第13.5話 朝と夜の境界(後編)
◆◇◆◇◆ 2日後 ◆◇◆◇◆
事件は早朝に起こった。
朝食を作っている最中に、ジャスパーとフィンが食糧庫に食材を取りに行ったきり、戻ってこなくなったのだ。なかなか帰ってこないので、僕はバラガスさんと一緒に様子を見に行くことにした。
「大丈夫でしょうか、ジャスパーとフィン」
「心配性だな、料理長は。きっと食糧庫で肉でもつまみ食いしてるのさ」
宣言した通り、王宮では今肉料理を食べることを禁止している。
料理人のジャスパーとフィンも例外ではない。
現地に到着すると、食糧庫の扉が半分開いていた。
「開いてる? 昨日念のため鍵を変えておいたんだがな」
「入ってみましょう」
肉用の食糧庫は、氷の魔導具によって北国の真冬並みの温度に保たれている。
冬毛のバラガスさんはともかく、僕は防寒具なしでは入れない。着替えて倉庫の中に踏み込むと、倒れているジャスパーとフィン、その近くにはフェリクスさんが2人の前で屈んでいた。一体何があれば、こうなるのか? しばし呆然としていたバラガスさんと僕だったが、フェリクスさんがジャスパーの喉元近くに手を伸ばした瞬間、我に返る。
「フェリクス! てめぇ、ジャスパーとフィンに何をしやがった!」
バラガスさんが怒鳴ると、フェリスクさんは驚き、1歩2歩と後退る。
「悪いことは言わん。そいつらを早く手当しろ。じゃないと、取り返しのつかないことになるぞ」
「何が取り返しだよ。あんたがやったんじゃないのか? ……ん?」
バラガスさんはジャスパーとフィンの側に置いていた肉を拾う。
冷凍されてガチガチになっていたけど、ジャスパーとフィンが囓った痕があった。バラガスさんは1度匂いを嗅ぐと、凍ったままの肉を囓る。すぐに顔を顰め、肉を吐き出した。
「毒だ。この肉……。汚染されてやがる」
バラガスさんはフェリクスさんに1歩詰め寄った。
普段は炊事場で料理を作る温厚な料理人でも、真っ黒な体毛と大柄な体躯は見る者を圧倒する迫力を持っている。部下を傷付けられ、怒りに震えている。普段の10倍怖い顔を浮かべる、バラガスさんを見て、フェリクスさんが悲鳴を上げることはなかった。じっとバラガスさんの目を見て様子をうかがう様子は、熊に遭遇した一流の狩人みたいだった。
少し状況を整理しよう。
豚肉には無臭の毒が仕掛けられていた。そうとは知らず、こっそりつまみ食いに来たジャスパーとフィンは、毒入りとは知らずに食べてしまった。そんなところだ。問題は誰が毒を仕込んだか、ということだけど……。
「フェリクスさんよ。あっしはあんたのことを見直してたんだぜ。うちの料理長以外にも、善良な人間はいるんだなって」
「わしではない」
「あんたじゃなければ、誰が毒を仕込んだんだよ。市中に出回っちまった毒入りの豚肉もあんたじゃないのか?」
「ん? な、なんのことだ? わしは何も……」
「しらばっくれんじゃねぇ!」
バラガスさんはフェリクスさんに襲いかかる。
「待った!!」
黒い壁が迫ってくるようなバラガスさんの巨体の前に、僕が踊り出る。
フェリクスさんの前で、目一杯腕を広げた。
「りょ、料理長! そいつをかばうんですかい?」
「フェリクスさんは毒を仕込むような人じゃない」
「お人好しも大概にしてくだせぇ。こいつ以外に誰がやるんですか」
「それよりもジャスパーとフィンの手当が先だよ」
2人ともまだ息がある。どういう毒なのかはわからないが、王宮には出荷前の魔草や薬草がたくさん備蓄されている。【料理】を使えば、最適な解毒剤を作れるはずだ。
「急いで。一刻を争うよ。薬草庫の扉の鍵を持ってきて」
「わ、わかりやした」
バラガスさんは僕の声に押されて、慌てて食糧庫から出ていく。
入れ替わるように騎士団がなだれ込んでくると、フェリクスさんに縄を打つ。その間、司祭が暴れることはなかった。騎士団長のリースさん曰く、しばらくフェリクスさんを部屋に軟禁するそうだけど、手荒なことはしないそうだ。
その後、対応が早かったことから、ジャスパーもフィンも一命を取り留めた。
◆◇◆◇◆
僕がフェリクスさんに会うことを許されたのは、次の日の夕方になってからだ。
フィオナとともに中に入ると、フェリクスさんは祈りの儀式を捧げていた。敬虔な大陸正教会の信徒は、朝と夕方に主神に対して祈りを捧げる。フェリクスさんも例外ではなく、エストリア王国に来てからも毎日欠かさず儀式を続けていた。
祈りが終わると、先にフェリクスさんが口を開いた。
「あの鬣犬族はどうなった?」
「無事です。食べた肉が少なかったのが幸いでした」
「そうか」
「フェリクスさんが止めたんですよね」
「鬣犬族から聞いたのか。もう喋られるとはな。さすがケダモノだな」
その後、フェリクス司祭から聞いた話を合わせると、真相はこうだ。
朝、お祈り場所を探していた時に、フェリクス司祭は肉が保管されている食糧庫から何者かが出て行くのを見かけた。その時、司祭は食糧に毒が塗られたと確信したらしい。すぐに食糧庫の中のものを調べようとしたけど、先にジャスパーとフィンが、鍵の閉まっているはずの肉の食糧庫が開いていることに気づいた。
ジャスパーとフィンはチャンスとばかりに、凍っているにも関わらず、肉を貪り食い始めたというわけだ。2日前より禁止され、よっぽど食べたかったのだろう。フェリクスさんが止めたけど、遅かった。ジャスパーとフィンは突然苦しみ出して、倒れてしまったのだ。
「そこにお主らがやってきたというわけだ」
「なんでそう話してくれなかったんです」
「誰もわしの言うことをなどに耳を貸さぬじゃろ。現にバルガスはわしを犯人だと決めつけておった」
それを言われると、返す言葉もない。
あの事件現場を一目見て、フェリクスさんの犯行を疑わない獣人はいないだろう。
「だが、お前だけはわしを信じた。何故じゃ?」
「食糧庫で話したことがすべてです」
「それだけではなかろう。確信がなければ、あの瞬間わしをかばえなかったはず」
「……香りです」
「香り?」
僕は1枚の手紙を、フェリクスさんに見せる。
エリザが僕に宛てた例の手紙だ。
「実は、この手紙はエリザが書いたものではありません。筆跡はよく似せていますが、まったく別の人物が書いたものです」
諜報活動を得意としているサファイアさんに確認してもらったから間違いない。
でも、僕は手紙がエリザのものではないことに、受け取った時から気づいていた。理由は2つ。まず手紙につける香りだ。手紙に香り付けするのは、貴族の令嬢がよく行う手法だ。ただエリザは花を押し紙のようにして香りをつける。ほのかに香るため、とても自然に近い。対してこの手紙は、香水でつけたものだ。それもかなりキツい匂いだった。
「仮にフェリクスさんがこの手紙をしたためたなら、身体や衣服のどこかに残り香が付着してるはず。その匂いを感じられないなら、他の人が書いたと考えるのが妥当です」
手紙を書いた人物の目的は、攪乱だろう。
外国で豚に毒が仕込まれたという情報を流し、王宮内を疑心暗鬼にさせる。さらに似た事件を起こして、僕やフェリクスさんに疑いを向けようとした。狙いは僕の孤立化といったところだと思う。
僕なりの推理を披露すると、フェリクスさんは笑い始めた。
「6歳の子どもに看破されては、諜報員失格だな、あやつも」
「じゃあ、フェリクスさんも……」
「そうじゃ。わしも諜報員の1人よ」
疑っていなかったわけじゃない。
でも、信じたくなかったというのが本音だ。
「お前の父に頼まれてな。まあ、信用されておらなかったようだが」
「フェリクスさん、ご提案があります」
「なんだ?」
「このままエストリア王国の医者として働きませんか?」
「断る」
フェリクスさんが即答で返してきたことに、僕は思わず面を食らう。
「以前王子は多くの人を幸せにしたいと言ったな。では聞くが、その幸せとは王子から見て幸せなのか、それともわしか?」
「それは……」
「自分が思う他人の幸せが、他人にとっての幸せとは限らん。まして押し付けられた幸せなど、迷惑千万だ。わしはわしの道を進む。そこにお前のような甘ったれた子どもはおらぬ方が良い」
僕はまだまだ子どもだ。
それでもこの人が幸せだと謳う選択が、茨の道であることぐらいはわかる。
怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない。優しげにすら見えるのに、どこか厳しさを湛えたような顔。
たぶん今フェリクス司祭が見せている表情こそが、死を覚悟した人間の顔なのだろう。
感情がグッとこみ上げる。
自然と目頭が圧迫され、僕は――――。
「泣くな!」
ハッとなる。
顔を上げると、いつものフェリクス司祭の四角い顔があった。
ぶつくさいいながら、集落の子どもたちと遊んでいる時の――あの穏やかな顔だ。
「お前は王子だろう。為政者の息子が軽々しく涙を見せるものではない」
厳しさの中に、どこか優しさが漂う声音。
昔、父上に怒られた時の記憶が蘇る。あれはいつのことだったろうか。
「もう行け。子どもはもう寝る時間だ」
「……免疫が落ちてしまうからですか」
「そうだ」
僕はフェリクス司祭と握手を交わす。
硬くゴツゴツとした手から、薄く体温を感じ取れた。
1度、涙の痕を拭い、僕は部屋を出ていく。
「そういえば、2つめの理由を聞いてなかったな」
「え?」
「手紙のだよ」
「……エリザは僕のことを『ルヴィン』とは呼ばないので」
「親愛を装って、墓穴を掘ったか。くははは」
最後にフェリクスさんは大声を上げて笑った。
部屋の扉が開くと、廊下の光が差し込む。
僕が向かう暖かな世界と、フェリクス司祭を待ち受ける冷たい世界。
まるで生と死の境界に立っているように思えた。
「おやすみ、ルヴィン」
「……はい。おやすみなさい、フェリクスさん」
夜想曲の終わりのようにそっと静かに戸を閉める。
「泣くな」というフェリクスさんの声を右手に握りしめ、僕は廊下を歩き出した。
◆◇◆◇◆ フィオナ ◆◇◆◇◆
「この後、どうするつもりだか?」
フェリクスは眉間を1度揉んだ後、顔を上げる。
先ほどルヴィンが出て行った扉の横に、メイド服を着た女が立っていた。
フィオナ・ハートウッド。ルヴィンの前では人の良さそうな東訛りのきつい側付きだが、彼女の異名は諜報員の間では有名だ。
「『セリディアの兇銃』か。心配に及ばぬ。これでも長く諜報員をやってきた。生き残る術はそれなりに心得ておる」
「それではダメだ。ルヴィン様を悲しませることになるだよ」
「どういうことだ?」
いつの間にかフィオナはフェリクスの近くに立ち、詰問する。
フィオナは7年前の戦争にて、何百人という将校を魔砲銃という武器で撃ち殺してきた。今、その相棒は手元にこそないが、今ここでフェリクスを殺すことなど造作もないほどの戦闘力を持っている。フェリクスもその力量を知っていた。だからこそ死を予感したが、フィオナの口から出たのは思いも寄らない提案だった。
「クレイヴ家に仕えるつもりはあるだか?」
「クレイヴ家だと?」
「かの伯爵家は巨大な流通網を持ってるだ。同時に巨大な情報網を持ってるだよ」
「わざわざ説明せずともよい。クレイヴ家の諜報部門は下手な国の諜報機関よりも優秀だ」
「あの偽手紙は間違ったことは言ってねーだ。エストリア王国の悪評は、大陸のあちらこちから聞こえてくるだよ。それらを払拭するためには、諜報能力に特化した人材の獲得が急務なんだわ」
「老体のわしにまたスパイになれと」
「あんたがセリディアに一生追いかけられる方がいいというなら」
「クレイヴ家か。高給は期待できそうだな。……良かろう。提案に乗ってやる」
「ルヴィン様の提案は蹴ったのに……。あっさりしてるだね」
「聞いていなかったのか? わしの幸せはわしが決めると……。それにわしとて義憤の念はある」
自分以外にエストリア王国に諜報員が紛れていると知った時、フェリクスはセリディア王国の別の目的に気づいた。当初は王子と獣人の間に亀裂を作り、王子自らの意志で国に帰ってもらう予定だったが、本来の狙いはそんな生やさしいものではない。
食品に毒を盛ることによって、王宮にいる全員を毒殺するつもりだったのだ。
あの時、たまたまフェリクスが目撃していたから事なきを得たものの、仮に発見が遅れていれば今頃王宮の獣人たちは全滅していたかもしれない。女王も、王子も、そしてフェリクスですら亡き者にする――それがセリディアの狙いだったのだ。
「あの王子と会ってからずっと調子が狂ってばかりだ。『セリディアの兇銃』よ。お前もその口か?」
「答える必要はないだよ」
「ならば、これには答えよ。わしの他にいた諜報員はどうした?」
「女王陛下自ら手を下した、と聞いてるだよ」
そう言い残し、フィオナは部屋を出ていく。
フェリクスの部屋に残ったのは、圧倒的な夜の闇だけであった。
個人的にフェリクスさんみたいな悪者が好きだったりする。
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