第7章 意識の部屋
俺とナイラは顔を見合わせ、リネアを不思議そうに見つめた。確かにこの夢は普通じゃないが、寝る前の記憶も鮮明だし、明らかに夢の中にいるはずなんだが。
「そんなに驚かなくてもいいわ。ゆっくり説明するから。その前に、やらなきゃいけない大事なことがあるわ」
リネアが優雅に歩み寄ってきた。突然、甘い笑顔のまま俺の急所を強烈に蹴り上げた。
想像を超える痛みにエビのように丸まり、額に冷や汗がにじむ。
「もう一度言っておくわよ。許可なく抱きついたりキスしたりするんじゃない!」
リネアはこれが夢の続きだと思っていた。あの時キスしたのも「恥ずかしい夢」の延長で、しかも俺への好感から夢の中なら許されると思っていたらしい。
だが現実と気付いた途端、恥じらいが怒りに変わったのだ。
「うっ…」ナイラでさえ、俺の悲痛な表情を見て目を背けた。
生理学的な知識に長けたナイラはよくわかっていた。研究によれば、敏感部位への一瞬の痛みは出産の痛みすら凌ぐという。
「よし、これで夢じゃないってわかったでしょ」
この痛みで一瞬にして現実だと確信した。歯を食いしばって痛みに耐える中、リネアは夢ではない根拠を説明し始めた。
「第一に、ここは継続的に発展し増殖している。第二に、全てが思考と同期している。例えば夢なら『跳ぼう』と思っても体が動かないものよ」
「第三に、認知と感覚が現実的。感情や感覚は自分を欺けないわ」
「これが夢の三原則よ!」
ナイラと俺はハッとさせられた。夢の特性——断絶性・不協調性・認知の不確実性。今の体験は全てそれに反しており、現実である証拠だった。
急に居心地が悪くなった。洞窟で眠ったはずが、いつの間ぞ見知らぬ空間にいたのだ。
「ハク、君が最初にここに来たんでしょ? 何があったか説明して」リネアが促す。
「脱出口のない温室にいて、三つの小部屋があるだけだ。ガラスを割ろうとしたが無理だった」
リネアがガラスをコンコン叩くが、やはり変化なし。
「となると、まだ調べてないのはこの三つの部屋だけね」
リネアが左端のドアを開けて入ると、突然扉が閉じ、俺とナイラは開けられなくなった。
「リネア! 大丈夫か!?」
「平気! 数分待って!」
約3分後、無傷で出てきたリネアの左目に、未来的な機械の眼球が追加されていた。
「中で何が?」二人同時に尋ねた。
「ええ…自分で体験した方がいいわ。安心して、危険はないもの。自信を持って入りなさい」
「え、オーケー…」まだ混乱する二人。
俺は中央のドアを開けて入室。しばらくしてナイラも右側のドアに入っていった。
扉を跨いだ瞬間、その感覚は言葉に表せない。筆舌に尽くしがたい美しさの天国にいるような気分だ。
内部は温室よりはるかに広く、真っ白なベッドが中央に鎮座している。本能が「ここに横たわれ」と囁くのを感じた。
迷わずベッドに横たわった。久しぶりの安らぎに、気付く間もなく眠りに落ちる。謎の光が全身を包み込み、母胎のような温もりを感じた。
夢の中では、かつて倒した雪虎と再会した。ライオン、鷲、梟など様々な動物も現れる。奇妙なことに恐怖はなく、彼らは近寄り――舐めたり、嘴でつついたり、体を擦り付けたり――最後は星の欠片のように俺の体に融合していった。
次の瞬間、景色が一変する。賑やかな都心の真ん中に立っていた。先程までの美しさはないが、懐かしさが胸を締め付ける。
目覚めると、部屋は俺の寝室そっくりに変化していた。細部まで完璧に再現されている。慌てて調べ回るが、貴重品は見当たらない。外に出ると、リネアとナイラが待っていた。
「変化は?」ナイラが訊く。
「説明できないや。君は?」
「言葉を超えてるわ」
「ハジメ、。
君の顔!」ナイラが突然指差す。
「俺の顔どうした?」
震える手で触れると、口元に猫のようなヒゲが六本生えていた
(まさか俺、雪虎になっちゃったのか?)胸騒ぎがする。
「リネア、他に変化は?」
「ヒゲだけよ」素っ気ない返事。
(よし。落ち着け、お前はまだ人間だ)安堵のため息。
「どうやら現実でも夢でもないわ。潜在意識の投影ってとこかしら」リネアが分析する。
「どうしてそう言える?」
「三人の記憶が共有されるはずなのに、ここでは不可能。つまり意識が脳から分離してるのよ」
「でも意識は脳活動に依存する。分離なんて科学的に矛盾してる」
俺はまだ納得いかない。物質を離れた意識なんて現実離れしすぎている。
「要は魂が肉体から離れ、意識が創り出した想像世界を彷徨ってるってこと?」
ユダヤ教の知識を持つナイラは核心を突く。
「その通り!」
「あり得ない! 非唯物論的すぎる。魂なんて…」
「預言書だって存在するわ。不可能はないの。それに魂の概念だって、議論の余地はあれど科学的根拠はある――唯物論と矛盾しない形で」
ナイラは優雅に理路整然と反論する。
「わかったよ…」
二人の女性には敵わないと悟った。
「核心は一つ:どう現実に戻るか?哲学論争は後だ」
「方法は単純よ。来た道を戻ればいい」
「また眠れってか?」疑いを含んだ声で俺が問う。
「理論上ね。現実とは異次元の夢。ここで夢を見れば『現実』で目覚めるの」リネアがまくし立てる形而上学論に頭がくらくらする。
「完全に形而上学の海を漂流してるな」
(形而上学:物理的現実の背後にある存在の本質を探る哲学分野)
三人で冷たい床に横になった。強引に睡魔を呼び寄せ、まぶたを閉じると意識は暗黒の渦に吸い込まれた。
むっとした洞窟で飛び起きた。胸が締め付けられるような感覚。自分のかけらが奪われたような恐怖が走る。
視線がリネアに向く。硬直。
彼女は静かに横たわっていたが、青い瞳が…どこか見覚えのある眼差しでこちらを見つめている。
(リ…ン?)震える心の声。
(ハク?)
「そ…れは…俺だ」リネアの唇を通して震える声が出る。彼女の目を通して見えるのは、青ざめた「自分」の横たわる姿。
幻覚でないと確認するため、リネアの腕を赤痕が残るほどつねる。痛い。現実。
俺はリネアになっていた。
お久しぶりです!今回の章はいかがでしたか?ちょっと意識が宇宙旅行しそうな展開ですが、たまにはこんな謎解き&哲学トークも楽しいでしょ?(笑)
実はここ数週間、大学の課題地獄に引きずり込まれてました…レポートと実験とバイトの三重奏に脳みそがグチャグチャ状態!リネアに急所蹴りされそうなスケジュールでしたわ…(皆さんも無理しすぎないようにね!)
次章からいよいよ異能力パートに突入!ハクとリネアの関係がどう変わるか、ナイラの意外な一面もチラ見えするかも?それではまた、脳内お花畑が銀河規模に広がる次回でお会いしましょう~♪
P.S. 温室でまったりするシーン書いてたら本物の植物欲しくなってきました…観葉植物デビューしようかしら?