第十一話、終焉
シェイロンの質問に、ジンの頭を思考が駆け巡る。しかし、答えが浮かばない。沈黙が重くのしかかる中、時間だけが過ぎていった。
その沈黙を破ったのは、後方に立つレイオウだった。
「私が死のう」
その言葉に、ジンの体が硬直する。まさかの答えに思考が追いつかない。レイオウの意思を知ったアーノルドは、ゆっくりとジンの剣を押し退けながら、起き上がろうとした。
「……クソ野郎」
ジンは低く呟くと、怒りを込めた剣を振り上げ、アーノルドの首の横を掠めて地面に突き刺した。鋭い衝撃が大地を震わせ、砂塵が舞う。
良かれと思っていたアーノルドは口を開いたまま、固まった。
「ジン、下がるんだ」
レイオウが前へと進む。ジンは地面に突き刺した剣を素早く引き抜くと、後方へと下がった。すれ違う瞬間、レイオウは声を潜めて囁く。
「あとは頼んだぞ……赤子と、国を……」
ジンの視線が、レイオウの背中を捉えた。その姿は堂々としていたが、どこか儚げだった。
「赤子は助かるんだな」
「ええ、約束するわ。私は約束を守る主義なの」
レイオウの前にアーノルドが立ちはだかる。ジンは歯を食いしばり、駆け出そうとした。しかし、その動きをシェイロンが冷たく制する。
「動いたら、この子は死ぬわよ?」
鋭い声に、レイオウの足も止まる。すると、アーノルドがゆっくりと横に動き、ジンの方へ向き直った。
「邪魔が入る前に、動けなくしてやらねえとな」
アーノルドは一瞬、踏み込んだ。次の瞬間、ジンの視界が歪んだ。
「ーー速い!」
アーノルドは目瞬きの合間に、ジンの懐へ入り込んでいた。ジンが息を呑む間もなく、腹部に強烈な衝撃が炸裂する。
「風掌拳!」
掌底に込められた風の衝撃が、ジンの内臓を締め上げる。全身から息が吹き飛び、体は宙を舞った。その直後、ジンの体は断崖に激しく叩きつけられる。
「ぐはっ……!!」
衝撃で口から血を噴き出し、崩れるように座り込む。胸が焼けるように痛み、手足が言うことを聞かない。呼吸すらまともにできず、視界がぐらついた。
「諦めが悪いやつだからな。最後まできっちり仕留めねえと」
アーノルドが嘲笑いながら、風を纏った両手を広げる。そして、手を交差させるように振り抜いた。
「ぐっ……!!」
風の刃がジンの体を切り裂き、片腕を断崖に磔にした。痛みに呻くジンの視界が、ゆっくりと暗転していく。
「ダメ……です……レ……オ……さ……」
視界が霞み、レイオウの姿がぼんやりと映る。膝から崩れ落ちる彼のシルエットが、ジンの意識の中で揺らぐ。音もなく倒れ伏すレイオウ。それを最後に、ジンの意識は暗闇へ沈んでいった。
ーー静寂。
冷たい雨がジンの頬を打ちつけ、意識を引き戻した。目を開けると、視界に広がるのは灰色の空。嵐のような雨が、肌に容赦なく降り注ぐ。
ぼやけた視界の中で、ゆっくりと自分の腕を見下ろした。
「腕が……解放されてる……」
磔にされていた風の刃は消え、血を流す腕が自由になっていた。まだ痛みは残るが、今はそれどころではない。
「レイオウ……さま……」
地面を這うように進むジン。雷鳴が轟き、雨が傷口を叩く。しかし、彼は歯を食いしばり、どす黒く濡れた地面を這い続けた。
「はぁ……はぁ……」
重い体を引きずりながら、ついにレイオウの元へと辿り着いた。そこには、うつ伏せで倒れる彼の姿があった。
「レイオウ様……」
しかし、彼は動かない。雷鳴が響く中、ジンはレイオウの肩を掴み、そっと仰向けにした。冷たい肌が、現実を突きつける。
「……」
ジンは黒い空を見上げた。荒れ狂う雲が渦巻く空。それを見つめながら、しばし静寂が流れる。
ーーそして、ジンは立ち上がった。
「まずはフレックス……」
レイオウの遺体を残し、フレックスの元へと向かう。倒れた彼の傍らには、石の剣が落ちていた。鞘に納めたそれを腰に携え、動かぬフレックスを背負う。
「冷たい……」
彼の体は完全に冷え切っていた。ジンは静かに、彼をレイオウの隣へと運ぶ。
「次は、アルとフローラ様……」
瓦礫の間を抜け、アルを隠した場所へと向かう。痛みに耐えながら、慎重に瓦礫をどかすと、そこに眠る小さな命があった。
「……無事か」
ジンはアルを優しく抱き上げ、背負う。そして、そのままフローラの元へ向かおうとした時、ポケットの中で魔電報が光を放った。
「……ジェロか」
通信が繋がると、ジェロの声が耳に届いた。
「おい、聞こえるか。ジェロだ」
「……ああ」
「返事が無かったが、大丈夫か?」
「……レイオウ様と、俺の家族は、死んだ」
ジンの言葉に、通信の向こうで沈黙が落ちた。言葉にならない沈黙。
ジンは静かに言葉を続ける。
「フローラ様を、こっちへ連れてきてくれ」
「……分かった」
通信を終えたジンは、再び歩き出した。
やがて、雷雨は止み、黒雲がゆっくりと晴れていく。しかし、空は依然として曇天に覆われたままだった。
薄暗い空の下、彼はレイオウとフレックスの元へと戻る。
「着いたか……」
レイオウとフレックスのもとへ戻り、ジンは荒れ果てた大地に膝をついた。疲労と痛みが身体を蝕んでいたが、ジェロ達が王妃フローラを抱えて到着したのを見て、彼はすぐに立ち上がった。
「大丈夫か、ジン」
「今は少し回復した。ーー問題ない」
「問題ある」
ジェロは鋭い視線を送り、すぐさま魔道士達に指示を出した。魔道士達が横にさせたジンに手をかざすと、薄緑色の柔らかな光が彼の傷ついた身体を包み込む。その光は雨の冷たさをも溶かし、まるで春の陽光のように温かな気を彼に流し込んだ。
魔道士達が治療を終えるころには、ジンの痛みは和らぎ、全身が軽くなっていた。
「これで少しは動けるだろう」
「……ありがとう」
ジンは深々と頭を下げた。国の最強の兵士とも称される彼が、こうして感謝を述べることに魔道士達は戸惑い、照れながらも誇らしげに頷いた。
ジェロは静かに尋ねる。
「これからどうする」
「……あそこに墓を作る」
ジンは遠く離れた丘を指さした。城跡を見渡せる高台ーー彼らの眠るにふさわしい場所。
「レイオウ様、フローラ様、そして俺の家族であるフレックスの墓を作る」
「……その後は?」
「今は分からない。ただ、俺は王の赤子、アルを守る。それだけだ」
「……そうか」
ジェロはゆっくりと頷き、仲間たちに目配せをした。
「ジェロ達も、ここでお別れだ」
ジンの言葉に、一瞬、ジェロは言葉を詰まらせた。しかし、彼もまた覚悟を決めた表情で頷く。
「分かった」
そうして、ジンと魔道士達は亡骸を丁寧に運び出し、城跡を見下ろせる丘へとたどり着いた。空はまだ曇天に覆われ、冷たい風が吹き抜ける。しかし、彼らの心には、一片の静寂が満ちていた。
墓を作る作業は、無言のまま続けられた。土を掘り、石を積み、静かに祈りを捧げる。
ようやく三人の墓が完成し、全員がそれに向かって頭を垂れた。
「これで……皆、お別れだ」
「ああ……お別れだな」
墓の前で、ジェロとジンはしばらく無言のまま立ち尽くした。そして、魔道士達は名残惜しそうに歩き出す。
背を向けて歩き始めたジェロ達。しかし、しばらくしてジェロが振り返り、ジンへと声をかけた。
「……それじゃあ、元気でな」
「次会う時までは死ぬんじゃないぞ」
「お前が言うことか」
ジンの言葉に、魔道士達はくすりと笑い、軽く手を振った。やがて、彼らの姿は薄霧の向こうへと消えていった。
丘には、ジンとアルだけが残る。
「さて……どうするかーー」
ジンはアルを背負い、廃墟となった国を見下ろす。
その時、厚い雲の隙間から、一筋のオレンジの光が差し込んだ。崩れた城壁や瓦礫を優しく照らし、舞い上がる塵が光を反射して、夜空の星のように煌めく。
まるで、滅びたサントリア王国が最後の名残を惜しむように、静かに、そして美しく光の粒を空へ送り出していた。
ジンは拳を固く握る。皮膚の下で浮かび上がる血管が、彼の激情を物語っていた。
そして、その瞳はーーオレンジに染まる廃墟の向こうで、確かに動く影を捉えていた。
「……必ず、お前たちを地獄へ送ってやる」
低く、重い声が静哀を破った。
ジンはアルを背負い、音なく、その場を後にした。