事件現場
「奥様が、お亡くなりになっておられます!」
「スーリン夫人がか⁉︎」
とハウエルが叫んだので、私は
「違うわよ!」
と叫んだ。
この家で『奥様』と呼ばれるのは姑であるデライラ老夫人だ。ガイ・ハワード氏の妻のスーリン夫人は『若奥様』と呼ばれている。
「バーナード博士を呼んで来るんだ!早くっ!」
とハワード氏がメイドに言った。
「小伯爵様の御友人が呼びに行かれました。」
とメイドが震えながら答えた。
一瞬『小伯爵様』って誰だろう?と思った。ハウエル・エルフォードの事だ、と気づくのに五秒かかった。
ハワード氏が談話室を走って飛び出して行った。私は手に持っていた本を閉じて机の上に置き、ハワード氏について走りだした。
デライラ夫人ではなく、ハワード氏の事が心配だったからだ。この屋敷には以前にも幾度か招いてもらった事があるので、屋敷の造りもデライラ夫人の部屋の場所もわかる。デライラ夫人の部屋は今、私達がいる本館ではなく西館にある。西館に行くには二階にある渡り廊下を通らないとならない。本館は三階建てだが、渡り廊下があるのは二階だけだ。一階や三階に渡り廊下は無い。
談話室は本館の一階にある。私はまず階段で二階に上がり、それから渡り廊下に向かった。
ん?
気がつくと、ハウエルが私に並走をしていた。
何故、この男が?と思ったが、走りながら問いただすのも面倒くさい。私達はそのまま並走をした。
渡り廊下を渡り、辿り着いた西館の廊下の一番奥がデライラ夫人の部屋だ。重厚な扉は開け放たれていてもう一人のメイドがドアの前で腰を抜かして座り込んでいた。ハワード氏は扉の前で立ちすくんでいた。何故部屋の中に入らないのだろうと思いつつ、私は室内を覗き込んだ。そして、息を飲んだ。
自然死じゃない!
実のところ私は部屋の中を覗き込むまで、デライラ夫人は脳卒中とか心臓発作とか、ともかく病死をしたのだと思っていた。
でも、違った。デライラ夫人は殺されていた。どうやら銃殺されたようだ。死体の側に銃が落ちていた。部屋の中は血の海だった。床が異様なまでに血塗れだったのだ。そして何より異様だったのは。
夫人の右手が切断され無くなっていた事だ!
その凄惨極まる光景を見て、ハウエルは鼓膜が裂けそうなほどの悲鳴をあげて腰を抜かしてしまっていた。
本当に、この男はここに何をしに来たのか!
「大丈夫ですか?」
と私はハワード氏に聞いた。そして後悔した。大丈夫なはずあるわけがなかった。
「ああ・・・。」
と真っ青な顔色でハワード氏は言ったが、どう見ても、全く、全然、大丈夫そうに見えなかった。
「私の腕にすがってください。ちょっと!あんた吐くなら洗面所に行ってよ。洗面所は三つ手前のドア!」
前半の発言はハワード氏に、後半はハウエルに対しての言葉である。
後方からバタバタと足音が聞こえて来た。
私のお父様とジェラルドが駆けつけて来たようだ。
「うわ!」
「何と。」
二人が室内の様子を見て絶句した。
更に幾人かの人達が駆けつけて来た。
マデリーン、ハワード氏の従姉のミス・アンブローシア、オペラ歌手のミス・ロビンだ。更に新聞社社員のミス・トーラーとサイキが現れた。
部屋の様子を見てマデリーンは絶叫し、ハワード氏の従姉のミス・アンブローシアは失神してしまった。ジェラルドが慌てて介抱している。サイキは呆然と動く事もできずに突っ立っていた。顔色は死人のように真っ青だった。マデリーンの方は、叫び声をあげながらハウエルに抱きついていた。そんなマデリーンをハウエルは何故か冷たく突き飛ばしていたが。
その直後、法医学者のバーナード氏とアーチーボルト・クレインがやって来た。バーナード氏を呼びに行ったハウエルの友人というのは、アーチーボルトだったらしい。
そしてその後、スーリン夫人が駆けつけて来た。
「ミスター・ハワード。」
と私はハワード氏に言った。
「警察を呼ぶべきだと思います。」
「・・警察。」
「自然死とは思えませんので。呼んでおかねば後々面倒な事になるかと思います。」
「ああ、そうだね。その通りだ。」
ハワード氏は執事を探したが、執事は現場にはいなかった。談話室で取り乱しているメイドを介抱しているとお父様が言った。
「警察は僕が呼んでこよう。」
とお父様が言った。
「警察が来るまで現場を荒らさない方がいい。皆、談話室に戻るんだ。」
とお父様が言った。その意見には賛成だ。だけど、私は法医学者に確認したい事があった。
「デライラ夫人がお亡くなりになって、どれくらいの時間が経っているかわかりますか?」
「二十分から三十分といったところではないか思います。死体の硬直の具合からみても一時間は経ってはいません。」
私は、デライラ夫人の部屋の中にある柱時計を見た。今の時間は九時半だ。デライラ夫人が亡くなったのは九時から九時十分の間くらいだという事だ。
それにしても。
私は眉間にシワを寄せた。久しぶりに見るデライラ夫人の部屋の内装。相変わらず趣味が悪くて気持ちが悪い。
それでも部屋のドアが閉じられる前に、私は室内の様子をできる限り記憶した。
床を見て壁を見る。血飛沫は壁にも飛んでいた。
という事は、犯人にも返り血がかなり飛んでいるはずだよね。
私は駆けつけて来た人達の服を眺めた。だけど、今は夜だ。たくさんのキャンドルが廊下の壁にかけられているが、昼間ほどは明るくない。
目を凝らしてみても、服に血の染みができているかはよくわからなかった。
それに、バーナード氏やミス・アンブローシアは服を着替えている。
デライラ夫人はうつ伏せに倒れていた。なので、表情は窺い知れない。正直言ってちょっと、ほっとした。
苦悶の表情や恐怖の表情を見ずに済んだからだ。デライラ夫人の体の横に、装飾を施した小ぶりな銃が落ちていた。小さな銃だった。このサイズなら女性でも、幼い子供でも使えそうだ。この銃がデライラ夫人の命を奪った銃なのだろうと思われる。
私はもう一度、室内をガン見した。やはり切り落とされた右腕はどこにも無い。
その代わり、デライラ夫人の右腕があるべきはずの場所に『斧』が落ちていた。
デライラ夫人の右腕は犯人が持ち去ったのだろうか?
その右腕は、殺す前に切り落とされたのだろうか?それとも殺した後に右腕を切り落としたのだろうか?
もし殺す前に落としたのだとしたら、犯人にはある程度の武術の心得があると思われる。
法医学者とハワード氏を残し、私達全員が談話室へ戻った。
談話室には、エディス、キャロル姉妹。メイドと執事と料理人がいた。夫人の第一発見者のメイドはがたがた震えながら泣いていた。
そんなメイドを、執事と料理人が懸命に慰めている。
エディスの顔色は真っ青でとても不安そうにしていたが、キャロルの方はひどく虚ろな目をしていた。見ようによっては眠そうな顔にも見えるが、この状況で眠いというのだったら神経を疑ってしまう。
ただ、メイドの他に泣いている人はいなかった。スーリン夫人も、意識を取り戻したミス・アンブローシアさえ泣いてはいなかった。
人徳という物は、こういう時に出るのよね。と思う。
そう思う私も泣く気にはならなかった。むしろ恐ろしかった。
人里から離れた、深い森の中のポツンと一軒家だ。強盗が押し入ってデライラ夫人を殺したという可能性はゼロではない。ゼロではないが、その可能性は限りなく低いだろう。
この屋敷の中にいる誰かが、デライラ夫人を殺したのだ。
血みどろスプラッタな現場です( ̄◇ ̄;)
内装の何が気持ち悪いのかは、また後日紹介します
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