第九話、信条
茶色のシルクハットの男にレイオウは鋭い視線を向け、淡々と告げる。
「アーノルド・ハーマス。国を裏切った者に、かける言葉はない」
「おいおい、"裏切り者"なんて言い方は冷たいぜ」
アーノルドは肩をすくめ、ゆったりと首を振る。それから袖口を軽く払うようにしながら、波打つ剣を構えた。刃と刃が噛み合い、鍔迫り合いが始まる。
「俺はただ、縛られない自由を選んだだけさ」
「ならば、なぜこちらを狙う」
「頼まれたからよ」
「誰にだ」
二人は鍔迫り合いを解き、間合いを取りながら互いを見据える。
「そいつは企業秘密ってやつさ」
「答えろ」
「言うわけないだろ。これが俺の仕事なんだから」
アーノルドは指先でシルクハットを摘み、軽く被り直す。その瞳には、獲物を逃さない獣のような光が宿っていた。
その視線を断ち切るように、レイオウは素早く剣を振り抜く。鋭い斬撃波がアーノルドを捉える。
だが——。
アーノルドは帽子を押さえながら、風を裂くように素早く左右へ駆け、難なく回避する。レイオウの斬撃波は瓦礫や地面に衝突し、激しく弾け飛んだ。
舞い上がる砂塵の中、アーノルドはその光景を眺めながら、不敵に笑う。
「その傷だらけの体でも、相変わらずの威力だな。だが、俺を仕留めるにはまだ足りないぜ、レイオウ」
「黙れ」
レイオウの猛攻を巧みにかわしながら、アーノルドは腰のポケットに手を差し入れる。レイオウの斬撃波を高く跳躍して回避しつつ、指先に握られた細長いカプセルを四つ、流れるように地面へと投げ込んだ。
針状のカプセルは四方の地面に突き刺さり、レイオウを取り囲むように配置される。
「アーノルド、何だこの機械は」
「見れば分かるでしょ。魔装具よ」
「お前が魔装具を……道具を使うまで腕が落ちぶれたか」
「全然。その逆」
レイオウの鋭い視線を受けながらも、アーノルドは不敵に笑う。次の瞬間、両手を地面に突き、詠唱を開始した。
「『ファーストサンダー』」
その言葉と同時に、アーノルドの手から放たれた雷の奔流が地面を這い、四つの魔装具へと流れ込む。赤いゲージが一斉に点灯し、カプセルの上部から赤紫色の光線が放射された。
光が結びつき、瞬く間に四角い箱状の結界が形成される。
「結界が……」
「その通り。気付くのが遅いのよ」
レイオウは即座に剣を振るい、斬撃波を放った。だが、結界に当たった瞬間、それは反射し、レイオウの足元へと跳ね返る。
「くっ……」
予想外の事態に一瞬の隙が生まれる。
咄嗟に後方へ跳んだレイオウ。しかし、斬撃波はそのまま地面に激突し、爆裂。衝撃とともに土煙が激しく舞い上がり、視界を奪う。
土埃の中、レイオウは低く呟く。
「この斬撃波の反射するとはな……」
「平和ボケしている間に、時代は進んでんのよ」
アーノルドは軽く帽子の位置を直し、剣を翳す。その刀身には透明な疾風が纏わりつき、揺らめいていた。剣を高く構え、レイオウの気配を探る。
そして、咆哮するように技を放つ。
「韋駄天の疾風!!」
剣を纏う風がさらに激しく渦巻き、アーノルドは目にも留まらぬ速さで幾度も空を切り裂いた。その軌跡から生じた透明な斬撃波は、風を切り裂くように結界内へと突き進む。
結界の近くまで到達すると、斬撃波は反射されることなく土煙を巻き込みながら、一直線にレイオウへと襲い掛かった。
「甘いわ」
立ち込める土塵の中、レイオウは迫る斬撃波を察知するや否や、細剣を閃かせて次々と弾き飛ばした。弾かれた斬撃波は結界を突き抜け、外部へと飛び去っていく。
やがて舞い上がった土煙が収まると、レイオウの姿が結界内に鮮明に現れた。
アーノルドはその光景を見て、皮肉げに拍手を送る。
「ブラボー、さすがだね……でも、余裕はないみたいだ」
挑発するような言葉とともに、アーノルドはレイオウの体に刻まれた無数の浅い傷を見やる。僅かに血が滲み、彼の動きを確実に削いでいることが分かる。
「さて、死ぬまで続けようか」
アーノルドは再び剣に風を纏わせた。上段に構えを取ると、渦巻く疾風がさらに勢いを増す。結界の中で、レイオウは静かにアーノルドを見据えた。
両者の視線が交錯する。
「いつまで耐えられるかな」
そう言い放ち、アーノルドは力強く剣を振り抜いた。
ーーその刹那、鋼が衝突する音が響き渡る。
「そこまでだ、アーノルド」
「お前は……」
アーノルドの剣を地面に押さえつけたのは、遠くから駆けつけたジンだった。鋭い眼光を向けるジンを見て、アーノルドはニヤリと笑う。
「久しぶりだな、ジン・ハルバード」
「ここで何をしている」
「見ての通りさ」
ジンは抑え込んでいた剣を勢いよく振り抜く。だが、アーノルドは軽やかに後退し、悠然と間合いを取った。
互いに剣を構えたまま睨み合う二人。緊張が張り詰める中、ジンが静かに口を開いた。
「お前は何故、この国を裏切った」
「また同じ質問かよ。俺は自由を選んだんだ」
「自由を」
「お前にあの時に勝ってから、全く面白くなかった。なんでだろうな」
「面白いか面白くないかじゃないだろ。お前は、それだけで全てを決めるのか」
アーノルドは肩をすくめ、波打つ剣を片手で弄ぶように回した後、ゆっくりと握り直した。薄く笑みを浮かべながら、ジンに問いかける。
「お前はまだ、国のためなんて言葉を信じて戦っているのか」
「今もそうだ」
「笑うぜ。国の兵士奴隷として、お前は単なる捨て駒でしかないのが分かっているのか」
「俺は俺の意思で選んでいる」
「……くだらねえな。ほんとに変わらねえし、ほんとにくだらねえよ、お前は」
アーノルドは鼻で笑いながら、剣に纏う風をさらに強める。
一方のジンも、鈍色の剣を中段に構え、静かに踏み込んだ。
地面を擦る二人の靴音が、一触即発の空気を際立たせる。
「そこをどけ、ジン」
「断る」
「それなら、王と一緒にまとめてあの世に葬ってやる……韋駄天の疾風」
「真空連撃」
アーノルドの放つ斬撃波が、風を切り裂く音とともにジンへと迫る。
だがジンは、一瞬の回転を伴う剣閃で、全ての斬撃波を弾き飛ばした。
「やはり簡単にはいかないか」
「お前にやられる程、俺は軟じゃない」
ジンが一気に地面を蹴り出し、アーノルドへ迫る。
斬り抜ける鋭い一閃。しかしアーノルドは紙一重でそれを避け、即座に体を捻りながら波打つ剣を振り抜く。
その刃先が風を切る音が響くが、ジンは無駄な動きなく身を捩り、それをかわした。
目の前で激しく火花を散らす両者の剣戟。
「くそ、王である私が何も出来ないとは」
結界に囚われたレイオウは、激戦を繰り広げる二人を見ながら、ただ拳を握るしかなかった。
悔しさを滲ませながらふと足元を見ると、地面に突き刺さった魔装具が目に入る。
刹那、レイオウの表情が変わった。
「地面に結界が無い」
彼はゆっくりと息を整え、両手に魔力を込める。
白い光が剣を包み込み、レイオウの意志が刃先へと宿る。
長く深い呼吸の後、一気に剣を天へと掲げる。
「断絶の一振り」
閃光とともに、レイオウの剣が地を裂いた。
その瞬間、大地が唸りを上げ、ジンとアーノルドの背後から轟音とともに地割れが走る。
両者の足元が揺れ動き、体勢を崩しながらも、即座に振り返る。
そこには、突如として隆起した巨大な断崖が、絶壁となってそびえ立っていた。
「結界が……無い……!」
アーノルドの表情が険しくなる。
レイオウは高くそびえる断崖の頂に立ち、鋭い視線で地上の二人を見下ろしていた。
次の瞬間、彼の足が地を蹴る。
崖を飛び降りたレイオウが、砕けた大地の破片を踏みつけながら軽やかに着地する。
沈黙が降りる中、彼はゆっくりと立ち上がった。
ジンとアーノルドが見たのは――怒気を漲らせた仁王立ちのレイオウだった。
その瞳には、揺るぎない決意と怒りが滲んでいる。
レイオウの低く、しかし確固たる言葉が響く。
「死を以て償うがいい」