渡り廊下にて
騒ぎが起きたのは朝食後のことだった。
父と二人、食後のカフェオレを飲んでいると
「お母様ー。お母様ーーっ!」
とナサニエル君の泣き叫ぶ声が聞こえて来た。びっくりして、父と共に玄関ホールに見に行くと、スーリン夫人が捜査官に腕を掴まれ連れて行かれようとしていた。
「私ではありません。私じゃない。私じゃないっ!」
スーリン夫人は必死になって訴えているけれど、夫人の腕を掴んでいる捜査官の表情は『無』だった。
捜査官達はそのままスーリン夫人を引きずって行き、馬車に乗せた。
「お母様ーーっ!」
というナサニエル君の声が、走り出した馬車の車輪の音と重なった。
私達以外にも、様子を見に来た人達は何人もいたけれど、誰も言葉を発さなかった。露骨に安心している表情の人もいた。
その中でナサニエル君の叫びだけが悲痛に響き渡った。
父親のハワード氏も親戚のミス・アンブローシアもこの場におらず、使用人達さえ遠巻きにしている。私は堪らなくなって、ナサニエル君を抱きしめた。
私の母が家を出て行ったのは、私が彼の年頃の事だった。
あの日の自分と彼の姿が重なり、私は思わず口にしてしまった。
「大丈夫よ。ナット君。君のお母様は犯人じゃないわ。だからお母様はすぐ帰ってくるわ。大丈夫よ。」
と。
それから、二時間後。
私は本館と西館を繋ぐ渡り廊下にいた。
本当は、デライラ夫人の部屋が見てみたかったが、鍵がかけられ、ドアの外には警察の見張りもついている。なので、その見張りの人に根掘り葉掘り質問してみた。
こういう時、伯爵令嬢という肩書は便利だ。親切な警察官達は質問に何でも答えてくれた。どうやら警察に『守秘義務』というものは存在しないらしい。
私はその内容を詳しくメモしたメモ帳を見ながら思索に耽っていた。
「おい!」
「・・・。」
「無視するな!」
私に話しかけられていたのだという事に気がつき私は顔をあげた。
誰かと思えばハウエル・エルフォードが、不機嫌そうな顔をして突っ立っていた。
美男子は不機嫌そうな顔をしていても美男子だな。と私はどうでも良いことを考えた。
「何でしょう?」
「さっきのあれは何だったんだ?」
「さっきのあれとは?」
「スーリン夫人が犯人ではない云々だ。」
「・・・。」
警察の捜査官達はスーリン夫人をデライラ夫人を殺した殺人犯と断定した。そうじゃない、と発言する事は、他に犯人がいると言っているのと同じ意味だ。
それを怒っているのかと思ったら。
「たとえ、幼い子供であっても適当な事を言って丸め込むのは絶対に良くない。ああいう事を言われれると『大人は嘘つきだ』と思って、子供は大人が信用できなくなってしまう。」
怒りのポイントが違った。
「適当な事を言ったつもりはありません。」
そう言うと、ハウエルは意外そうな顔をした。
「どういう意味だ?スーリン夫人が犯人じゃないと本気で思っているのか?」
「夫人が犯人ではないと信じています。その確率は100%です。」
「どうして・・・。」
「私もエルフォード卿に聞いてみたい事があるのです。御友人のアーチーボルト・クレイン氏とエディス・オーウェル嬢は信頼できる方ですか?」
そう聞くとハウエルは、象牙のように美しい肌を真っ赤にして怒った。
「ああ、信頼できるさ。100%な!どういうつもりでそんなふざけた事を聞いてくるんだ⁉︎」
「お二人の証言を根拠に、スーリン夫人は逮捕されました。なら、その証言が信頼できるものかできないものかは、一番重要な事ではないですか。」
「きみは二人が嘘を言っていると言いたいのか!」
「勘違いをしたり、思い込みが激しい人ではないかを確認したいと言っているのです。」
「そんな事、絶対にない!殺人事件だぞ。有罪になったら死刑になるかもしれないのに、あの二人が適当な事を言うものか。そんないいかげんな奴らじゃない!」
ハウエルは、あの二人の事をがっつり信頼しているらしい。という事はよくわかった。
それにハウエルは、残されたナサニエル君の事を心配しているようだ。
ハワード家は、新興成金で平民だ。貴族の中には差別をしている人も多い。同じ人間だとさえ思っていない貴族もいるだろう。だけど、ハウエルは別に差別をしていないらしい。そこには、ちょっと好感を持った。ちょっとだけだが。
でもまあ、平民が嫌いなら『彼女達』と友達付き合いなんかするはずないか。
エディス・オーウェルとキャロル・オーウェルの父親は男爵だ。しかし、その爵位は亡き妻の父親から引き継いだものだった。
先代のオーウェル家は貧しい男爵家だった。その家の一人娘と大富豪のホテル王の息子(平民)が結婚をした。夫は岳父から爵位を受け継いだが、その直後妻が子供のいないまま死んでしまう。新男爵は、その後再婚をした。その再婚相手との間に生まれたのがエディスとキャロルの姉妹だ。
つまり、現在のオーウェル男爵と家族には、先代のオーウェル男爵及びオーウェル男爵家の血は流れていないのだ。
その為彼女達姉妹は
「本当は平民のくせに。」
とか
「爵位を奪う為に父親が前妻を殺したのではないのか?」
とか、社交界で噂されている。
更に、マデリーン・ドノバンも、元々貴族ではない。平民だった母親が彼女を連れて子爵家の当主と再婚したのだ。
子爵様はお年寄りだった。マデリーンの母親は老子爵の孫より若かったのだ。その為、社交界ではマデリーンの母親は『後妻業の女』と呼ばれている。
そんな彼女達のことをハウエルは『友達』と呼び、疑われたら本気で怒ってあげている。
こいつ、けっこういい奴じゃん。
私の中でハウエルへの好感度が数ポイントだけ上昇した。
「アーチーボルト氏とエディス嬢とは、いつから友達なんですか?」
「アーチーボルトは、僕の乳兄弟だから生まれた時からの付き合いだ。エディスはアーチーの婚約者だから、知り合ってまだ一年だけど、絶対信頼できる。」
と言った後、ハウエルは、はっ!とした顔をして、気まずそうな表情になった。そりゃそうだな。昨日ハウエルとエディスは私の前でベタベタしていたもの。でもあれは演技であり、私への嫌がらせだったのだ。ふっ、小さい男だぜ。
「二人が婚約者だって事は知ってます。さっき、警察の捜査官に聞きましたから。」
「・・そ、そうだったのか。というか、おまえさっきアーチーとエディスの証言のせいでスーリン夫人が逮捕されたって言ったけれど、あの二人は何を言ったんだ?」
「あの二人、昨夜この場所にいたんですって。九時から九時十分の間に。」
正確には、その前後を含む三十分近くの時間をである。
「こんな何も無い所で何をしていたんだ?」
「ここは、あのユリ畑が一番よく見えるビュースポットなんです。」
私は窓の外を指差した。眼下には一面のユリ畑が広がっている。
「確かに綺麗なユリだな。」
「亡くなったデライラ夫人が自ら世話をしていたのだそうですよ。昨日は月が綺麗だったし、尚の事綺麗だったはずです。」
「なるほど。でも一番のビュースポットは畑の横だろう?ここからじゃ香りも嗅げないし。」
「夜遅くに外で見てたら、蚊に刺されるじゃないですか。」
「・・・。」
「九時から九時十分の間にこの渡り廊下を通ったのはスーリン夫人だけだったのですって。」
私はメモ帳を開いた。そして警察官に聞いた話を、ハウエル相手に繰り返した。
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