三つのグループ
私達は談話室で会話も無く座り込んでいた。執事がブランデー入りの紅茶を皆に配ってくれたが、私は飲む気になれなかった。柱時計の秒針音がやけに大きく響く。
しばらくしてスーリン・ハワード夫人が
「申し訳ございません。息子の様子を見に行きたいので、席を外してよろしいでしょうか?」
と言った。
息子のナサニエル君は、まだ五歳だ。しかも熱を出して寝込んでいるという。「駄目だ」という人非人はいなかった。
「妹も体調が悪いの。私達も部屋に戻っていい?」
とエディスが聞いた。
「私も気分が悪いから、部屋に戻りたい。」
とサイキも言う。
「私だって、気分が悪いわ!部屋に帰らせてもらうから。」
とマデリーンが言った。
君達ね。御遺族がいるんだから「気分が悪い」とか言うなよ!失礼な連中だな。
「エディス、キャロル。部屋まで送るよ。」
とアーチーボルトが言った。
「サイキ。部屋まで送らせて。」
とジェラルドも言った。
だがサイキは
「一人で大丈夫。」
と言った。ジェラルドはついて行くと無理強いはしなかった。その代わり
「部屋にはしっかりカギをかけるんだよ。できたら、ドアの前に椅子とかを置いてね。」
と言った。残ったマデリーンは、牛のように豊満な胸をハウエルに押し付けながら
「ハウル。私怖いの。部屋まで送って。それで、警察が来るまで一緒に部屋にいてえ。」
と言った。
だがハウエルは
「ジェラルドに頼んでくれ。」
と言って、マデリーンから距離をとった。ちょっとびっくりした。あーゆー態度をとられたら男は皆喜ぶものと思っていた。しかし、言われたジェラルドも顔を引きつらせている。
「ミス・ハーグリーヴス。もし部屋に戻るなら送るが?」
「・・・。ん?私に言ってる?何で?」
私は発言者のハウエルを凝視した。
「何で、って。僕らは婚約者だろう!」
「戻らないわよ。もしかしたら侵入して来た強盗が、まだ屋敷内のどっかにいるかもしれないし、みんなと一緒にここにいる方が安心じゃない。」
「あ。それもそうか。」
とハウエルは言った。
まあ、侵入して来た強盗が犯人なんて可能性はほぼゼロだと思うけど。
若者達が部屋に戻って行ったのに対し、年長者達は皆談話室に残った。だけど、皆会話は無い。談話室は水を打ったように静まり返っていた。
私はこの屋敷の中にいる人達の事を考えた。
その人達の事を三つのグループに分けていく
《最初から談話室にいなかった人》
・バーナード氏(法医学者)
・ナサニエル君(ハワード氏の息子)
・料理人
《談話室を途中で出入りした人》
・エディス・オーウェル(ハウエルの友人)
・キャロル・オーウェル(ハウエルの友人)
・マデリーン・ドノバン(ハウエルの友人)
・サイキ・リノーファー(ハウエルの友人)
・アーチーボルト・クレイン(ハウエルの友人)
・ミス・トーラー(新聞社社員)
・ミス・アンブローシア(ハワード氏の従姉)
・執事
・メイド二人
・スーリン・ハワード夫人(館の女主人)
《談話室にずっといた人》
・ガイ・ハワード氏(館の主人)
・ミス・ロビン(オペラ歌手)
・ハウエル・エルフォード
・ジェラルド・フォーセット(ハウエルの友人)
・お父様
・私
犯人は最初の二つのグループの中の人だ。三つ目の《談話室にずっといた人》のグループの六人の中には犯人はいない。
ちっ!と舌打ちしそうになった。
もしもこの事件が迷宮入りして、犯人がわからなかったら「もしかしたら、ハウエル様が犯人かもしれない。殺人犯かもしれない人と結婚なんかできないわ!」と言って婚約をお断りできたかもしれないのに。
犯行予想時間は、九時から九時十分の間くらいだとバーナード氏が言っていた。バーナード氏はプロの法医学者なので、この数字は信頼できるだろう。ただし、バーナード氏が犯人でなかったならだ。検死をした医者が犯人というミステリー小説は、世の中意外に多い。
正直、誰が何時に出て行ったか正確な記憶が私にはない。
だが、九時の段階で、私とミス・ロビン(オペラ歌手)以外の全女性とアーチーボルト(ハウエルの友人)がいなくなっていたはずだ。その後、マデリーン(ハウエルの友人)が戻って来たが、その時の時刻は九時二十分だった。柱時計を見たから間違いない。
つまり第二グループの人間達《談話室を途中で出入りした人》達全員が容疑者だ。
そして勿論、第一グループの《最初から談話室にいなかった人》達も容疑者である。
しかし、さすがに五歳のナサニエル君に犯行は不可能だろう、と思う。銃を扱うのはともかくとして、右手の切断ができたはずがない。
何故、殺したのか?という動機は考えるだけ無意味だろう。と思っている。
信じられないような理由で人が人を殺す。それが、人間というものなのだ。
私が子供の頃、お父様の友達だった骨董コレクターのおじさんが殺されるという事件があった。犯人はすぐに捕まった。犯人も骨董コレクターだった。お父様の友達が持っていた陶器の小皿が欲しくて欲しくて、売ってくれと何度も頼んだのに売ってくれなかったので、殺して奪ったのだそうだ。
事件が解決した後、その事件の原因になった小皿を見せてもらい私は驚いた。
猫の餌用にする事さえためらうほどの、古くて汚い皿だったのだ!
私だったらタダでもいらない皿だった。
オークションに出せば数千ポンドの値がつくと聞かされて、開いた口がふさがらなかったものである。
更に数年前に、こんな事もあった。
同じ大学に通っていた二人の男子が決闘をして二人共死んだのだ。
決闘の理由は、一人の女性を争ったとの事だった。
その争った女性というのは見るからに頭が悪そうな、いつもアヒル口をした軽薄な女だった。
別に美人でもなかったし、身分も無かった。
男のいるところといないところで態度も口調も変えるので、女達からは蛇蝎のように嫌われていた。
そんなアホな女の為に、優秀な学生が二人若い命を散らしたのである。
男二人が死んだ一週間後には
「悪いのは男達の方だ。彼女は純粋で可哀想な女の子なんだよ。」
と、真顔で言う貴族のボンボンとその女は恋人同士になっていた。
男達は何の為に殺し合ったのか、と脱力したものである。
こと、殺人という行為に於いて、人の心の闇は海よりも深く、その底をうかがい知る事は他人にはできない。とつくづく思ったものだ。
だから殺害の動機なんかどうでもいい。
どうせ、聞いたところで、人を殺す奴の心理なんか理解できない。
むしろ不思議なのは『何故右手が切断され、持ち去られていたか?』だ。
そこに謎を解く鍵があるだろう。
しばらくして、お父様が警察の捜査官達を連れて戻って来た。
私達は一人一人別室に呼ばれ、話を聞かれた。
当然、私も捜査官から話を聞かれた。と言っても、そう長い時間は聞かれなかった。
九時から九時十分の間、談話室にいた私は容疑者ではないからだと思う。お父様は、ハワード家の裏事情とか、人間関係の諸々とかいろいろ聞かれたようだが、さすがに十八歳の私には聞いて来なかった。
それでも、時間や手間はそれなりにかかるもので、割り当てられた寝室に戻り、ベッドの中にもぐりこめたのは深夜十二時過ぎだった。
忙しい一日だった。しかし、こんな形で一日を終える事になるとは夢にも思わなかった。
ベッドの中で目を閉じると、真っ赤に血で染まった不気味な部屋が思い出された。
疲れているのに眠れそうにない。
と思っていたのに、不思議なもので三分後には眠りに落ちていた。いやはや、実に不思議だ。
そして、次の日の朝。
スーリン夫人が、姑であるデライラ夫人を殺害した犯人として逮捕された。
ある資料によると、19世紀末頃の英国の中流階級の年収は100ポンドから300ポンドくらいだったそうです
なので数千ポンドというのは現在の日本円で数千万円になります
大金ですね〜(^◇^;)