第11話 フェリクス司祭
「良い時間と取引をありがとうございます、アリア女王陛下」
結局、クレイヴ親子はエストリア王国に3日間滞在した。
その間、僕とアリア、秘書官のマルセラさんはアルフォンス閣下とともに今後の取引について話し合った。さすがに3日間では時間が足りなかったけど、大枠は決まった。あとは細かいところは、今後のマルセラさんとクレイヴ家の事務方が詰めていくことになっている。
ちなみに僕は相談役として、引き続き取引に関わっていくこととなった。
閣下はアリアとガッチリと握手をする。
そこに当初、獣人に怯えた貴族の姿はなく、真摯な目が向けられていた。
すると、アルフォンス閣下は僕にも手を向ける。
「ルヴィン王子もありがとうございました」
「こちらこそ感謝申し上げます、閣下」
「しかし、本当にいいのですか。かなり我々が有利な取引内容だったのですが……。特に豚肉の仕入れ値は市場の6割以下だ」
「エストリア産の豚は成長が早いことは、閣下もご覧になったと思います」
「早く出荷できれば、そのぶんの飼料代が安く済むということですか」
「それだけではありません。アルフォンス閣下や、クレイヴ家には余計なリスクを負ってもらうことになりますので」
「セリディア王家ですな……」
クレイヴ家との取引を聞けば、セリディア王家は何らかのアクションを起こしてくることは明白だ。最悪、クレイヴ家との取引を打ち切るなんてこともあるはず。大陸において、セリディア王国は帝国に次ぐ国力を持ち、クレイヴ伯爵家にとって上得意先だ。その取引が打ち切られれば、クレイヴ家は大損害を受けることになる。
「そんな顔をなさいますな、王子。これでも大陸一の商人を自負しております。大口の取引先の1つや2つがなくなったところで、我が家はびくともしません。むしろ後悔するのは、あちらの方でしょう」
アルフォンス閣下の目が光る。
頼もしい。さすが大陸一の商人だ。
「心配することがあるとするなら、あなたのことです、王子」
「僕ですか?」
「我が家とエストリアが手を結んだ。そこにあなたという存在があったと聞けば、セリディア王国はあなたに対して直接的な報復行動に打って出るかもしれません。どうかお気を付けください、王子」
アルフォンス閣下の忠告は的中する。
ついに僕たちはセリディア王国の虎の尾を踏んだのだった。
◆◇◆◇◆ セリディア王国・王宮 ◆◇◆◇◆
クレイヴ伯爵家がエストリア王国との独占契約を結んだことは、たちまち大陸中に広まった。エストリア王国はつい半年前まで、君主がテーブルマナーの1つも満足にできない野蛮な国と見做されていた。その契約を懐疑的な目で見る者がほとんどであったものの、ニュースは驚きを以て報じられた。
「クレイヴ伯爵家が?」
大臣から報告を聞いて、セリディア王国国王ガリウスは玉座に座ったまま眉宇を動かす。ルヴィンがセリディア王国から出ていった後、ガリウスは後のことを大臣に任せ、自分は政務に邁進していた。たまに報告を聞いても表情1つ変えず飄々としていたが、そのニュースバリューにさしもの鉄面皮も耐えられず、眉間に大きく亀裂が入る。
国王の反応を見て、事の重大さを改めて痛感した大臣は汗を拭った。
「取引の裏ではルヴィン王子の説得もあったとか。いかがしますか? クレイヴ伯爵に抗議を。あるいは取引を停止しますか?」
「捨て置け。クレイヴ伯爵家は大陸経済の重鎮だ。下手に手を出せば、我々が足元を掬われる。問題はルヴィンだ! あやつはどうしてこう余計なことばかりする!?」
セリディア国王は目の前の書類に八つ当たりする。
ひとしきり怒りをぶつけた後、セリディア国王はついに翻意した。
「大臣、ルヴィンを連れ戻せ」
「そうしたいのは山々なのですが……」
国王が直接命令してくれたのは、水面下で動いていた大臣としては心強かった。しかし再三再四送った刺客は、エストリア王国の獣人に捕まり、処断されている。そもそも獣人しかいないエストリア王国は、潜入任務に不向きだ。ルヴィンがエストリア王国の外にでも出ない限り、連れ戻すのは不可能な状況だった。
「ならば、エストリア王国の方から王子を差し出してもらえばいいのです」
謁見の間の扉が突如開く。進み出てきたのは司祭服を纏った司祭だ。その姿を見たセリディア国王は、目を細めた。
「そなたが力を発揮する時が来たようだぞ、フェリクス司祭よ」
「お任せを、陛下。必ずやケダモノどもからご子息を奪い返してご覧にみせます」
唇を弛め、司祭は不敵に笑うのだった。
◆◇◆◇◆ エストリア王国 ◆◇◆◇◆
「アリア様、また人参を残してるだよ」
晩餐の席の出来事だった。
一通り料理を口にし、空になった皿を下げようとした時、フィオナが気づく。
アリアの大好きな赤身肉のステーキは、特製ソースと一緒にすっかり消えていたものの、付け合わせの人参のソテーは、石皿の上に寂しそうに残っていた。
注意されたアリアは、耳をペタンと閉じ、そっぽを向く。
「だってボク、野菜嫌いなんだもん。お肉を食べたい!」
子どもの言い訳みたいに反論してきた。
玉座に座って、訪問客と相対する時は、女王然としているアリアも、僕たちの前では途端に子どもっぽくなる。元々甘えん坊なのだろう。今のアリアの姿を見たら、世界を震撼させた獣人傭兵団の団長だと、誰が信じるだろうか。
「アリア、料理はバランス良く食べるのが重要なんだ。栄養が偏ると、病気になりやすくなったりするんだよ。ほら、マルセラさんの皿を見て。あんなに綺麗に食べてるじゃないか」
僕はマルセラさんの空になった皿を指摘する。
いつもクールな秘書官は、フォークとナイフを置くと「ご馳走様でした」とナプキンで口元を拭いていた。お皿も綺麗だし、マナーも完璧だ。
そんな彼女の方を向いて、アリアは鼻をヒクヒクと動かした。
「フィオナ、マルセラの服のポケットを調べて」
「あ! ちょっ! アリア!!」
まさかマルセラさん……。
「失礼するだ、マルセラ様」
「ちょっと! フィオナ!!」
フィオナは無音でマルセラさんの後ろに立つ。
素早くマルセラさんのポケットに手を伸ばした。
「ちょっ! フィオナ、そこはちが――――あん!」
「ここでもないでようですだ。ここはどうだが?」
「だ、だから、そこは……はあ、はあ、はあ……」
「どうやらここのようだあ。見つけただよ。悪い子だ」
「やめ! やめぇえええええ!!」
マルセラさんの悲鳴が響き渡る。
「ねぇ、アリア。なんで僕に目隠しするの?」
「自主規制……」
「自主規制??」
「子どもは見てはいけないの」
なんで? フィオナがマルセラさんのポケットの中を確認しているだけなのに?
しばらくしてフィオナは2切れの人参を掲げる。
どうやら食べずに、ポケットの中に隠し持っていたらしい。
「フィオナやルヴィンくんは騙せても、ボクの鼻は騙せないよ、マルセラ」
「あなただって、嫌いな生野菜をルヴィン様に隠れて暖炉で焼却してる癖に」
「証拠はどこにあるんだい? 言いがかりも甚だしいね」
「ぐぬぬぬ……」
アリアとマルセラが牙をむき出しながら睨み合う。
なんかこの感じも久しぶりな気がするな。
ともかくだ。料理長として、女王の料理番として……
お残しは許しません!!
「2人ともお座り!!」
「「わ、わう!!」」
アリアとマルセラさんは席に座り直し、ピシッと背筋を伸ばす。
そんな2人に懇々と僕は説明した。
「食糧問題は解決しても、食材が貴重なのは変わりません。それに食材を作ってくれた森の恵み、調理をしてくれた人に対して敬意が欠けてます」
「「す、すみませんでした!」」
「マナー違反として、明日から2人の人参の量は倍にします」
「な、なんだって! ルヴィンくん! そ、それはひどいよぉ~」
「ご、ご無体な……」
獣人の野菜嫌いは、何もアリアやマルセラさんに限ったことじゃない。むしろ王宮内の家臣たちはまだいい方で、庶民レベルとなると、肉を焼いただけ、茹でただけの料理を日頃から食べていることが多い。
人族と同じ雑食とはいえ、これまで肉中心の食生活を送ってきた彼らにとって、副菜を加えること自体、慣れていないことだった。
啓蒙活動は続けていくとしても、僕1人では限界がある。
僕やフィオナ側に立ってくれる味方がいればいいんだけど。
僕が国の野菜問題に頭を悩ませている最中、その人は唐突にやってきた。
◆◇◆◇◆
「大陸正教会からやってきましたフェリクス・ヴァン・アバロムと申します」
もうすぐ初老にさしかかろう司祭は、アリアの前で典礼に則って挨拶した。
ヴァルガルド大陸には無数の種族と国家、そして宗教が存在する。
中でも、一番の勢力を持つのが大陸正教会だ。
大陸に住む人族の7割が入信し、5つの国から国教と認められている。ちなみに、その内の2つがヴァルガルド帝国とセリディア王国である。
フェリクス司祭は教会の中でも高位の司祭らしい。
「大陸正教会がなんの用? うちも国教にしろって話かい?」
「是非そうしてもらいたいのですが、国には国の事情があるでしょう。わしがエストリア王国にやってきたのは、医者として獣人の方々の健康状態を看に来ました」
「医者? ボクは別に病気でもなんでもないよ」
「わしが診る病気とは、何も明日死ぬような病気ではありません。生活習慣病とでも申しましょうか。すなわち暴飲暴食、過度な飲酒、不規則な生活に、偏食、これらが積み重なったことによって起こる病気を専門としております」
司祭は事細かに説明するも、アリアはいまいち理解できなかった。
横のマルセラもお手上げという風に、肩を竦めている。
「たとえば女王は夜ちゃんと寝ていますか? 睡眠をきちんと取らないと、免疫力が下がり、それだけで病気にかかりやすくなるのです」
「ふーん。それで司祭は何がしたいのさ」
「まずこの国にしばらく滞在する許可をいただきたい。しかるのち、まずはこの国の食生活について調査したいと思います」
「なら、うちの料理長に説明してもらった方がいいかな」
「是非!」
フェリクスは頭を下げた。
◆◇◆◇◆ フェリクス司祭 ◆◇◆◇◆
フェリクスは大陸正教会において、かつて高位の司祭であったが、とある問題によって位を剥奪され、決まった教会を持たない巡回司祭となった。巡回司祭はいわゆる布教活動を主とする司祭で、必要とあれば医者の真似事をしたり、水車や鉄農具などの技術を教えたりしている。
巡回司祭は本来若く体力のある司祭がなるものだ。57という年齢で辺境を巡回するのは、フェリクスにとって苦痛以外の何者でもない。
そんな折り、彼は突然セリディア王家から招待を受けた。
目的は他国に行って、諜報活動を行うこと。つまりはスパイだ。
巡回司祭の彼は国の中枢に入りやすいため、打って付けなのだという。
その頃のフェリクスは暴飲暴食は当たり前、賭場に借金もあった。その肩代わりするという条件で、フェリスクはセリディア王家の狗となったのだ。
今回フェリクスに与えられた任務は2つ。
1つはルヴィン王子を奪回すること。だが、奪っただけではエストリア王国の獣人が奪い返しにくる可能性が高い。そこでルヴィンと獣人の仲を裂いた上で、ルヴィンが王国に戻ってくるように促す――と説明が付け加えられていた。
2つめは、エストリア王国に悪い風聞の種を撒くことである。最近のエストリア王国はクレイヴ伯爵家と契約するなど、勢いに乗っている。この勢いをくじくための噂を流す――その種を撒くのが、フェリクスの任務であった。
(ともかくルヴィン王子と接触する必要がある。いざとなれば、夜に牢屋にでも行って)
このフェリクスの心配は杞憂に終わる。
炊事場に行くと、獣人に調理指示を与える小さな子どもの姿があったからだ。
「ま、まさかこんなところで王子に会うとは……」
「どうかされましたか、フェリクス司祭」
「い、いや……。し、失礼、王子。エストリアにいることは存じておりましたが、まさか……料理長になられていたとは」
「驚かせてしまいましたね」
「いえ。むしろ好都合です」
「……? そうだ。ここ1カ月の王宮のレシピです。どうぞ」
過去のレシピを保存しておくことは、各国の王宮、貴族の炊事場であればどこもやっていることだ。目的は3つ。1つは同じ料理が重複しないようにするため。2つ目に悪い食べ合わせを防ぐため。最後に万が一主人や関係者が毒殺された場合、レシピが貴重な証拠品となるからだ。
「子どもが料理長とは……。この国は人材難なのですね?」
「それはもう大変ですよ。猫の手も借りたいぐらいです」
「ならば、このレシピは猫にでも書いてもらったのでしょうな?」
唐突にフェリクスは、レシピを床に叩きつけた。
「僕のレシピに何か不備でも?」
「丁寧に書かれておりましたな。その点は褒めて差し上げましょう。しかしレシピとは中身です。何ですか、これは? 毎日、それも三食すべて、どこかに肉料理が入っている」
「獣人の方々の主食は肉でして」
「それでも、これはひどい。副菜の野菜もほんの少しだ。こんな偏った食事。もはや毒を食べさせているようなものですぞ」
ルヴィンは下を向く。落ち込む王子の姿を見て、フェリクスは口端を上げた。
(ククク! こうやって人に正論を垂れている時が、わしは一番好きなのだ)
教会の門を叩いて、30年。フェリクスの立場は常に正義の側にあった。
正しいことを振りかざし、そして弱者をいたぶってきた。
どんなに自分が怠惰で、神に戒められて当然の行いをしても、自分こそが正しかった。
正論の前には、権力ですら無力だ。
時に一国の王にすら頭を下げさせたことがある。
歪んだ成功体験を続けるうち、フェリクスにとってなくてはならない快感へと変わっていた。
(どうする、王子? 謝罪か? 反発か? どちらにせよ、わしが正しい。わしが正義なのだ!!)
外では怒り、司祭として説法を垂れながら、その心根はクズにも劣る悪魔。
それがフェリクス・ヴァン・アバロムの正体であった。
「ですよね!!」
「へっ?」
「そうなんですよ。肉料理だけではとても偏るんですよ」
「ちょっ……。王子?」
「1度、アリアに嫌いな人参を食べさせようとして、砂粒ぐらいになるまで小さくして、牛乳を溶かして飲ませようとしたことがあったんですが」
「に、人参? 砂粒??」
「匂いでバレてしまって……」
「そ、そうか。わかったから、一旦わしにも喋らせ」
「その後も色々試行錯誤したんですよ。けど、うまくいかなくて。誰か相談に乗ってもらおうと思っていたんですけど、料理が苦手なフィオナに手伝ってもらうわけにはいかないし、バルガスさんはこの件になると途端に冬眠を始めちゃうし」
「わ、わしのター…………」
「ジャスパーとフィンに至っては、何を喋ってるかわからないんです!!」
ルヴィン王子は涙目になりながらフェリクスに訴えた。
むろん、この涙はフェリクスが流させたものではない。
王子が勝手に愚痴を垂れ、勝手に流したものである。
「そこにフェリクスさんが現れた。これは神のお導きです!!」
「え? は? いや……」
「フェリクスさん!」
「な、何か?」
「僕と、獣人でも食べられる野菜料理を開発しませんか?」
(え……。ちょっ…………待って)
こうしてフェリクスは、ルヴィンとともにレシピ開発を始めることとなったのだ。
この話を読みながら、勿体ないお化けを思い出した人は、
ブックマークと後書き下部の☆☆☆☆☆を★★★★★にしていただけると嬉しいです。
じゃないと、勿体ないお化けがでます。
よろしくお願いします。