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妹女将は中二病!幼なじみ仲居はヤンデレ!料理長はサイコパス!癖だらけの温泉宿に傷や秘密を抱えた旅人がふらりと訪れ笑って心だけ置いて帰っていく  作者: 常陸之介寛浩★OVL5金賞受賞☆本能寺から始める信長との天下統一
第一章 『妹は帰ってこなかった──記憶と湯の底に沈むもの』

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第14話『さよならを言わない手紙』

朝の食卓に笑い声が戻った宿には、まだ淡い霧が立ちこめていた。

 湯気のように揺れる空気のなか、美咲は一人、自室へと戻っていた。


 かつて、妹・遥香が泊まったというこの部屋。

 布団はすでに畳まれており、宿の人間の気配が手際よく整えてくれたのだろう。だが、どこかに“自分の気配”もまだ残っているような、そんな不思議な静けさがあった。


 押し入れの奥から見つかった、あのノート。

 遥香が「言葉を残していた」あのノートは、今、美咲の手の中にある。


 何度かページをめくり、また閉じる。

 妹の筆跡──まっすぐで、ところどころ震えていて、それでも確かに“ここにいた”という記録。

 「ごめんなさい」「ありがとう」そして「誰か、わたしの言葉を見てくれるかもしれないから」。

 最後のその一文だけが、なぜだか胸に刺さった。


 ──自分も、残したい。


 ふと、そう思った。

 誰かに読まれるかもしれない。でも、それでも構わない。

 いや、むしろ誰かが読むことで、この言葉が“生きている”と証明されるのなら──それは、きっと、今の自分にとって唯一の救いなのかもしれない。


 美咲は静かに、ノートの空白のページを開く。

 そして、ペンを取った。


 次に、ここに来る誰かへ。


 ようこそ。

 この部屋は、泣いてもいい部屋です。


 わたしも、泣きました。

 誰にも言えなかったこと、言いたかったけど言えなかったこと。

 この宿で、思い出して、涙が止まらなくなって、でも最後には、少しだけ笑って帰れました。


 あなたがどんな事情でここに来たのか、わたしにはわかりません。

 だけど、ひとつだけ言えるのは、

 「あなたの涙も、ここに置いていっていい」ということです。


 わたしの妹は、ここで何かを残しました。

 それが何だったのか、きっと彼女にしかわからない。

 でも、その“何か”を見つけるように、わたしもここで、自分の言葉を探しました。


 もしあなたも、探しているなら。

 言えなかった言葉があるのなら。

 この宿の湯気の中で、心をほどいてみてください。


 泣いて、怒って、眠って、それから……笑ってください。


 泣いたことのある部屋には、人の温度が残ります。

 わたしが泣いたこの部屋に、あなたの涙も少し混じってくれたら──

 それは、たぶん、ちょっとだけ、誰かを救うことになるかもしれません。


 さよならを言わずに、帰ります。


 また、来ます。

 そのとき、もしこのノートがまだここにあって、

 そのページの先に、あなたの言葉が続いていたら──


 それは、きっと、わたしの宝物になると思います。


 ──美咲


 書き終えたそのとき、美咲の手は、静かに震えていた。

 でもそれは、過去の自分を責める震えではなかった。

 ただただ、“言葉を持てた”ことの、ささやかな実感だった。


 部屋の隅に、柱の小さなキズがまだ残っている。

 妹・遥香が最後に刻んだ“ありがとう”の文字は、少し削れて、少し滲んで、それでも消えていなかった。


 「……遥香。もう、ちゃんと返せたよ」


 独り言のように、美咲はそうつぶやいた。

 そしてノートを押し入れの、見つけやすい位置にそっと戻す。

 その手には、もう迷いがなかった。


 ドアを開けると、そこには灯が立っていた。


 「……行かれるんですね」


 美咲は頷く。


 「はい。……でも、置いていきました」


 灯は小さく目を細めた。


 「それができたなら、きっと大丈夫です」


 廊下には朝の光が差し込んでいた。

 前に来たときは、見えなかった光。

 見ようとしなかっただけかもしれない光。


 階段を降りると、咲良が待っていた。


 「送ってくよ。駅まで、歩いていけるし」


 「……ありがとう。でも、もう大丈夫」


 そう言いながら、美咲は笑う。

 咲良が「そっか」と言って、少し照れくさそうに頷く。


 「じゃあさ、また来なよ。予約なんかいらないからさ。……あ、でもさ、今度は泣かないでよね?」


 「泣きませんよ」


 美咲が笑いながらそう言うと、咲良もつられて笑った。


 門を出るとき、振り返って見た宿は、あいかわらずの古さと静けさをまとっていた。

 けれどそこに、美咲は“あたたかさ”を感じた。


 ──誰かに泣かせてもらった場所。

 ──そして、誰かを泣かせてあげられるかもしれない場所。


 小さな手紙は、押し入れの中のノートにひっそりと綴られた。

 それは“さよなら”を言わない手紙。

 だからきっと、また出会える。

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