第一話、双子の誕生(改稿)
「おぎゃーおぎゃー」
「双子が生まれたぞ」
産声が響いた瞬間、医療室の熱気はさらに高まった。
城内の医療室は、湿った空気と汗の匂いに満ちている。蒸気が立ち込めるかのような暑さの中、侍医たちが慌ただしく動き回り、赤子の産声に耳を澄ませた。
「双子が生まれたぞ!」
その一言が放たれると、まるで抑えきれなかった喜びが弾けるように、医療室中に歓声が湧き上がった。付き添っていた侍女たちは安堵の息を漏らし、兵士たちの顔にも僅かに笑みが浮かぶ。城の外にもこの吉報が伝われば、国中が歓喜に包まれることは間違いない。
この王国――サントリア王国の現国王、レイオウ・サントリア。
玉座に君臨する彼は、壮年ながら威厳に満ちた白髪の大男であり、その存在だけで人々を安心させるほどの威光を放つ男だった。
しかし、今の彼は王ではなく、一人の父親だった。
彼は新たに生まれたわが子をじっと見つめ、ゆっくりと息を吐いた。
この国を築き上げた男が、今、新たな未来を託す存在を目の前にしていた。
期待と責務、そして名もなき不安が、彼の胸中を静かに巡る。
「我が後継者よ。頼むぞ」
レイオウは診察台の横に立ち、双子の赤子を見下ろしていた。医師は慎重に新生児の健康を確認し、産声がしっかりと響いたことに安堵の表情を浮かべた。
「王子たちは健やかです。問題ありません」
医師の報告を受け、レイオウは小さく頷いた。
彼の瞳は鋭く、しかしどこか優しさを宿していた。これが己の血を引く後継者なのだと実感しながら、静かに息を整える。
赤子たちは籠に移され、大広間へと運ばれた。
その道中、城内の廊下にはすでに侍女や兵士たちが並び、王の通過を見守っていた。重厚な石造りの壁には松明が灯され、赤々とした炎が揺らめいている。広々とした通路を歩く足音が、荘厳な静寂の中に響いていた。
やがて、玉座が置かれた大広間へと到着した。
すでに大勢の兵士、給仕、そして民間の貴族や豪商たちが集い、壁際まで敷き詰めるように立ち並んでいた。人々の顔には期待と緊張が入り混じっている。
レイオウは静かに歩を進め、医師から籠を受け取ると、堂々と玉座の前に立った。
彼の姿が中央に据えられると、集まった人々のざわめきが徐々に鎮まり、静寂が広がった。
レイオウは深く息を吸い込み、集まった者たちに向かって力強く言い放つ。
「皆の者、ここに誕生したぞーー双子だ」
医療室より爆発的な歓声が上がった。
多くの人が見えるように、レイオウが双子の入った籠を両手で高く持ち上げると、更に歓声が上がった。
「我が国の宝だ」
歓声は大きな拍手へと変わり、レイオウの一声を期に、竹が割れるように国内全土に一気に話が広がった。
双子が誕生した知らせが国民全員まで伝わり、夜に花火まで打ち上がる祭り騒ぎまでとなった。
「本当は静かにしたいんだがな……」
レイオウはため息をつきながら、遠くに広がる夜空を見上げた。
花火が次々と打ち上げられ、金色の光が闇を切り裂くように炸裂する。その残光が、ゆらめく火の粉となって静かに落ちていく。
「仕方ありません、レイオウ様。民から愛されることは光栄なことであり、我々、サントリアの兵も民の意を止める訳になりません」
側近の兵が穏やかに言う。
レイオウは短く鼻を鳴らし、白髭が生えた顎を指先で掻いた。
「そうは言ってもなあ」
街の広場では、民衆が踊り、楽団が奏でる音楽が響き渡っていた。
王城の上から見下ろすその光景は、まるで光と影が入り混じるひとつの絵画のようだった。
だが、レイオウの目はただ花火を追うだけだった。
ーーこの国の未来を託す双子は、どんな王となるのか。
そんな考えが脳裏をかすめたその時ーー。
「レイオウ様……」
背後から、弱々しい女性の声が聞こえた。
扉の奥から漏れたかすかな囁きに、レイオウはすぐさま振り向く。
「フローラ……」
ベランダから静かに部屋へ戻る。
側近の兵もそれに続いた。
「レイオウ様、花火ですか……」
フローラの声はか細く、それでも微かに微笑みを含んでいた。
「ああ、そうだ。起きてしまったか……フローラ」
「これだけ音が大きければ起きるわ……」
窓の外では、夜空に色とりどりの火花が咲き乱れ、城壁の向こうに広がる街を照らしていた。
その光の移ろいが部屋の壁にも反射し、ゆらゆらと揺れている。
レイオウは小さく苦笑し、ベッドの傍に歩み寄った。
出産を終えたばかりのフローラの顔には、まだ少し疲れが残っていた。
それでも、その表情にはどこか穏やかさが宿っている。
彼はそっと手を伸ばし、彼女の藍色の髪を優しく撫でた。
フローラは静かに目を閉じる。
「無事に生まれて良かったわ」
彼女の視線は、ベッド脇に置かれた藁の籠へと向かう。
その中には、彼らの未来そのものとも言える小さな双子が眠っていた。
寝息は微かで、時折、小さな指が動く。
「良く頑張ってくれた。ありがとう、フローラ」
「私と貴方の宝物ね。ありがとう」
レイオウは言葉を失い、ただ静かにフローラを抱き締めた。
その腕の温もりは、まるで国そのものを支える大樹のようだった。
フローラは目を閉じ、彼の広い胸に身を預ける。
側近の兵はその様子を沈黙の中で見守った。
時間の流れがいつもより遅く感じる。
やがて、その静寂に耐えきれなくなったのか、側近が咳払いを一つ。
「……レイオウ様」
その声に、レイオウはゆっくりと抱擁を解いた。
呼ばれたレイオウは申し訳なさそうにフローラを見つめながら、わずかに頷いた。
「……すまない」
短くそう告げると、側近の兵へと視線を移し、部屋を出るよう静かに指示を出した。兵は一礼し、足音をできるだけ立てぬように慎重に廊下へと出て行く。
扉が静かに閉じられた瞬間、再び部屋の中には、穏やかな静寂が訪れた。
レイオウは最後にもう一度だけ、ベッドの上のフローラと、籠の中で眠る双子の姿を確かめた。
フローラは微笑を浮かべたまま、静かに目を閉じている。
レイオウはその姿を目に焼き付けるようにしながら、部屋を後にした。廊下には冷たい夜の空気が漂い、窓の外ではまだ遠くで花火が弾けていた。
それ以降、この日は何事もなく過ぎ去り、サントリア王国の平和な一日が幕を閉じたのだった。
翌日。雲一つない青空の下、王位継承の儀式がサントリア城の大広間で執り行われていた。
広間の空気は厳粛で、並び立つ兵士や貴族たちは皆、緊張した面持ちでその瞬間を見守っている。
大理石の床の中央には、深紅の魔法陣が円を描くように広がり、その中心には二つの小さな籠が置かれていた。
儀式を執り行うのは、サントリア兵の中でも特に優秀な五人の魔導師たち。彼らは一糸乱れぬ動きで魔法陣の周囲に陣取り、静かに呪文を紡いでいる。
魔導師たちの衣服に縫い込まれた金糸が光を反射し、揺らめく炎のように輝いていた。
玉座に腰掛けるレイオウは、厳しい眼差しでその様子を見つめていた。その視線には、誇りとともに、一抹の不安も宿っている。
やがて、魔導師たちと護衛兵がそれぞれの持ち場に就き、準備が整ったことを合図する。
儀式の執行責任者が静かにレイオウを呼んだ。
「レイオウ様、準備が整いました。魔法陣に片手をお願いします」
「そうか。ところで、魔法陣は爆発とかしそうで怖いよな」
レイオウは冗談交じりに言いながらも、目の前に広がる紅い魔法陣をじっと見つめた。魔力の波動が僅かに揺らぎ、空気がわずかに震えている。
「怖くないですよ。体の欠損、人体の変異、未知の病気、他には爆死、落雷死、焼死等があるくらいです」
執行責任者は事もなげに答えた。
「淡々と言ってるけど、十分怖いな」
「大丈夫です。心配無用です。我々魔導師は、国内精鋭の選ばれし者ですので」
「……説得できてないわ」
レイオウは溜息をつきながら、目の前の魔導師たちを見渡す。執行責任者が他の魔導師に目配せすると、全員が無言で頷いた。
その光景にレイオウはますます不安を覚えたが、ここまで来た以上、引き返すことはできない。
怪訝な表情のまま魔法陣の前に歩み寄り、膝をついて構える。紅く妖しく光る魔法陣が、レイオウの影を床に長く映し出していた。
「さあ、王位の証が入った片手を」
執行責任者が、冷静に指示を出す。
レイオウは僅かに息を吐くと、ためらいなく右手を魔法陣の中心へと叩きつけた。
残りの魔導師たちも、一斉に両手を魔法陣へと押し当てる。
その瞬間、魔法陣の紋様が一斉に眩い光を放ち、大広間全体が赤く染まった。
空気が震え、床が軋みを上げる。
王位継承の儀式が、今、始まった。
「……」
張り詰めた沈黙が、大広間を満たしていた。
レイオウは微かに眉をひそめ、魔導師たちに目を向けた。
「なにも……」
その言葉を口にした瞬間だった。
視界が突如、真っ白に染まる。
鼓膜を裂くような轟音が響き渡り、レイオウは本能的に上を見上げた。
天井が光の柱に飲み込まれながら、崩れ落ちていく。
巨大な閃光が、まるで天から降る雷のように広間全体を照らし出していた。
眩しさに目を細める間もなく、光から放たれる猛烈な風圧が大広間を揺るがす。
床の装飾が舞い上がり、カーペットが波打つ。壁の装飾が音を立てて剥がれ、天井のシャンデリアが軋みながら揺れた。
まるで嵐の中心に放り込まれたかのような感覚。
レイオウは咄嗟に腕を前に出し、衝撃に備えた。
「ぬおーー」
強烈な衝撃がレイオウの体を襲い、意識が飛びそうになる。まるで巨大な波に飲み込まれるように、彼の体は後方へと弾き飛ばされた。
空気が裂けるような音とともに、床を滑る。
視界の端で、護衛兵や魔導師たちも同じく吹き飛ばされ、無残に倒れ伏していた。
壁際に激しくぶつかりながらも、レイオウは何とか踏みとどまる。
ふと、広間の中央に目をやると、魔法陣を覆っていた太い光の柱が、ゆっくりと収縮していくのが見えた。
圧倒的な光の奔流が消えていく。
徐々に細くなり、最後には無数の光の粒となって宙へと散った。
「何が起きた……」
床に尻餅をついたまま、レイオウは呟く。
熱気が残る広間に広がるのは、静寂。
煙と光の残滓の中、意識を失った兵たちの姿が点々と横たわっている。
レイオウの視線が揺れながら魔法陣の中央へと向かう。大理石の床には、依然として薄く赤い紋様が浮かんでいた。
彼の脳裏に一つの存在が浮かび上がる。
「アル、イル」
震える声で、その名を呼ぶ。
レイオウは即座に立ち上がり、籠の中を覗き込んだ。
「おんぎゃおんぎゃ。うぎゃー」
小さな泣き声が響き渡る。
レイオウは、籠の中で元気に泣くアルとイルの姿を見つめ、心の底から安堵の息をついた。
「良かった……」
強張っていた肩の力が抜ける。
緊張の糸が切れたように、彼の意識が暗闇へと沈んでいった。
「レイオウ様。レイオウ様」
遠くから誰かが呼んでいる。
重たい瞼がゆっくりと開かれる。
視界の端に揺らめく光、そして、目の前にぼやけた影があった。
「……誰だ」
意識が戻ると同時に、視界が鮮明になっていく。
医師が心配そうに覗き込んでいた。
「起きてください、レイオウ様」
レイオウは反射的に体を起こし、目の前の医師の顔を虫でも払うように手で払った。
「なんだ、お前……何をしているのだ」
寝起きの混乱と疲労が入り混じる声。
その様子に医師は少し呆れたように、周囲の給仕や兵たちを見回し、肩をすくめた。
「レイオウ様、失礼ながら、あまりにも深く気を失われていたので、目覚めさせようと……」
ようやく思考が回り始めたレイオウは、眉をひそめながらも、周囲の状況を確認するように目を巡らせた。
「王様は儀式が終わった後、気を失ってたんですよ」
医師の言葉に、レイオウは眉をひそめた。
「ーー失っただと」
「ええ、フローラ様の看病からろくに休まれてないでしょう。その疲れが一気に出たんですよ」
レイオウは口をつぐんだまま、こめかみを押さえた。
確かにここ数日、まともに眠った記憶がない。
「……フローラと子供は」
「ご安心ください。魔法技術の進歩のおかげで、フローラ様はもう元気に歩いておられます。お子様たちはフローラ様の部屋で、健やかに過ごしております」
「そうか……」
短く呟いた後、レイオウはゆっくりと息を吐いた。
気が張り詰めたままだった身体が、少しだけ緩む。
「もう大丈夫だ、下がってくれ」
医師は深く一礼すると、給仕たちに軽く目配せし、部屋を後にした。
他の給仕や兵たちも静かに退出し、扉が閉まる。
レイオウはベッドの上でぼんやりと天井を見つめ、しばらくの間、何も考えずにいた。
その後、ゆっくりと視線を窓へ向ける。
白雲一つない青々とした空が、広がっていた。
「これで……終わったんだな」
レイオウは静かに目を閉じた。
しかし、胸の奥では、まだ消えない何かがくすぶっていた。