第10章 ドイツの血統
「陛下、お菓子が届きました。他にご命令は?」
老人が恭しく頭を下げて尋ねた。
「立ちなさい。私は前に跪かれるのが好きじゃない。リネアと呼べ、変な敬称は使うな」
俺はきっぱりと命じた。映画で学んだ通り、強く出ないと彼らは従わないだろう。
「かしこまりました、リネア陛下」
震えながら再び礼をして、老人は立ち上がった。
[リネア、ナイラ、これで安全だな]
[表情の分析から、脅威は検出されないわ。油断は禁物よ]
リネアが冷静に分析する声が頭に響く。
「ここで待て」
俺が指示すると、彼らは文句も言わず従った。
20分以上経った頃、リネアとナイラが到着した。二人の姿を見た瞬間、人々は再び地面にひれ伏した。ちなみに俺は本来の見た目に戻った。
[まあ、本当に神の使いだと思い込んでるのね。だったらこの『おやつ』はいただきましょうかしら]
ナイラがゆっくりとハート形に瞳孔を変えながら微笑む。
[遊ぶなと言っただろう。まずは出口まで案内させろ]
俺は呆れて首を振った。
[簡単よ。私の手並みを見せてあげる]
「我らは神のしもべ。宿営へ案内せよ。汝らの忠誠を試す」
ナイラは中世の大司教さながらの威厳で宣言した。
「陛下、供物はこちらでお召し上がりに?」
困惑が老人の表情に浮かぶ。通常、神々は生贄の血を求めるもの。人間の集落を訪れるなど前代未聞だ。
「おやつは彼に渡せ。特別な『用事』がある」
ナイラが意味ありげに俺を見る。生贄の少女が無垢すぎるのは三人とも承知。手を出すつもりはないが、混乱を避けるための方便だ。
彼らは顔を見合わせ、やがて納得したような表情に変わった。どうやら『男性の使者』が独自の方法で『楽しむ』と勘違いしたらしい。リネアとナイラは苦笑を隠さない。
「急げ。我々の時間は限られている」
「謹んでお命のままに!」
彼らは怒らせたと思い震え上がり、異常な速さで歩き出した。
「ここまで慌てる必要あるか?」
三人同時にぼやく。
生贄の少女が地面に倒れ、苦しそうに息を弾ませていた。幼い頃から奉納のためだけに育てられ、体力などないのだ。
「立て。俺が抱いてやる」
哀れに思い、抗議する間もなく軽い体を抱き上げた。
「お許しを!この愚か者が悪うございます!どうかお処罰を!」
少女は子供のように泣きじゃくり、恐怖で震えていた。
「お前は悪くない。殺す理由などない。静かにしていろ」
リネアから受け継いだ記憶のおかげで、まるで『女性鎮静スキル』を得たようだ。実際はリネアの理想の男性像——厳しい口調に温かい言葉選び——の模倣に過ぎないが。
「はい…」
彼女は恥ずかしそうに頷いた。涙が止まり、小さな身体が俺の胸に密着してきた。
[耐えられないわ!リネア彼を見て!まさかハジメが女たらしだなんて!どこでそんな技術を?] ナイラが皮肉混じりに嘲笑う。
リネア――自分の記憶が源だと気づき――真っ赤になって顔を手で覆った。
[黙れ!ただ…機会がなかっただけ!] 俺は反論した。
[貴様!もうっ!話しかけないで!] リネアは拗ねて背を向けた。
[笑!] ナイラが我々のやり取りを面白そうに見ていた。
移動中、我々はこの集団を観察した。チベット人の特徴はなく、むしろドイツ系の容貌。最年少でも50代前半だ。
[気付いた?] リネアが思考を共有してきた。
[ああ]
[遺伝子解析では80%がドイツ系、20%がチベットと漢族の混血] リネアの演算脳が淡々と報告する。
我々の思考はナチス時代に飛んだ。あの時、彼らは世界の特異点探索隊を派遣したが、消息を絶っていた。
[子孫か?]
[可能性はある。だが矛盾:高地適応遺伝子は祖先が300年以上前からここに定住したことを示す。ナチスの探検隊は100年も経っていない] リネアが精密なデータを提示。
[では探検隊が特異点を発見し過去へ飛ばされた?]
[時間旅行は不可能。だが平行宇宙…なら説明がつく]
顔がこわばる。もし本当なら大問題だ。
第一に、政府がこのドイツ人集落を知らないはずがない。だがメディア報道なし=何らかの陰謀が存在。
第二に、過剰な宗教的崇拝(生贄儀式含む)は確立されたカルト勢力を示唆。
最も危惧すべきは、彼らが特異点に関する手がかりを保持している可能性。もし発見されれば、関羽事件のような歴史改変が現実化する危険性。
(関羽:三国志の英雄。後世の脚色により史実から乖離した「武神」として神格化された事例)