第1話 獣人王国の女王様
本日、2話目です。
父上を襲撃した暴漢の呪いによって、僕はギフトを失った。同時にギフトの力によって習得した剣術や魔術、知識のすべてを忘れ、僕は単なる4歳の子どもとなってしまった。
以来――僕の生活は一変する。
ギフトを失ったことを聞くや否や、それまで忠誠と恭順を誓ってきた諸侯や貴族、騎士たちが潮の引くように僕の前からいなくなってしまった。中庭で修練するたびに集まった家臣たちもいなくなり、逆に「王子には失望した」と陰口を叩く人もいたという。
それだけまだ良かった。
「お暇を申し上げに参りました」
そう言って、フィオナは頭を下げた。
僕が生まれてから、ずっと側付きとして成長を見守ってくれていた彼女が、急に側付きを辞めることになったのだ。フィオナの母親が病にかかり、その看病のため実家に戻ることにしたという。
でも、これは嘘であることを、僕は後になって知った。
僕がギフトを失った後、フィオナは別の兄姉の側付きとして働くことを命じられた。言わば異動だ。けれど、フィオナは拒否した。すると上長である家令の不興を買い、王宮を出ていくことになったという。フィオナは他の兄姉の側付きになることを了承し、王宮から出ていくことだけは許してもらうように懇願したそうだけど、もう遅かった。決定は覆らず、故郷に戻ることになったという。
最後に挨拶をしにきた際、フィオナは大粒の涙を流しながら泣いていた。
僕は母親の看病の方が大事だよ、と励ましたけれど、真実を知っていたらどんな言葉をかけただろうか、とフィオナがいなくなった今も考えてしまう。
フィオナが出ていった後、僕の周囲の環境は加速度的に変わっていった。
まず王宮に住むことを許されなくなった。僕は今、王宮にある馬房の屋根裏に住んでいる。かび臭いベッドと、脚が1本壊れた椅子が、今僕の手にある私物のすべてだ。
どうしてこんなことになったかは、僕にもわからない。
父上は呪いを身に受けた我が子を見舞うどころか、顔も見に来ない。
他の兄姉や、仲の良かった騎士や聖職者も同様だ。
賑やかだった僕の周囲から人は去り、気が付けば僕は1人になっていた。
◆◇◆◇◆ 2年後…… ◆◇◆◇◆
建国祭の当日――。王都はお祝いムード一色だ。
その裏で、王宮の家臣たちはせわしなく王宮の廊下を歩いていた。
建国祭は王宮の年中行事の中でも1番大きな祭りだ。しかも今年は建国180年という節目の年。ヴァルガルド大陸全域から有力な諸侯や貴族たちが、祝いの言葉を述べるために集まってきている。その数はいつもの建国祭の比じゃなかった。
特に厨房はまさに火の車だ。3000人以上の貴賓客に料理をたった1日で作らなければならない。王宮はおろか王都から料理人を掻き集めても、手が回らない忙しさだった。
「おい。アク抜きした白アスパラガスはまだか?」
「ここにあったソース、誰が使ったんだよ!」
「この鳥肉、まだ蒸し焼きされてないぞ!」
「馬鈴薯の細切りじゃない! 樽切りだと説明したろ!」
王宮の料理人と、王都から掻き集められた料理人たちの怒号が飛び交う。
付け焼き刃の混成部隊では息が合うはずもなく、調理場は殺気立ち始めていた。包丁を握ったまま、口論にまで発展する料理人もいれば、エプロンを脱ぎ捨て炊事場を後にする者も少なくない。困ったのは料理長だ。料理が遅れれば、自分の責任になる。国王に恥を掻かせれば、命さえ取られる可能性があった。
料理長が諫めようとした時、ふと他の料理人が氷付けされた白アスパラガスを見つける。
「これ……。アク抜きした白アスパラガスだぞ」
「丁寧に冷水で冷やしてある」
「おい。ソースってこれじゃないか」
「鳥の蒸し焼きなら、さっき受け取ったぞ」
「樽切りの馬鈴薯ならここに……」
降って湧いたような問題が、まるであらかじめそうなることを見越していたかのように解決されていく。見落としなどではない。それらは確かに炊事場になかったものだった。
「一体誰が? ん?」
料理長は炊事場の端を歩く小さな影を見つけた。
素早く回り込んで退路を断つと、影の襟首を掴んだ。
正体は銀髪の少年だった。明らかに手作りといった白いコック服を着た少年は、料理長と目が合うなり、ニコッと微笑む。
「ルヴィン様、またあなたですか!?」
「や、やあ、料理長……」
「炊事場をうろちょろするなとあれほど」
「みんなが忙しいそうだったから、つい――」
料理長はルヴィンの耳に顔を寄せた。
「私が家令に怒られてしまいます。どうかご自重を」
襟首を掴んだまま、料理長は炊事場の外にルヴィンを放り出すのだった。
◆◇◆◇◆
不幸中の〝奇跡〟と呼ぶべきかもしれない。
僕には1つだけギフトが残っていた。
ギフト【料理】……。
名前の通り、料理を作ることができるギフトだ。
どんな調理もできる便利なギフトだけど、呪いにあうまであまり使ってこなかった。王宮内は基本的に分業制だ。料理を作るのは、料理人の仕事。たとえ王族であろうと、彼らから仕事を奪うことは許されない。そもそも料理は下々のやることと教えられてきた。だから今まで使う機会がなかったのだ。
奇跡は【料理】のギフトだけに留まらない。
僕は呪いを受けたことによって、前世の記憶を思い出していた。
前世の世界は魔術がなく、『カガク』と呼ばれる力が発達していたらしい。その世界で僕は料理人として働き、天寿を全うしたようだ。
【万能】を失った今、僕にできることは少ない。【料理】のギフトと、前世の知識を使って、みんなを幸せにできないか。僕はこっそり炊事場に忍び込んでは日夜研究を続け、影ながら料理人たちのフォローをしていた。
それも先ほどの料理長や家令の監視が強くなり、難しくなってきている。
もう僕の居場所は王宮のどこにもないのかもしれない。
「あれ? 扉が開いてる?」
そこは物置になっていて、家臣以外には誰も近寄らない。
この時間は誰も彼も手一杯で物置に用がある人なんていないはずだ。
気になった僕は、そっと中を覗く。すると、女の人の声が聞こえてきた。
『ああ。もう! ややこしい。なんでテーブルマナーなんてあるんだ。料理なんて思い思いに食べればいいじゃないか!』
ドンッ、と物置にあったテーブルを叩く。
そのテーブルには、皿と食器が置かれていた。どうやら、テーブルマナーを勉強中のようだ。それにしてもどこの淑女あるいは令嬢だろうか。こんな場所で、テーブルマナーの勉強なんて。
今さらというか、もう遅いんじゃないかな……。
『誰?』
女の人が僕の方に振り返る。
慌ててその場を後にしようとしたけど、あっさりと襟首を捕まえられてしまった。
逃げるのに十分距離があったのに、すごい脚力だ。反応も早いし、力も強い。
この人、一体何者なのだろうか?
「見たね……。ボクの秘密の特訓を…………って、子ども?」
僕が子どもとわかるや否や、女の人はあっさりと手を離した。
強かに尻餅をついた僕は、ゆっくりと振り返る。
倉庫の換気窓から西日が差し込む中、その人は悠然と立っていた。
腰まで伸びたやわらかそうな銀髪。肌は雪のように白くて、対比するような黒鳶色のドレスと、首に巻いた白のファーがよく似合っていた。少し大胆に開いた胸には包容力が詰まっており、身体は全体的に引き締まっていた。頭に乗せたティアラも素敵だけど、気になったのはピンと出た狼の耳らしきものだ。よく見ると、ふわりと広がったドレスの横から、如何にも触り心地が良さそうな尻尾が揺れている。
「じゅ、獣人……?」
「ああ。ダメなんだぞ。獣人を差別するなんて」
「ち、違います。そうじゃなくて、その……あまりにも」
美しかったから……。
ポロリと僕は言葉を呟く。
獣人のお姉さんの顔が急激に赤くなっていくのがわかった。
「な、ななな……、君はいきなり何を言い出すんだい?」
「何をって……。正直な気持ちを……。なんでそんなに照れてるんですか?」
「き、決まってるじゃないか。そ、そんなこと初めて言われたからさ」
お姉さんは背中を向けると、急に黙り込んでしまった。
しまった。獣人の方に「美しい」というのはマナー違反だったのだろうか。でもついつい見てしまう。あの美しい尻尾……。やわらかそう。ちょっと触って……いやいや、レディに失礼だ。それこそマナー違反だろう。
「……えっとお姉さん、お名前は?」
「知らない? ボクのこと。結構有名人だと思ってたんだけど」
残念ながら獣人に友人はいない。
そもそもセリディア王国では、見かけること自体珍しい。
基本的に獣人はセリディア王国の北に広がる森の中に住んでいて、滅多に人里には現れないからだ。
「ボクの名前はアリア――――そう。アリアでいいよ」
「ルヴィンです。アリアさんは、テーブルマナーを勉強していたんですか?」
「なかなか覚えられなくて。こんなのがなくても、料理は食べられるのに」
「テーブルマナーは、作った人に敬意を表すためなんです」
「敬意?」
「料理人は誰しもみんなが最高の状態で料理を楽しんで欲しいと思っています。食材を作る生産者も同じ。でも、折角料理人や生産者が最高の料理や食材を作っても、食べる場で余計な音を聞いたり、トラブルが起こったりするのはいやでしょ」
「確かに気が散っちゃうかも……」
「マナーは一緒に食べる人への、引いては作る人への敬意を表すためなんです」
「そんなこと考えたことなかったよ。……君、詳しいね」
僕のテーブルマナーの先生はフィオナだった。
【万能】の知識がなくても、これぐらいは初歩の初歩だ。
「ならさ。ちょっと特訓に付き合ってくれないかな?」
「え? 特訓?」
キョトンとする僕に向かって、アリアはおもむろにナイフとフォークを上げるのだった。
◆◇◆◇◆ 1時間後 ◆◇◆◇◆
アリアはナプキンを軽く畳み、テーブルの左側に置く。
最後に得意げに笑うと、満面の笑みを僕の方に見せた。
「できたよ、ルヴィンくん!」
「はい。良かっ…………た、ですね」
満面の笑みを浮かべるアリアの横で、僕はげっそりしていた。
テーブルマナーを教えるのって、こんなに大変だったっけ?
いや、そもそもアリアが持っている常識がおかしいんだ。
いきなり肉料理を摘まもうとしたり、スープを一気飲みしたりするし。
獣人って、こんなに粗野で野蛮な人ばかりなのだろうか。
でも、アリアは臍を曲げることなく、僕の教えについてきてくれた。
たぶん本人は目一杯、本気で取り組んでいたのだと思う。
「これで気兼ねなく、料理を食べられるよ」
「頭で覚えることができても、ちゃんと実践しなければ意味がないですよ」
なんか不安だな。見に行きたいけれど、僕は晩餐会に出席できないし。
「ルヴィンくん、王宮の料理っておいしい?」
「もちろん。王宮の料理人が腕によりをかけてますから」
「楽しみだなぁ。ボクは牛の赤身肉が好きなんだ」
「獣人の方なら、お肉ならなんでも食べると思ってました」
「そんなことはないよ。ボクたちだって苦手なものぐらいはあるさ」
アリアは口を尖らせる。
同時に遠くの方で鐘が鳴った。アリアは耳をピクピクと動かす。
「なんか人がいっぱい大広間に集まってるみたいだね」
「たぶん、晩餐が始まるんだと思います」
「もうそんな時間!? 秘書官に怒られる。ボク、行くね」
「アリア。また会える?」
「もちろん! またね、ルヴィンくん!」
アリアは僕に手を振り、風のようにその場を去っていった。
結局、アリアが何者かわからなかったな。
獣人で、王宮の晩餐に呼ばれる人って、一体どんな人なんだろうか。
◆◇◆◇◆ 晩餐会 ◆◇◆◇◆
宮中晩餐会が始まり、各テーブルの貴賓を紹介されていく
紹介が中盤にさしかかる頃、畏怖と驚きの詰まった声が上がった。
扉が開き、遅れて1人の淑女が晩餐会に入ってくる。
その姿を見た後、それまでの華やかな雰囲気が一変し、まるで抜き身の剣でも目にしたような不穏な空気が流れた。自分の息子や娘とともに晩餐の席にあった国王ガリウスも例外ではなく、固唾を呑みつつ、淑女の登場を見つめる。
人族がほとんどの宮中晩餐会にあって、その淑女だけが頭に耳を生やし、ドレスの下から大きな尻尾を垂らしていた。
「あれが新国エストリア王国の女王か」
「まだ小娘ではないか?」
「見た目に騙されてはいけません。あの爪でどれだけの兵士の命を奪ったか」
「あれが7年前、このセリディア王国を恐怖のどん底に落とした」
「傭兵団『番犬』の女リーダーか」
様々な囁き声を一身に浴びながら、頭から耳を生やした令嬢はセリディア王国国王の前に進み出る。作法に則った挨拶で、国王の前で頭を下げた。
「お初にお目にかかります。ボ――わたくしがヴァルガルド皇帝陛下の名代として参りました、新国エストリア女王アリア・ドゥーレ・エストリアと申します」
エストリア王国は7年前に建国された新しい国だ。
その母体は北の森に住む獣人たちで結成された獣人傭兵団『番犬』である。100年以上、戦乱の世にあったヴァルガルド大陸で彼らは猛威を振るい、同盟関係となったヴァルガルド帝国とともに大陸統一を成し遂げた。
ヴァルガルド帝国皇帝は、『番犬』の活躍を讃え、彼らが住む北の森一帯を『エストリア王国』と名を与え、治めることを許可したのだ。
覚えめでたき『番犬』であるが、戦後は皇帝の管理の下で自治を認められた各国にとっては鼻持ちならない存在であった。戦中では『番犬』に歴史的大敗を期したセリディア王国も同様だ。そもそも獣人は昔から病を運んでくるなど忌み嫌われていた。まったくの迷信ではあるが、その風潮は今も根強く残っている。
しんと静まり返る晩餐の席で、拍手が鳴る。
手を叩いたのは、他でもないセリディア国王だった。
「皇帝陛下の名代の役目、ご苦労である。余こそがセリディア王国国王ガリウス・ルト・セリディア。エストリアの女王アリアよ、よくぞ参られた。そなたとは1度酒を酌み交わしたかった。くつろいでいかれよ」
「ありがとうございます、国王陛下」
礼を言って、アリアは席に着くと、両隣の他国の大使が迷惑そうに眉間に皺を寄せた。それまで暖かかった晩餐会の空気が、一気に冷え込む。その空気を変えたのは、ホスト国であるセリディア国王だった。
「それでは皆様、乾杯をいたしましょう」
セリディア国王は短い挨拶を済ませ、自ら「乾杯」の音頭を取る。
皆がセリディア王国の建国に祝杯を掲げる中、国王陛下は近くにいた大臣を指で呼び寄せた。
「あの件、抜かりはないな」
「万事手配は済んでおります」
国王と大臣の視線の先には、1人幸せそうに料理を頬張る獣人の娘の姿があった。
さらにもう1話、今日の夜に掲載予定です。