31 セシリアの婚約
「私は薬師として生きていくつもりです。結婚にこだわる必要はないと思っていますわ」
リリアーナとルシアン様が結婚し、領地に封じ込められてから、しばらく経った頃のことだった。王太子様に「今から結婚相手を探すのは大変ではないかな?」と問われ、私はそう答えていた。
「……待ってくれ。君は、私を一生結婚できない男にするつもりか?」
「え? 私……申し訳ありません。おっしゃっている意味がよく分かりませんわ」
王太子様は深くため息をつき、悲しげな表情で私を見つめた。
「私とセシリアは、このところずっと一緒に過ごしているよね? お茶の時間も一緒にスイーツを食べ、夜寝る前にはホットワインを飲みならが、語り合う」
「はい、おっしゃる通りですわ。王妃様や王様とも食事をご一緒させていただいておりますし、とても光栄なことだと思っています」
「そうじゃなくて。私と特別な関係だと思わないのかい?」
「 特別な関係……。自分で申し上げるのも恥ずかしいですが、私は薬師として王太子様の健康を支えておりますから、特別といえば特別ですわね」
前世の私は、こことは異なる世界で生活する、名門薬師総本家の当主だった。薬草の声を聞き、どんな病も治す――王よりも尊ばれた存在。
けれど今生では、婚約者にないがしろにされた公爵令嬢。魔女と疑われ、つい最近まで軟禁されていた身だ。
だから、王太子様と仕事以外で特別な関係になれるはずはない。私は王太子様に好意は抱いているけれど、自分の立場はわきまえていた。
けれど、王太子様は何かを決意したように、じっと私を見つめた。
「もう遠回しには言わない……私は君を愛している。誰よりも大切に思っているんだ。私の隣にいてほしい! 王太子妃になってくれ」
「それはできません」
思わず即答していた。
王太子様には、もっとふさわしい相手がいる。
「えっ……私は……セシリアに好かれていると思っていた。自惚れだったのかな……妃は君しか考えられない。どうしたら好きになってもらえる?」
まるで傷ついた子犬のような目で、まっすぐ見つめてくる。
「いえ、もうとっくに好きなんですけれど……あっ、えぇっと……」
(しまった。本音がこぼれた)
王太子様の顔が、ぱっと明るくなる。
「ふっ。セシリアは可愛いね。頬が赤い。父上に報告してくるよ」
一瞬、ふわりと抱きしめられる。次の瞬間、王太子様は、早速王様のもとへ向かおうとしていた。
私は慌てて止めた。
「お待ちください。好きな気持ちだけでは王太子妃にはなれませんわ! 私は、なにかと問題を起こしてきたヴァレンティア公爵家の娘ですわ。王太子妃には、王太子様の後ろ盾となるような名門の令嬢が相応しいです」
「私は後ろ盾などなくても立派な王になってみせる。そんなに頼りなく見えるのかい?」
「そういうわけではありませんが……私を、優秀な薬師として認めてくださる貴族の皆様でも、王太子妃としての適性は別だと考える方が多いでしょう」
「待ってくれ。だったら、どんな貴族も反対できないような解決策を考えるよ。そうしたら、君は私のプロポーズを受けてくれるんだよね?」
私は渋々ながらも頷いた。未来の王妃になるというのは、重い責任を背負うことだ。好きという気持ちだけでは務まらない。王太子様も、それは分かっているはずなのに。
◆◇
――それから数日後のこと。
私はエルファ公爵家に招かれた。
サロンに通され、開口一番告げられた言葉は――
「エルファ公爵家の養女になりませんこと? 私たち、とても仲良くやっていけると思うのよ」
思いがけない提案だった。
「え? なぜ、いきなりそのようなお話に?」
戸惑う私。
「セシリア様が王太子様と想い合っているのは、傍から見ていてもよく分かりますの。だから私たちは、少しでも力になりたいのですわ」
エルファ公爵夫人はそう言って、私の手を優しく包み込んだ。
子に恵まれず寂しかったこと。
私を娘として迎えたいと思っていること。
そして何より、王太子様の隣に立つ道を整える手助けをしたいということ。
エルファ公爵様もにっこりと微笑む。
「セシリア様は私たちの恩人だ。妻は膝、私は腕の痛みがとれて、喜んでいる。……打算ではない。ただ家族として迎えたいだけなのだよ」
そのまなざしに偽りはなく、ただ温かな慈しみだけがあった。説得された後、私はエルファ公爵家の養女になった。
◆◇
――それからしばらくの後、王家の大広間にて、大々的なお披露目会が開かれた。
「皆様もご存知のように エルファ公爵家は、子宝には恵まれなかった。だが、私どもに娘ができたことをお知らせしよう。本日からセシリア様は、セシリア・エルファ公爵令嬢となる!」
エルファ公爵の言葉に、盛大な拍手が沸き起こる。
私が簡単な挨拶を済ませた後、一歩前に進み出たのは、王太子様だった
「さらに報告がある。私、アレクシス・ルミナスは、セシリア ・エルファ公爵令嬢を婚約者とする! セシリアならば、立派な王太子妃になってくれるはずだ」
ここでも割れるような拍手。反発する貴族は誰もいなかった。
「さすがは、エルファ公爵家の力ですわね」
私は小さく呟く。
横に立つ王太子様が、優しく微笑んだ。
「それもあるが、 セシリアへの貴族たちからの信頼が厚いからだよ。君の作る薬は、皆を元気にしてくれる。この国に、なくてはならない存在なんだよ」
大広間の窓は大きく開け放たれ、目の前には庭園が広がっていた。その一角の薬草たちが口々にお祝いの言葉を喋り出した。
「雪鈴さまぁー。おめでとうー!」
「リリアーナめっ。いい気味だ。雪鈴さまは、 こんなに幸せになったぞぉ」
「雪鈴様の花嫁姿、早く見たいな。きっと、妖精みたいだよね」
王太子様が私の手を取る。そして、大事そうに両手で包み込むと、周囲の歓声が遠くなった気がした。
世界には王太子様と私しかいない。
「もう誰にも君を渡さないよ」
耳元で囁かれ、心臓が大きく跳ねたのだった。
それからは、王太子様と薬草を摘むことが増えた。
私は自分の秘密をこっそり打ち明けた。
「実は薬草の声が聞こえるのです」と。
「それはすごいね。今、僕が摘んだ薬草は、何て言ってるのかな?」
「王太子様に直接、摘まれて光栄です、と言ってますわ」
「なんて礼儀正しい薬草なんだろう。私も、君を摘めて嬉しいよ」
王太子様は真顔で、薬草に挨拶を返していた。
そんな時間が、どうしようもなく幸せだった。
薬草たちも大喜びで、「王太子様、大好きー」と返す。
死に戻ったことや前世の記憶は、まだ話していない。王太子様を心配させたくないし、今はまだ打ち明ける勇気がないから。
――そんなある日。
いつものように王太子様と薬草を摘んでいると、リリアーナを監視している影から報告が届いた。
「リリアーナ様が闇市に出入りしています。怪しげな薬剤を購入しました」
後日、リリアーナから、一通の封書が届いた。内容は、これまでのことへの謝罪と、王太子様との婚約を祝う品を持参したい、というもの。
「リリアーナのことだ。何かよからぬことを企んでいるのだろう。王都に来ることを禁じよう」
王太子様は、私を守るように抱きしめた。
けれど今回も、私は自分で戦う必要がある。
絶対に負けないわ!
だから、はっきりと宣言した。
「いいえ。来させましょう。見事、返り討ちにして差し上げますわ!」




