聖家族
〈秋花苑赤子のゐない乳母車 涙次〉
【ⅰ】
今日は君繪に纏わるショート・ストーリイを一つ。
(ママ、ママ)‐(なあに、君繪)‐(ママのお腹の音を聴かせて)‐(* あら、氣が早いのね。弟の事?)‐(もう、とくとく云つてるわ。小さな生命が健氣よね)‐(弟に名前付けてくれない? 君繪)‐(任せて! さうねえ、翔吉つてのはだうかしら- 神田翔吉)‐(あんた大谷翔平選手の大ファンだものね)‐(それだけぢやないのよ。例の未生の魂の、あのコ、庄吉くんつて云ふんでしよ?)‐(あつさうね。翔吉、いゝかも)
* 当該シリーズ第89話參照。
【ⅱ】
悦美(* でもあんた、力子ちやんの件ではごねたわよね。彼女が5歳だと云つたら、ジェラシーの虜になつちやつて。弟ならどんどん成長して云つて構はないの?)‐(うん。赤ちやん時代の姿、目に焼き付けて置くから、平氣)‐(健氣はあんただわ。カンテラさん聞いたら泣いちやふかも)‐(パパには流す涙がないもの。大丈夫よ。わたし知つてゐるのよ、** わたしがもしも成長したら、パパママには似ても似つかない、ブスになつちやふ事)‐(...)‐(その點翔吉は、元・平手造酒の念者だもの、美少年に違ひないわ)
* 当該シリーズ第71話參照。
** 前シリーズ第135話參照。
【ⅲ】
案の定その話を聞いたカンテラは、自分がアンドロイドで、流す涙を持たない事を悲しんだ。「本当に健氣なのは君繪だ。だけど俺は、君繪を一人つ子にさせて置くより、弟があつた方がどんなにかいゝと、思つた譯」‐「確かにさうだわね。君繪大喜びだもの」‐「* 非情な契約のもと生まれて、一人つきりでゐるより、弟の成長を見届ける事が、どんなに良い事か、さう思つてねえ... どれ、俺にも聴かせてよ、小さな魂の息吹きを」
* 当該シリーズ第9話參照。
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〈人を見よ山頭火を見よ道を見よ決して寂なる秋に限らず 平手みき〉
【ⅳ】
それは、聖家族像に似てゐた。たゞ一つ違つてゐたのは、翔吉がイエスのやうに、マリアとヨゼフの一人子ではなく、君繪と云ふ姉がゐる事、だつた。祖父であるじろさんも、矢城庄吉轉じて神田翔吉となる事には大賛成だつた。「かうやつて君繪も、心の内だけは成長してくれるなら‐ と俺は思つてゐた」‐「もしも神と云ふ者がゐるとするならば、だが、君繪は祝福された存在だよ」とも。
【ⅴ】
尾崎一蝶齋「うゝ、何て泣ける話なんだ」と云ふ。だがテオは「これは尾崎さんみたいな輕薄な人には関はりのない事ですよ」と手厳しい。「輕薄とは何だ。失禮しちやふなあ」‐カンテラ「まあまあ、君繪に免じて諍ひ拔きで行かうや」‐テオ「だけど庄吉くんが良く承諾してくたなあ、と僕思ふんです」‐じろさん「本当さうだよねえ。たゞ君繪だけでなく、庄吉くんも祝福されてあれ、だ」。
【ⅵ】
今回は捻りなく、たゞストレートにいゝ話で終はりにしたい、と作者も思ふ。その為に、いつもみたいなストーリイ・テリングの妙(?)は發揮しない。聖家族に祝福あれ、とたゞ思ふのみだ。
【ⅶ】
だが、これで終はらないのが、この『カンテラ』物語の長所であり短所でもあるのだ。今回良くとも次回は全く違つてゐる、と云ふ事もあり得る。その點、カミもホトケもない。一つだけ付け加へて置く。「いゝ話には、必ずウラがある」。
次回から新展開と云ふ事にして、このストーリイは、幕。テオ「やけに氣を持たせるなあ、永田さん」‐私が通り一遍の善人ではないと、讀者もお氣付きの事と思ふ。
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〈コスモスの謎を解くなら今の内 涙次〉
ぢや、今回はこれ迄。君繪と翔吉に救ひあれかし。また。