第六話、破壊
ジンの投げつけた剣が蜘蛛の頭蓋骨に突き刺さったのは、漆黒の球体が放たれた直後だった。
「間に合わなかった……」
戦意を失ったジンは、力なく逆さに落下しながら、破壊の軌跡を描く漆黒の球体が城へ向かって進む光景を、ただ茫然と見つめていた。
「爆炎の炎玉……」
呆然とするジンの視界に、突然、眩い閃光が飛び込んできた。反射的に腕で目を覆う。
「くっ眩しい……」
光が収まり、ジンが改めて球体の行方を見やると、その軌道が微妙に逸れ、城の横をかすめていた。漆黒の塊はさらに急上昇し、快晴の青空の中で炸裂する。
「何が起きたんだ……」
数瞬の遅れの後、大爆発の轟音が街全体に響き渡る。落下中のジンは、その音が届いた瞬間、あることを思い出した。
「まずい」
爆発音が掻き消えた次の瞬間、凄まじい風圧が城と街を飲み込み、破壊の嵐となって襲いかかった。非情な突風が建物の壁を砕き、瓦礫を宙に舞い上げ、街並みを粉々にしていく。
ジンは身を隠す術もなく、猛烈な風圧にただただ飲み込まれていった。
どれほどの時間が経ったのか――。
意識が朦朧とするジンは、現実なのか夢なのか、それとも死の世界なのかも分からない曖昧な闇の中にいた。ただ、自分の体が横たわっていることだけは理解できた。
「どの道……免れなかったのだ……」
生気のない無気力なジンは、暗闇の奥へとゆっくり沈んでいく。このまま何もかもを手放し、闇の底へと沈み込もうか――そんな考えが頭をよぎった。
その時、不意に男の声が響く。
「ジン、目を覚ませ」
「……誰だ?」
沈みゆく闇の中で、ジンは誰かが自分を呼んでいることに気づいた。しかし、気力はまだ湧かない。
「目を覚ませ、ジン」
「何を言っている。俺は風圧に巻き込まれて……死んだんだ」
「まだ死んでない――起きろ」
暗闇の中、最後に響いたのは、これまでよりも強く、気迫のこもった声だった。
その直後、ジンの胸ぐらが何かに掴まれ、強引に引き上げられる。
「……っ!!」
反射的に振り払おうとするが、相手の力は一切緩まない。抵抗する間もなく、闇の中を引きずられていく。
どれほど進んだのか――。
やがて、進む先に木製の扉が音もなく現れた。その扉は勝手に開き、中から眩い光を放つ。
「……うっなんだこれは!!」
「起きろジン」
ジンがゆっくりと目を開けると、目の前に藍色のフード付きロングコートを纏った男が座っていた。彼はジンの胸ぐらを掴んでいたが、ジンが目覚めると手を離し、頭をそっと地面へ戻す。
ジンは上半身を起こし、周囲を見渡した。同じロングコートをまとった数人が円を描くように座っており、その中心に自分が横たわっていたことに気づく。
痛む体を押して立ち上がる。視界の先に広がるのは、爆発前の青空とはまるで異なる光景だった。暗い雲が空を覆い、城も街もすべて瓦礫と化し、無機質な静寂が辺りを支配している。ところどころで灰を撒き散らす炎だけが、崩壊した街に残された生の名残だった。
「街が……」
呆然と立ち尽くすジンの呟きが、静寂を切り裂く。その声に応じるように、囲んでいたロングコートの男たちも、間を置いて立ち上がった。
その中の一人――先ほどジンの胸ぐらを掴んでいた男が、ゆっくりとフードを外し、顔を晒す。
「ジン。俺はジェロ・エイド。上級魔導師だ」
「魔導師……」
現れたジェロは金髪のショートヘアに鋭い眼差しを持つ男だった。年齢はジンと近いが、その瞳には揺るぎない覚悟が宿っている。
彼は淡々とした口調で語る。
「俺たちが連携魔法で放った炎によって放出物の軌道を逸らしたが、爆風までは防げなかった。その爆風によって、街は消えた」
ジンは改めて、灰と化した街並みを見つめる。静かに息を吐き、問いかける。
「どれくらい気を失っていた」
「三十分ほどだ」
「頭蓋骨は」
「爆風をまともに受けて消えた」
「レイオウ様は」
「まだ分からない」
ジェロとの会話の途中で、別の魔導師がジンの剣を手渡す。ジンは軽く礼を述べ、剣を握り直すと、再びジェロに向き直る。
「俺は城へ行き、レイオウ様と双子の存否を確認する。ジェロたちは生存している兵士の治療を進めた後、この国からの脱出を図ってくれないか」
「分かった。そういえば、ジンには伝えておきたいことがある」
「何かあるのか」
ジェロはロングコートの内ポケットに手を忍ばせる。そこから、白い紙を一枚と、小型のイヤホンらしき魔装具を取り出し、ジンに差し出した。
ジンはそれを受け取り、先に紙を広げて内容を確認する。
「……このマーク、どこかで見たことがある」
紙には、太陽と月を重ねた紋章が描かれていた。
「腕にこのマークを刻んだ優秀な奴が、サントリア国内にいたらしい。今更だが、そいつは王を狙う侵入者だ」
「太陽に月のマーク……――クライ・ドメッサーか」
「知っているのか?」
「いや、襲撃を受ける数時間前に少し会話しただけだが……」
ジンの脳裏に、レイオウと共に退避していたクライの姿が蘇る。
「なんてことだ……」
「さっさと行った方が良さそうだな」
「ありがとう」
「おっと、忘れてた。その小型イヤホンの魔装具は、改良型魔電報といって、俺たち魔導師と連絡が取れるようになってる。何かあれば飛ばしてくれ」
「恩に着る」
ジンは魔導師たちに礼を言い、すぐさま城の方角へ駆け出した。
「……生きていることを願うしかない」
その頃、曇天の下、崩壊した城から少し離れた広場で――
レイオウとクライは生きたまま対峙していた。
「レイオウさんよ。もう諦めたらどうよ」
「お前は自分の心配をしたらどうだ」
「国がこんな廃墟になっても、気にしないとは、冷たい王様だ」
レイオウとクライが生きていた理由は、大爆発が起きた際に城の結界魔法が発動し、爆風に巻き込まれなかったためである。その結果、城は崩壊したが、結界魔法の効果で最悪の事態は避けられていた。
「あんた、いつから俺に気付いてたんだい」
「腕を見た時からだ」
「ああ、秘密のルートの時からバレてたってわけか」
「腕のマークを隠すには、包帯は持って来いだからな。それに秘密のルート、そんな物はない」
「包帯か。秘密のルートはちょっと楽しみだったけどなあ」
クライは右手に影のような黒い鎖鎌を生成し、レイオウへと投げ放つ。しかし、レイオウは片手の細剣で軽々と弾いた。弾かれた鎖鎌はクライの手元に戻り、消失する。
「そんな簡単に死んではくれないよねえ」
「黙って消えるが良い――五月雨」
レイオウの細剣が素早く空を斬ると、白い刃が幾つもクライに向かって飛来する。
「こいつは危ないねえ」
横に飛び退きながら回避したクライは、片手に黒いナイフを生成し、立て続けにレイオウへ投げ込む。だが、レイオウは動じることなく、その場で全て弾き落とした。
その瞬間、クライの唇が不適な笑みを描く。レイオウはその表情を見逃さなかった。すぐさま弾き落としたナイフへ視線を向ける――そこには影でできた時限爆弾があり、ちょうど零秒を迎えていた。
「爆弾か」
「戦いは弾くだけじゃ駄目だぜ、レイオウのオッサン」
次の瞬間、影のナイフから爆発が起こり、黒い炎がレイオウを包み込む。
「ざまぁねえな。調子乗ってるから」
立ち上る黒煙を悠然と眺めるクライ。だが、突風が吹き抜け、煙が晴れると、そこにレイオウの姿はなかった。
「――いない」
クライは驚愕し、周囲を見渡す。直後、背後に強烈な気配を感じた。
「――後ろか」
「ゴミが……」
レイオウは振り向くクライの顔面を片手で掴み、そのまま地面に叩きつける。轟音とともに、硬い地面が砕け散った。
「クライ。この私に挑んだのを後悔するんだな」
掴んだクライの頭をさらに地面へと押し込む。意識を失ったかのように動かなくなったクライを見て、レイオウは勝負が決したと判断し、静かに立ち上がる。そして、手についた塵を払いつつ、その場を去ろうと足を進めた。
「オッサン――どこ見てんの」
沈黙を破るかのように、静かな空間にクライの声が響いた。
レイオウは声に即応し、即座に剣を握りしめながら振り向いた。だが、その刹那にはもうクライが懐に入り込んでいた。
「影鎖」
クライの指先から伸びた影の鎖が、瞬く間にレイオウの手足を縛り付ける。レイオウは力ずくで動かそうとしたが、鎖はびくともしない。
「ざーんねん。あんたの力じゃこれは解けないのよ」
「離せ」
「離すわけないだろ。トドメ行くか――影刃」
クライは右手に影の剣を生成すると、一気にレイオウの体を右斜め上へ斬り上げる。暗黒の刃が肉を裂き、レイオウの返り血がクライの体に飛び散った。
「ぐっ……」
「どうよ。俺たちの苦しみは」
「俺たちの苦しみ……知るか……」
クライはバツを描くように、次は左上から右斜め下へと切り裂く。鋭い痛みが全身を貫き、レイオウは思わず叫んだ。
「ぐわあーー!!」
苦痛にもがくレイオウを見下ろしながら、クライは不敵な笑みを浮かべる。そして、影の剣の峰を肩に担ぎながら、静かに語り始めた。
「お前ら、忘れたわけじゃないだろ」
「何をだ」
「惚けんじゃねえ。俺たち、エクリプス・ミラージュを壊滅させたことだ」
「エクリプス……ミラージュ……」
「覚えてないとは言わせねえ」
レイオウの反応を見た瞬間、クライの怒りが爆発する。勢いよく足を振り上げ、レイオウの腹部へ蹴りを叩き込んだ。衝撃が体を貫き、レイオウは激しく吐血する。
「お前らは、俺たちの仲間をこうやって潰していったんだよ」
「それはお前たちが、世界を乱そうとしていたからだ」
「――乱すだと?」
レイオウの言葉がクライの逆鱗に触れる。
「人間の自由を奪っているお前たちの方が正しいのかよ。ここで終わらせてやる――影刃」
クライはもう片方の手にも影の剣を生成し、怒りに満ちた瞳でレイオウを見上げた。
「死んで償え」
クライの両手に握られた影の剣が、レイオウの腹部へと突き刺さる――はずだった。
刺さる瞬間、刃は金属音を響かせながら弾かれ、そのまま地面に突き立ったのだ。
「……っ!?」
クライは何が起こったのか一瞬理解できず、目を見開く。
「お待たせしました。レイオウ様」
澄んだ声が静寂を破る。
「お主は……」
「俺の名前は、フレックス・アグニス」
「フレックス……ジンの……」
「ジンをご存知なんですね」
二本の影の剣を押さえつける一本の鮮やかな紅の剣。その剣を握るフレックスは、クライへと鋭く斬り上げる。
クライは間一髪で身を翻して交わしたが、頬を浅く裂かれた。
「ちっ……」
クライはバク転で素早く距離を取る。しかし、その僅かな隙を逃さず、フレックスはレイオウを縛る影の鎖へ炎魔法を放ち、瞬く間に焼き尽くす。
「お前、何なんだ」
レイオウを仕留め損ねた苛立ちを滲ませるクライに、フレックスは平然と答えた。
「俺はサントリア王国の下級兵士だ」