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妹女将は中二病!幼なじみ仲居はヤンデレ!料理長はサイコパス!癖だらけの温泉宿に傷や秘密を抱えた旅人がふらりと訪れ笑って心だけ置いて帰っていく  作者: 常陸之介寛浩★OVL5金賞受賞☆本能寺から始める信長との天下統一
第一章 『妹は帰ってこなかった──記憶と湯の底に沈むもの』

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第12話『記憶の湯に沈める』

夜の湯殿は、静寂のなかにあたたかさを湛えていた。


 灯籠の淡い光が、檜の壁をぼんやり照らしている。浴槽の縁に腰かける美咲の手には、一枚の手紙が握られていた。

 妹・遥香の遺した、あのノートの切れ端。

 まだ乾ききっていない涙の跡が、インクを滲ませていた。


 ──「私は、ここで待ちたい。誰かが私の言葉を見つけてくれるかもしれないから」


 それは、希望なのか、諦めなのか。

 どちらにも思える文だった。

 けれど──今、美咲の心には、答えは出ていた。


「……もう、いいよね」


 小さく呟く。

 誰にも届かない音量で、誰に届けるでもない声だった。

 それでも、それは確かに「自分」に向けた言葉だった。


 湯殿の片隅。

 灯が用意してくれた、手桶と火入れ。

 その中に、火種が揺れていた。

 小さな炎。

 けれど、それで十分だった。


 手紙の端を、火に近づける。


 炎が紙を食むように広がる。

 赤く、ちりちりと。

 妹の筆跡が、ゆっくりと熱に呑まれていく。


 かすかに湯気が揺れた。

 その瞬間──浴槽の向こう、湯けむりの中に、あの子の“姿”があった。


 笑っていた。

 少しだけ、あの頃より大人びた顔。

 でも、確かに──遥香だった。


 美咲は、何も言わなかった。

 ただ、じっと見つめた。

 目の奥が熱いのは、湯気のせいだけではなかった。


 ゆっくりと、幻影は薄れていく。

 まるで、満ちた想いがようやく昇華されたかのように。

 炎が尽きた。

 そして、紙はすべて灰になった。


 美咲はその灰を、そっと手桶に落とし、湯に流した。


 波紋が広がる。

 音は、ない。

 けれど、何かが終わり、何かが始まったような、そんな気がした。


「自分を許すって……こういうこと、なのかな」


 ぽつりと呟いた。

 胸の奥にあった鈍い痛みが、湯に溶けていくようだった。

 責めることしかできなかった自分。

 許されたいと願っていたくせに、どこかで“贖罪”の盾にしていた過去。

 それを、今ようやく──「終わらせていい」と思えた。


 遠くから、柚葉の笑い声が微かに聞こえた。

 咲良の足音も。

 灯が戸を開ける音も。

 日常の音が、夜の中に、少しずつ戻ってくる。


 ──私は、ここに来てよかった。


 それだけは、確かだった。


 湯に沈んだ手は、もう震えていなかった。

 明日の朝、この湯から上がった時、自分は少しだけ“変わって”いる気がする。

 そんな予感だけが、心にぽつんと浮かんでいた。


 月明かりが湯面に差し込む。

 まるで、妹が最後にくれた灯りのように。

 美咲は、そっと目を閉じた。



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