って新しい湯を用意するしかない。顔を洗わせ終えると、今度はドレスを着るのを手伝わなければならない。袖を通させ、背のボタンを留め、乱れた裾を整える。本来なら侍女の仕事だ。だが罪人となったリリアーナに、侍女はいない。夫である私の役目になった。
(……王太子付きの近衛騎士だったこともある私が、なぜこんなことをしなければならない?)
かつて剣を握っていた手で、ドレスの紐を結ばされる。まったく馬鹿げているよ。
(こいつが、こんな化け物みたいにならなければ、まだマシだったのに)
リリアーナの見た目だけは、私の理想そのものだった。ピンクブロンドの髪に、同じ色の瞳。愛らしい笑顔に華奢な身体。何を言おうと、何をしようと、その顔で微笑まれればそれで許せた。
だが、その唯一の取り柄だった顔は、今や無残に崩れ見る影もない。残ったのは、扱いづらい性格だけで、日ごとに酷くなっていく。
「痛いっ! 髪の毛を無理やり引っ張らないでよ。本当に不器用なんだから」
(……ハズレ女めっ! 前は猫を被っていたのか……)
セシリアの方が何倍もましだろう。彼女ならこんな文句は言わない。少なくとも余計な手間は増やさない女だった。しっかり者のセシリアを妻にするべきだったのだ。家のことは任せておけばよく、私の顔も立ててくれる。物の道理をわきまえた、扱いやすい妻になるはずだった。
ある時から態度が変わったが、もっと優しくしてやれば問題はなかったろう。そうしていれば、今でも王太子付きの近衛騎士のままでいられたに違いない。
それがどうだ!? こんな女に入れ込んだせいで、この有様だ。愛らしい笑顔を向けられた時から、すべてが狂った。こいつは、私を意図的に誘惑したようなものだ。そして破滅に導いた!
( そう言えばリリアーナは、セシリアを魔女と決めつけていたっけ。だが、こいつこそ魔女じゃないか! 私の人生から栄光を奪った元凶! くそがっ!)
王宮の中庭では、王太子様とセシリアが仲睦まじく過ごしている。紅茶を楽しみ、並んで散歩をし、すでに世継ぎとなる子供まで授かった。周囲の者たちから敬われ、愛され、セシリアは以前よりもいっそう美しく見えた。
もともと整った顔立ちではあったが、愛嬌がなく、面白みのない女だと思っていた。だが今は違う。王太子様の隣で柔らかく微笑む姿は、見違えるほどだ。
(完全に間違えた。黄金を手放し、メッキのガラクタを拾い上げてしまった……セシリアを大事にしていれば、こんな目には遭わなかった。……やっぱりこいつのせいだ)
「ちょっとー! 何ぼんやりしてるのよ! 早く朝食を 持ってきてよ!」
途端に、リリアーナの金切り声が部屋を満たした。
思わず顔を向ける。崩れた頬。歪んだ口元。不気味すぎるその顔が、否応なく目に入った。私は慌てて視線を逸らす。だが、無駄だ。ここは鏡張りの部屋。逸らしたところで鏡に映るその顔は私を睨んでいる。
(背筋が凍る……怖すぎなんだよ……その顔)
私の仕事は、この女の世話だけだ。
この先も、ずっとこの怪物を見続けるのか。
……こんな女と一生か。
……最悪だよ……




