04 - 何処へなりとも行け
祝賀会の会場であったホールは思ったほど阿鼻叫喚ではなかった。
我先にと逃げ出そうとした者は、聖女と言われていたモノがその長い体毛をつかって、うるさいじゃまだを言わんばかりに体の中心である心臓を貫いていったからだ。
大声を出さなければ、彼女だったモノの行く手を遮らなければ、何もされることはない。そう気づいたから静まり返っていたのだ。
彼女だった何かが、ずるずると四つん這いにうごめきながらホールを出て外に向かおうとしているのを、口を両手で抑え彫像の様に動かず見つめているだけだった。
貧相な少女だったはずの体は誰かを殺す度に大きくなり、ホールの外に出るころには、軍馬と遜色ない位の大きさになっていた。
「ァ…ァ……」
ホールからは何かの姿が見えなくなり、ようやく息をできるかという状態にはなったが、もし大声をあげれば舞い戻ってくるかもしれない、あるいはあの長く鋭い体毛が襲ってくるかもしれないという恐怖が、今もホールを支配していた。
バタバタバタバタ
そんなころ、衛兵たちが国王や各国の重鎮たちと共にホールへやってきた。
「これはいったいどうしたことだ。」
王はホールの目を見張るような惨状に絶句しつつも、誰とはなしに尋ねる。
しかし、駆け付けた者たちがいる事に気付いても、その場を動けるものは誰もいなかった。辛うじて王や衛兵たちに顔を向けるのが精いっぱいだった。
そんな中の何人かが、ホールの中央にいる血まみれのデビッドに視線をやった。
王はデビッドに向かい、彼の周囲の凄惨な状態にうっと一瞬詰まりながら尋ねた。
「デビッドよ、一体何があったのだ?」
デビッドは震えたまま何も答えることは出来なかった。
代わりにデビッドに付けられていた護衛が事のあらましを王に告げた。
「なんてことだ…。」
王は頭に手をやり、とても渋い顔をした。
「なんてことだ、デビッド、お前は聖女バーバラの為の王子だったのに…。」
「バーバラが気に入ったからこそ、お前は王子という位に身を置けたのだ。バーバラと名付けられた…王家の先祖である光の王子が封印した強大な魔物との婚約の為の王子として、バーバラに選ばれたからこそ王妃の養子となったのだ。」
デビッドは、震える身体で父だと思っていた王の方へ顔を向けた。
「っ……どう…いう…?」
強張りきった体は息すら思うようにできない。とぎれとぎれの言葉をやっとの思いで発することができただけだ。
「言っているじゃないか、お前は王妃の養子だと。」
口をパクパクさせながらデビッドは目を見開いて王を見つめた。
「デビッド、お前は儂の子ではないし王家の血を引くものではないが、バーバラが本殿に参拝に来た孤児たちの中にいたお前を気に入ったから、養子にしたのだ。」
王たちの後に続いて王妃や兄たちがホールにやって来る。
衛兵たちがバーバラだったモノ…いや、バーバラと名乗らせていた何か、の動向を王や将軍に報告している。
上の兄たちがバーバラと言われていた何かを止めるために出陣しようとしたが、実母である王妃や夫人は泣いて止めていた。
「何度顔合わせをしても、あの化け物に選ばれず見向きもされなかった貴方たちが、止められる訳などないわ、止めようとしただけで殺されてしまう!」
「それでも止めなければなりません、何の為の王族ですか。俺たちはその為にいるのでしょう?」
「代々の王たちがバーバラの気に入る王子を作り出すために何人もの子供を成してきた。今代では誰ひとり気に入られる王子が居らず、これまでかと思われていたところをデビッドが気に入られたことで猶予が与えられたのです。そのことにこそ感謝をしなくては。」
「でも一の兄さま、一の兄の妻さまのお腹の中には御子が…。」
「……。その子にこのような思いをもう二度とさせないためにもだ。」
王妃や姉たちが止めるのも聞かず、上の兄たちはバーバラの後を追った。デビッドは恐怖と衝撃の事実で動かなくなった体に何とかしてむち打ち、膝をつきながらもなんとか動かそうとし、叫んだ。
「ぼ、ぼぼ、僕もバ、バッバルッ…バー、バラ、の所へ…。」
叫んだつもりだったが、息も、唇も、舌もうまく動かすことができず、かすれた声でようやく吐き出せただけだった。
「デビッド、これは本来なら王族が手綱を取らなければならぬ事だったのだ。バーバラの望みを鵜呑みにした我々王族の責任である。だからお前はもう自由に生きなさい。バーバラに気に入られたというのに、あれに奪われずに済んだ、生き残れた命だ。大事にしなさい。」
王はそういうと、
「あの魔物を討伐次第、我がマル・ルガール王国のへストール王家は王権を返上し、家門の解体を受け入れよう。連合国の諸君よ、願わくば臣民たちの保護・受け入れを頼む。」
高らかに宣言し、近衛たちと共に兄王子たちの後を追った。残った一部の衛兵は祝賀会の参加者たちをバーバラが向かった方向とは逆の方向へ逃げるよう案内している。我先にと逃げる者たちの中に下町の仲間たちもいた。
動かない身体でゆっくりを周囲を見渡すと、王妃も、姉たちも、年の近い兄たちももう既にいなかった。
ホールの外から聞こえる戦闘の喧騒の声はだんだん遠くなっていくが、誰も戻ってくるものはいない。
あの勢いを止められるものは誰もいないだろう、遠征軍で見聞きした魔物たちはどれもあんな一瞬で攻撃してくることなどなかった。
何処かで建物が倒壊する音がした。この王宮だけでなくバーバラが住んでいた神殿も、きっとデビッドが親しんだ下町も破壊を免れる事はないだろう。
自由に生きろと言われて、どこへ行けばいいというのか。デビッドの足元には、ただ、笑顔のままのカーラの顔が転がっていた。
END