家族愛の森《エメライン視点》
19世紀末。ロンドン近郊の森。
その森の中を私は一人歩いていた。
緑深い森の中には、多種多様な木あり、動物達と小鳥達の楽園となっている。
この森の名は『ストルゲー・フォレスト』というのだそうだ。『ストルゲー』とはギリシャ語で『家族愛』という意味らしい。つまりこの森の名は『家族愛の森』という意味なのだ。
「はは。」
と私は笑い声をたてた。
これほど、あの屋敷の側にある森に相応しくない名前はないと思う。
季節は夏の始め。私の目の前には鈴なりの実をつけたアプリコットの大木があった。
私は誰も見ていない事を確認してから、思いっきりアプリコットの木を蹴り付けた。
木の葉がわさわさと揺れ、水滴が落ちてきた。今から30分ほど前、通り雨があったのだ。
私は二度、三度と罪の無いアプリコットの木を蹴り付けた。枝に止まっていた鳥達がバサバサと逃げて行く音がする。
ここは、常日頃お世話になっているお金持ちの別荘がある森だ。ここで今日、私は婚約者と初顔合わせをしたのである。
私の名前は、エメライン・ハーグリーヴスという。太陽が沈まぬ帝国『大英帝国』の貧乏伯爵家の一人娘だ。
別に我が家は昔から貧乏貴族だったわけではない。私が生まれた頃はまだ、そこそこの私財があったという。ようするに、私の父が先祖代々受け継いできた財産を一人で食い潰したのだ。
と言っても、ギャンブルにのめり込んだ。とか、出資した商船が沈没したとかいうわけではない。父は考古学者で、長い歴史のある外国の遺跡を発掘する為に、我が家の財産全部注ぎ込んだのである。
考古学は割に合わない学問だ。薬学や機械工学のように研究成果が金に変わる可能性は無い。たとえ、宝石のついた王冠を発掘しようが、黄金のマスクを発掘しようが、出土した物は現地の博物館の物だ。こっそり着服して売り捌いたりしたら、即刻現地の警察のお世話になる事になる。
発掘費用ばかりかかって、リターンは無いのだから資金が尽きるのは時間の問題であった。
凄いモノを発見したら名声や勲章はもらえるが、人間名声では腹は膨れないのだ。
貧乏生活に嫌気がさして、私の母は私が幼い時に家を出て行った。それ以来、私は父と共に一年の半分以上を外国の遺跡で泥と砂に塗れて生きて来た。
よって、ダンスとかピアノ演奏とか社交マナーとかそういう貴族令嬢のたしなみ、みたいな物とは全く無縁な生活だった。今年で18歳になるが、私は社交界デビューもしていない。
そんな私と父の生活は、善意の支援者によって支えられている。その中でも最大の支援者は、新聞社を経営している社長のハワード氏だ。平民だが、我が家の百万倍の資産を持っているいわゆる新興成金だ。
生活を支援してもらっているという事は、何かの時には逆らえないという事を意味する。実際、ハワード氏に資金を引き上げられたら遺跡の発掘はストップするし、私達親子は明日の朝食のパンを買う事もできなくなる。
ただ、今まで無理難題をふっかけられる事もなく、気持ち良く大金を融通してもらっていた。
だからこそ今までのツケが回って来たと言うべきか。
特大の難題をふっかけられたのである。
私に、訳あり伯爵家の跡取り息子と結婚して欲しい。と言われたのだ。
その訳あり伯爵家はエルフォード家という家だ。
どう訳ありなのかというと、まず我が家と同レベルの貧乏らしい。ただしこちらの家が貧乏なのは、当主である伯爵による無謀な投資と若い後妻の贅沢好きな生活が原因だ。
そして、つい先ごろ結婚適齢期の長男が売れない女優(平民)と恋に落ち、駆け落ちをしてしまったのだそうだ。
エルフォード家は長男を廃嫡、勘当した。そして19歳になる次男を、兄のように問題を起こす前に、さっさとそれなりの家の娘と結婚させる事にした。
結婚相手に求める条件は、国内の貴族で伯爵家以上の家門で5代以上遡れる家柄である事。
狭くもない国で、そこそこの数の貴族がいても、この条件を満たしたうえで貧乏訳あり伯爵家の跡取りと結婚しようという貴族令嬢は多くはない。
いや、事実上絶無であった為、私に白羽の矢が立ったのだ。
ハワード氏は平民だが、ハワード氏の母親は貴族の出だ。貴族の家系図は複雑なのでよくわからないが、エルフォード家とは遠い親戚であるらしい。
そういうわけで、ハワード家経由で私に縁談が来た。実際のところ縁談が来た時点で婚約と結婚は確定していた。
我が家もエルフォード家もハワード家には逆らえないからだ。
金の力、恐るべしである。
そして今日。私は『ストルゲー・フォレスト』の中にある、ハワード家所有の別荘で父と共に未来の夫と面会した。
その結果として、私は鬱蒼とした森の中でアプリコットの木を蹴り回していたのである。
貴族の娘である以上、そして貧乏である以上、顔を見た事も無い相手との政略結婚もやむなし。という覚悟は一応あった。
私は別に面食いではない。そもそも私自身が他人の顔をどうこう言えるような顔はしていない。
容姿は十人並みだし、老人のような灰色の髪は日に焼けてボサボサだ。肌も日焼けしていて荒れている。いつも土を掘っている手の指はマメだらけだし、爪も綺麗じゃない。そして自他共に認める、つるぺただ。
そんな私に人の顔や体型をどうこういう権利は無い。だから、顔やスタイルはどうでも良いのだけれど、何か一つ尊敬できる所がある人だったら良いな。と思っていた。
そう思って会った婚約者のハウエル・エルフォードは私の期待の真逆を行く男だった。
顔は三日どころか三年見ていても見飽きないだろうくらい良い。純金をすいたような金色の髪に宝石のような青い瞳で、男なのにビスクドールのように滑らかな肌をしている。背も高く、体型も男性の見本と言えるような素晴らしいものだった。だけど良い点は見た目だけで、他には何一つ尊敬できそうな所がなかった。
私と話をしている最中も常に前髪をいじっていたから、自分で自分の顔が良い。という自覚があるのだろう。
彼は美容やオシャレや流行に造詣が深かったが、学問的な教養は無く、少し話をしただけでものすごい馬鹿だという事がわかった。
そして明らかに女を顔と胸の大きさで判断する男だった。
彼の私を見る目には、隠しようがないほどの失望の色が浮かんでいた。
私はこの時代の女子には珍しく大学を卒業していて、四ヶ国後の読み書きができる。
だけど、彼にとってはそんな事実に何の意味も無いだろう。
私達はお互いを理解できない存在として見つめ合った。
だいたいだ!
婚約者同士が初めて会うという日に、男友達を二人連れて来たのはまあ別にかまわない。
しかし、女友達を四人も連れて来るだろうか⁉︎
しかもその女友達は四人共顔面偏差値が鬼高で、スタイルもいいのだ。
そしてその四人は明らかに私を敵視していた。私の前でも遠慮なくハウエルにボディータッチし馴れ馴れしい態度をとる。それをハウエルは明らかに喜んでいる。
こんな男と結婚しなくてはならないなんて貧乏は辛いと思った。
しかも、この男私に面と向かって言ったのだ。
「僕に愛されようとか期待するな。君を愛するつもりはない。」
むかーっときた!
私も言ってやろうと思っていたのに、このセリフ先に言われた!
悔しいっっっっ!
こんな、女にだらしないしょーもない男、女性に刺されて死んでくれないだろうか。と思った。勿論、犯人は男でもかまわない。
そうなったら喜んで、ミステリー小説マニアのこのわたくしが、探偵になって犯人を探してあげるのだけど。
そんな物騒な事を考えていたのが良くなかったのか?
その日の夜、別荘内で殺人事件が起こった。
被害者はハウエルのボケではなかったが。
北村すがやと申します
個人的に大好きな19世紀末の英国を舞台にしたゴシックミステリーです
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