23 救出/王太子視点
「えっ……倍の値段で、ですか? そ、それほどのことが、本当に可能なのでしょうか?」
宮廷医長は思わず身を乗り出し、声を上げた。
「はい。皇族や王族、大富豪の方々と、日頃から取引がありますので。難しいことではありません」
「……なるほど。それは、ありがたいお話です。この国ではない契約方法なので……少し戸惑っていただけです」
宮廷医長は、ぎこちなく笑みを浮かべる。言い訳をしながらも、朱肉に指を押しつけ、契約書へと指印を押した。動きは素早く、先ほどまでの慎重さは影を潜めていた。
「サインも、お願いします。こちらも、本名で」
にこやかに私は先を促した。
「もちろんですよ。自分の名前をごまかして、何の得になるというのです?」
宮廷医長は、わずかに目を泳がせた。わざとらしい笑い方だ。表情の作り方が、まるで追いついていない。
そして、契約書に書き込まれたのは――想定通りの偽名だった。
(……さすがに、本名を書く度胸まではなかったか)
まあ、私も偽名は書いたが、同じように契約書へと赤く染まった指を押しつけた。
王太子の名を書くわけにはいかない。今の私は、あくまで異国の商人なのだから。
「これで、私たちの素晴らしい契約は成立ですね。いや、今回は実に有益な取引ができて嬉しい。では、また来月こちらへ伺います。その時までに、約束の商品を用意していただけると助かります」
にこやかにそう告げた。軽く会釈をして、話は終わりだと言わんばかりに立ち上がった。
契約書の控えは、こちらで確かに持ち帰った。
親指の指紋は、朱肉の赤でくっきり。
これだけ揃えば十分だ。
――もう、逃げ道はない。
あとは、現場に乗り込むだけだ!
◆◇◆
ここは宮廷医専用研究棟。その前に立つなり、慌てた声が飛んできた。
「王太子様! いきなりお越しになっても困ります! ここは医療研究の場です。日々、王族のために有意義な実験を行う神聖な場所なのです」
宮廷医長が私を押しとどめようとする。
私は、それを近衛騎士に押さえておくように命じた。
「ここは王家の敷地だ。この研究棟も、王家の資金で建てられたもの。私が立ち入って、何の問題がある?」
遮るように言い放った。
「ですが、手続きが、順序というものが――」
「これは王太子としての権限による確認だ。父上の了承も得ている」
視線を走らせ、近衛騎士たちに命じる。
「セシリアの部屋を探せ。宮廷医長たちは、その場から動くな」
私は騎士たちとともに建物へ踏み込んだ。
一階は研究室と薬品の保管庫。いくつもの薬が混ざった、研究室特有の匂いが満ちていた。
二階も一部屋ずつ扉を開けていくが、どこにも姿はない。
(……いない? いや、そんなはずは――)
最奥の部屋の扉を開いた瞬間、視界いっぱいに見えた瓶の山。あの美容液の洒落た瓶で間違いない。作業台の前で、セシリアが背を向けて肘掛け椅子に座っている。黙々と美容液を作っていた。
(やはり……セシリアが作らされていたのか……どれほど、不安で辛かっただろうか)
胸の奥が、きしりと音を立てた。
声をかけようとした、その時だった。
「あなたたちは美容液になったのだから、協力して頑張るのよ。これを使う方の肌を綺麗にして若々しくしてほしいの。できるわね?」
セシリアが、明るい声で瓶に向かって、話しかけていた。
(……独り言? セシリアはこんな時でも優しい心を持っている)
「セシリア」
名前を呼ぶと、彼女の手が止まった。
ゆっくりと、こちらを振り返る。
驚いたように目を見開き、次の瞬間、信じられないものを見るように唇が震えた。
「……え? 王太子様?」
「遅くなって、ごめんよ。やっと、迎えに来られた」
声が、思ったよりも掠れてうまく話せない。
それでも、セシリアは動かない。夢か現か、測りかねているようだった。
「……王太子様、私は魔女だと噂されているのですよ? 王太子様のお立場が危うくなります……」
「これほど優しい心を持った女性が、魔女なわけがないよ。こんな目に遭っても、私の身を案じる言葉がでてくる」
私は、そっと距離を詰め、彼女を抱きしめた。
細い体が、腕の中で一瞬だけ強張る。
(しまった……)
慌てて彼女の身体を離す。
「すまない。心配のあまり……つい」
セシリアは顔を真っ赤にしながらも、首を横に振った。
「いいえ。王太子様にまたお会いできて、本当に嬉しいですわ」
にっこりと微笑んだ顔が眩しかった。




